プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

浜口政信

2017-02-16 22:02:27 | 日記
1967年

腰を浮かしかけて浜口はもう一度、イスにすわり込んだ。九回裏長池の右前安打で森本が本塁へ突入したときだ。右翼手福富からの送球で間一髪アウト。セーフなら浜口の勝利投手はフイになる。「ボクの勝利がダメになってもどうってことはなかったですよ。チームが勝てばいいんですから・・・」口先では強がりをいうが、本心ではなかった。ダグアウトですわったイスはうしろの列の右から三つ目。七回から試合が終わるまでグラブにボールをポンポンたたきつけ、そわそわした態度をかくしきれなかった。「阪急打線はいま一番当っているんでしょう。恐ろしかったですよ」勝利投手が確定してから浜口はクビをすくめた。一回裏、一球目をウィンディに左翼ホーマーされた。「外角をねらったつもりが、内角高めにいってしまったんです。ボクの失敗ですから驚かなかった。堅くはなかったですが・・・」浜口は心臓の強いことでは若手のナンバーワン。湯之元キャンプのときだ。バント練習の時間にコーチがいないのをさいわい、勝手にバッティングをやって中原ヘッドコーチにこっぴどくしかられた。今季高校から入団した新人投手のリーダー格の二年生浜口は責任をとった。「ボクがわるいんです」罰則で一時間三十分のランニングをやらされたときは、歯をくいしばって先頭を切った。この試合で浜口が武器にしたのは外角へのカーブのほかにシュートがあった。シュートには手元にくい込むタマと、スイッと沈むのと二種類ある。「中原ヘッドコーチから思い切ってためしてみろといわれたのでかなり投げました」七回途中まで5安打、1点に押えた秘術がこれ。飯田監督はこの沈むシュートをハマ・ボールと呼んでPRに懸命だ。「新しいタマですよ。オープン戦好調の阪急打線ですら打てなかった。いいピッチングだった」もっとも浜口にはそんな甘い点はくれていない。試合が終わったとたん、ダグアウトで大声でどなった。「ハマ(浜口)、石岡のピンチの切り抜け方をみたか。よく勉強しておけよ」一軍の試合で浜口はプロ入り初の勝利投手。昨年は公式戦に一度登板しただけ、イースタン・リーグでは3勝(8敗)をあげている。「まだこれからです。タマが高めに浮くこと、一回に打たれて得点されたことなど、覚えなければならないことはヤマほどあるんです」別府鶴見ヶ丘高出身、身長1㍍75、体重72㌔、右投げ右打ち。
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岩切正男

2017-02-16 21:17:11 | 日記
1967年

一月十五日は、サンケイアトムズの新人テスト。この日を、文字どおり一日千秋の思いで待ちわびている若者がいる。昨年まで東映フライヤーズのユニホームを着ていた岩切正男投手(22)=駒大出身、1㍍84、80㌔、右投げ右打ち=だ。東映入団の際に受け取った契約金のことで東映側ともつれ、自由契約になった。「野球がヘタだからと自由契約になったのなら、あきらめもつく。もめごとが原因でクビになったのでは、あきらめきれない」岩切投手は、こういって、サンケイの新人テストに自分のすべてをかけようとしている。

サンケイの新人テストの日が、岩切には二十三回目の誕生日にあたる。「力いっぱいやります。男の意地にかけても・・・」きっぱりといいきる顔に、決意がにじみ出ていた。テストのための練習をはじめたのが昨年十二月二十日。それ以来、大みそかと元日を休んだだけで、毎日、大和証券球場でトレーニングがつづけられた。サンケイの宇佐美二軍監督が、相手役に西岡内野手を選んでくれたことも、幸いした。連日70~80球も投げこんでいる。寒風は、身を切るようにきびしいが、カーブやシュートも平気で投げた。「東映に入団するとき、クビになったら野球と縁を切るつもりだった。しかしあんなことで自由契約になったのでは、あきらめもつきません」岩切は、いまでも、くやしそうな表情をみせる。あんなことー。岩切にとって忘れることのできない思い出とは、契約金のこと。自分が、希望に胸ふくらませて手にした契約金と、球団側から支払わせた金額のあまりにも大きな差ー。岩切は、その原因をつかもうとして、球団と争い、クビになった。東映は、球団職員やスカウト見習いなど、身のふり方を心配してくれたが、岩切は、全部ことわった。「野球選手として、もう一度やってみたい。プロ野球選手は苦しい。それも承知のうえです」という岩切だ。ピッチングをしたあお、一時間以上もサーキット・トレーニングをやる。「こんなに苦しいとは思わなかった。しかし、これだけやったんだから、意地でもテストに合格したい。負けるどころか、これからもっとがんばりますよ」西岡といっしょにバーベルやダンベルと格闘する岩切の表情には、一歩もあとにひけぬ立場に追いこまれたのものの闘志だけがギラギラしていた。岩切はまだ独身。だが、阿仁の光作さん(28)が、三月下旬に合気道指導のため渡米する。帰国がいつになるか、見当もつかない。母親のキクさん(55)と妹二人の面倒をみなければならない。「いまでも、月に三万円近い税金をとられる。ふつうのサラリーマンになったら、月給全部つぎこんでもおっつかない。ぼくはプロでやらなけりゃ、ならないんですよ」わずか二十二歳の青年には、あまりにもきびしすぎる現実だ。練習をみた小川コーチは「からだもやわらかいし、球質も悪くない。投手としてはちょうどいいからだつきをしている」という。こんなはげましのことばを聞きながら、岩切は、十一日から大和証券球場で、さいごのコンディション調整にはいる。
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