心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

先住民は狸さん

2012-02-26 10:16:26 | Weblog
 昨夜、愛犬ゴンタと夜のお散歩にでかけようとしたら、道端に動く小動物が2匹。よく見ると白いマフラー(毛色)をした狸さんが、私を見つめていました。さっそくスマートフォンでぱちり。街灯の光だけが頼りの撮影ですから、明瞭には映っていないのですが、紛れもなく狸さんでした。これまで、なんどもお会いしていますが、カメラに収めたのは今回が初めてです。人懐っこそうな風貌がなんともかわいくて。

 そういえば先日、深夜にタクシーで帰宅した際、運転手さんに行先を告げたら、清水谷ですかという答えが返ってきました。昔から伝わるごく限られた地域の土地の名前です。その名の通り、バス通りから坂道を降りて、また坂道を上がっていく、そんな谷あり山ありの街並みですから、その昔は鬱蒼とした木々に覆われ、谷には生駒山から湧き出る清水が流れていたのでしょう。そんな里村を、狸さんは大家族でお暮らしのことであっただろうと思います。
 この土地の先住民は、私たちではなく狸さんたちだったのです。そんな自然を、人間様は惨くも造成という形で壊してしまいました。自らの繁栄を享受してきました。丘の上に立つ樹齢500年はゆうに越える一本の楠の木が、すべてお見通しなのです。

 さて、先週も出たり入ったりの落ち着かない日々が続きました。日曜日は広島往復、月曜日だけは通常どおり大阪の職場で働きましたが、火曜日は午後から経済団体のお勉強会、翌水曜日は、朝5時に起床、日の出前のまだ暗い中を広島に向けてご出勤でありました。その広島では3日間を過ごすことになりますが、最終日の金曜日は夕刻から広島市内で開かれたパーティーに出席、最終の新幹線出発時刻ぎりぎりまで粘って、自宅に着いたのは午前零時をまわっておりました。
 こうして迎えたきのう土曜休日は岳母の満中陰法要、早朝から起こされて、眼を擦りながら列席することに。法要を滞りなく済ませると、疲れが溜まっていたからでしょうか、それともお昼に会席料理をいただき少しお酒も入ったためでしょうか、帰りの電車の中では孫君を膝の上に置いたまま、2人でこくり、こくり.....。
 それなら、早く帰宅してゆっくり休めばよいものを、せっかくのお休みだからと、最寄駅で夕食の買い物に向かった家内と別れ、反対方向にあるホームセンターに向かいました。ドッグフードを買うためですが、なんとなく園芸コーナーも気になって。....さすがに2月も下旬になると、店先も華やかさが増してきます。
 寒い寒いと思っていても、季節はしっかり生きています。そんな実感があります。同じ場所で、ああでもない、こうでもないと、ぐるぐる歩き回っているだけでは駄目ですね。外気の微妙な変化を察知して、一瞬を逃さず慣性の力を利用して周回軌道を自力で飛び出すきっかけを見つけなければ....。

 ちなみに、園芸コーナーの一画にはクリスマスローズの開花株と小苗が並んでいました。でも、開花期を迎える時期だからもう少し待ってみよう、まだ値段が下がるだろう、と極めて現実的な判断がはやる心を制します。でも楽しい時間です。お気軽なものです。ほっとする時間です。

 この日、法要をお勤めいただいた和尚さんは、遠く能勢の里からお越しいただきました。お勤めのあとのご講話では、ご自分の過去にふれ、真剣に生きることの大切さを初老(?)の私たちにお話になりました。聞けば、若い頃は元気な企業経営者だったようで、なんどか日経新聞にもご登場になったのだとか。しかし、事業に失敗して無一文になってしまった、その日のお金もない、死んで生命保険に期待しようとしたけれども、ある時期から保険金を支払っていなかったため、それも適わなかった、50歳を少し過ぎた頃のことだったようです。一念発起して、再スタートを仏教の世界に身を投じる決断をされた由。爾来20有余年、お経は決して上手ではないと言い、しかし社会の厳しさは身に滲みて経験している、人の心が判る、心を穏やかにすることができる、そうおっしゃっていました。
 わが街の狸さんは寒い冬も強かに生きています。これに対して私は、戦後のゴタゴタを経験した世代でもなければ、仕事に失敗して無一文になった経験もありません。そんな安穏とした人生も残りわずか、これからどう地に足を付けた生き方ができるのか、残された時間はそう長くありません。
コメント

ヤンネ舘野&舘野泉デュオ・リサイタル「新たなる大樹へ」

2012-02-18 15:32:15 | Weblog
 さ・む・い ですね。日本海側は大雪だとか。ことしの寒波君、なかなか手ごわそうです。庭先では、サザンカの木に最後のひと花が開き、冬の陽を浴びていました。
 ところで今週は木曜日に広島から帰阪して、翌金曜日は午後から4時間にわたって会議が延々と続く1日でしたが、あすの日曜は広島に日帰り出張することになったので、めずらしく土曜休日のブログ更新です。

 そうそう、昨夜は家内を連れて、ヤンネ舘野&舘野泉デュオ・リサイタル「新たなる大樹へ」に行ってきました。場所はイシハラホール。初めて行ったのですが、淀屋橋駅から歩いて8分のところ、堂島川を挟んで向かいには、現在建設が進むフェスティバルホールが聳えておりました。
 この日の曲目は、第1部が石田一郎作曲「ヴァイオリン・ソナタ第2番」、平野一郎作曲「精霊の海~小泉八雲の夢に拠る~」、第2部は谷川賢作作曲「スケッチ・オブ・ジャズ2」、そして最後はエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト作曲「2つのヴァイオリン、チェロ、左手ピアノのための組曲作品23」でした。
 立て続けに現代の日本人作曲家の作品がつづき、家内にとっては少し違う世界を彷徨ったよう。第1部では横に座っている家内がなにやらごそごそしておりました。確かに聴きなれない曲で、いつ終わるのだろう、と思ったりもしましたが、精霊の海は、西洋の楽器ヴァイオリンを使って日本の原風景を表現しようとしているのでしょうか、いつものヴァイオリンとは違うものを感じました。
 第2部の曲は、家内も興味津津で聴き入っていました。最後のコルンゴルトの作品は、ときどきCDで聴いているものでしたから、前列2列目の席から舘野さんの左手の動きを追いながら、その音色の確かさのようなものを感動をもって聴いていました。
 この日舞台に立たれたのは、にこやかに登場された舘野泉さん、ヴァイオリニストであるご子息のアンネ舘野さん、愛弟子のピアニスト・平原あゆみさん、ヴァイオリンの亀井庸州さんとチェロの多井智紀さんでした。演奏が終わって、アンネ舘野さん曰く「きょうはマニアックな曲を最後までお聴きいただき、ありがとうございました」と。場内には温かい笑い声も。

 私はこれまで、グレン・グールド、マルタ・アルゲリッチといったピアニストの演奏をよく聴いてきました。昨年秋、脳溢血で半身不随の身体になりながらその後左手のピアニストとして舞台に復帰された舘野泉さんの存在を知り、何冊かの著書を読み、CDを聴き、音色の素晴らしさにのめりこんでしまいました。でも、繊細で時に神経質ともとれそうな、しかし常に最高の演奏を追求したグールドとの違いっていったいなんだろう?演奏を聴きながらずっと考えていました。
 左手が鍵盤に触れるひとつひとつの音に存在感がある、と言ったら抽象的なのかもしれませんが、ひとつひとつの音に「色」を感じました。.....ふと思い出したのが、著書「左手のコンチェルト」の一節でした。

 「北欧には、タペストリーの「隠し色」という技法があります。赤や黄色といった色彩を表面的にはまったく使わずに、直接には目に触れない裏面一杯に、そうした鮮やかな色彩を使うやり方です。その色が表にも反映して、微妙な色彩の影がタペストリー全体に現れてくる。そういう織り方です。・・・「隠し色」とは、その織り手の人生経験がにじみ出ると言っていいかもしれません。生きることの悲しみや苦しみが、まるで「日常の友」のようになってくる。そうしてこそ、はじめて、人生の「隠し色」が出せるようになるのではないでしょうか。」

 演奏が終わると、ご子息のアンネさんの肩をやさしくたたきながら、おだやかな表情で他の奏者とともに聴衆に返礼されるお姿に、こちらも心優しくなってしまうような、そんな時間を家内とともに過ごすことができました。喧々諤々の議論が続いた午後の会議が終わると早々に職場をあとにした私の週末の1日、なんだか心の休息をいただいたような、そんな時間をいただくことができました。ありがとうございました。
コメント

早春賦

2012-02-12 09:47:25 | 愛犬ゴンタ

 あと1カ月もすれば開花するのでしょうか。庭の片隅のクリスマスローズが今年もすくすくと成長しています。昨年の晩春、近所の園芸店で買ったル―セブラックという名の苗も、濃紺の蕾を大きく膨らませて期待が広がります。クリスマスローズは、イギリス、ヨーロッパ中部、地中海沿岸からバルカン半島、小アジア辺りに自生しているのだそうですが、寒い冬の季節に成長を始め春先に開花する変わり者です。そのぶん、暑い夏は日陰でお休みです。

 さて、日曜日の朝はPCの前に座ってブログの更新です。きょうは珍しく鮫島有美子さんのCD「日本の四季をうたう」を聴いています。「朧月夜」「花」「花の街」「からたちの花」....どれも大好きな曲ですが、きょうは吉丸一昌作詞、中田章作曲の「早春賦」をご紹介します。解説によればこの曲は「梅の蕾もまだ固い時、本格的な春の訪れを待ちわびる気持ちを≪春告げ鳥≫の鶯に託している」のだそうです。まだまだ寒さは続きますが、快晴の朝を迎えて納得です。ご参考までに歌詞全文を掲載しておきましょう。

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷融け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

 さて、続いて何を書こうかと思案して...。先日PCの中で見つけた過去のHPの残骸から、14年前のちょうどこの時期に掲載した記事を読み返してみました。

★パソコンを用いて情報を活用していると思っていた自分が、パソコンに操られていたとしたら、どんなに悲しいことでしょう。久しぶりに野中郁次郎先生の言葉に接して、反省することしきりです。詳しくは「私のパソコン活用法」コーナーへ。ひさしぶりにコーヒーブレイクにも、ほろ酔い気分でコメントを加えさせていただきました。(1998.2.11)
★職場の情報化というものは難しいものですね。仕事には「夢」がないと前進がありません。情報化を負担に思うようになったらおしまいです。何のための情報化なの?夢があって熱意があって初めて情報化は成功します。当分、情報投資はお預けにしましょうよ。ああ、悪循環になってしまうけど、仕方ないか。遊びじゃないんだから。(1998.2.22)
★日曜日、快晴。久しぶりに庭掃除をしていたら、昨年末に植え替えたバラの芽が動きだしているのを見つけました。ラベンダーは花芽が大きく伸びて、フリージアの花芽も例年より早く頭をもたげています。庭のあちらこちらで生命の動きを感じました。もう「春」なんですね。ああ...、仕事の春はもう少しお預けですが、日だまりの中でひとときの春を楽しみました。(1998.3.8)

 1998年と言えば働き盛りの47歳、人事の仕事をしていた頃です。職場にPCが定着し始めた時期でしょうか。個人的にもPC歴2年目。見よう見まねでPCを駆使していました。

 そういえば先日、視界不良に陥った状況を打開するために、久しぶりにマインドマップ(XMind Pro)を使いました。真新しいシートに、浮かんでくるものを次々と書き出していくと、硬直した脳の中身が透けて見えてきます。プロジェクターを使って投影しながら、今度は仲間と一緒に無い知恵を絞る。こんな共同作業をしていると、お互い何を考えているのかが見えてくるから一石二鳥、楽しい時間を過ごしました。PCを道具として操るとは、まさにこのことです。14年前の危惧が少し和らいだかも。

 きのうは久ぶりに温かな陽の光につつまれました。愛犬ゴンタも、陽だまりでお昼寝でした。お気軽なものです。季節の移ろい、時の移ろい、心の移ろい、......。政治の世界はマイナスのスパイラルに歯止めがかかりませんが、どっこい庶民の生活は一進一退を繰り返しながら、強かに前を向いています。
 早春賦、そろそろ春の足音が聞こえてきそうです。少しぐらい寒くても、ここいらへんで厚い厚いオーバーを脱ぎ捨てて、全身で外気を受けとめることにいたしましょう。

コメント

別冊太陽「南方熊楠」

2012-02-05 10:11:08 | Weblog
 きのうは2センチほどの氷に覆われていた水鉢も、今朝は緩んで見えます。日曜日、快晴の朝を迎えました。愛犬ゴンタと朝のお散歩にでかけると、ふんわりと白いものが舞い降りてきました。晴れているのに雪?と思いながら両手ですくい上げると、温かそうな小鳥の羽毛が2枚。おそらくついさっきまで小鳥さんを寒さから守っていただろう羽毛です。でも、もう小鳥さんの姿はありませんでした。きょうは舘野泉さんの演奏で「北の調べ~フィンランド・ピアノ名曲集」を聴きながらブログ更新を楽しんでいます。

 ところで、週末の夜、愛犬ゴンタを連れてお散歩にでかけました。寒い寒い夜のこと、厚いオーバーで身を包んで、首にはマフラーを巻いての出立ちです。街をぐるりと回って帰る時、私の前を小動物が2匹突然現れました。街の人気者、狸さんでした。私の姿を確認すると、一目散に走っていきました。夫婦?それとも親子?それとも子狸?2匹とも丸々と太っていました。いったい、この寒い冬に何を食べているんでしょうか。なにはともあれ元気な姿に出会うのは嬉しいものです。
 なにやら取りとめのない書き出しですが、きょうは珍しく何も浮かんできません。年度末を控えてこの時期、心の余裕に陰りがみえてきたのかもしれません。こんなときは、最近目にした本の話でお茶を濁すしかありません。

 Ipadを使い始めてから、時間潰しにアプリ「i文庫HD」で青空文庫を読むことがあります。先日来読んでいるのが南方熊楠の「神社合祀に関する意見」です。熊野の森を守るために、南方は当時の政府がすすめていた神社合祀に身体を張って反対運動を行いました。投獄までされました。南方は、「エコロギー(生態学)」を世に問うた、我が国におけるエコロジーの先駆者ともいうべき存在で、その彼の思いがこの著作からひしひしと伝わってきます。
 つい数時間前まで職場で泥々しい課題に思い悩んでいた私が、すぅっと空間移動して和歌山は熊野の山裾に立っているような、そんな心もちにしてくれます。そのうち、現実の悩みがあまりにも小さなものに思えてきて、いつのまにか裃を脱いで冷静さを取り戻している自分に気づくことも。降り立った新大阪駅でぶらり書店に足を向けると、「別冊太陽(日本の心192)」が目にとまりました。今号のテーマは『南方熊楠』です。自分の考えがふらつくとき、南方の本を読むと自分の足元が見えてくる。拘って拘って生きてきた熊楠の姿に心ときめく.....。





 そうそう、書き忘れていました。お正月明けに、家内ご愛用のPCが起動しなくなりました。やっとのことでデータはUSBに移しましたが、もう寿命です。思い切って新調することにしました。そのとき、お店の方に薦められたのがYahooBB光フレッツ。3万円キャッシュバックの言葉に魅せられて、ついつい契約することに。そんなわけで、1月末をもって、パソコン通信の時代からお世話になっていたSANNETとお別れをしました。
 出張中にNTTの工事が完了していて、さてインターネットにどう接続するのか。週末の夜は悪戦苦闘でした。やっと繋がったのは夜中の2時過ぎでした。無線LANはもちろんスマートフォンやIpadのWi-Fi設定まですべて完了です。60を過ぎてのセッティングはなかなか大変です。理屈よりも試行錯誤。いろいろ試しながら手順を踏んでいくという意味で「当てずっぽう」的な作業になってしまいました。
 ひょっとしたら私の人生、すべて「当てずっぽう」的な人生だったかしらん???そこに南方熊楠的「拘り」が加わったら、だったら、鬼に金棒だったのかもしれません。とうとう私も、「たら・れば」を宣う年齢になってしまった?ご用心、ご用心。

【写真説明】
上:庭の片隅にある水鉢は家内のお手製です。小さなカニさんまでお手製で、孫たちの人気者です。
中:別冊太陽の表紙です。南方熊楠の若き日の肖像が表紙を飾っています。
下:別冊太陽のグラビア頁です。下図は、南方が研究しつづけた粘菌類の写真です。

コメント