心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

シニアもスマートウォッチで健康管理

2018-10-25 21:07:07 | Weblog

 週も半ばを過ぎると、なんとなく疲れが出てきます。それでも静かな夜のひととき、週に一度のブログ更新を楽しんでおります。さあて、きょうは何をテーマにしようか......。
 そうそう、「歩き遍路」の続きをひとつ。写真を整理していたら、こんな写真が見つかりました。道に迷う直前、以布利トンネルに入る手前のところです。ここで左に曲がって以布利港に向かっていたら良かったのです。残念!。左の看板「大阪・海遊館 以布利センター」に見とれて、そのまま前方にある以布利トンネルに進んでしまいました。大阪南港にある海遊館の大きな水槽の中をゆうゆうと泳ぐジンベイザメなど黒潮にのって回遊してくる魚たちは、この地から大阪に運ばれているのでした。

 「歩き遍路」に関してもうひとつ。一カ月前から愛用しているスマートウォッチですが、その機能のひとつに睡眠管理があります。「深い眠り」「浅い眠り」「覚醒時間」ごとに時間を記録してくれます。通常でも「深い眠り」は2時間前後で、大半は浅い眠りのようですが、高知に向かう夜行バス乗車中の「深い眠り」は、なんと29分。浅い眠りも1時間20分というものでした。夜行バス乗車2回目の今回は比較的すっきり眠れたと思っていましたが、実際のところは厳しいものでした。前回の「歩き遍路」で、雪蹊寺の境内のベンチでお昼寝をしてしまったのも、夜行バスの疲れが残っていたということなんでしょう。
 ちなみに、スマートウォッチでは、ウォーキング中の「歩数」や「速度」「心拍数」などを記録してくれます。心拍数は変化するたびに振動で教えてくれます。でもねえ。奥様は「機械に管理されるのは嫌!」とのことでした(笑)。
 ところで、今週は出ずっぱりの1週間でした。月曜日は「古典文学」講座。今期は松尾芭蕉の「奥の細道」がテーマです。この日は「武隈の松・末の松山」を読みました。昔は足が主な交通手段です。「歩き遍路」とだぶりながら先生のお話しを興味深く聴きました。火曜日はカレッジ。水曜日は会議、そしてきょうは午前中、水彩画教室があり、ぱっくりと口を開けた大きなザクロを描きました。それが終わると昼食もそこそこに事務局で打ち合わせでした。
 そんな慌ただしいなか、大学サークル(現在は廃部)の同窓会も迫ってきました。私の担務は回答葉書に記された先輩諸氏の近況報告をWordに入力するお仕事です。四百字足らずの文章ですが、皆さん結構なお歳ですから、それぞれの「老いの生き方」が凝縮されていて、ずしりと迫るものがあります。ついつい一枚一枚のお葉書を見つめてしまいます。「生老病死」。非常に重たい言葉です。(下の写真は部室のあったヴォーリズ設計の致遠館。近江八幡観光物産協会の絵葉書から)
 さあて、明日は来年度に新規講座をご担当いただく外部講師の先生との打ち合わせがあります。....気がつけば、
カレッジ一色の一週間になりそうです。ふぅ~。現役の頃とは違いますから、少しトーンを落とす必要がありそうです。

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歩き遍路(高知編) 土佐の国を歩き終えました。

2018-10-18 23:37:26 | 四国遍路

 朝晩ひんやりする季節を迎えました。ここ半月、島根への帰省やら歩き遍路やらが続き、そのうえにカレッジの仕事も本格化。きょう一連の予定がひと段落ついて、やっとふだんの生活に戻ったところです。
 「歩き遍路」№7は車中泊を含めて3泊4日。次の旅程を考えると今回はぜひとも土佐の国を歩き終えておきたかったので、列車やバスも利用して、岩本寺、金剛福寺、延光寺と回りました。
足摺岬から室戸岬を望む
 今回一番印象に残ったのは、足摺岬から遠くに霞んで見えた室戸岬でした。今年は台風の直撃を受けた室戸岬ですが、あちらから足摺岬を見たのは5カ月も前のことでした。区切り遍路とは言え、あんなにも遠くから歩いてきたことに、ある種の感動さえ覚えました。そんな風景を眺めながら、その間の楽しかったこと辛かったことが浮かんできて、なんとも言えない気持ちになりました。
珍しく道に迷う
 今回の「歩き遍路」は、列車とバスを多用したとは言いながら、3日間で50キロを越える距離を歩いたことになります。その間、一度だけ辛い場面がありました。それは2日目のこと。中村駅前から足摺岬をめざしたときのことです。
 朝早くに宿を出て、今回のメインルートである足摺岬に向かう途中、下ノ加江、大岐海岸と順調に進みましたが、以布利トンネルを抜けた所で前方にジョン万次郎記念館の看板を見て「あれ?そんなはずはない」。このままでは西海岸に出てしまわないかと。さっそくGooglemapで確認すると、案の定、道を間違えていました。これは大変と以布利港をめざしましたが、その途中で以布利の住宅街に紛れ込んでしまいました。やっとの思いで本来の道に戻ったところで30分のロスです。
「遍路道」に四苦八苦
 そんなとき、道端に寂しそうな「遍路道」を見つけました。でも、地図をみると少し時間を稼げそうな道です。さっそく遍路道を歩き始めました。ところがです。歩き始めてすぐに樹々が横たわって道を塞ぎます。目の前にはだかるクモの巣を金剛杖で払いのけながら、アップダウンのある山道を歩き続ける羽目に。道でありそうで、道ではなさそうな、そんな遍路道をただひたすら歩くことに。方向感覚が麻痺するなかで、頼りは左側から微かに聴こえる潮騒の音だけでした。
 そんな寂しい山道を独り必死に歩いていると、木の根っこでも食べていたのか猪が掘り返した山道に足を滑らせて4メートルほどずり落ちる始末。筋肉痛を抑えながらやっとのことで出たところは墓地の中でした。でも、目の前には窪津漁港が見えてきて、ひと安心。慣れない古い遍路道の独り歩き、頼れるのは自分独りであることを改めて実感した「歩き遍路」でありました。
金剛福寺の宿坊に泊まる
 足摺岬の金剛福寺では、久しぶりに宿坊に泊まらせていただきました。お客は、関東からおいでのご夫婦と私の3名だけでしたので、夕食時一献傾けながらいろんなお話しをさせていただきました。私よりもう少し長いスパンで区切り遍路をされていて、移動は公共交通機関利用が原則というご夫婦、今回は観自在寺まで行っていったんお帰りになるとか。仏像彫りが趣味という温厚そうなご主人を温かく包み込む奥様。こちらまで心なごむ時間をいただきました。
老いの生き方
 宿坊だけあって、部屋は広いけれどもテレビもラジオもありません。部屋の鍵もありません。秋の虫の音が静かに聴こえてきます。早々に眠りにつきました。翌朝は5時半に起床、6時から「朝のお勤め」がありました。ご住職と般若心経を唱えました。そして、法話のテーマは「老いの生き方」でした。人生80年、100年と言われる時代の人の生き方。あまり早く介護施設に入ると、手取り足取りの介護サービスで逆に体力が萎えてしまう。元気なうちはできるだけ身体を動かした方がよいと。納得です。「歩き遍路」も、そのひとつかもしれません。
 「歩き遍路」を始めたのが一年前の9月下旬。以後2カ月に一度の頻度で出かけて、やっと修行の道場といわれる土佐の国を歩き終えました。88ヶ寺のうち39ヶ寺を巡ったことになります。次回から菩薩の道場といわれる伊予の国・愛媛県に入りますが、こちらもなかなかタイトな旅になりそうな予感がします。
岩本寺本堂の格天井
 さて、今回も前回同様、夜10時に大阪駅バスターミナルを出発して翌朝午前5時過ぎに高知駅前に到着すると、普通列車に飛び乗って2時間45分、窪川駅に降り立ちました。そして10分ほどのところにある37番札所・岩本寺に向かいました。このお寺の本堂の天井には全国から集まった600枚近い絵画で覆いつくされています。なかなかの圧巻でした。
雄大な入野松原と四万十川
 窪川駅に舞い戻ると、今度は土佐くろしお鉄道の特急列車に乗って土佐上川口駅を下車。まずは海岸沿いに入野松原をめざしました。延々と続く浜辺を1時間あまり歩いて辿り着いたのが道の駅です。ここで小休止。「シラス丼」をいただいたあと松林を楽しみながら、四万十川に向かいました。単調な風景を眺めながらひたすら歩き続けておよそ3時間。やっと四万十大橋に到着です。休憩所で一服したあと、雄大な四万十川を眺めながら堤防沿いに北上して中村駅に向かい、この日お世話になる民宿土佐に到着しました。
 翌日は足摺岬へ、そのまた翌日は足摺岬からバスにのって西海岸回りで中村駅に戻ると、列車で平田駅に向かいました。駅から歩いて40分ほどでしょうか。土佐の国最後になる39番札所・延光寺に到着です。関東のご夫婦とはここでお別れでした。
 こうして今回も、たくさんの気づきをいただいて帰阪することができました。さあて、次回は年末、それとも年明け?伊予の国の地理をお勉強してから計画を立てることにいたします。

 
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トクトク周遊券「山陰めぐりパス」で帰省

2018-10-10 14:23:18 | 旅行

 父親の33回忌と兄の7回忌法要があった島根の実家に帰ってきました。9人兄姉のうち残っているのは姉2人と私の3人。叔父叔母たちも既に他界しているので、あとは甥や姪やその子どもたち、地元の親戚縁者が集まりました。
 お経をあげていただく和尚さんも、私が実家にいた半世紀前とは様変わりです。その息子、そして孫と引き継がれ、今回は孫にあたる和尚さんにお務めいただきました.....。母校小学校の校庭に立つ樹木は半世紀を経てなお健在ですが、そこに生きる人々は世代交代が進んでいます。それでも、街の空気は半世紀前と変わりません。

 昨年の秋、出雲の姉のお家に立ち寄ったときは、義兄と一献傾けながら楽しい夜を過ごしましたが、その義兄は今年5月に急逝し、いつも傍にいるはずの人がいない寂しい法要になりました。それでも80歳を前にした姉は気丈に振る舞っています。ただ、認知症は着実に進んでいるようで、元気は元気なのだけれども話がプツンと途切れたり、同じことを何度も話したり。私はただただ相槌を打つのみ。元気でいてくれるだけで良いのです。
 義兄が亡くなり、姉たちも運転免許を返上したため、今回は列車で移動することになりました。ところが運悪く台風25号の接近です。運休の可能性が出てきたために、法要の一連の行事が終わるや否や列車に飛び乗りました。強風のためノロノロ運転、時々緊急停車もします。ずいぶんな時間がかかりました。それでも若い運転手さんのニコニコ笑顔でイライラすることもなくすみました。
 途中で姉たちとはお別れして私たちは松江に向かいました。その夜、松江城近辺で行われる水燈路を観に行くつもりでしたが、残念ながら台風接近のため中止に。しかたなくホテルで松江の夜を楽しみました。
 今回は期間限定の「山陰めぐりパス」という格安周遊券での旅だったので、翌日は朝いちばんに松江市から安来市に移動し、足立美術館に向かいました。秋季特別展「横山大観VS日本画の巨匠たち」と再興第103回「院展」などを見て回りました。ことし生誕150年を迎えた横山大観には、京都国立近代美術館に次いでの再会でした。
 ふたたび安来駅に戻ると、プラットホームで安来節のドジョウ掬い踊りに扮した観光協会の方(?)のお見送りを受けました。次に向かったのはお隣の米子駅です。駅前から「大山る~ぷバス」に乗って大山寺に向かいました。あいにく山頂は雲に覆われ全容を望むことはできませんでしたが、何カ所かの観光スポットを通り抜けながらその日のお宿である大山ロイヤルホテルに向かいました。部屋からは大山の裾野にある孝霊山の山並みを臨むことができ、温泉に浸かってゆったりまったりの夜を過ごしました。

 久しぶりに山陰に帰ったのだからと、翌朝は境港に足を延ばしました。境港といえば漁港、関西にもたくさんのお魚を供給してくれる拠点港です。また隠岐の島に向かうフェリーが出ている港でもあります。海を守る巡視艇が停泊する港でもあります。
 境港で近年有名なのはゲゲゲの鬼太郎で知られる「水木しげるロード」です。境港駅から約2キロにわたって妖怪のブロンズ像が街のあちらこちらに設置されてありました。三連休の最終日、多くの家族連れで賑わっていました。
 大阪で生まれ境港で育った水木しげるさんにちなんだ取り組みなのでしょうが、ゲゲゲの鬼太郎に特化した観光開発はあっぱれと言うしかありません。米子と境港の間には14もの駅がありますが、そのひとつひとつに「妖怪駅名」が併記されています。例えば大篠津町駅は「砂かけばばあ駅」、余子駅は「こなきじじい駅」、境港駅は「鬼太郎駅」といった具合。
 かつては魚を満載した大八車が境港と国鉄の駅の間を行き交ったであろう商店街通りは様変わり。多くの観光客で賑わっていました。地方創生の知恵比べのなかでは成功したモデルなんでしょう。お金をかけて田舎にはそぐわないほど立派な市庁舎を建てる前に、知恵を発揮する余地がたくさんあるということです。ハコモノよりソフトパワー。他にやるべきことがありそうな気がします。それが本当の意味の「地方創生」なんだろうと思いました。
 こうして3泊4日の法要帰省の旅は終わりました。半世紀前と同じ風景が見え隠れする道すがら、時間の感覚を忘れてしまいそうな4日間でした。大阪に帰って昨日、今日とひと休みです。明日はいくつかの会議をこなすためにカレッジにご出勤。そして、その翌日の夜、再び土佐の国へ「歩き遍路」に向かいます。
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孫長男君と坐禅体験

2018-10-04 20:36:44 | Weblog

 台風一過。前日の風雨が嘘のように晴れわたった夕暮れ時、お婆さんが幼稚園に通う孫次男君を連れて歩いていると、西の空にそれは美しい夕陽が見えたそうな。それを見たお婆さんは孫次男君に言いました。「見てごらん。綺麗だねえ」と。すると孫次男君、「わぁ綺麗。インスタ映えするね。”いいね”たくさんもらえるかもね」と答えたのだとか。最近の子供たちは何でも知ってるねえというのが、私たち初老夫婦の夕食どきの会話でした(笑)。
 そんな10月某日、小学校の創立記念日でお休みの孫長男君の面倒を私が見ることになりました。さあて、どうしよう。思いついたのが坐禅体験でした。興味を示してくれたので、さっそく予約を入れて東福寺塔頭毘沙門堂「勝林寺」に向かいました。もちろん、孫長男君は初めての体験です。お寺が見えてくると、それまで元気だった彼から出た言葉は「叩かれたら痛いの?」でした(笑)。
 この日の体験申込は十数名。うち小学生は1名だけ。手続きを済ませて坐禅をする部屋に向かうと、爽やかな秋風とお香の匂いが漂っていました。まさにお寺の風情です。あたりを見わたしていた孫長男君も、なんとなく落ち着いた様子でした。定刻の午後1時、住職さんが現れました。まずは、お寺の歴史についてお話しがあり、続いて姿勢や足の組み方、手の置き方や呼吸の仕方などについて説明がありました。そして、15分間の坐禅が始まります。
 座敷に静寂が広がるなか、時々、警策をもった住職さんが体験者の求めに応じて両肩を打ちます。ふあっとした心に喝をいただくような、そんな心もちになります。私の隣に座った孫長男君も、見よう見まねで警策をいただきました。
 通常は1本のお線香が燃え尽きるまで続けるのだそうですが、この日はいったん休憩を挟んで、もう一度15分間の座禅を体験します。いつもサッカーや塾やらで忙しい孫長男君。この日ばかりは、お爺さんとゆったりまったりの時間を味わったようでした。
 マンションでしか暮らしたことがない孫長男君にとって、静まりかえったお寺の空気は別世界だったよう。もちろん土と向かい合う生活なんて知りません。バーチャルな世界とリアルな世界の境目が分からなくなっているご時勢に、何かをつかんでほしいと思うお爺さんの思いが伝わったのかどうか.......。
 いま、読売新聞の企画記事「時代の証言者」が政治学者・佐々木毅先生にスポットを当て「学問と政治」をテーマに連載しています。実は、かつて法学部政治学科に学んだ私が2年生の時に読んだ本の中に、佐々木先生の「マキアヴェッリの政治思想」(岩波書店)がありました。いまも書棚の奥に鎮座していますが、これが佐々木先生の助手論文であったことを、この記事で知りました。回が進むにしたがって、南原繁、福田歓一、丸山政男など昔聞いた名前が登場します。大学を出たあとずいぶん経って、塩野七生さんの「わが友マキアヴェッリ」に出会い、以後「ローマ人の物語」などイタリアの歴史物語に関心をもったのも、いま思えば学生時代のこんな出会いがあったからなんでしょうか。
 後に東大総長までお務めになった佐々木先生は、秋田高校のご出身でした。第2回「山に育てられた少年時代」は、なんとなく私の田舎の風景と重なります。第11回「丸山政男先生から刺激」、第12回「論文マキャベリで勝負」、第15回「研究室、破壊され悲痛な夜」あたりになると、まさに私の学生時代と重なってしまいます。丸山政男の門下生だったゼミの先生の影響なのでしょう。以後、全く別の世界に生きてきたのに、時代精神を共有してきたような錯覚を覚えます。こんな新聞記事に触発されて、古き良き時代を思い返す楽しさ。そんな歳になってしまいました。
 さてさて、このところアシスタントのお仕事が立て込んでいるため、ブログの更新もやっつけ仕事になりました。あす金曜日は父の33回忌法要のため出雲に帰省しなければなりません。とは言っても、せっかく島根に帰るのだからと、新幹線と特急「やくも」&「スーパーはくと」利用で4日間乗り放題というお得感満載のトクトク切符「山陰めぐりパス」(12,000円)を購入して帰省することに。紅葉には少し早いようですが、松江や足立美術館、大山などに寄り道をする予定です。.......ところが、なんと台風25号が近づいています。素通りしてほしいと願っていますが、さあてどうなることやら。

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