シネセゾン渋谷閉めちゃうのねー。結構好きだった。
そのくせ、水曜サービスデイだって知らなかったよ。んで、昨日行ってきた。1000円。4時25分の回。
チョイ込み。映画終わってからの7時の回は立ち見のようでしたよ。
で。「キック・アス」ですが。
あ、ネタバレありますよ。
まとまってませんが、思ったことを書きました。
面白くない、わけではなかった。
なかなかだった。
でも、予告編の方が感動した。
去年の3月頃、アメリカで観たのだ。
ちょっとウキウキした。
と、同時に危うい感じもあったのだ。
三十三年の人生で、
映画をある程度の量観てしまったので、
予告を観ても面白そうと思うことが少なくなったのだが、
時々ひっかかる。
「キック・アス」はもしかしたらと感じさせる久々のいい予告編だった。
正義を信じるというよりも、「スーパーヒーロー」に憧れている主人公。
ああいう主人公がけなげに頑張る姿はグッとくる。
この映画、アクションはあるがアクション映画ではない。
笑えるシーンもあるが、コメディ映画ではない。
実はかなり暴力的で残酷な映画だ。
本当は笑えない内容が、ポップに味付けされているのだ。
コレ、俺は結構アブナイと思う。
調味料が明るいのに描写がグロい。
ヒットガールの可愛さや、ノリのイイ音楽との絡みが調味料。
相反する二つのものを混ぜて、新しいようなモノを造るのはテクニック的には全然問題ないのだが、
作り手も、受け取る側もそれをある程度理解して望まないと、危険だ。
(アクションシーンそのものは素晴らしいし、燃える。)
可愛さや、ポップさに麻痺して、そこにある地獄絵図を地獄絵図として観られなくなることが怖いのだ。
「カワイイ」「カッコイイ」「クール」で「ああ、面白かった。気分爽快。」なんて映画ではないのだ。
だが、そういう風に受けとられてしまう空気をまとっている。
それが作品としてのテーマで問題提起という見方も出来るが、あったとしてもそれは相当な薄味だ。
もしかしたら原作ではそこら辺がもう少し掘り下げられているのかも知れない。
このアメコミ原作読んでないけど、表紙の雰囲気が映画と違う。
今、気づいたのだが、
この映画、監督の態度が主人公の態度にそっくりだ。
馬鹿で、無責任な高校生。
暗く悩まない。
明るく脳天気。
アメリカっぽいよな。(偏見)
こいつのせいで、こいつの格好したヤツがギャングに殺されてる。
しかし、それについて全く悩む描写はない。
俺にとっての問題は、あの映画の中の現実(登場人物たちにとっての世界のリアル)と映画的ファンタジーのバランスがなんかイヤな比率だということ。
高校生活などの日常が普通に描かれていて、
その延長線上に非日常であるはずの人の死や、大量殺人がある。
痛みがあるのに、死が軽すぎる。
俺は、たとえギャングであろうとも、
あんなに多くの人をほぼ問答無用で殺しまくるヒットガールとビッグダディをつるんと飲み込むことは出来なかった。
セガールの映画だったら暴力描写も素直に笑えるのだが。(素直じゃないけど。)
彼の映画は映画的ファンタジーの塊だから。
ビッグダディは確実にキチガイだ。サイコだ。バットマンもそうだが。
だからビッグダディの造形はバットマンに似てるのか。
あの主人公が守っていたものはなんだったのか。
(セックス。自分の快楽。無責任なエゴ。)
いや、高校生らしいんだけださ。
ヒットガールが何もなかったように日常に戻るって。
そのくせ、水曜サービスデイだって知らなかったよ。んで、昨日行ってきた。1000円。4時25分の回。
チョイ込み。映画終わってからの7時の回は立ち見のようでしたよ。
で。「キック・アス」ですが。
あ、ネタバレありますよ。
まとまってませんが、思ったことを書きました。
面白くない、わけではなかった。
なかなかだった。
でも、予告編の方が感動した。
去年の3月頃、アメリカで観たのだ。
ちょっとウキウキした。
と、同時に危うい感じもあったのだ。
三十三年の人生で、
映画をある程度の量観てしまったので、
予告を観ても面白そうと思うことが少なくなったのだが、
時々ひっかかる。
「キック・アス」はもしかしたらと感じさせる久々のいい予告編だった。
正義を信じるというよりも、「スーパーヒーロー」に憧れている主人公。
ああいう主人公がけなげに頑張る姿はグッとくる。
この映画、アクションはあるがアクション映画ではない。
笑えるシーンもあるが、コメディ映画ではない。
実はかなり暴力的で残酷な映画だ。
本当は笑えない内容が、ポップに味付けされているのだ。
コレ、俺は結構アブナイと思う。
調味料が明るいのに描写がグロい。
ヒットガールの可愛さや、ノリのイイ音楽との絡みが調味料。
相反する二つのものを混ぜて、新しいようなモノを造るのはテクニック的には全然問題ないのだが、
作り手も、受け取る側もそれをある程度理解して望まないと、危険だ。
(アクションシーンそのものは素晴らしいし、燃える。)
可愛さや、ポップさに麻痺して、そこにある地獄絵図を地獄絵図として観られなくなることが怖いのだ。
「カワイイ」「カッコイイ」「クール」で「ああ、面白かった。気分爽快。」なんて映画ではないのだ。
だが、そういう風に受けとられてしまう空気をまとっている。
それが作品としてのテーマで問題提起という見方も出来るが、あったとしてもそれは相当な薄味だ。
もしかしたら原作ではそこら辺がもう少し掘り下げられているのかも知れない。
このアメコミ原作読んでないけど、表紙の雰囲気が映画と違う。
今、気づいたのだが、
この映画、監督の態度が主人公の態度にそっくりだ。
馬鹿で、無責任な高校生。
暗く悩まない。
明るく脳天気。
アメリカっぽいよな。(偏見)
こいつのせいで、こいつの格好したヤツがギャングに殺されてる。
しかし、それについて全く悩む描写はない。
俺にとっての問題は、あの映画の中の現実(登場人物たちにとっての世界のリアル)と映画的ファンタジーのバランスがなんかイヤな比率だということ。
高校生活などの日常が普通に描かれていて、
その延長線上に非日常であるはずの人の死や、大量殺人がある。
痛みがあるのに、死が軽すぎる。
俺は、たとえギャングであろうとも、
あんなに多くの人をほぼ問答無用で殺しまくるヒットガールとビッグダディをつるんと飲み込むことは出来なかった。
セガールの映画だったら暴力描写も素直に笑えるのだが。(素直じゃないけど。)
彼の映画は映画的ファンタジーの塊だから。
ビッグダディは確実にキチガイだ。サイコだ。バットマンもそうだが。
だからビッグダディの造形はバットマンに似てるのか。
あの主人公が守っていたものはなんだったのか。
(セックス。自分の快楽。無責任なエゴ。)
いや、高校生らしいんだけださ。
ヒットガールが何もなかったように日常に戻るって。