○ スペーシアきぬ
○ 滝尾(たきのお)神社
○ 三本杉
○ 滝尾高徳水神社
○ 観音堂
○ 仏岩
○ 滝尾(たきのお)神社
○ 三本杉
○ 滝尾高徳水神社
○ 観音堂
○ 仏岩
これまで何度も訪れている秋の日光。
10月ともなると、季節は十分秋ですが、今年は夏が長く、10月になってもまだ日傘をさす人がいるほどの強い日差しです。
それでも、さすがに日光は涼しいだろうと期待して、フリースの上着を引っ張り出してきました。
いつも東京からバスか車で行きますが、今回は、初めて電車で向かいました。
○ スペーシアきぬ
旅の連れのマーシャと、東武浅草駅で待ち合わせ。
東武線乗り場に来るの自体、初めて。階段を上がる前から旅行気分いっぱいで、ワクワクします。
8時発のスペーシア・きぬ103号に乗って行きました。
食堂車があり、売り子さんもやってくる車内の席は幅が広くてゆったり。折り畳み式テーブルが出てきて、旅情が誘われます。
乗車時間は100分。ウキウキしている間に下今市駅に着き、ここで電車を降りて、プリウスを借りました。
レンタカーは電気自動車になるかもという話もあり、(EVはいろは坂を登る馬力はあるのかしら?)と気になっていたので、ひと安心。
マーシャが運転を担当してくれました。
PHV車は始めて運転するとのことで「なんだかふわっとする感じー」と、慣れるまで不思議そうでした。
乗っている分には全くわかりませんが、動きが静かだなあとは思います。
運転して間もなく、神橋のところに着きました。
もう東照宮前です。
東照宮や二荒山神社は、お互い何度も参拝しているため、今回は二人とも行ったことがない、滝尾神社に行ってみることにしました。
○ 滝尾(たきのお)神社
ナビを入れていても道がわからなくなり、うっかり別荘地に迷い込んだりして、何度も同じ道をぐるぐる。
マーシャはパーキングの前で誘導をしているおじさんに、場所を聞きました。
(あまりよそ様と話をしたがらなさそうな、シャイなタイプなのに!?)と少し驚いたら、「わからなくなったら人に聞くってこと、リカから教わったよ」と言われました。
そう、私はすぐに人に道を尋ねます。(自分を信じてもろくなことがないから!)
「ああ、私も人の役に立ったのね~」とじーんとしました(笑)。
ようやく、小さな社の前に着きました。
神主さん・巫女さんが、7、8名集まって、なにか神事を終えて帰るところでした。
車を停め、今度は私が「滝尾神社はどこでしょうか?」と聞き、「その石段を歩いていったところ」と教えてもらいました。
杉の巨木の足元に、苔むした石像があり、引きつけられます。
自然の中、水音に誘われるように石段を上って行きました。
周りに人はおらず、自然の中に取り込まれたような感じ。
水の音は、空海が修行したという白糸の滝でした。
心が浄化されるような、澄んだ気持ちになります。
滝に沿うように上流に向かっていくと、弘法大師が祈願して女峰山の女神を降臨させた場所とされる影向石(ようごうせき)があり、御影石でできた運試しの鳥居を抜けていきます。
その奥に、総漆塗りの唐門がありました。
がらりと辺りの空気が変わるよう。なんというか、とても奥地へときた感じです。
そこに朱塗りの本殿と拝殿が並んでありました。
ここは、日光二荒山神社の別宮で、女峰山の女神、田心姫命(たごりひめのみこと)をお祀りしているる神社。
男体山の祭神、大国主命のお妃さまです。
820年に弘法大師により創建され、社殿は1646年に建立されたとのこと。
空海は、神社も作ったんだー、と驚きますが、神仏分離前の時代には、寺社はもっと近いものだったでしょうからね。
栃木の「女峰イチゴ」は、女峰山にちなんだ名前だそうです。ああ、なるほど。
辺り一帯に、とても静謐な雰囲気が漂っています。
本殿手前に「縁結びの笹」と書かれた笹群がありましたが、「笹の保護育成のため結ぶのはやめましょう」という札が下がっており、つまりはなにも縁は結べずじまいでした(ションボリ)。
拝殿奥には、小さな石橋があり、そこに年配の女性がいて、数を数えながら足踏みをしていました。
なんだろうと思ったら、「年の数だけ踏むと祈願できる願い橋よ」と教えてくれたので、マーシャと一緒に足踏みしてきました。
でも、この橋は俗世間と縁が切れる無念橋だそうな。あれ?
後で調べてみたら、どちらの意味もあるそうです。
○ 三本杉
神社の一番奥には、巨大な御神木がすっくと3本、天に向かってそびえ立っていました。
ここがこの神社で最も神聖な場所とされる、三本杉。樹齢300年近いそうです。
やはり日本人の祈りの根源は、純粋なアミニズムなんだなあと感じました。
その近くの稲荷神社や酒の泉、子種石も訪れ、もう人生になにが起こっても大丈夫な気分になりました。
参拝客が途切れることのない東照宮や輪王寺、二荒山神社とは対照的に静けさを保ち続ける、山の奥の聖地。
心の底から、落ち着きました。
○ 滝尾高徳水神社
車のところに戻ると、もう神主さま御一行はいなくなっていました。
そこは滝尾高徳水神社。大きな水色の御札が奉納されていました。
小さな社でしたが、祠のそばからは透き通った湧水がこんこんとあふれ出ていました。
あとで知りましたが、この神社の例祭日は毎年十月十日。
つまり私たちは、ちょうど神官たちが例祭を済ませたところに訪れたようです。
○ 観音堂
それから車に乗って出発しましたが、下がっていったすぐの所に見えた朱塗りのお社が気になって、再び車を停めてもらいました。
そこには、隙間なくびっしりと、大きな将棋の香車の駒が奉納されており、あまりに見慣れぬ光景に、正直(こわい!)と思いました。
「香車の駒は戻らず直進するため、無事出産できるという安産祈願から」という説明を読んで、なるほどとようやく腑に落ちました。
香車堂とも言われるようです。
将棋の駒を生まれ来る赤ん坊に例えるなんて、なんだか男性的ですね?
私たちは、よくわからないまま、誘われるように途中の高徳水神社まで進んで行ってしまいましたが、徒歩参拝する場合は、この辺りが滝尾神社の参拝スタート地点のようです。
○ 仏岩
観音堂の奥には、仏岩がありました。
ここは、すごく波動の強いパワースポットだと聞いて、来てみたいと思っていた場所でした。
霊感のない私にも感じるものなのか、全く感じないものなのか。
杉の林の中、断崖絶壁の岩の下のくぼみに、石像が六体、静かにたたずんでいます。
この場に立つと、やはり私もなんともいえない深く濃い空気を感じました。
普段は現実的なマーシャでさえ「ここはなんか感じる~」と言っていました。
場の雰囲気に気圧されて、目の前の仏像に集中できず、よく対面できずじまいでした。
そばには、日光開山の祖、勝道上人のお墓がありました。
東照宮ができる前には、日光詣ではこの神社が中心でした。
きっと家康公も、同じような強い気を感じたのでしょう。
車に乗り込み、すごい神社をお参りできたなあとしみじみ思いました。
本来の参拝とは、こういうものであるべきなのかも。
街の中心地にあったり、きらびやかな社殿だったりする、人の興味を引く寺社が今では多いですが、こうした山の奥の聖地のような場所に来られて、本当に心が洗われたような気持ちになりました。
その2に続きます。
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