心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

民族、文化、宗教の多様性~東欧旅行(その2)

2019-05-07 22:48:05 | 旅行

 長期旅行から帰ると、雨が降っていたからでしょうか、庭の草木がずいぶん繁っていました。樹々の若葉が初々しく、ハーブたちも生き生きしています。目の前にはアゲハの幼蝶も.....。
 先週に引き続いて、東欧旅行に関することに少し触れます。まずはシェーンブルン宮殿の大ギャラリー。ここでかつてフランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの新秩序を考えるウィーン会議が開かれました。残念ながら各国の利害が折り合わず『会議は踊る、されど進まず』という有名な形容詞がつけられた歴史的な場所でもありました。毎日のように舞踏会が開かれたというきらびやかなギャラリーで、ミニコンサートを楽しんだことになります。これもひとつの歴史体験ということにしておきましょう。
 そういう意味では、今回の東欧旅行でEU欧州連合のことが気になりました。現在、28カ国が加盟していると言われますが、その対応は各国さまざまです。イギリスでは離脱するか否かで揉めています。旅行客にとっては比較的簡単に国境を越えることができる気楽さがあり、ユーロでお買い物できる利便性もありますが(チェコやハンガリーのように現地通貨を併用している国もあります)、一方で難民の受け入れという現実的な課題もあります。
 民族の多様性と統治機構の在り様が問われているようにも思います。民族、文化、宗教の多様性を、ひとつの巨大な枠組みのなかでまとめあげることができるのかどうか。13億人とも言われるお隣の国のように一党独裁国家というものが本当に成立するものなのかどうか。『多様性』と『画一性』。そのどちらにもメリットとデメリットがあります。それをどう克服していくか。このあたりは人類の大きな歴史的な課題なのかもしれません。
 そうは言っても、目の前には母なる大河ドナウ川が流れています。マロニエやライラックの花が咲き乱れています。広大な麦畑が広がっています。菜の花畑が延々と続きます。村のあちらこちらに大小さまざまな教会があります。そこには、人々の日々の生活があります。人々の生活と宗教と政治。
 ひとつ触れるのを忘れていました。2年前にウィーンを訪れたとき、自由時間の多くを街のあちらこちらにある音楽家の胸像を捜しまわっていて時間切れになった美術史美術館に、今回やっと入ることができました。ラファエロのマリア像(草原の聖母)、ブリューゲルのバベルの塔など日本の展覧会で仰々しく眺めた多くの絵画が気負うことなく飾ってありました。部屋の真ん中にはどーんとソファーが置かれ、いろんな角度からじっくり見てほしいと言っているようです。写真もフラッシュさえ焚かなければ撮影可。アメリカのメトロポリタン美術館もそうでした。日本の美術館のような堅苦しさはまったくありませんでした。今回はここで半日を過ごしました。
 そんな8日間の旅行を終えて帰国した翌日、久しぶりに近くのお不動さんにお参りしました。令和の時代を迎えて初めての参拝でもありました。奥之院の薄暗い洞窟の奥にある大日如来像と対面すると、西洋の大聖堂と同じ空気感を肌に感じました。宗教とはいったい何なのか........。
 先日、京都の「春の古書大即売会」で、「空海 言葉の輝き」(ピエ・ブックス)を手にしました。美しい写真と空海の言葉が散りばめられた本ですが、なぜか心を鎮めます。その帯には「時は過ぎ、世は変わっても、今も人の心に生きて輝く 空海の言葉と高野の映像」とありました。国が違い時代が変わっても、人の根本的なところは案外何も変わっていないのかもしれない。もっとおおらかな気持ちで時代というものを眺めても良いのではないか。ふと、そんなことを感じたものでした。
 日曜日には、ことし初めて宝塚の清荒神さんにもお参りに行きました。GW終盤の時期、三々五々人々が訪れる境内を穏やかな春の陽気が包みます。気持ちの良いお参りができました。
 今週末には「歩き遍路」に出かけます。今回は、やっと松山です。第44番札所・大寶寺から第51番札所・岩手寺までお参りする予定ですが、さあてどうなりますことやら。幸い、雨の予報もありませんので、清々しい初夏の伊予路を歩いてきます。

※孫次男君がGW中から体調がすぐれず、明日も小学校をお休みするのだとか。両親はお仕事、お婆さんはどうしても抜けられない用事があるとか。ということで今夜、急きょお爺さんが明日お世話をすることになりました。ということで、一日早くブログを更新させていただきました。

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