風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

2012-10 日光栗山はじめてづくし2-1

2012-10-24 | 北関東(茨城・栃木・群馬)
1日目からの続きです。
○ 朝湯と朝食
○ 湯西川ダム
○ 蛇王の滝
○ 野門家康の郷・栗山東照宮
○ 民宿福冨士・蕎麦打ち体験
○ 民宿スナック


○ 朝湯と朝食

ツアー2日目。
前日は12時に寝て3人とも熟睡し、6時に起床。眠い目をこすりつつ朝風呂へ向かいます。
露天風呂で隣の部屋の人たちと会い、お湯の中で「おはよう」とあいさつしました。
ガールズ全員が朝湯につかっています。みんな温泉好きね。



大ホールで、朝食の陶板焼きウインナを食べながら、ぐるりと見回すと、私たちのテーブル以外、周りは親のような年代の方々ばかり。
「女ばっかりで泊まるなんて、私たちはどう見られているんだろうね?」「いい宿だから部活じゃないし」「温泉女子の会・・・?」などと話しました。

8時半に迎えのバスに乗りこみます。
外は少し小雨が降っていたけれど、みんなで「もういいかげんに止んでちょうだい」とブーブー言っていたら、そのうちに止みました。
昨日、下野新聞の人が同行していると思ったら、今朝の新聞にこのツアーのことが写真付きで掲載されていました。仕事が早いわ!

○ 湯西川ダム

初めに、宿から近い湯西川ダムを訪れました。
10月6日に完成式を行ったばかりだという、ブランニューのダム。
管理センターもピカピカです。建物内に入れてもらい、担当者に説明してもらいました。
実はダム好きの私、ひそかにテンションがあがっています。

昭和57年から着手し、30年間、総工費1840億円をかけて昨年完成した、栃木で4番目の最新ダム。
重力式コンクリートダムで、ここの水は茨城や千葉に送られるそうです。
「なにか質問はありませんか?」と聞かれたので、「はーい!」と手を挙げました。
水没した集落について伺いました。138戸が移転したそうです。
旧栗山村は全2500戸だったそうですから、20軒に一軒が家を離れたことになります。けっこうな割合だわ。



ここで、待望のダムカードをもらいました。ダムカード、前から欲しいなと思っていましたが、そうそうダムを訪れる機会もないし、行ってもカードをもらえたことがなかったため、これが初めて。うれしいわ。
「うふふ。写真撮って~」とカードを持ってポーズをとる私を、周りは「へ~、ダム~」と、ぬるめの視線で見守ってくれます。
ナカーイさんが、係の人に「ご自身でもダムカードを集めていますか?」と聞いたら、「自分は仕事なので…(カードは集めてない)」という答えだったので、みんなで「あれれ~」とちょっとがっかりしました。
いえ、彼のせいじゃないんですけれどね。







外に出て、ダムを上から眺めます。堤高119m。はるか下を、ものすごい勢いで水が放出されています。
1秒に10トンの放水だったかしら?すごい勢いで、見ていると気持ちがすがすがしくなります。
反対側は、紅葉が映える静かな湖面でした。

○ 蛇王の滝

バスに乗りこみ、五十里湖、川治湖ぞいに進んでいきます。
すっかりいい天気になり、空も緑も紅葉も湖も、きれい。
ちょくちょく橋が見えるのが、またいいですね。





雨が上がって、大きな虹が出ました。まさに空の架け橋です。



「遠くにダックツアーが見えますよ。みんな後ろを振り返って!」とバスガイドさん。
「ほら、どんどん湖に入っていく」
揺れる車内で何度も木にさえぎられながらも目を凝らすと、たしかに白いバスがゆっくりと川治ダム湖の中に入っていくところでした。
この光景を知らずに見た人は、「バス入水!?」とビックリ仰天しちゃうでしょうね。
うまく撮れませんでしたが、こんな感じ。今度乗ってみたいわ~。



次に、蛇王の滝へと向かいました。
ダムにおとらず、ここもすごい迫力。紅葉に映えてきれいです。



茶屋の中には、四季折々の滝の写真が飾られていましたが、どれも華厳の滝のようにまっすぐ。
これまではまっすぐな流れで、「そうめんの滝」とも言われていたのに、今年5月の台風で、土砂が崩れて流れが変わったとのこと。
その分、うねる感じができて、より蛇っぽくなりました。
そうめんよりは、蛇王の方がカッコイイですもんね。
中禅寺湖の龍頭の滝を連想させる名前ですが、もともとこの土地にある蛇の王の伝説が由来となっているそうです。



とっても冷え込んできて、滝を見ながらみんなでブルブル震えます。
茶屋ではもうストーブをつけていました。
アオヤマさんが私に「ブログ拝見しました。とてもすばらしくまとめてあって」と言ってくださり、恐縮することしきり。
目を通していただいたんですね~、いやはや。まあ、だからこそ今回のメンバーに入れていただけたのかもしれません。

朝までの雨はすっかりあがり、キラキラとした日光がこぼれる快晴日和。
紅葉が山に映えて、すごくいいタイミングに来れたねと、みんなで喜び合います。





○ 野門家康の郷・栗山東照宮

それから野門家康の郷へ向かいました。
ここに栗山東照宮があるといいます。日光東照宮のすぐそばなのに、こちらにもあるなんて。



現地に着くと、民宿一乃屋さんのご主人が東照宮まで案内してくれました。
石段を上がっていき、ユニークな顔の狛犬を眺めながらなおも進むと、そこにあったのは古めかしい祠。
これが、東照宮・・・?



想像していたものとはかなり違う、ぐっと小ぶりで雨風にさらされた感の強いものだったので、驚きました。
さらに、ご主人がお堂の中に入り込み、おもむろに木の観音扉を開けたので、さらに驚きました。
木の扉の向こうには…シャッター!ビックリが続きます。
そのシャッターの向こうには、いったい何があるんだろう?
みんな気になって、息を止めて見守りました。



私は、迫力のある恐ろしい何かを想像して、ドキドキしていました。
封印を解いたら、煙がドロンと立ち上って、私たち全員お婆さんになってしまうんじゃないかしら?(それは浦島太郎!)

ガールズの中から「御神体って、ミイラですか?」という声が上がり、(ちょちょ、違うでしょー)と内心つっこみながら、力が抜けて緊張がゆるみます。
そんなあんまりな、いえストレートな質問は恐らく受けたことがないだろうご主人は、少したじたじのご様子でした。
シャッターの奥にはさらに木の扉があり、それを御開帳すると、二段になった台座に雛人形のような人形が四体、鎮座していました。
その光景を、みんな(はぁ~・・・)と、言葉もなく見入ります。



とてもお上品で、かわいらしくさえ見えるご神体。
上段が「徳川家康公の御神体」、下段が「男体山三社ご神体」。下段左から、女峰神・男体神・太郎神です。
これが日光東照宮の御神体なのですね。
ごしんたい、を拝観すること自体、初めてじゃないかしら。
尊すぎるものを直接見てしまって、私たち、どうにかなってしまわないのかしら?
天海大僧正の呪いにかかっちゃう、みたいな?でも代々の守り主に見せていただいているのだから、大丈夫でしょう。

それにしても、なぜあのきらきらしく絢爛豪華な日光東照宮の御神体が、この人里離れたような秘境の地に?
ザ・グレート・ミステリーです。
明治時代の戊辰戦争の折、彰義隊の残党が立てこもったとされる日光山に、官軍の総攻撃がかけられることになりました。
日光東照宮が混乱に巻き込まれて、焼失する危険にさらされたため、大切な御神体に大事があってはならぬと、ひそかに持ち出されたのだそうです。
会津松平藩主肥後守容保(つまり松平容保)からその密命を命じられたのが、野門村の小栗久右衛門という人物。
彼は、家康公のご神体と男体山三社のご神体を、会津若松城(鶴ヶ城)へと運ぼうとしていましたが、その途中で、鶴ヶ城も戦火に包まれてしまったことを知ります。
行くも戻るも叶わなくなった彼は、自分の出身である野門集落に御神体を運びこみ、それからかの地の人々によって、ひそかに守られ続けてきたのだそう。



うーん、なんてドラマチックな話なんでしょう。
話を聞いているだけで、クラクラしてきそう。歴女な私は、かなり胸をドキドキさせて話に聞き入りました。
ただ歴史に特に興味がない人は、イエヤスまではわかっても、「ぼしん戦争?しょうぎ隊?」と、ちんぷんかんぷんだったかもしれません。

この栗山東照宮は、昭和45年に有志の方々によって建立され、一般に公開されるようになったとのこと。
それまでずっと、村の人々は秘密を守り続けていたのです。
ご主人は、御神体を保管していた名家の方で、子供のころから「それを見ると目がつぶれる」「触ると手が腐る」などと言われて、厳しく接触を禁じられてきたそうです。

では、このご神体を取り出した日光東照宮には、もうご神体はないのか、ということが気になります。
実際、この話が世間に公表されてから、人々の間にかなり混乱があったようですが、日光東照宮にもきちんと御神体はあること、そしてこちらもまぎれもなく本物であるということが、日光東照宮から発表され、お墨付きがもらえたそうな。

それにしても、と思います。
有志が建てた小さなお社は、村の鎮守のようで、とても御神体を内包しているものとは思えません。
村人たちに、必死に大切に守られ続けてきたのですから、日光東照宮も敬意を表して、もっとこちらに予算をかけてもよさそうに思うのですが。
日光東照宮の美しくも過剰すぎる装飾と比べると、あまりにも素朴で対照的でした。



普段は年に一度、家康の誕生日(10月26日)近くの日曜日に一般公開されるそうです。
今回は、特別に御開帳していただきました。ああ、私、今回参加できて、心からよかったと思うわ。
本当は、保存が痛むので、ガラスケースにでも入れないとそうそう公開できないとのこと。
(と言いながらも入っていないということは、やはり予算の問題でしょうか?)
栗山村(旧野門村)だった頃には、栗山東照宮のお祭りがあったのに、日光市に合併されてからは、その予算がおりなくなったそうです。
それは残念。合併もいいことばかりじゃないんだわ。

○ 民宿福冨士・蕎麦打ち体験

野門地区は、とても静かな山村。民家の軒先に干している大根が、ずらりとどれも大きくて、みんなで「なんだかやけにビッグな大根じゃない?」「育ちがよすぎるね」「たくあんどれだけできるかな」とささやき合いました。



お昼時になり、二軒の民宿に分かれて、そば打ち体験をしました。
誰も経験者はいませんでしたが、もんぺ姿の女将さんにてきぱきと教えてもらいます。
女将さんの名前はみっちゃん。温かい響きの方言でどんどん喋りかけてくれたので、すぐにみんな打ち解けました。



まずはそば粉をこねてまとめていくのですが、こねるのがとにかく大変でした。
初心者には難しいからと、2-8よりも少し多めに小麦粉を混ぜているそうですが、それでもなかなかまとまりません。

みんなでかわりばんこにこねまくりました。ときどき水を加えながら、丸くしていきます。
そば作りって、思ったよりも体力がいる、大変な仕事なんだわ。
私たちが難儀していても、みっちゃんの手にかかるとそば粉はどんどん丸くなっていきます。
「みっちゃんすごーい」とみんなで尊敬のまなざしを向けると、「みっちゃんだって二十歳で郡山からお嫁に来た時には、大変だったんだぁ。姑のアイちゃんが厳しくてねぇ。でもそのおかげで一人前になれたんだぁ」と、昔語りをしてくれました。



丸まったそば粉を、今度は打ち棒でどんどん引き延ばしていきます。
薄く薄く。でも途中で穴があいてしまいます。
どうしてもみっちゃんのように、手際よく上手にはいきません。

薄く伸ばした生地を重ねて、それを細く切っていきます。
こね終えた段階で、みんなかなりへとへと。
慣れない作業に、腕も腰も悲鳴を上げていましたが、隣の民宿の2班はもう茹で終わったと聞いて、かなり巻きでがんばりました。
姑さんのアイちゃんも御健在。厨房でお湯を沸かして、スタンバッてくれていました。



そうしてできた、私たちが初めて作った手打ちそば。そばのほかにキノコご飯、ジャガイモのにつけ、ふきなども出してもらい、自然の恵みをいっぱいにいただいた昼食となりました。
バスガイドさんとドライバーさんも呼んで、一緒にいただきます。
う~ん、おいしい!太さはかなりまちまちだけど、それもまた手作り感満載で、いい感じ。
大満足です。

○ 民宿スナック

「食事が終わったら、スナック来てね~。コーヒー淹れて待ってっからね~」とみっちゃん。
ん?スナック?
聞き間違いかと思ってみんなで目を合わせますが、方言は関係なく、はっきりスナックと言っています。
でもここは民宿でしょう。民宿にスナックがあるの?そんなの聞いたことないけど!

…ええ、ありました。民宿にスナックが。
みっちゃんハウスはフリーダム。
しかも、かなり本格的な空間で、がらりと雰囲気の変わった空間に、入るなりみんなで歓声をあげました。
和の雰囲気はどこへいったのー?



壁中にポラロイドの写真がびっしりと張られています。全部お客さん。
四方の壁ではもう飾りきれなくなって、天井にまで張られ始めていました。
「この人知ってる。誰だったかな」とトモコさん。
それは、池内万作(伊丹十三の息子さん)でした。撮影で訪れて、その後プライベートで再訪したんだそうです。
ほかに板東英治も来たことがあるんだそうな。



オレンジの椅子が小粋。テーブルは、インベーダーゲーム!
うわあ、キョーレツ~。今がなんの時代かわからなくなって、くらりときます。
もんぺ姿のままカウンターに入って、コーヒーを出してくれるみっちゃん。
いろんな意味で、濃いというか豊かというか、なんだかとにかく満ち満ちた気分になって、まあ幸せだからいっか、とコーヒーをいただきました。(photo:ミクさん)



そんな楽しいみっちゃんとのお別れは名残惜しく、歩きながらもみんなで振り返って手を振り続けます。
軽トラが私たちを追い越していきざまに、運転席のおじいちゃまが、満面の笑みで私たちにブンブン手を振り返してくれていたので、みんなでわあっと笑いました。



2-2へ続きます。


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