心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

秋の京都一条通を歩く

2019-11-30 20:52:19 | Weblog

 昨日、仲間たちと京都の街歩きをしました。今回のテーマは「一条通を歩く」。時空を超えて京都の風情を楽しみました。
 一条通りというのは「平安京の北限・一条大路にあたり、東は烏丸通から西は妙心寺の西手前まで続く約3.2㎞の道」で、平安時代から洛中と洛外の境界とされていたところです。そのうち私たちが歩いたのは地下鉄今出川駅から北野の大将軍八神社までのおよそ2時間でした。まずは烏丸通を下って和菓子の老舗「虎屋菓寮」を右に折れたところから出発でした。

 1830年から続く「本田味噌本店」、小町通を経て、一条戻り橋へ。そのあと清明神社、黒田官兵衛邸宅跡、上杉景勝邸宅跡、浄福寺。明治30年創業の豆腐屋の老舗「とようけ屋山本」では美味しそうなお豆腐を買い求めました。「長五郎餅本舗」、百鬼夜行で知られる一条商店街「妖怪ストリート」などを経て終点・大将軍八神社、というルートでした。
  一条通りは昔、道幅30mもあったのだとか。葵祭もこの通りを練り歩いたのだそうですが、もちろん今は民家が密集して車一台が通れるほどの狭い道が延々と続きます。それでも所々にある史跡を眺めながら往時を偲ぶ、ゆったりとした時間を過ごすことができました。清明神社では、フィギュアスケートの羽生結弦選手やエフゲニア・メドベージェワほか俳優など著名人の絵馬が飾ってありました。

 この日の圧巻は、なんといっても浄福寺赤門の向かいの空き地に立つ大きなイチョウの木(トップの写真)でした。ちょうどこの時期、京都の観光地は紅葉を楽しむ大勢の人々でごった返していますが、なんのなんの街のなかにひっそりと佇むこの大イチョウ。たっぷりと味わうことができました。 

 今週は1泊2日の強行軍で「歩き遍路」を済ませると、翌日から週末まで大小様々な用事が入っていてブログを更新する心の余裕がありません。ということで一日早いブログ更新とあいなりました。京の街歩きは「歩き遍路」のためのウォーミングアップということにしておきましょう。

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フレイル予防で老いの準備

2019-11-25 13:37:00 | Weblog

 秋も深まり、朝のお散歩では家々の庭木も紅葉が眩しい、そんな季節になりました。子どもたちが登校していった後の静かな街並みを気持ちよく歩きます。長い間、運動らしい運動をしたことのない私でしたが、ただただ歩き続けます。
 ところで、以前にも触れましたが、年齢を重ねるごとに筋力などが低下し始め心身が弱ってきた状態を「フレイル」といいます。それに関する記事の第二弾が、今朝の読売新聞に載っていました。見出しには、「フレイル介護費用10倍」「兆候なしに比べ短期間で状態悪化」「転ばぬ先のフレイル予防」「体操で筋力維持、介護費抑制」「食事、みんなと肉や魚」などの文字が躍ります。
 国立長寿医療研究センター研究班のチェック項目である、①体重の減少②筋力の低下③疲労感④歩行速度の低下⑤身体活動の低下、のうち3項目以上該当する者を「フレイル」と定義。1~2項目該当者を「プレフレイル」、該当なしは「兆候なし」と区分しています。
 フレイル状態と判定されても、適切な運動や食事の改善によってある程度対処できそうですが、意識することなく放置しておくと大変です。状態が悪化し、それに伴い介護費用も膨れ上がります。食事改善や運動、社会とのつながり、人との交流などを意識して暮らしていくべきとの論調でした。
 心しておきましょう。振り返ってみると私の場合、リタイアした直後が最悪だったかもしれません。急に生活のリズムが崩れ、先行き不透明感が拭えず....。とりあえず、毎朝のお散歩を励行するなかで、手探りで新しい生活パターンを形成していったように思います。それが「歩き遍路」に繋がり、シニア向け講座の受講に繋がり、そこから新しい仲間たちとの出会いが生まれ、生活に張りができたように思います。そんな生活を始めて3年半が経過します。早いものです。

 今年もあと一か月となったこの時期、ひと足早い忘年会が立て続けにありました。現役時代にお世話になった異業種仲間、講座の運営に汗を流す仲間、そしてリタイア後に共に学んだシニア7人組です。まずは大阪駅からひと駅目の福島駅界隈のフグ料理「あじ平」さん。ふたつ目は食べ放題のみ放題でシニア料金が魅力の船場の焼き肉店「あぶりや」さん。そのあと心斎橋の「SAMBOA BAR」へ。そしてみっつ目は、大阪の歓楽街・北新地の「穂の河」さん。夜はお高いのでリーズナブルな昼会席を楽しみました。フレイルどころではありませんね(笑)。
 そうそう、先週半ば、来季の講座運営のご相談のため柏原にある大学にお邪魔しました。鶴橋から30分ほどですが、駅から山の上にあるキャンパスまで徒歩15分。いくつものエスカレーターに乗って登りました。先生とお別れする頃には陽も落ちて、辺りは夕闇に包まれ、眼下には大阪市内の夜景が広がっていました。と、階段の踊り場に「イノシシ出没」のポスター。驚きました。
 さあて、あと一週間で12月になります。驚くほどの速さで時間が進みます。そして、時間は止まってはくれません.......。来週は四国・愛媛に「歩き遍路」に行ってきます。

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6人目の孫に「こんにちは」

2019-11-19 14:31:13 | Weblog

 先日、夕食を食べていると突然電話が鳴り響きました。家内が電話口に出ると、「俺、俺、俺...」。なにやら聞き覚えのある声が聞こえてきます。孫次男君でした。電話を代わった母親によると、お祖母ちゃんがオレオレ詐欺にひっかからないかどうかを試してみたかったのだそうです(笑)。小学1年の孫次男君、老夫婦を心配しているようでした。
 そんな11月某日の朝、横浜の次男君からライン報告がありました。今朝、お嫁さんが入院したのでこれから大阪に帰るのだと。出産予定日から10日も遅れていて、私たちも心配していましたが、やっとその日がやってきました。
 午後、次男君と合流して病院に向うと、既に陣痛が始まっていました。マザーリングルームという部屋に、母親とお姉さん、そして次男君を置いて、私たちは控室で待機することにしました。といっても控室は廊下をはさんで真向いです。お嫁さんの声と介抱するお姉さんの声が聞こえてきます。
 実は、私は3人の子の出産に立ち会ったことがありません。3人とも仕事の帰りに病院に駆けつける、今では考えられない父親だったのかもしれません。だからよけいに今回は、「出産」というものの人の営みを実感したことになります。
 幸い、お姉さんが看護師さんだったので、6時間あまりの間、ずうっと妹を励まし一緒に呼吸を掛け合うそんな声を聞きながら、姉妹愛のようなものがずしりと伝わってきました。理屈ではないですね。これが身内、家族というものなんだろうと。そして夕刻7時過ぎ、おぎゃーと泣き叫ぶ赤ちゃんの大きな声が部屋中に響きわたりました。
 ついさっきまでお腹の羊水の中で生きてきた子が、体外に出たとたんに大きな声で泣く。呼吸をする。生物の進化を思います。これを神秘と言わずなんと言おう。感動的ですらありました。そして、ベッドに横たわるお嫁さんをみると満面の笑顔でした。本当にお疲れさまでした。よく頑張りました。
 翌日、講座運営の打合せの帰りに、もう一度病院を覗きました。たった一日のことですが、ずいぶん成長したように思いました。まだ目が見えないのでしょうが、ぱっちりと開いてお爺ちゃんにご対面です。ほんと「こんにちは。あかちゃん」でした。
 次男君はいったん横浜に戻り、仕事を片付けた後、週末に再びやってきます。永年勤続の5日休暇を利用し土日をはさんで1週間余り滞在するのだとか。パパさん1年生ぶりを発揮することでしょう。
 私にとっては6人目の孫になります。これまで女1名、男4名の内訳でしたが、今回女の子が生まれたので、長男の娘も仲間ができたと喜んでいるとか。この子が二十歳を迎えたとき、私は90歳のお爺さんです。果たしてそこまで生きながらえることができるかどうかわかりませんが、成長を見守っていきたいと思います。

 さて、11月もあと2週間となり、年の瀬の慌ただしさが迫ってきました。例の「歩き遍路」、なんとか12月初旬にでかけることになりました。といっても、今回は1泊2日の強行軍です。往路は新幹線、特急利用で伊予三島へ。三角寺をお参りしたあと、急ぎ琴平駅に移動。そこで一泊して翌朝路線バスとロープウエイを利用して雲辺寺へ。そのあと歩いて山を下って観音寺駅へ。そこで大阪駅前行きの高速バスに乗って帰阪。ざっとこんなスケジュールになりました。さあて、どうなりますことやら。

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今宵はメザシで一杯

2019-11-11 20:21:52 | Weblog

 先週の水彩画教室のテーマは「秋のキノコと乾物を描く」でした。私が用意したのはメザシと海藻でしたが、「海藻は難しいかも」と言われ、メザシを描きました。教室でメザシを書いて、帰ってから良さそうなお皿を探し出して描き加えました。家内いわく「きょうの晩御飯はこれでよくない?」と。絵を見ながら、熱燗を一杯。お酒が進みました(笑)。
 キノコと言えば先日、家内が面白いものを買って帰りました。箱には「しいたけ農園」とあります。箱を開けると、中に直径15センチ、高さ20センチほどの木が入っていて、木の周りには椎茸の種がいっぱいくっ付いています。さっと水に浸したあと所定のビニール袋に入れて2日後、椎茸の種がだんだん大きくなって、5日後には大きな椎茸が2個収穫できました。その後次々と大きくなって8日後には大小40個あまりを収穫することができました。説明書によると、ここでいったん身体を休ませると再び元気を取り戻して二回目の収穫ができるのだとか。収穫した椎茸は美味しくいただきました。お値段は千円のようですから、何回か収穫できれば元は取れそうです。
 話は変わりますが、読売新聞を読んでいたら「フレイル検診」という記事がありました。厚生労働省が要介護になる手前のフレイルの人を把握するため、後期高齢者の方々を対象に来年から導入する健康診断のことです。記事によれば、フレイルとは筋力などの身体機能が低下し心身ともに弱ってきた状況のことだとか。健診によって要介護に陥りやすい人を見つけ、予防や改善につなげ健康長寿の実現をめざす。それによって社会保障費の伸びを抑えようというものです。
 例示された質問票には「お茶や汁物などでむせることがあるか」「半年間で2から3キロ以上の体重減少があったか」「以前に比べて歩く速度が遅くなってきたと思うか」「ウォーキングなどの運動を週1回以上しているか」「周りの人からもの忘れがあると言われるか」「今日が何月何日かわからない時があるか」「週1日以上は外出しているか」「ふだんから家族や友人との付き合いがあるか」などなど。いまのところ該当する項目はありませんが、ときたま物忘れをすることがありますから、気を付けたいものです。
 そういう意味では、ボランティアで講座運営に携わっていることは、私にとって心身の健康に何某かの効果はありそうな気がします。先日は仲間と一緒に、12月の校外学習の一環として出かける堺市の下見と打ち合わせに行ってきました。さかい利晶の杜や南宗寺などを見て回りました。半年前に仁徳天皇陵を見学したことがありますが、お堀に囲まれた雄大な古墳群を眺めることができず残念でした。今回は堺市役所21階の展望台から眺めてみました。古墳のこんもりした森の全貌は見えましたが、お堀は見えません。ナイヤガラの滝のように超高層の展望台があったらなあと思いました。
 この日の昼食は、”飯炊き仙人”の銀シャリが絶品!堺の食堂「ゲコ亭」として知られた食堂でいただきました。一見、ふつうの飯屋さんですが、ごはんの美味しいこと。老若男女、次から次へとお客がやってきます。こんな食堂があるとは知りませんでした。
 南宗寺の帰りには、大通りから少し入った所にある堺の和菓子の老舗「かん袋」に立ち寄りました。くるみ餅、氷くるみ餅で有名なところだそうです。なんとこのお店は「鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まり」だとか。豊臣秀吉が「以後かん袋と名付けよ」と命じたのが、お店の名前の由来なのだそうです。
 南蛮人がやってきた頃の大坂界隈の地図をみると、関西の表玄関は「堺」でした。大坂の文字は見当たりません。現在の政治の世界では大阪都構想の話が蠢いていますが、その構想の中に堺はありません。堺の人々の自負、思いがあるのでしょう。

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忘れていた結婚記念日😨

2019-11-04 21:06:08 | 西国巡礼

 秋の陽を浴びてぼんやり過ごしていた某日の昼下がり、家内が言いました。「きょう何の日か知ってる?」。「えっ?何の日?」。「結婚記念日!」。なんともはや。今年はすっかり忘れていました。指折り数えてみると結婚して43年になります。ひょっとして痴呆症の始まりかも。結婚のお祝いにと知人からいただいたネジ巻きの掛け時計は、今も元気に時を刻んでいます。
 というわけで、どこかに出かけようとネットで探してみますが、11月の3連休を前に人気コースはすべて満室。となると日帰りしかありません。相談した結果、遠そうで近い「姫路」に行くことにしました。
 どうせ姫路まで行くならと、まずは西国三十三カ所二十七番札所の書写山・圓教寺(えんぎょうじ)に向かいました。姫路駅からバスに乗って、その後ロープウェイに乗ってお山のてっぺんに登ります。山頂には、深い杉林の中に点在する大小さまざまなお堂が立ち並び、「西の比叡山」と称される修行の道場に相応しい雰囲気が漂っていました。ふと思い出しました。社会人1年目のとき全国レベルの研修会が、この書写山でありました。ずいぶん前のことです
 本堂にお参りし御朱印をいただいたあと、大講堂と食堂と常行堂が並ぶ広場に向かいました。なんと、以前、映画「ラストサムライ」やNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケ地になったところです。食堂の2階から広場を眺めながら、古き良き時代を思ったものでした。
 お参りが終わると、急ぎ姫路城に向かいました。実をいうと、中学校のとき関西への修学旅行で最初に訪れたところが姫路城でした。それ以来の訪問です。まずは、西御屋敷跡庭園「好古園(こうこえん)」へ。紅葉には少し早いかと思っていましたが、ところどころ色づき始めて、美しいお庭の風情を楽しみました。素晴らしいお庭でした。
 天守閣に向かう途中、三の丸広場では「人間将棋」が開かれていて、大勢の見物客で賑わっていました。天守閣の入口では「ただいま30分待ちです」のアナウンス。連休中でもあり、大勢の観光客が押しかけていました。結局、登って降りるのに40分もかかりました。
 早朝から急ぎ足で姫路の街を見て廻りましたが、なんとなく札幌や仙台、熊本や鹿児島に似た空気感があります。ふと浮かんできた言葉、それは「街の個性」でした。最近はどの都市に行っても金太郎飴のように同じ顔に見えてしまいます。でも、こうした地方都市にはその地域の文化と溶け込んだ顔があります。自力があります。何か根深い時代的な課題を突き付けられたような気がしています。
 夕刻4時。でも、これで帰宅する私たちではありません。せっかく姫路まで来たのだから、明石に寄らない手はないと。昔、明石海峡大橋が出来るまでは、明石港からフェリーに乗って淡路島に行ったことがあります。その街は今どうなっているのかと途中下車することにしました。行き先は当然、商店街「魚の棚(うおんたな)」です。昔ほどの賑わいはありませんでしたが、明石海峡で採れたての鯛と蛸をゲッ
トしました。

 そしてその夜は、明石が誇るB級グルメ「明石焼き」と海鮮料理、そして美味しいお酒が、結婚43周年記念に花を添えてくれました。

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