イギリスのポピュラーソングシンガー「シャーリー・バッシー」(Dame Shirley Veronica Bassey)は本日で73歳になります。(1937年1月8日生)
ウェールズ地方(Wales)の港町カーディフ(Cardiff)で生まれたシャーリーは少女時代から夜や週末に地元のパブやクラブで歌っていました。
16歳でヴァラエティーショーに出演してプロとして歌いました。
一時プロのシンガーは断念して地元に戻りましたが、才能を認めていたエージェントがレコード会社に売り込みます。
19歳で初のレコードをリリースします。
その後アメリカのプロデューサーミッチ・ミラー(Mitch Miller)に見出されワールドワイドの進出を始めます。
”As I Love You”や”Reach For The Stars”がヒットして
ついに映画「007」シリーズのテーマソングのシンガーに起用されます。
”Goldfinger”で大ブレイクします。
007シリーズでは”ダイヤモンドは永遠に””ムーンレイカー”でもテーマソングは大ヒットしています。
1970年代に人気、実力を確立しイギリスを代表するシンガーとして活躍します。
1973年リリースの”Never, Never, Never”は初のシルバーレコードになりました。
1970年代に3枚のシルバーレコードを生み出しました。
1984年リースの”I Am What I Am”は初のゴールドレコードになります。
そして今日まで数々の賞を受賞し,70歳を超えた現在も活躍しています。
昨年リリースのアルバム”Performance”
ウェールズ地方(Wales)の港町カーディフ(Cardiff)で生まれたシャーリーは少女時代から夜や週末に地元のパブやクラブで歌っていました。
16歳でヴァラエティーショーに出演してプロとして歌いました。
一時プロのシンガーは断念して地元に戻りましたが、才能を認めていたエージェントがレコード会社に売り込みます。
19歳で初のレコードをリリースします。
Burn My CandleFantastic Voyageこのアイテムの詳細を見る |
その後アメリカのプロデューサーミッチ・ミラー(Mitch Miller)に見出されワールドワイドの進出を始めます。
”As I Love You”や”Reach For The Stars”がヒットして
As I Love You 1956-1958Jasmineこのアイテムの詳細を見る |
ついに映画「007」シリーズのテーマソングのシンガーに起用されます。
”Goldfinger”で大ブレイクします。
Goldfinger [Original Motion Picture Soundtrack]John [1] Barry,John Barry,Vic Flick,Johnny Scott,Shirley BasseyEMIこのアイテムの詳細を見る |
007シリーズでは”ダイヤモンドは永遠に””ムーンレイカー”でもテーマソングは大ヒットしています。
1970年代に人気、実力を確立しイギリスを代表するシンガーとして活躍します。
1973年リリースの”Never, Never, Never”は初のシルバーレコードになりました。
Never, Never, NeverRememberこのアイテムの詳細を見る |
1970年代に3枚のシルバーレコードを生み出しました。
1984年リースの”I Am What I Am”は初のゴールドレコードになります。
I Am What I AmA-Play Collectionこのアイテムの詳細を見る |
そして今日まで数々の賞を受賞し,70歳を超えた現在も活躍しています。
昨年リリースのアルバム”Performance”
PerformanceUniversalこのアイテムの詳細を見る |
感動・衝撃…を受けました。
「全力投球・真剣勝負」そのものでした!!
中でも「This is My Life」は、私の人生の応援歌となりました。
その後、20年後、東京のコンサートに行きました。
今、YouTubeで彼女のコンサートを観る事ができ、新たに感動しております。
そして、彼女の人生観・人間性を考えるように
なりました。
彼女の生き方そのものが彼女の魅力、人気であると気づきました。
信じられないほどの逆境にも負けずに、コンサートでは、観客に勇気を与えることのできる彼女に尊敬の気持ちでいっぱいです!!
彼女を支える最高レベルスタッフ、ブレーンも
素晴らしいけれど、もしかしたら、「シャーリー・バッシー」を創り上げたのは彼女の母親ではないかと思いました。
若いデビューしたばかりの彼女の写真が母親の横に飾られてありました。
娘を思う母親の気持ちを感じました。
彼女の純真さ、暖かさ、大きさを創り上げたのは、この母親だと感じました。
「旨さ」だけでは人気業界では長く続かないと
思います。
彼女と同様に、日本では森光子、アメリカでは
ルシール・ボール。
遅咲きであるルシール・ボールは彼女の「ルーシーショー」のスタジオの観客席に、必ず母親を座らせたといいます。
本物の人気・感動の根本は、素朴な意見ですが「母親の生き様・物の見方、考え方」が大きく影響していると感じました。
有難う御座いました。
私は、スタンディングオベーションを見に来た人が行ったのを福岡で初めて経験しました。
終わって舞台に戻るとシャーリーは福岡ファンタスティクと繰り返し泣いていました。
Alone againの歌声が印象的で、どんな歌手が歌っているのか、知りたくて直ぐにレコードを買いに行ったのを覚えています。もう、30年以上も前のことです。
それ以来、シャーリーバッシーの歌とともに青春も人生も歩いてきたようなものです。
まさに、シャーリーバッシーそのものが私の人生そのものです。
シャーリーバッシーに出会っていなければ、彼女の私の人生を知らなかったら、きっと今の私は存在していなかったと確信しています。
コメント有難う御座います。
掲載して時間が経過しても観て下さる方がいらっしゃるので嬉しいです。
皆さんが彼女の歌を聴いて感動した事を深く受け止めています。