心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

暑い夏は鰻で乗り切る?

2019-07-31 11:05:19 | Weblog

 比較的涼しい日々が過ぎた途端に梅雨を迎え、その梅雨が明けた途端に「夏」真っ盛りです。きょうも暑くなりそうな予感がします。庭の草木もぐったりですが、ここ数日野暮用が続きお手入れができていません。そんな真夏の早朝、近所のお不動さんに散歩にでかけると、境内では30人ほどのシニアの方々が、蝉しぐれのなかラジオ体操をしていらっしゃいました。みなさん、お元気です。四国八十八カ所の祠の前を通って、本堂、大師堂とまわって奥の院まで足を延ばす。これが私のルートになりますが、ときどき「歩き遍路」と風景がダブってしまいます。
 そうそう。梅雨明け早々の暑い日曜日に、家内の急なご提案でご両親のお墓参りに行ってきました。特別な日でもないのですが、何か思うところがあったのでしょう。誰もいない静かな墓地、いやいや蝉の声だけが騒々しいそんな墓地にお参りをしてきました。夏、お盆、お墓参り.....。夏の風景でもあります。
 その帰り道、難波に寄り道して、高島屋にある鰻屋「東京竹葉亭」で美味しい鰻丼を食べました。その日は土用の日の翌日でしたが、お昼時ということもあってお店の前は長蛇の列。1時間も待つことになりました。その分美味しくいただきましたが、これで夏を乗り切れるかどうかは分かりません(笑)。

 さて、この1週間を振り返ってみると......。まずは孫長男君とのお出かけがありました。急なことだったので、大阪城に隣接する大阪歴史博物館を見学しました。奈良時代の難波宮の大極殿(模型)や、信長と戦った本願寺の時代の水都・大阪の風景に興味津々。最後は大正末期から昭和初期の心斎橋筋や道頓堀などの賑わいを楽しみました。
 そのあと隣接するNHK大阪放送局のスタジオを見学して、この日の予定は終了しましたが、天満橋駅に向かうと、天神祭りの宵宮の日とあって浴衣姿の人々で賑わっていました。ここ大阪は「夏」真っ盛りです。

 この日のことをお兄ちゃんから聞いた孫次男君。黙ってはおれません。その翌日、「学童保育をお休みしてお祖母ちゃんのお家に行きたい」と言い出したよう。そんなわけで、娘が出勤途上に駅前ターミナルからバスに乗せ、孫次男君は初めて1人でバスに乗ってやってきました。一日中おばちゃんに甘えたあと、夕方バス停までお見送り。終着の駅前ターミナルで娘がお出迎えとあいなりました。
 この夏は遠出をする予定はありませんが、来週には孫君兄弟を連れて、徳島県鳴門市にある日本最大級の陶板名画美術館「大塚国際美術館」に行く予定です。といっても孫君たちは、名画鑑賞よりも明石海峡大橋とランチタイムに関心がありそうです。
 東京の長男君一家は帰省しませんが、出産間近い次男夫婦は帰ってきます。出産はお嫁さんの実家(大阪)でする予定で、その下見も兼ねています。再来週には京都・貴船の川床料理にご招待する計画です。娘一家を含めて総勢8名の大移動になります。こんなささやかな家族の集いです。

 ただ、合間を見つけて9月下旬の絵画展に向けて作品を仕上げなければなりません。先週の水彩画教室ではF6の画用紙に女性のモデルさんを描きました。写真撮影厳禁なので、とにかく2時間の間にデッサンと特長的な色づけだけはしなければなりません。家に帰って続きをしますが、なんだか顔の表情が違ったみたい(笑)。眼の描き方ひとつで、人の表情ががらりと変わってしまいます。むずかしい~。

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いょっ!晴れ男!~太山寺から国分寺へ

2019-07-23 16:15:00 | 四国遍路

 台風が九州地方に大雨をもたらしているなか、四国は松山に向かった今回の「歩き遍路」。なんと歩いている間、ポンチョを取り出すこともなく、無事に歩き通すことができました。ところがです。大阪への帰路、高速バスが徳島界隈を走っていたとき土砂降りの雨。そんな雨の中、田圃の畦道を歩いているご夫婦のお遍路さんが二人。大丈夫かなあと心配になりました。
 55番札所・南光坊の納経所で「雨が降らなかったのがせめてもの幸い」とお話しすると、「昨夜はたいへんな雨でしたよ。最近、雨が降らなかったので、このあたりでは恵みの雨でした」と。私が寝ている間に雨が降り、歩き出すと止む。お大師さんにお守りいただいた「歩き遍路」だったかもしれません(笑)。
 大阪駅前から松山に向けて出発するとき、リュックをさげ金剛杖をもった一人のご老人にお会いしました。そのご老人(私もほぼ同世代?)、松山駅の一つ手前のバス停でお降りになったので、私が前回歩いた久万高原の方に向かわれたのだろうと思っていたのですが、なんと二日目の宿(仙遊寺宿坊)でばったりお会いしました。聞けば、松山に到着してまずは道後温泉で一服されたよう。その後、伊予北条あたりの温泉宿に一泊、というわけです。何度も歩いていらっしゃるベテランお遍路さんです。その夜は、冷たいビールをいただきながら「歩き遍路」について指南を受けました。
 今回は太山寺から国分寺までの8カ寺を回りました。初日は、太山寺、円明寺と巡ったあと、久しぶりに左に海辺(瀬戸内海)を感じながら歩きました。ただ、雨が降らない代わりにすごく蒸し暑く、意識が朦朧とするときも。計画では大西町まで一気に歩く予定でしたが、浅見駅あたりでダウンしてしまいました。やむなく10分ほど列車に乗ってショートカット。駅前の「あさひや旅館」で泊まりました。宿泊客は私一人でした。ご主人いわく梅雨の時期はいつもこうなのだと。

 2日目は、今治市内を西から東に向けてジグザグに横断することになります。平地を1時間刻みで淡々と歩き続けました。延命寺を打ったあと、大きな霊園の中を歩いて南光坊へ。時おり湿っぽい空気に包まれることもありましたが、泰山寺を経て、いよいよ57番札所・栄福寺へ。すると、映画「ボクは坊さん」のモデル・白川住職が忙しそうにお出かけになる姿。あとで知ったのですが、檀家さんにご不幸があったようでした。
 ここまでは市街地を歩きまわってきたのですが、栄福寺から仙遊寺への道のりは、少しきついものがありました。しばらく歩いていると、土手の中ほどに「犬塚」と記した小さな石碑がありました。土手を登っていくと、大きな池がありました。犬塚池です。
 「四国八十八カ所をあるく」を開いてみると、犬塚の伝説が紹介されてありました。「昔、栄福寺と仙遊寺はひとりの住職が兼ねていて、その住職が賢い犬を飼っていた。それぞれの寺で留守を預かる小僧たちは、鐘を鳴らして犬を呼び、住職への使いを頼んでいた。犬は仙遊寺で鐘が鳴れば一目散に山を駆け上がり、栄福寺で鐘が鳴れば一気に山を駆け下りて用事を伝えたという。あるとき、小僧たちが悪ふざけをして、2つの鐘が同時に鳴ってしまった。犬はどちらに行けばよいのか迷った揚げ句、役に立てないことを嘆いて途中の池に身を投げてしまった。哀れに思った村人たちは、池のほとりに犬塚をもうけて、その池を犬塚池と呼ぶようになった」とあります。悲しいお話しでした。
 その後、深い森の中の傾斜のきつい坂道をふうふう言いながら歩いていくと、上の方に明かりが見えてきます。やっと到着かと思いきや、車道に出て、その向こう側にまた遍路道が続いています。こんなときは疲れがどっと出てきます。もう一度車道が現れ、今度は車道を歩いて登っていく。すると休憩所が見えてきました。そして、やっと山門が現れます。でもこれで終わりではありません。延々と急な坂道が続きます。手摺が備わっているだけましですが、とにかく曲がりくねった坂道を手摺を伝って登っていく。やっとのことで仙遊寺の境内に到着とあいなりました。朝7時に宿を出発して7時間。やっと到着です。
 標高280メートルの作礼山に佇む仙遊寺です。いくぶん肌に優しい空気感が心地よく、夏ゼミもヒグラシに変わりいかにも山の中にいることを実感させます。納経を済ませると、少し早かったけれど宿坊に入りました。ずいぶん立派な宿坊で、外人さんにも不自由しない住環境が整備され、なによりもお風呂が温泉だったのが良かった。夕食の精進料理を美味しくいただきました。部屋にはテレビがないので、時々スマホで選挙速報を見ながら、少し早めに眠りました。
 翌朝6時に朝のお勤めがあり本堂に伺うとご住職のほか3名のお寺の方々、そして同宿の方。30分ほどお経に耳を傾けましたが、グレゴリオ聖歌に近いものを感じたのは私だけでしょうか。静かな堂内に響き渡りました。ケルンの大聖堂と同じです。その後、ご住職のお話しを伺いますが、聞けばご本尊の千手観音菩薩は平安時代の作で、一度だけ本殿消失の際に持ち出されたことはあったようですが、ずっと同じ場所にあり、人びとの暮らしを見つめていらっしゃるのだとか。「動」と「静」。何か深いものを感じました。
 最終日2時間ほど歩いて国分寺をお参りして今回の「歩き遍路」は無事終わりました。境内に立つと、初めてお参りしたとき印象に残った風景がふうっと浮かんできます。この国分寺では、握手修行大師さんと握手したことを思い出しました。案内板には「お大師様に握手をして願い事を一つだけ。あれもこれもはいけません。お大師様も忙しいですから」とありました。
 四国八十八カ所遍路の旅も、59番札所まで歩き進むことができました。あと29カ寺です。2カ月に一度の割合で行けば、まだ先は長い。先のベテランお遍路さんの話では、横峰寺、雲辺寺あたりは遍路ころがしと言われる難所だとか。焦らず気負わず淡々と歩き通したいと思っています。

 明日は、小学校6年生の孫長男君だけが独りになりそうなので、「どこかに連れてってえ」とのこと。一日早いブログ更新とあいなりました。

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シニアの新しい旅立ち

2019-07-17 15:30:57 | Weblog

 「歩き遍路」出発まであと2日。久しぶりの伊予の国に気持ちも昂りますが、南の洋上に台風の子がお目覚めのようです。たいしたことがなければ良いのですが.......。そういえば、これまで山あり谷ありの遍路道を歩いて来た靴底がすり減ってしまいました。前回、小川沿いの山道を歩いていてすってんころりん。というわけでウォーキングシューズを新調しました。そのついでに、ひと足早く期日前投票にも行ってきました。これで準備万端です。

  講座の方は先週をもって夏休みに入り、ここ数日比較的穏やかな日々を過ごしています。ふだんは毎週講座があるので、まとまったお休みが取れません。ここぞとばかり、仲間のなかにはご夫婦でスペインに向かい自動車で一周する旅に出発された方もいます。みなさん、ほんとうに気持ちが若いのです。
 ご結婚されたシニア夫妻もいます。先日、ボランティアスタッフ仲間の懇親会兼ご結婚祝賀会という名の呑み会がありました。お二人とも二度目のご結婚です。どういうお気持ちなのか尋ねると「傍にいても違和感がないこと」。当たり前のように傍にいる。愛や恋やと浮かれる歳でもないんでしょう。こういう生き方もあるんだなあと思いました。いずれにしてもシニアの新しい門出に幸あれ!!
 考えてみると、リタイアしてちょうど3年が経過します。3年前の今頃の時期でした。トップにご挨拶したあと、たくさんの方から花束をいただき、正門前で皆さんからお見送りをいただき、車に乗って家路につく。これが私の仕事人生最後の一日でした。あれから3年。40年あまり勤めた仕事のことはきれいさっぱり忘れてしまいました。いや、後ろを振り向かなかったと言った方が良いかもしれません。
 たまたまカレッジの募集パンフレットに目が留まり、2カ月後に入学しました。定年を迎えた方、子育てを終えた方、お相手を亡くされた方、定年延長で働いている方もいます。いろんな方々が何かの居場所を求めて集まってくる。そんな仲間に囲まれて2年間を楽しく過ごしました。そのとき、「〇〇さん、お手伝いをしてくれない?」との声。昨年8月のことです。以来、ボランティアスタッフとして講座の運営に携わることになりました。気がつけば、もう1年が経過しようとしています。そうそう、愛犬ゴンタが亡くなったのも3年前の7月のことでした。
 元来、仕事人間の私です。中途半端は嫌なので、ひとつずつ仕事をこなしながらマンネリ化した組織運営に風穴を開けるべく手を広げていきました。でもねえ。人間にも賞味期限というものがあります。ひと通りの整理がついたら次のことを考えないといけません。
 先日テレビを見ていたら「臨床美術士」と言う方が登場されていました。認知症患者に絵を通じて自分を確かめてもらう、そんなお仕事のようです。案外、水彩画教室に通う私にも、そういう効果があるのかも。来週は女性のモデルさんを描きます。
 きょうは京都に行ってきました。祇園祭の山鉾巡行を見てきました。学生時代から思い入れのある京都なのに、なんと私が山鉾巡行を見たのは今回が初めてという変わり者です。四条通り、河原町通り、御池通りをいくつもの山鉾が練り歩きます。ふだんは自動車が行き交う路を山鉾が独り占め。聞きなれた祇園囃子が、若い頃の暑い夏の京都に誘います。
 いろんな人生を歩んでこられた方々と日々お付き合いをする。しがらみも利害関係もない。でも、皆さんには個性があります。金子みすゞの詩に「みんなちがって、みんないい」という言葉があります。本当にそう思います。超高齢社会の中での生き仕方において、この言葉の意味は真実味を帯びてきます。気負うことなく、自分らしい生き方ができれば悔いはなし。

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「トリエステの坂道」~少しお疲れ気味かも。

2019-07-10 17:04:11 | Weblog

 「たとえどんな遠い道のりでも、乗物にはたよらないで、歩こう。それがその日、自分に課していた少ないルールのひとつだった。サバがいつも歩いていたように、私もただ歩いてみたい。幼いとき、母や若い叔母たちに連れられて歩いた神戸の町と同じように......」(須賀敦子「トリエステの坂道」)。
 時々、スマホのメモ帳に印象に残った作品の一部をメモしておく癖があります。この文章はいったいいつ書き留めたのだろうと思いながら、改めて読み返してみました。すでに、前へ前へと歩んでいく歳でもなく、さりとて立ち止まっているわけでもない。不思議な気持ちで書棚から「トリエステの坂道」を取り出しました。といってもこのエッセイは、20ページほどの小品です。トリエステは北イタリア、東端のスロベニア国境に近く、その先にはこの春行ったハンガリーがあります。須賀さんの文章から美しい風景が広がります。絵画を見るような色彩を感じる文章、それが須賀さんのエッセイです。そんな須賀さんがお亡くなりになったのは69歳。私も今夏そんな歳を迎えます。
 昨夜は、十年ほど前に録画しておいたBS朝日のテレビ番組「イタリアへ…須賀敦子 静かなる魂の旅 第1話 トリエステの坂道」を、ぼんやり眺めていました。(上3点の写真はその画面です)
 どうも最近、小説やエッセーを読む心のゆとりがありません。講座運営のほか様々な役割をこなしながら、夜な夜な講座のホームぺージやfacebook、twitterの面倒までみている始末。あっという間に時間が過ぎていきます。一定の技術的な見識があればなんということはないのでしょうが、どれもこれも手探り状態です。昨夜も東京の甥にアドバイスを受けて作業を進めました。そろそろ後継者を捜さしておかないと泥沼から這い上がることができなくなってしまいそう。そういう意味では、このブログにかける1時間ほどの時間が、私にとっては一番ゆったりとした時間なのかもしれません。

 そんな次第で、PCのディスプレイを眺める時間がやたら多くなって、時々遠くがぼんやり霞んで見えることがあります。目薬をつけても気休めにすぎない。そんなある日、DAISOで面白いものをみつけました。トレーニングメガネというものです。「1日3分でリフレッシュ」というのが謳い文句ですが、メガネのレンズの代わりに、無数の小さい穴が空いたものが付いています。いわゆるピンホールメガネというものです。説明書には「1日3分間、メガネをかけて上、下、左、右と眼を動かしてください」。すると「ピントが合う範囲(焦点深度)が広くなり、ぼけていたものが見えやすくなります」とあります。消費税込みで108円のメガネですが、試してみるとなんとなく、そうかなあと思います。時々このメガネをかけては目を上下左右に動かしています(笑)。
 「歩き遍路」まであと8日。予想どおり参議院選挙の投票日と重なってしまいました。週末、期日前投票に行って来ることにいたしましょう。一票の重みといいますが、最近なにか軽いものを感じるのは私だけでしょうか。

 

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経済的な豊かさより心の豊かさ

2019-07-03 09:52:34 | Weblog

 やっと梅雨らしくなりました。といっても地域によっては豪雨に悩まされているところもあり、季節の移り変わりを楽しむどころではありません。ほんとうに最近の気象現象は不可思議な動きをするものです。
   この雨の季節を利用して、小雨のなか紫陽花とフクシアの挿し木をしました。少しコップのなかで育てた苗ですが、今朝がた覗いて見ると元気そう。こうして大きく育ってくれるのを楽しみにしています。
 さて、先週の土曜日は京都文化博物館の展示室で開かれていた「2019京都日本画家協会第7期展」に行ってきました。協会に所属する163名の日本画家の作品がずらり。井上美紀先生は「La mimosa per Gino、Napoli」を出展されていました。昨年、ナポリを旅したちょうど同じ頃、先生はナポリで個展をお開きになっていました。その時期の作品なんでしょうか。イタリアのタイル壁面にミモザの花が美しい、そんな作品でした。撮影禁止なのでお見せ出来ないのが残念です。
 絵って不思議ですねぇ。一枚一枚にその人の世界があります。当たり前ですね。じっと見ていると画家の姿が見えてきます。これなら私も画けるかもと思う作品もありますが、とんでもない。全体の構成、絵筆のタッチ。眼を凝らすと一枚の絵から大きな風景が広がってきます。時間潰しに絵筆をもつ私なんぞ足元にも及びません。
 文化博物館は久しぶりだったので、帰りに1階ろうじ店舗にある和紙の店「楽紙館」に立ち寄りました。和紙、和紙小物が所せましと並んでいます。家内はいつもこのお店で手透き和紙の障子紙を選びます。小さな明かり窓に最適です。私はと言えば、ブックカバー用の和紙を品定めです。皮製とは異なる手透き和紙の手触りが気に入っています。
 その後、少し下って京都の台所・錦市場を散策しながら河原町四条に向かい、冷たいビールをいただいて帰りました。四条大橋から鴨川を眺めると、京の夏の風物詩「納涼床」が並んでいました。そういえば横浜の次男君から、今夏帰省したとき貴船の川床料理を所望されております(笑)。
 ざっとこんな調子で6月も終わりました。ということは2019年の上半期が終わったということです。あれやこれやと首を突っ込んでいると、いつの間にかという感じです。
 先日、ある方とお話ししたとき、「人生に定年はない」「学びにも定年はない」とおっしゃっていました。この歳になると経済的な豊かさよりも、心の豊かさを追い求める。そうなんでしょうね。ちょっと贅沢ではありますが、そうなんだろうなあと妙に納得したものでした。

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