心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

高群逸枝の「娘巡礼記」を眺めて

2019-01-30 10:31:22 | 四国遍路

 「歩き遍路」から帰って一週間。どたばたしていたらあっという間に日にちが過ぎていきました。そんなある日の夜、ベッドの中で高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)をぱらぱら捲っていると、こんなくだりがありました。

「七月二十二日細雨蕭々たり。雨具を纏うて出発、身はいよいよ名にし負う柏坂にかからんとす。痛みのとれない足を引きずりながら歩く。(中略)風が漸次酷くなった。それにつれて雨もばらばら横さまに降りかかる。「海!」・・・・私は突然驚喜した。見よ右手の足元近く白銀の海がひらけている。まるで奇蹟のようだ」

 ふうっとその瞬間を思い出しました。路に迷い、お婆さんに教えていただいた真ん中の路を、矢印を確認しながら歩いていると、緩やかな坂道を上ったところに突然現れた海。そのときの感動は、誰が歩いても同じなんだなあと思ったものでした。
 先週の水曜日にブログを更新させていただきましたが、どちらかと言えば松尾峠とりわけ旧赤坂街道の印象が強かったために、柏坂峠のことがやや薄くなっていましたので、ここで柏坂の峠越えについて追記させていただきます。
 お婆さんに路を教えていただいたあと、柏坂休憩地に向かって山の尾根道を歩いていると、その土地土地の由来を記した看板が要所要所に立っていました。「クメヒチ屋敷の由来」「鼻欠けオウマの墓」「狸の尾曲がり」「女兵さん 思案の石」。なんだか日本昔話のような雰囲気です。
 「猪のヌタ場」の案内板にはこう記してありました。「イノシシが水溜り(ここは電話線が通っていた電柱の跡)の泥の中で水浴みをし更に傍らの木に体をこすりつけ、付着している寄生虫を殺し毛づくろいをする所をヌタ場といい、この街道沿いにも数ヶ所あるが道ばたにあるのはここだけである」。えぇっ。猪が出るの?これまで山の中の遍路道をずいぶん歩いてきましたが、出会ったのはお猿さんぐらい。確かに猪の足跡を見つけたことはありますが、少し緊張してしまいました(笑)。
 そうこうするうちに「つわな奥展望台」に到着です。宇和海、由良半島を眺めながら、忘れていた(笑)朝食の時間。「歩き遍路」の醍醐味ってところでしょうか。
   再び歩き出してしばらくすると、「癒しの椅子」の案内板があって木製の椅子が置いてありました。と、その横に野口雨情の歌碑が立っていました。「山は遠いし柏原はひろし 水は流れる雲はやく」。以後、遍路道沿いに点々と雨情の歌碑が続きます。
 遠い深山の年ふる松に 鶴は来て舞ひきて遊ぶ
 梅の小枝でやぶ鶯は 雪のふる夜の夢を見る
 松の並木のあの柏坂 幾度涙で越えたやら
 空に青風菜の花盛り 山に木草の芽も伸びる
 松はみどりに心も清く 人は精神満腹に
 雨は篠つき波風荒りよと 国の柱は動きやせぬ
 沖の黒潮荒れよとまヽよ 船は港を唄で出る
 そういえば、牟岐駅から室戸岬に向かって国道55号線を歩いていた時にも、野口雨情の歌碑に出会ったことがありました。「八坂八濱の 難所てさへも 親の後生なら いとやせぬ」。
 私には「十五夜お月さん」や「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「シャボン玉」などの童謡を作詞した人という印象が強いのですが、なぜ四国なのかは分かりません。いずれにしても、歩きながら、景色を眺めながら、時には歌碑や案内板に向き合いながら、楽しく気持よく歩いた柏坂峠でありました。(参考:修業の道場・土佐の国へ~海辺の道をひたすら歩く 2018.03.15.)
 「歩き遍路」から帰った翌日、カレッジの授業がありました。今回は「古典文化/能楽」。能の歴史、能が演じられる空間、能の音楽(謡)についてお話しをいただきました。アシスタントの私も、ついつい授業にのめり込んでしまいました。音楽という視点から能楽を見つめ、謡の発声を試み、能楽に対する空間的な広がりを感じたものでした。先生のお薦めもあり、来月下旬には久しぶりに大槻能楽堂に行きます。お題は「四国巡礼」、演目は「屋島」です。「歩き遍路」繋がりで、能楽を楽しんできます。

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歩き遍路~柏坂峠と松尾峠を歩く

2019-01-23 15:16:01 | 四国遍路

 3カ月ぶりの「歩き遍路」は、高速バスの時刻の関係で初めての「逆打ち」(逆回り)。大阪・梅田を夜の10時20分に出発し、翌朝6時半過ぎに宇和島の岩松バス停に到着すると、まだ薄暗い中をさっそく歩き始めました。柏坂峠(標高460m)を越えて柏の街に降りると、ぽかぽか陽気のなか国道56号線をひたすら歩て10キロ先の観自在寺をめざしました。
 翌日は、観自在寺から伊予と土佐の国を結ぶ街道を歩いて松尾峠(標高300m)を越えて土佐は宿毛の街へ。翌朝、特急「南風12号」に乗って高知、高知から高速バスにのって大阪・梅田に舞い戻る、車中泊を含めて3泊4日の旅となりました。今回歩いた距離はおよそ55キロでした。
 岩松から大門バス停まで歩いたところで田舎道に入ると、道端には霜を被った草が寒そうに迎えてくれました。まずは茶堂休憩地をめざします。大きな案内板を頼りに前に進みますが、時々見落として道の選択に迷うことも。
  最初に迷ったのは路が三つに分かれる所。順打ちの矢印があった左の道を逆方向に歩きました。ところが、どんどん下っていく。おかしいなあと元に戻ってみると、ちょうど薪を燃やしているお婆さんがいました。聞いてみると、「ほら、真ん中の道。逆打ちの御方はよく迷う」のだと。でも真ん中の道が草木で隠れてよく見えなかったのです。草木に隠れるように柏坂峠への矢印がありました。そうこうするうちに「つわな奥展望台」に辿り着きました。お天気もよく、遠くに佐多岬と大分県佐賀関半島が見えます。ここで一服です。
 遍路道沿いの枝にこんな短冊がありました。「心をあらい 心をみがく へんろ道」。今回はこの言葉を胸に歩くことに。そうこうするうちに番外霊場「柳水大師(柏坂休憩所)」に到着です。このあと柏の街に降りるとちょうどお昼時でした。国道沿いにあるラーメン屋さんで昼食休憩です。
   その後は国道56号線をひたすら歩き続けます。2時間半ぐらいかかったでしょうか。今回唯一のお寺、第40番札所・観自在寺に到着です。2年前にバスツアーで訪れたことを思い出しました。

 冬の時期だからでしょうか。参拝者は少なく、ひっそりとした境内でしたが、それが逆にほっとする時を与えてくれました。本堂、大師堂と回って、境内を散策しながら写真を撮ります。春の陽気に誘われて山門横にある梅の木に花が咲いていました。
  そうそう、出発前日に愛南町で泊まる予定だった民宿から、臨時休業のお知らせがありました。何かあったのでしょう。取り急ぎ紹介していただいたビジネスホテルに泊まりました。素泊まりだけ。ということで夕食は街の居酒屋さんで美味しい地魚を堪能いたしました(笑)。
 翌日はあいにくの空模様。お天気予報の通りですが、朝から小雨が降っていました。ポンチョを着ての出発です。僧都川沿いに松尾峠に向かいます。豊田、上大道を経て一本松へ。簡易郵便局前に立派な休憩所がありました。ここで小休止、温かい缶コーヒーをいただきながら、置いてあった覚書ノートを眺めます。お遍路さんの思いがぎっしり詰まっていました。外国人の方もちらほら。異文化の中でご自分を見つめていらっしゃる姿を想像しました。
 この先は旧赤坂街道(旧遍路道)を歩きます。道路の上に黄色いペンキで記された矢印に沿って歩きました。「癒しの里道」という看板もありました。ほんとうに気持ちよく歩くことができました。やや急な坂道をのぼっていくと松尾峠です。
 看板にこんなことが書いてありました。「伊予と土佐の国境にある標高300mのこの峠には、南予と幡多を結ぶ街道が通り、幕府の巡見使をはじめとし、旅人や遍路の通行が盛んで、享和元年(1801)の記録に、普通の日で二百人、多い日には三百人が通ったと記されている。(中略)昭和4年宿毛トンネルが貫通してからは、この峠を通る者もなくなり、その頃まであった地蔵堂や茶屋も今は跡だけが残っている」と。
 ふうふう言いながら上ってきた峠、昔は移動するための大切な「道」だったのです。足が重要な交通手段だった時代でしょうから、私が5時間かかった道のりを2,3時間で歩いたのではないかと。街道というものを体感いたしました。はらりと落ちる椿の花に目をやる心のゆとりが芽生えます。
 宿毛に着くと秋沢ホテルにチェックイン。翌日は9時5分発の特急に乗って帰途につきました。高知駅に向かう車窓からは、室戸岬から足摺岬まで歩いた土佐の国の風景が所々見えてきます。4回にわたって高知を歩いた日々を懐かしく思いながら、こんな距離をよくも歩いたものだと。次回は3月の予定です。

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歩き遍路に頼もしい助っ人アプリ「地図ロイド」

2019-01-16 10:43:08 | 四国遍路

  きょうは6時半過ぎに朝のお散歩にでかけました。まだ街は起きていません。遠くの公園まで大きなシベリアン・ハスキーをお散歩に連れて行く近所の奥さんに出会いました。聞けばご本人の運動でもあるとか。毎朝2時間のウォーキングです。 
 私はいつもどおり近所のお不動さんまで行きました。さすがにこの時間はひっそりとしています。境内では朝のお勤めの準備や境内のお掃除と、お坊さんたちは忙しそう。そんななか私は明後日に迫った「歩き遍路」の道中の無事を祈ります。
 年明け2週目は、比較的ゆったりとした日々が流れていきました。お正月疲れからか、それとも今週の3日連続の新年会とその後の「歩き遍路」に備えてなのか、とにかく外出を避け自由気侭な時間が過ぎていきました。冬の花壇のお手入れをしたり、庭掃除をしたり。残り少なくなった山茶花の花が陽を浴びていました。山茶花の次は椿でしょうか。
 そういえば、先日までたわわに実っていたピラカンサの赤い実が、いつの間にか小鳥たちに食べ尽くされていました。食べ物の少ない時期、これで小鳥たちの空腹を満たすことができたのなら、それも良いか........。
 さて、ことしの新年会のトップバッターは、かのシニア7人組のメンバーです。昨夜、フグ料理屋さんに三々五々集まっては話が盛り上がります。今回新たなにメンバーが加わりシニア8人組になりました。男性4人、女性4人。ちょうど良い塩梅です。そして今日は夕刻、現役時代に懇意にしていた異業種・同業他社の方々5人組の新年会。こちらは少しお洒落にレストランで。
 孫長男君の小学校がインフルエンザで学級閉鎖になったので、これから出かけてどこかでランチを御馳走したあと向かう予定です。新年会という名の呑み会は、明日もあります。つい一か月前に忘年会ではしゃいだばかりなのに、なんともお気軽なシニアたちであります。

 それはそうと、ここ数日「歩き遍路」のイメージトレーニングに余念がありません。手許にあるガイドブックとネットを駆使して柏坂峠と松尾峠の遍路道を確認します。少しずつ空間的な理解ができるようになりましたが、まだ不案内。前回、足摺岬に向かう途中で道に迷ったトラウマから立ち直れていないのかもしれません(笑)。さあて、どうしたものか。
 そんなとき、おもしろいアプリを見つけました。「地図ロイド」です。国土地理院の地図データやらgoogle航空写真など地図情報が利用できる優れものです。遍路地図と見比べながら立体的に見つめることができます。
 これでひと安心と思いきや、難点がひとつ。GPS機能が山の中で使えるかどうかという問題です。これまでのコースでも、お山のてっぺんでは受信できないところがありました。......文明の利器もここまでか。でも、昔の人は星を眺めながら延々と歩いたわけですから、モノに頼り過ぎるのも問題あり、ということなんでしょう。
 と、自分に言い聞かせていたのですが、もう少し調べてみると、航空写真は電波圏外では使えないけれども、地形図はキャッシュ保存が可能であることが判明しました。ということでyahoo地図を表示し、かつ歩くルートを地図上に表示していきました。高度まで表示されます。ご覧のように、ゴールまでには二つの峠を越えなければなりません。念のためスマホの機内モードをオンにして試してみると表示できます。....なんとか使えそうです。あとはなるようにしかなりません(笑)。 ということで、明後日の夜、いよいよ出発とあいなりました。3カ月ぶりの「歩き遍路」です。相前後して、奥様はお友達と一緒にボジャギの布地を求めてソウルにご出張とか。お互い呑気なシニア生活を楽しんでいるということにしておきましょう。

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心の中に漂う田舎の原風景

2019-01-09 20:59:01 | Weblog

 子供たちが帰った翌日、家内と二人で近くの氏神さまに初詣に出かけました。それほど大きくはありませんが由緒ある神社です。毎年、お不動さんとこの氏神さまにお参りするのが我が家のお正月です。
 そのあと、久しぶりに開店したスーパーに立ち寄って、さあて今晩は何にしようかと思案するも、この年末年始に美味しいものを食べ過ぎたためか、なんにも浮かんできません。ならばとお寿司屋さんを覗いてみると明日から開店の予定だと。立ち寄ったのは小さなお好み焼き屋さんでした(笑)。
 その夜、田舎の実家に電話を入れると、なんと連日の積雪で毎日雪かきに追われているのだと。大阪では信じられない風景が、遠い記憶の中に蘇ってきます。続いて姉に電話を入れると、年末に転んで肩を骨折して数日間入院したのだと。これもまた大ニュースでした。連絡がなかったところをみると、それほど深刻な状況でもなかったのでしょうが、やはり足腰が弱ってきているのは確かです。
 考えてみると、私は18歳で田舎から京都に出てきて、4年間楽しい学生生活を過ごした後、大阪に職を得て以来、今日までずっと大阪で暮らしてきました。ということは、68年間のうちの7割は大阪人として生きてきたことになります。なのに、私の心の奥底には、今も古き良き時代の田舎の原風景が大切にしまってあります。年数だけでは計れない何かがあるのでしょう。(写真 上:大阪府庁、下:大阪城)
 そういえば、5日の読売新聞夕刊を眺めていて、「ええやん!かんさい”マチタビ」という企画記事に目が留まりました。新聞記事を読んでもネットの普及でワンステップ遅い感が否めないなか、企画記事ぐらいしか読むものがないのも寂しいものですが、この日のテーマは大阪市の鶴橋界隈。女性指揮者の西本智実さんのご登場です。
 JR環状線鶴橋駅界隈といえば焼肉屋さんやら居酒屋さんやらがひしめき合う街のイメージがあります。町工場やコリアタウンもあります。西本さんは小さい頃、その界隈の小さな神社の境内を遊び場にしていたのだそうです。真田幸村が大阪城と出城の間に掘ったと言われる「真田山の抜け穴」を探検するほどの活発な女の子だった西本さんは、そんな雑多な街、いろいろな文化が混在した街に育ったことで、一つの見方にとわられない多面的に物事を受け入れる素地ができたのだろうと言います。そうかもしれません。大阪のエネルギーがいっぱい詰まった街でもあります。それが西本さんの音楽観の素地を形成しているのかも。
 人は風景の中に身を置いて無意識のうちに目に見えない空気と会話をしながら成長します。「静」と「動」を繰り返しながら、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、なんとなく自分の立ち位置を確かめます。

 手許に新書「地図と地形で楽しむ 大坂 淀川歴史散歩」(都市研究会編/洋泉社)があります。「知っているようで知らない「淀川」の秘密」という副題までついています。縄文時代には、上町台地と生駒山との間の河内平野が内海(河内湾)だったこと。淀川、大和川と大阪の歴史。地名にみる大阪の歴史.....。なんとも興味深いものでした。読売新聞の記事によれば、鶴橋界隈も、上町台地の東側にあった河口湖に注いでいた百済川(旧平野川)に架かっていた橋の周辺で鶴が群生していたことから「鶴の橋」となったのだろうと。鶴橋界隈の今の風景からは考えられないお話しではあります。こんな歴史を知ると、どこかほっとするところがあります。
 話は変わりますが、ことしは日本オーストリア友好150周年の年にあたります。きのうは音楽講座「”音楽の都”ウィーンに花咲いた作曲家たち」を楽しみました。春には、そのウィーンに行く予定ですが、その前に。

 あと1週間もすれば「歩き遍路」です。そろそろイメージトレーニングをしなければなりません。今回は山道が多い柏坂遍路道、松尾坂遍路道を歩くことになります。へんろみち保存協力会編の地図だけが頼りですが、逆打ちで宇和島から宿毛をめざすことになるので、道標の矢印を見つけるのが大変そう。全身の方向感覚だけが頼りです。
 とりあえず、年末に出された「豪雨及び台風等の災害による遍路道の危険箇所について (第二報)」を確認すると、観自在寺道 高知県宿毛市大深浦で通行は可能だが危険個所がある由。それ以外は問題なさそうなので、あとは天候の具合だけか。ただし、出発前の3日間、連日、新年会が入っているので、体調管理が一番大きなテーマなのかもしれません(笑)。

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今年の運勢は「末吉」それとも「大凶」?

2019-01-02 16:36:52 | Weblog

新年あけましておめでとうございます。

本年もお付き合いのほどよろしくお願いをいたします。

 ふだんは初老の夫婦だけの静かな生活をしていますが、この年末年始は例年通り13名の大所帯になりました。孫たちも小学生5年生から幼稚園1年生まで5人が勢揃い。お年玉も半端ではありません(笑)。騒々しくも楽しいお正月でしたが、きょう三々五々帰っていきましたので、我が家に一週間ぶりの静けさが戻ってきました。なんとなく、ほっとしています。でも、一番大変だったのは家内かもしれません。
 元旦の日には皆で近くのお不動さんにお参りに行きました。晴天に恵まれたからなのか例年以上の賑わいで、本堂の前に行くのにずいぶんの時間がかかりました。
 お参りが終わって、恒例の「御神籤」です。今年は『末吉』と出ました。前文には「恵」と大きく印字されて、「先人の土俵より自分の土俵で戦うこと」「才能に恵まれ大いに活躍できるが勇み足には要注意。自分の立場を理解し周囲と調和することでより恵まれた人生を送れるだろう」とあります。願望には「人任せにするな。自分の力を信じ動いてこそ適う」。健康には「内に溜めずたまには大きな声を出して発散せよ」。旅行には「一人旅が良い。人生を変える出会いあり」とも。この歳になって人生と言われてもなあと思いつつ目を通しました。
 境内に張り出された「廻り星」による今年の運勢は「計都星」『大凶』とありました。「迷いやすく万事意の如くならない凶年。近親に苦労あり。信心怠らば春秋に災いあり。三、六月特に注意し信心すべし」とやや意味深な言葉が並びます。だからご祈祷すべしということのようですが、いずれにしても「しっかりせよ」との主旨に受け止めました。と言いながら、天国宝剣による特別お加持を受けて帰りました(笑)。
 ことしも多くの年賀状をいただきましたが、高名な先生からいただいた一枚の賀状が気になりました。いわく「最近、何でも厄介な仕事はAIに任せれば良いというような風潮が蔓延していますが、大いに気になります」「人間がマスターであり続けるには、人間如何にあるべきか。真剣に考えるべき時期に来ています」と。AIを使いこなしていると思っていたら、いつの間にか自分たちがAIに振り回されている。そんな現実に気づいたときは、もう後戻りできません。
 ゲームに熱中する孫たちをみていると、あのバーチャルな世界が気になります。幼稚園1年生の孫の手には高性能な電子学習図鑑があります。ディスプレイをタッチしながら学んでいくおもちゃですが、リアルさに欠ける点になんとなく不安がよぎります。でも、世の中、そんな世界に突入してしまっているから始末が悪い。今後どうつきあっていくべきかという基本的なところをきちんと抑えておく必要があるのでしょう。
 そうそう、年末には、娘一家と三重県の志摩スペイン村に行ってきました。大阪のUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)ほどの賑やかさはありませんが、その分待ち時間もあまりなく、孫たちは園内の遊戯施設を楽しむことができました。温泉宿に一泊した翌日は横浜の次男夫妻と伊勢市で合流し、1カ月前にお参りしたばかりの伊勢神宮に全員でお参りして帰阪しました。
 こうして新しい年が始まりました。ことしもカレッジのアシスタント(ボランティアスタッフ)として週3日は確実に取られそうですが、水彩画教室やら公開講座に通ったりしながらも、本をじっくり読む時間を大切にしたいと思っています。その合間を縫って、「歩き遍路」や海外旅行、そういえば田舎の中学校の古希記念同窓会が松江であります。あれよあれよという間に後期高齢者の仲間入りでしょうか(笑)。いずれにしても、健康寿命を少しでも長く過ごせるように、心身ともに健康に留意した日々を送りたいと思っています。さあて、どうなりますことやら。

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