King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

NBAファイナル感想

2016年05月26日 22時04分01秒 | バスケ
今NBAの中心はレブロンであり、彼を中心にファイナルも
周っているというコメントがNHKのアナウンサーが言って
いました。

NBA最強で最高のプレイヤーはレブロンに違いありません。

しかし、彼はファイナルを制したのはたったの2回で、それも
かなり苦労して、なりふり構わない補強をしたヒートでこれだけ
すればねという感じのスタープレーヤーを揃えそれでも最初は
優勝出来ず、レイアレンまで入れてやっとつかめたのです。

それをまったくノーマークでドアマットのウォーリアーズを
加入6年で優勝するまでに持って行ったステファンカリーが
なんといっても優勝に一番近いチームであり、抜群の得点力と
今までのバスケットとは違う魅力を持っています。

もともとランアンドガンのチームは優勝しないというのがNBAの
常識でした。

ところがどこのチームも走って遠くから入れるという同じような
バスケットになった21世紀のNBAもカリーを見ていると違う言語で
できたバスケットストーリーを感じます。

今のイースタンのトップを争うラプターズとキャバリアーズがどちら
が勝ち上がったとしてもウエスタンの覇者には到底かなわないだろうと
予想されます。

第四ゲームを落としたウォーリアーズはもともとはサンダーなど
敵とはしないと思われましたが、いつもとは違いファウルが多く、
カリーの得点力も影をひそめいつものようではありません。

調子のいい時の怒涛のスピードと長距離シュートで畳み掛ける
新しい世代のバスケと見られたこのサンダーとウォーリアーズ
の戦いもひょっとしてウォーリアーズが負けてしまうのかと思うような
散々なゲーム4で、所詮ロングシュートは水物かという不確定要素を
強く感じさせました。

それでもホームに戻ればその得点力とスピードはよみがえり、
レブロンと争うのではと感じます。

ラプターズにしろキャバリアーズにしろウエスタンのような本格的な
センターがいないスモールラインナップの戦いしかできないチーム
なのに対してウエストの両チームはどちらも本格的な213cm台のセンター
が控えも合わせて揃っています。

この戦力差が戦う前から結末をあらかじめ暴露しているかのように結果は
今から見えているように感じます。

それでも少なくてもレブロンには新興のラプターズにやられないように
願うのみです。

レブロンがいかに長年苦労してリーグに君臨してそれでも優勝2回という
それも傭兵参加でのヒートでのものでしかなく、本人としては是非とも
自分のチームでホームであるキャバリアーズでの勝利が悲願なはずです。

コービーが引退して最も優勝経験があるチームと選手が揃っているのは
スパーズです。

長年その強さを保っているのはひとつにはコーチの力というのを感じずに
いられません。

今季も新コーチが誕生し名選手がコーチになったものの成績が振るわず
早々に交代したり馘首になったりと成功例より選手時代より輝く例の方が
少なく、そんな意味でスティーフカーは異例中の異例かもしれません。
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幻の味を重ねて

2016年05月26日 20時45分21秒 | 珈琲
チャレンジデーで久しぶりにジムに行き筋トレの
痛みがあちこちにあり、色々チェックしてつらつら考える
今ですが、色々いつもと違うことがあり、忙しい月末業務に
突入し、忙殺となりそのままになってしまいそうな危機感を
孕みつつ、それでもこの違和感と齟齬を正したいようなもどかしさを
抱いています。

今日はまた暑くなりアイスコーヒーの注文もありました。

今年も300g1000円と特別価格を維持できました。

これも在庫の豆がなくなり次第終了となります。

ダテーラサンライズもなくなり、やむなく同等品とされるヴィラ
を入れました。

値段はこれも据え置きで販売します。

エチオピアシャキッソも追加で確保したいと思っています。

ケニアや値段を抑えた今の豆が確保できましたが、これは
行幸といえるでしょう。

まあこんな繰り返しで高騰する豆と戦いそこそこの値段で十分
あじわえる豆を揃えていくよう努力して行きます。

こんな豆を探しているとかこんな味の豆がほしいというご相談は
お気軽にどうぞ。

今のお勧めはエチオピアのシャキッソです。
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『行人』読了。空気を読む

2016年05月26日 16時19分28秒 | 読書
歴史小説を続けて読んでいましたが、
しばらくまた夏目漱石に戻りました。

そして、この作品に出合い、100年も前にして存在していたことに驚愕する
のでした。

例えば作品に出てくる空気が生まれたという現代に通じるこの言葉も
すでに漱石により使われていたという事実。

空気を読むという言葉がはやり言葉になったのは20世紀のことでしょうか。

漫才の突っ込みに使われてみんながそんな空気を意識したときに、もはや
明治の時代に空気を意識することは行われ小説になっていたということと
このテーマになっていることや描かれていることが現代に通じることばかり
で逆に精神世界において何の発展ももしかして我々は成しえていないのでは
と思えてきます。

多くの小説家が現れ、ノーベル賞をとるような作家も現れているのに、
漱石を古いと笑えないのはどうゆう事かと考えてしまいます。

あのいつもノーベル賞の頃になると受賞があるのではと騒がれる作家も
丸きり漱石の焼き直しでしかないと思えるし、作中にあまり聞く人もいないジャンルの
クラッシックの音楽を伏線として出したりする手法も漱石がよく用いる絵画と
禅の世界をタブらせたりする手法によく似ています。

そして、主人公は何も解決せず何も行動として残さないものの、なにかとても共感したり
何か重要な体験をした感じになるという不思議な感覚もよく似ています。

最後が手紙という形も漱石の小説にはよくある得意の形で独特の緊迫感が
漂い、現代の新聞もとらず手紙などもやり取りしない現代でも臨場感や
場面展開がよく伝わります。

兄さんがよいよおかしくなったという時に大学でテレパシーの実験をやった
などというシーンなどもそんな昔からこんなことがと思うほど古さを
感じないばかりか逆に自分たちがより進歩を示せないで世界には貧困と
欺瞞に満ちた混沌が渦巻いているという現状を憂うのです。
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