元魔王であり今は真王の一人、真駆の手下として活動するドラグさんが資料室を急襲し、忽然と姿を消したその日の午後。
日は高く澄み渡る青空が空一面に広がっていたけど、談話室の重厚なテーブルを挟んでソファーに座る、ボク如月マトと元勇者の神屋サイトさん、そして資料室を有する館の主でもある真王の一人、真士さんの心はどうにも晴れることのない鬱屈とした気持ちで塞ぎこんでいた。
『空気が……重い』
ボクは心の中で独りごちる。
それもそうだ。
ドラグさんに襲われた資料室には、真王の一人ではあるが明らかに真王の宴のルールとは逸脱した行動を見せはじめた真駆を止めるための手がかりがあったから。
「で、どうやって真駆の親父さんを探すんだ?」
「うむ……」
サイトさんの問いに答えを返せない真士さん。
「それよりもドラグさんに返り討ちにあった人たちは大丈夫なんですか?」
あの惨状を思い返しボクは尋ねた。
「中には重傷のものもいたが、案ずるな。私の育てたものたちは伊達ではない」
真士さんが穏やかな笑顔を浮かべ言葉を返す。
資料室へと進撃するドラグさんを撃退するための戦ったであろう館で訓練する候補生の人たちが、倒れ呻き声を上げている光景をボクは思い返す。
あの人数を容易く撃退し、しかもまともな傷すら負わないドラグさんの力。
しかもそれまで真駆に酷使され、かなりの疲労が溜まり満身創痍であろう状態なのに。
炎を背景に闇に包まれたドラグさんの姿を。
「あいつ、もしかして日頃の鬱憤晴らしに迎撃に出た候補生連中をボコってたんじゃないだろうな?」
「へ?」
サイトさんの呟きに声が出るボク。
「だってあいつかなり真駆にこき使われてたから、相当鬱憤が溜まってたんじゃないかと。だから任務がてら妨害があればそこらを破壊して鬱憤を晴らしてたんじゃないかな、と」
サイトさん、涼しげな顔で無礼なことをいうな。
「ドラグさんはそんな人じゃないですよ! あの人はもっと創造性に満ちていて、破壊するような方面の力はですね」
「マト、お前あいつに随分と肩入れするのな?」
ドラグさんを擁護するボクの言葉に返すサイトさん。
「俺だってあいつがあそこまでのことをする奴だとは思ってないけど、どうにも迎撃に出た連中のやられっぷりが、本気でボコられた感じもしないしな」
サイトさんの言葉に息が止まる。
そうだ、元魔王のドラグさんが迎撃に出た人たちを本気で撃退すれば重傷なんてものではすまないはず。
それに資料室も軽い爆発と火を放って終わるなんてことは……
「じゃあドラグさんはあくまで真駆にいわれたことをやっただけで、本気でどうこうしたいというわけじゃ」
「そう考えるのが妥当かもしれないね」
思わず出たボクの言葉に真士さんもうなずき、
「もし元勇者候補で魔王になるほどの実力者なら、この館の候補生たちでは消し炭か消滅でもおかしくない。それがあの程度の怪我とは不自然だとは思ったが」
「だってあのドラグの怒りようは、いつもの優男然としたあいつからは考えられないし、それにあのドス黒い怨嗟に満ち溢れた言葉、マトも聞いたろ?」
真士さんに続いたサイトさんの言葉に、ボクはドラグさんとの別れの場面を思い返す。
あの優しい笑顔を浮かべていた、たとえ真歌に想いを抱きながらも裏切られ捨てられ、でも想いを断ちきれず、かといって捨てられた恨みも捨てきれない複雑な笑顔を浮かべていたドラグさんとは思えない、ただに憎しみに満たされ捨て鉢とも狂気ともとれる笑顔を浮かべたドラグさんを。
「確かあいつ、資料室は焼いた、とはいってたよな」
「ええ、そういってましたね」
「でも焼いたのが資料室だけで、肝心の資料は手つかずとか別の意味で保護してたんなら?」
静かに話すサイトさんを受け、真士さんに思い当たるところがあったのか手を叩く。
昨夜ボクたちをもてなしてくれたメイドさんがその音にすかさず現れると、真士さんは、
「資料室の被害をまとめてくれ。大至急だ」
言葉短かに指示すると、メイドさんは軽く会釈し、その場から退出した。
「もしそうなら状況は少し変わるな。確かに真駆の父親であるミャーミャンにつながる詳細な資料はないとはいえ、もしなんらかの形で確保しているというのなら、そやつを捕まえるか説得して返してもらえば話は変わる」
「ただドラグを捕えるのは倒すよりもきついと思う」
真士さんの提案にサイトさんが声を落として応える。
何度も剣を交えてきたから断言できるサイトさんの言葉は重く、皆口を閉ざした。
思い空気がしばし漂うが、先ほどのメイドさんが足早に戻ってき、
「お館様、火災の被害程度が判明しました」
「ご苦労様。それで状況は?」
メイドさんを労う真士さんに、メイドさんはやや顔を曇らせ、
「それが、少し奇妙な……」
どうにも要領を得ない様子。
「いいから話せ」
「はい。結論から言うと被害はほぼ0です」
「は?」
メイドさんの言葉にボクたちは間の抜けた声を上げる。
「ですから被害はほぼ0です」
メイドさんが念を押すように被害を報告をする。
「いやだって、あんなに燃えてたんだぞ! 俺だってマトだってそれを見てるのにそんなはずないだろ!」
さすがにサイトさんが状況を飲みこめずに声を張り上げるが、メイドさんは自分でも信じられないという表情を浮かべながら、
「はい、確かに燃えていました。ですから私たちはその燃えカスなどを収集し片付けようとしていたのですが、私たちの見ている目の前で、その燃えカスが……」
メイドさんは恐怖とも驚愕ともつかない表情を浮かべ、震えた声で、
「私たちの目の前で蠢きはじめ、そして……」
メイドさんは感極まったのか言葉を続けられずに両手で顔を覆う。
「いいから、話せ」
真士さんが優しい声音で言葉を促す。
「わ、私たちの目の前で再生をはじめたんです」
震え声でメイドさんは答える。
「まるで時間が遡るように、私たちの見ている目の前で元の書籍やファイルへと戻っていったんです!」
メイドさんの言葉の意味がボクには理解できなかったけど、サイトさんと真士さんは互いにうなづきながら
「時間差の修復魔法と考えていいだろう」
「たしかにあいつが、いわれたからって無意味な破壊工作に精を出すとは思えない」
「ただその場で再生をはじめれば怪しむものがいるしそれが真駆に伝わるのを避けたんだろう」
サイトさんの声に応える真士さん。
「でも館の人間なら遅かれ早かれわかるだろう?」
「この館に真駆の手先はいない、それは主の私が保証する。ただドラグが襲撃した時に、一緒にきていたものがいないという保証はないからな」
「それを避けるための時間差で発動する修復魔法かよ」
真士さんの推測に、苦笑いを浮かべ言葉を吐くサイトさん。
「じゃあドラグさん、本気でこの館を焼こうとは?」
「ああ、面従腹背の典型だな」
思わぬ展開に喜ぶボクにサイトさんが笑顔で応え、
「あいつは素直じゃないからな。助けてくれ、その一言がいえないから、こんな回りくどいことをしたんだろ」
朗らかに笑うサイトさんを見て、心の重荷が少し下りた感じがする。
「でも資料室の方は一切再生しておりません」
事の成行きに勝手にパニクっていたメイドさんが少し不満げに口を挟む。
「それは外部から見えるものだと、真駆の手のものにもわかる危険性を考えたからだろう。資料が再生したというのは、他のものには話すなよ」
「はい」
優しげな声でメイドさんに丁寧に説明する真士さんに、メイドさんも少し頬を赤らめる。
「あと、ミャーミャン・ゲーツのことが書かれた資料を持ってきてくれ」
「かしこまりました」
厳かに応えるとメイドさんはそそくさとその場をあとにする。
「さて、まずはどこから調べるか、だな」
メイドさんの後姿を見送り、真士さんがボクたちに向き直る。
「私としては魔法世界ベール・ガンから始めてもらえれば助かる」
「なんで?」
「現在その世界では勇者候補の魔王退治が発生していてね、うちにもNPCの派遣要請がきている」
「NPCの派遣要請?」
サイトさんの問いに事情を話す真士さん。
その中に出てきた耳慣れない単語にボクは尋ねた。
「真王たちは自分たちが管理する各世界の防衛のためにも勇者の育成をしているのだが、その育成にはどうしても敵や仲間となるNPCの存在は欠かせない」
「ゲームでも出てくるだろ。途中までプレイヤーが操る主人公の仲間として助けてくれたり敵として戦うキャラ」
「はい」
真士さんとサイトさんの説明にボクはうなづく。
「でもそれをその世界だけの住人だけでやるのは多少無理がある。君の世界でも凄腕や達人、超人と呼べるものは稀だろ」
「ええ確かに」
「だからそのNPC要員をリタイアしたり真王の宴に参加しない私のようなものが育て、各真王の元に派遣する。必要とされる勇者の練度に合わせてね」
「じゃあNPCって」
「ガルドの例もあるように、私のようなものの元から派遣されたものも少なくない」
わかりやすい真士さんの言葉に、ボクは初めてNPCという役割がわかったような気がした。
「NPCである以上、勇者を立てるのが役割だし、また育てることも役目の一つ。だから元勇者の俺みたいなものにも声がかかる」
サイトさんがソファーの背もたれにもたれかかり、少し自慢げな表情を浮かべながら言葉をつなぐ。
「とはいえ、君は真姫と真歌のお気に入りときている。そのままでは他の真王の世界に入ることは無理だろう」
「なんで?」
サイトさんの様子に涼しげな声でジャブを放つ真士さんに、思わずサイトさんが身を乗り出し、
「真王は他の真王に警戒の色を示す」
落ち着いた声音で真士さんは、
「真姫も真歌も真王の宴ではあまり目立った存在ではないが、君という伴侶になりうる存在がいるのであれば話は変る。もし真姫か真歌が真王の宴で力を持ち伴侶である君との間に子をもうけようものなら、他の真王にとっては脅威となる」
真士さんの言葉にボクもサイトさんも声を詰まらせる。
「サイトくん、もし君が今のまま他の真王の世界に行こうものなら、門前払いか、最悪君を捕えるか殺して、後々の禍根を断とうというものも出るだろう。それでは人捜しどころではなくなる」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ……」
サイトさんが重々しく口を開く。
「君が真姫か真歌が送りだした二人の寵愛を受けたものならそうなるだろうが、私が派遣したNPCの一人としてなら、派遣先でちゃんと任務をこなしている限り、真王といえど下手に手出しはできない」
少し人の悪そうな顔で真士さんが言葉を続ける。
「そんなことできるんですか?」
ボクも少し興奮して尋ねた。
「私以外にもNPCを派遣しているものがいるとはいえ、優良なNPCを派遣できるものはそれほど多くはないし、そことの関係をわざわざ悪化させたい真王もいない。そういうことだ」
「じゃあ各世界に行くのであれば、NPCの派遣要請に従って行けば大丈夫なんだな?」
「ああ、だから今ちょうど依頼がきているベール・ガンから調査してもらいたいんだ」
穏やかな笑みを浮かべる真士さん。
そこにメイドさんも戻ってきて、修復されている資料を真士さんに手渡し、
「ご苦労様。どれどれ」
労いの声のあとに資料をめくる真士さんに軽く会釈するとその場をあとにする。
「ミャーミャン・ゲーツはベール・ガンでも特に市街地での活動が多かったようだ。現在依頼がきている内容と合致しそうな場所は、と」
真士さんはポケットから黒革の表紙の手帳を出し、資料と照らしあわせると、
「ミセケナ市。ここが一番確率が高い」
「ミセケナってどんな場所だよ?」
聞きなれない名前を口にした真士さんにサイトさんが訪ねる。
「いわゆる近代都市というやつだね。君たちの街と大して変りがないが、あるとすれば魔法使いがいるという点かな」
「現代的な街に魔法使い……」
ボクは頭の中で色々なアニメや漫画、映画なんかを思い浮かべる。どんなのだろう?
「ただ一つ気をつけないといけないのは、この世界での魔法使いと一般人との扱いは酷い。それさえ覚えておけば問題とならないだろう」
「じゃあ、そこに入りこむ手筈はおっさんがつけてくれるんだな」
「ああ、任せろ」
真士さんの説明にサイトさんもビジネスライクな対応をし、今回のNPCとしての任務確認に入る。
「ボクの扱いはどうなるんですか?」
「君はサイトくんの助手ということで一緒に派遣される。あと」
「まだなにかあるのか?」
「現地で真仙の手のものが待っているそうだ」
「真仙って誰ですか?」
真士さんの説明にまた聞きなれない名前がでてきた。
「こいつも真王の一人だ。もっとも今回の真王の宴には私同様参加していない。もう歳だし後継はいるから、あとは自分の世界を守っていきたいそうだ」
「お爺さんなんですか?」
ボクの疑問に真士さんは軽く苦笑し、
「確かに歳だとはいえるが、こいつは外見が異常に若い。むしろ青年ともいえるが、メンタルは年相応の老人だ」
「なんでそんな外見なんだよ?」
「本人いわく趣味だそうだ」
真士さんの事もなげな解答に苦い顔をするサイトさん。
「今はベール・ガンのミセケナ市に行けばいいんだな」
「そういうことだ。服装は君たちのいる世界とほぼ同じだから、いつもの服でも大丈夫だろう。出発は明朝。それまでしっかり休んでくれ」
真士さんの言葉でその場は解散し、ボクたちは夕食のあとそれぞれの部屋で明日の準備をして床に就いた。
少し肌寒さを感じる空気の中、午前の日差しがまだ覚めきらない目にまぶしく差しこんでくる。
『僕たちのいる世界と同じ普通の街ですね』
『あのビルも普通にガラス張りの高層建築だしな』
普通の電車が走るよくあるコンクリート造りの都会の駅に、駅前の樹木とボクたちも座る鉄製のベンチが幾つか、それにバス停と低料金でコーヒーが飲めるチェーン展開しているようなコーヒーショップ。
『異世界なんですか、ここ?』
『俺には別の街にきたという感覚しかしねぇ』
さすがに大声で話すと周りから変な目で見られるので精神感応で会話してはいるものの、あまりの変り映えのなさにボクたちの気が抜ける。
ふとバス停の少し向こうを飛び回る球形の飛行物体が目にとまる。
それが一つこちらの方に飛んでくるので、ボクは軽く凝視してみるが、球体の中央に目にも見えるレンズ状のものと下部に軽い突起状のアンテナが生えている。
「いてっ!」
突然後から声がしたので振り返る。
そこには革製の手持ち鞄を抱えたサラリーマン風のスーツを着た細身の中年男性が地面に倒れ、その姿を見下ろすように仁王立つ大柄でガタイがいい、タンクトップ姿の粗野な感じの若い男性。
「テメェ、どこに目ぇつけてやがる」
鋭い目つきでスーツ男性を睨みつける大柄男。
「そ、そちらが自分からぶつかって」
「ああ!」
「ひっ!」
スーツ男性は声を震わせながら抗議するが、大柄男が声を荒げ威嚇し、
「コイツァ、お仕置きしねぇといけねぇかなぁ」
そういうと指をボキボキと鳴らしスーツ男性に一歩、また一歩にじり寄る。
「ヒ、ヒィ!」
恐怖を感じた男性は手にした鞄から棒状のものをとりだし大柄男に突きだした。
『この人魔法使い?』
ボクはスーツ男性の動きに魔法使いの姿を重ねるが、突如飛行していた球形物体がサイレンを鳴らし、
「一般人への魔法の行使は禁止されています。また威嚇行為も同様に違反行為としてカウントされます」
よく響く音声を発したかと思うと、いつの間にか球形の飛行物体があちらこちらから飛んできて、スーツ男性と大柄男を取り囲む。
「え、違っ!」
事態を目にしていたボクは思わず講義をするためベンチから立ち上がろうとするが、いきなり腕を掴まれ引き戻され、
「黙って見てて」
若い女性の声が耳元で囁いた。
咄嗟に声の方に目を向けると、そこには黒ブチ眼鏡とウェーブのかかった栗色のショートヘアの愛らしい容貌の女性が座っている。
やや垂れた目にはブラウンの瞳が輝き、高くも低くもない形のいい鼻と小ぶりな口元には小さなホクロがある。
あまり大きくも小さくもない背丈に合わせた服はベージュ系でまとめられ、少し肌寒い季節に合わせたようなジャケットとパンツルックだ。
その人が目を合せずに、
「いいから見てて」
そう一言いうと、あえてボクやサイトさんとは目を合せずに、事態の成行きを耳だけで捉えてる。
「なんだぁ! 文句あるのか?」
ボクの予想とは異なり大柄男が声を荒げる。
「あなたは一般人に対して危害を加え、また威嚇行動をした疑いがあります」
「こいつからぶつかってきたし、それに変な武器を出してんだぞ!」
「他のマジカメラにより、よそ見したあなたからぶつかったのは確認済みです。また被害者のとりだしたものは武器ではなく、スティック菓子です」
マジカメラと自らを呼ぶ球形物体が事態の推移と現状を冷静に説明するのに対して、
「ケッ!」
大柄男が悪態をつきながら、口の中でなにか呟きはじめる。
『これは……呪文?』
呟きが終ると大柄男の両腕が大きく膨張しはじめ巨大な拳へと変化する!
『変異魔法だと?』
精神感応でつながったサイトさんの声が聞こえる。
『この人が魔法使い?』
『思ってたのと違う!』
ボクたちの驚きをよそに、巨大腕を振り回しながら今にも暴れ出しそうな大柄男の周りをマジカメラの群れが取り囲み、
「被疑者に抵抗の意志あり。これより強制連行行動に移ります。周囲の皆さまは警戒ラインより外にお下がりください」
そういうと周囲に青い光が発せられ、大柄男を取り囲む結界とも呼べる青い空間が作り出され、またその周囲の地面には、まるで駅のホームにあるようなラインが青い輝きを放ち浮き上がる。
「待てよ、俺の言い分も聞けよ! お、お願いだよ!」
今までの威勢はどこへやら、大柄男は懇願するような情けない声でマジカメラの群れに声を上げるが、
「あなたの言い分は署で伺います」
マジカメラが一言告げると、結界に囲まれた大柄男は姿を消し、辺りには平穏が戻る。
『でも、なんで周りはなんで驚かないんだ?』
明らかに異常事態が目の前で展開しているというのに、駅から出てくる人向かう人が、一向にこの騒動に注目していない。
中にはチラ見した人もいたけど、まるでいつもの光景を目にするように、すぐに視線を戻してその場を去っていく。
「なんでみんな気にしてないのか知りたい?」
先ほどボクの腕を掴んだ眼鏡女子が愛らしい声で囁く。
「ええ」
「なんでだよ?」
ボクもサイトさんも小さな声で尋ねる。
「この世界には魔法使い行使条例というのがあるの。魔法使いに対しての権利と罰則、雇用や福祉などが書かれた法律ね」
少しボクたちに流した視線を送りながら眼鏡女子は続ける。
「要は魔法使いは特殊な力の持ち主だから、力の暴走を戒めながら一般人を法律で保護しつつ、魔法使いの権利も守るというものね」
「でもさっきの人は?」
「あれはれっきとした魔法使いのスタイルの典型。魔法はなんで使えるかわかる?」
眼鏡女子の問いかけにボクは少し考え、
「知識と魔力、ですか?」
自信なさ気にボクは答えるものの、
「ブー! 不正解。この世界では知識と気力、そして体力。呪文を覚えるには知識は必要だけど、発動させるには気力が大事、そしてその気力を養い維持するには体力が必須!」
「じゃあ他にもあんなガタイの奴らが」
サイトさんが少しうんざり気味に尋ねると、
「そう、それがこの世界の魔法使いの基本体型! 体力・イズ・パワー! パワー・イズ・マッスル! 筋肉はすべてを解決する!」
眼鏡女子がハイテンションで応えるが、その声に周りの視線が集まる。
しかし眼鏡女子はそれに臆さず、愛らしい笑みを浮かべて視線を向けた人たちに手を振るから、周りもなにか気まずそうにそそくさとその場をあとにする。
「……いい度胸してますね」
「愛嬌って呼んで☆」
あまりの恥ずかしさに顔を伏せて呟いたボクの嫌味に眼鏡女子が茶目っ気たっぷりで応える。
『なんなんだこの人』
そんなボクたちをよそに眼鏡女子は少し興奮気味に、
「見て、あの二人。あそこのとアレ!」
少し顎をしゃくりながら指し示す二人の人物にボクは目を走らせる。
一人は先ほどの大柄男同様ガタイがよく小柄でガチムチ体型の中年男性で、もう一人は通りをガチムチ男に向って歩いている、これもガッシリとした短髪黒髪の中年スーツ男性。
同じ通りを歩きぶつかりそうになる二人だが、ふと歩みを止め、互いを凝視する。
見つめあう瞳と瞳、熱く沸き立つ熱気!
オーラとも呼べるものに誘われたのか、周りからどこからともなくマジカメラの群れが、二人を取り囲むように集まりはじめる。
「まずいですよ……」
ボクが先ほどの事態のようになるのを恐れ声に出すが、
「面白いから見てて」
眼鏡女子が楽しげに呟く。
その声が届いたのか、マジカメラがサイレンを鳴らし、
「魔法使い同士の合意により、これよりマジファイトを開催します。付近を移動中の皆さまには大変ご迷惑をおかけいたしますが、お時間のある方はマジビジョンにて観戦いただけます。くれぐれも結界内には踏みこまないようお願いたします」
すると先ほどと同じ青い結界がマジカメラから発せられ、二人を取り囲むように青い空間が形成される。
結界ができると二人をとりこんだまま空中へと浮かび上がり、そして結界の周囲に幾つものモニター画面、たぶんマジビジョンが浮かび上がる。
「なんだ、これ?」
サイトさんが素っ頓狂な声を上げる。
その間も結界内では魔法使いと呼ばれた二人の男たちが呪文を唱え、ガチムチ男が光線を放つと、それを短髪黒髪が体を金属状にして弾いた上で凄い勢いで殴りかかる。その勢いに吹き飛ばされるガチムチ男。
「魔法?」
ボクも声を上げる。
確かにマンガやアニメでガタイのいい特殊能力使いは色々見てきたし、サイトさんみたいな例もある。
とはいえ、実際戦っている姿が肉弾戦だ、接近戦だとなると多少……
「魔法も気力により発動されるから、その気力のために体力をつける。で、体力つけるには筋トレとか運動よね、というわけで、皆さん健全系ガチムチ魔法使いになる人が多くって」
眼鏡女子が説明している最中も激しい戦いは続き、体を金属状に硬化されるのをやめた短髪黒髪が、両腕に炎をまとわせ凄まじい勢いのラッシュをガチムチ男にしかける。
だがガチムチ男もやられっぱなしではなく、自らの体内から激しい電撃を放ち、短髪黒髪の接近を阻止する。
「……魔法……?」
サイトさんも疑問の声を上げる。
確かにやってることは魔法だけど、なんか、思ってたのと違う!
「なんであいつら距離とらないで殴り合いしてんだ?」
「そりゃぁ、距離が離れたらその分気力も使うからでしょ。近ければコストも少ないし」
サイトさんの問いに眼鏡女子が軽やかに答える。
「魔法は撃たないのか?」
「撃つより拳にまとわせて殴れば結果は同じでしょ」
「どっかのマンガに出てくる連中と同じステゴロメンタルかよ」
目の前で展開される魔法合戦という名の実質ドツキあいを見ながら、サイトさんが呆れたような声を上げる。
「それに長距離魔法を撃てば、誤射とかで一般人にも被害が出るし、自分にまとわせて殴ったり防御すればそれだけ周りの被害も少ないでしょ。なんて合理的!」
ウキウキした様子で饒舌に話す眼鏡女子の説明をうわの空で聞きながら、ボクたちは二人の魔法使いの戦いを注視する。
ガチムチ男は回復魔法をかけつつ防御するが、短髪黒髪が魔法剣のような光の剣を作り出し斬りつけるので回復が追いつかない。
周囲のマジビジョンを取り囲む群衆が湧き立つ!
「一般人にとっては突如はじまるマジファイトはいい娯楽になってるの。中には賭けてる人もいるって噂だけど」
「そんなことやっていいのかよ?」
「行政が一切関与しないギャンブルなんて知ったことじゃないし、八百長やろうものなら、その魔法使いの明日に保証もないから無問題!」
物騒なことなのにニコニコしながら説明する眼鏡女子に、ボクは一抹の不安を感じる。
『この人なんなんだ?』
そんなことを思っていると、
「マジファイト、ゲームセット!」
魔法使いの戦いを映しだしていたマジビションからファンファーレのような音楽と声が流れ、戦いの結果が映し出される。
やっぱり勝ったのは短髪黒髪の方で、ガチムチ男は白目をむいたまま倒れてピクリともしない。
「あれ、大丈夫なのか? 生きてるのか?」
サイトさんが不安げな声で眼鏡女子に尋ねるも、
「世の中には蘇生魔法ってあるから、ケアもバッチリ☆」
営業スマイルの眼鏡女子にゲンナリするサイトさん。
戦いが終わり、マジカメラによる結界が解かれると、勝者となった短髪黒髪にギャラリーの何人かが拍手を送り、他の人たちは口々に戦いの感想を口にしながらその場を去る。
短髪黒髪も服や髪を整え、なにごともなかったように自分の生活へと戻った。
一方地面に転がるガチムチ男は息をしていないものの、すぐに救護班らしきものが駆けつけ、なにか呪文を唱えるとガチムチ男は起き上がり、申し訳なさそうに救護班に頭を下げるとまるで修行が足りん、とでもいう表情と決意を浮かべ、そちらも自分の生活に戻っていく。
その光景はどう見てもなにかボコリあうゲームでよく見る景色にも似ているようないないような……
「どう、たとえ倒れても魔法で蘇生させられて、負けた自らを省みて、己が高みを目指しながら体と魔法を鍛える! これこそまさに魔法世界☆」
「武器じゃなく魔法使ってボコりあうだけのヴァルハラだろ、ここ」
眼鏡女子がうっとりするような表情で惚れ惚れと世界説明するのにツッコミを入れるサイトさん。
「もう、そんなこというと真仙様のところに案内しませんよ!」
眼鏡女子の言葉に突如として現れた真仙の名前。
「あの、その人って……」
「真仙っていったよな?」
ボクとサイトさんの問いに楽しげな笑みを浮かべながら、
「うん、真王の一人、真仙様。真士様よりNPCとして派遣されたお二人をお待ちですよ」
その言葉にボクたちは言葉を失う。この子、一体誰なんだ?
「あ、申し遅れました。アタシ、カグラと申します。お二人よりも少し前にここにきて、今は真仙様のお手伝いとしてNPCをやらせていただいています」
カグラと名乗った眼鏡女子はペコリと頭を下げると、すぐに愛らしい笑みを浮かべる。
「真仙様はこのビルの3階にいます。ご案内しますね☆」
カグラちゃんに連れられてやってきた古そうな雑居ビルのエレベーターにボクたちは乗る。
果たしてそこにいる真仙とはどんな人なんだろう?
日は高く澄み渡る青空が空一面に広がっていたけど、談話室の重厚なテーブルを挟んでソファーに座る、ボク如月マトと元勇者の神屋サイトさん、そして資料室を有する館の主でもある真王の一人、真士さんの心はどうにも晴れることのない鬱屈とした気持ちで塞ぎこんでいた。
『空気が……重い』
ボクは心の中で独りごちる。
それもそうだ。
ドラグさんに襲われた資料室には、真王の一人ではあるが明らかに真王の宴のルールとは逸脱した行動を見せはじめた真駆を止めるための手がかりがあったから。
「で、どうやって真駆の親父さんを探すんだ?」
「うむ……」
サイトさんの問いに答えを返せない真士さん。
「それよりもドラグさんに返り討ちにあった人たちは大丈夫なんですか?」
あの惨状を思い返しボクは尋ねた。
「中には重傷のものもいたが、案ずるな。私の育てたものたちは伊達ではない」
真士さんが穏やかな笑顔を浮かべ言葉を返す。
資料室へと進撃するドラグさんを撃退するための戦ったであろう館で訓練する候補生の人たちが、倒れ呻き声を上げている光景をボクは思い返す。
あの人数を容易く撃退し、しかもまともな傷すら負わないドラグさんの力。
しかもそれまで真駆に酷使され、かなりの疲労が溜まり満身創痍であろう状態なのに。
炎を背景に闇に包まれたドラグさんの姿を。
「あいつ、もしかして日頃の鬱憤晴らしに迎撃に出た候補生連中をボコってたんじゃないだろうな?」
「へ?」
サイトさんの呟きに声が出るボク。
「だってあいつかなり真駆にこき使われてたから、相当鬱憤が溜まってたんじゃないかと。だから任務がてら妨害があればそこらを破壊して鬱憤を晴らしてたんじゃないかな、と」
サイトさん、涼しげな顔で無礼なことをいうな。
「ドラグさんはそんな人じゃないですよ! あの人はもっと創造性に満ちていて、破壊するような方面の力はですね」
「マト、お前あいつに随分と肩入れするのな?」
ドラグさんを擁護するボクの言葉に返すサイトさん。
「俺だってあいつがあそこまでのことをする奴だとは思ってないけど、どうにも迎撃に出た連中のやられっぷりが、本気でボコられた感じもしないしな」
サイトさんの言葉に息が止まる。
そうだ、元魔王のドラグさんが迎撃に出た人たちを本気で撃退すれば重傷なんてものではすまないはず。
それに資料室も軽い爆発と火を放って終わるなんてことは……
「じゃあドラグさんはあくまで真駆にいわれたことをやっただけで、本気でどうこうしたいというわけじゃ」
「そう考えるのが妥当かもしれないね」
思わず出たボクの言葉に真士さんもうなずき、
「もし元勇者候補で魔王になるほどの実力者なら、この館の候補生たちでは消し炭か消滅でもおかしくない。それがあの程度の怪我とは不自然だとは思ったが」
「だってあのドラグの怒りようは、いつもの優男然としたあいつからは考えられないし、それにあのドス黒い怨嗟に満ち溢れた言葉、マトも聞いたろ?」
真士さんに続いたサイトさんの言葉に、ボクはドラグさんとの別れの場面を思い返す。
あの優しい笑顔を浮かべていた、たとえ真歌に想いを抱きながらも裏切られ捨てられ、でも想いを断ちきれず、かといって捨てられた恨みも捨てきれない複雑な笑顔を浮かべていたドラグさんとは思えない、ただに憎しみに満たされ捨て鉢とも狂気ともとれる笑顔を浮かべたドラグさんを。
「確かあいつ、資料室は焼いた、とはいってたよな」
「ええ、そういってましたね」
「でも焼いたのが資料室だけで、肝心の資料は手つかずとか別の意味で保護してたんなら?」
静かに話すサイトさんを受け、真士さんに思い当たるところがあったのか手を叩く。
昨夜ボクたちをもてなしてくれたメイドさんがその音にすかさず現れると、真士さんは、
「資料室の被害をまとめてくれ。大至急だ」
言葉短かに指示すると、メイドさんは軽く会釈し、その場から退出した。
「もしそうなら状況は少し変わるな。確かに真駆の父親であるミャーミャンにつながる詳細な資料はないとはいえ、もしなんらかの形で確保しているというのなら、そやつを捕まえるか説得して返してもらえば話は変わる」
「ただドラグを捕えるのは倒すよりもきついと思う」
真士さんの提案にサイトさんが声を落として応える。
何度も剣を交えてきたから断言できるサイトさんの言葉は重く、皆口を閉ざした。
思い空気がしばし漂うが、先ほどのメイドさんが足早に戻ってき、
「お館様、火災の被害程度が判明しました」
「ご苦労様。それで状況は?」
メイドさんを労う真士さんに、メイドさんはやや顔を曇らせ、
「それが、少し奇妙な……」
どうにも要領を得ない様子。
「いいから話せ」
「はい。結論から言うと被害はほぼ0です」
「は?」
メイドさんの言葉にボクたちは間の抜けた声を上げる。
「ですから被害はほぼ0です」
メイドさんが念を押すように被害を報告をする。
「いやだって、あんなに燃えてたんだぞ! 俺だってマトだってそれを見てるのにそんなはずないだろ!」
さすがにサイトさんが状況を飲みこめずに声を張り上げるが、メイドさんは自分でも信じられないという表情を浮かべながら、
「はい、確かに燃えていました。ですから私たちはその燃えカスなどを収集し片付けようとしていたのですが、私たちの見ている目の前で、その燃えカスが……」
メイドさんは恐怖とも驚愕ともつかない表情を浮かべ、震えた声で、
「私たちの目の前で蠢きはじめ、そして……」
メイドさんは感極まったのか言葉を続けられずに両手で顔を覆う。
「いいから、話せ」
真士さんが優しい声音で言葉を促す。
「わ、私たちの目の前で再生をはじめたんです」
震え声でメイドさんは答える。
「まるで時間が遡るように、私たちの見ている目の前で元の書籍やファイルへと戻っていったんです!」
メイドさんの言葉の意味がボクには理解できなかったけど、サイトさんと真士さんは互いにうなづきながら
「時間差の修復魔法と考えていいだろう」
「たしかにあいつが、いわれたからって無意味な破壊工作に精を出すとは思えない」
「ただその場で再生をはじめれば怪しむものがいるしそれが真駆に伝わるのを避けたんだろう」
サイトさんの声に応える真士さん。
「でも館の人間なら遅かれ早かれわかるだろう?」
「この館に真駆の手先はいない、それは主の私が保証する。ただドラグが襲撃した時に、一緒にきていたものがいないという保証はないからな」
「それを避けるための時間差で発動する修復魔法かよ」
真士さんの推測に、苦笑いを浮かべ言葉を吐くサイトさん。
「じゃあドラグさん、本気でこの館を焼こうとは?」
「ああ、面従腹背の典型だな」
思わぬ展開に喜ぶボクにサイトさんが笑顔で応え、
「あいつは素直じゃないからな。助けてくれ、その一言がいえないから、こんな回りくどいことをしたんだろ」
朗らかに笑うサイトさんを見て、心の重荷が少し下りた感じがする。
「でも資料室の方は一切再生しておりません」
事の成行きに勝手にパニクっていたメイドさんが少し不満げに口を挟む。
「それは外部から見えるものだと、真駆の手のものにもわかる危険性を考えたからだろう。資料が再生したというのは、他のものには話すなよ」
「はい」
優しげな声でメイドさんに丁寧に説明する真士さんに、メイドさんも少し頬を赤らめる。
「あと、ミャーミャン・ゲーツのことが書かれた資料を持ってきてくれ」
「かしこまりました」
厳かに応えるとメイドさんはそそくさとその場をあとにする。
「さて、まずはどこから調べるか、だな」
メイドさんの後姿を見送り、真士さんがボクたちに向き直る。
「私としては魔法世界ベール・ガンから始めてもらえれば助かる」
「なんで?」
「現在その世界では勇者候補の魔王退治が発生していてね、うちにもNPCの派遣要請がきている」
「NPCの派遣要請?」
サイトさんの問いに事情を話す真士さん。
その中に出てきた耳慣れない単語にボクは尋ねた。
「真王たちは自分たちが管理する各世界の防衛のためにも勇者の育成をしているのだが、その育成にはどうしても敵や仲間となるNPCの存在は欠かせない」
「ゲームでも出てくるだろ。途中までプレイヤーが操る主人公の仲間として助けてくれたり敵として戦うキャラ」
「はい」
真士さんとサイトさんの説明にボクはうなづく。
「でもそれをその世界だけの住人だけでやるのは多少無理がある。君の世界でも凄腕や達人、超人と呼べるものは稀だろ」
「ええ確かに」
「だからそのNPC要員をリタイアしたり真王の宴に参加しない私のようなものが育て、各真王の元に派遣する。必要とされる勇者の練度に合わせてね」
「じゃあNPCって」
「ガルドの例もあるように、私のようなものの元から派遣されたものも少なくない」
わかりやすい真士さんの言葉に、ボクは初めてNPCという役割がわかったような気がした。
「NPCである以上、勇者を立てるのが役割だし、また育てることも役目の一つ。だから元勇者の俺みたいなものにも声がかかる」
サイトさんがソファーの背もたれにもたれかかり、少し自慢げな表情を浮かべながら言葉をつなぐ。
「とはいえ、君は真姫と真歌のお気に入りときている。そのままでは他の真王の世界に入ることは無理だろう」
「なんで?」
サイトさんの様子に涼しげな声でジャブを放つ真士さんに、思わずサイトさんが身を乗り出し、
「真王は他の真王に警戒の色を示す」
落ち着いた声音で真士さんは、
「真姫も真歌も真王の宴ではあまり目立った存在ではないが、君という伴侶になりうる存在がいるのであれば話は変る。もし真姫か真歌が真王の宴で力を持ち伴侶である君との間に子をもうけようものなら、他の真王にとっては脅威となる」
真士さんの言葉にボクもサイトさんも声を詰まらせる。
「サイトくん、もし君が今のまま他の真王の世界に行こうものなら、門前払いか、最悪君を捕えるか殺して、後々の禍根を断とうというものも出るだろう。それでは人捜しどころではなくなる」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ……」
サイトさんが重々しく口を開く。
「君が真姫か真歌が送りだした二人の寵愛を受けたものならそうなるだろうが、私が派遣したNPCの一人としてなら、派遣先でちゃんと任務をこなしている限り、真王といえど下手に手出しはできない」
少し人の悪そうな顔で真士さんが言葉を続ける。
「そんなことできるんですか?」
ボクも少し興奮して尋ねた。
「私以外にもNPCを派遣しているものがいるとはいえ、優良なNPCを派遣できるものはそれほど多くはないし、そことの関係をわざわざ悪化させたい真王もいない。そういうことだ」
「じゃあ各世界に行くのであれば、NPCの派遣要請に従って行けば大丈夫なんだな?」
「ああ、だから今ちょうど依頼がきているベール・ガンから調査してもらいたいんだ」
穏やかな笑みを浮かべる真士さん。
そこにメイドさんも戻ってきて、修復されている資料を真士さんに手渡し、
「ご苦労様。どれどれ」
労いの声のあとに資料をめくる真士さんに軽く会釈するとその場をあとにする。
「ミャーミャン・ゲーツはベール・ガンでも特に市街地での活動が多かったようだ。現在依頼がきている内容と合致しそうな場所は、と」
真士さんはポケットから黒革の表紙の手帳を出し、資料と照らしあわせると、
「ミセケナ市。ここが一番確率が高い」
「ミセケナってどんな場所だよ?」
聞きなれない名前を口にした真士さんにサイトさんが訪ねる。
「いわゆる近代都市というやつだね。君たちの街と大して変りがないが、あるとすれば魔法使いがいるという点かな」
「現代的な街に魔法使い……」
ボクは頭の中で色々なアニメや漫画、映画なんかを思い浮かべる。どんなのだろう?
「ただ一つ気をつけないといけないのは、この世界での魔法使いと一般人との扱いは酷い。それさえ覚えておけば問題とならないだろう」
「じゃあ、そこに入りこむ手筈はおっさんがつけてくれるんだな」
「ああ、任せろ」
真士さんの説明にサイトさんもビジネスライクな対応をし、今回のNPCとしての任務確認に入る。
「ボクの扱いはどうなるんですか?」
「君はサイトくんの助手ということで一緒に派遣される。あと」
「まだなにかあるのか?」
「現地で真仙の手のものが待っているそうだ」
「真仙って誰ですか?」
真士さんの説明にまた聞きなれない名前がでてきた。
「こいつも真王の一人だ。もっとも今回の真王の宴には私同様参加していない。もう歳だし後継はいるから、あとは自分の世界を守っていきたいそうだ」
「お爺さんなんですか?」
ボクの疑問に真士さんは軽く苦笑し、
「確かに歳だとはいえるが、こいつは外見が異常に若い。むしろ青年ともいえるが、メンタルは年相応の老人だ」
「なんでそんな外見なんだよ?」
「本人いわく趣味だそうだ」
真士さんの事もなげな解答に苦い顔をするサイトさん。
「今はベール・ガンのミセケナ市に行けばいいんだな」
「そういうことだ。服装は君たちのいる世界とほぼ同じだから、いつもの服でも大丈夫だろう。出発は明朝。それまでしっかり休んでくれ」
真士さんの言葉でその場は解散し、ボクたちは夕食のあとそれぞれの部屋で明日の準備をして床に就いた。
少し肌寒さを感じる空気の中、午前の日差しがまだ覚めきらない目にまぶしく差しこんでくる。
『僕たちのいる世界と同じ普通の街ですね』
『あのビルも普通にガラス張りの高層建築だしな』
普通の電車が走るよくあるコンクリート造りの都会の駅に、駅前の樹木とボクたちも座る鉄製のベンチが幾つか、それにバス停と低料金でコーヒーが飲めるチェーン展開しているようなコーヒーショップ。
『異世界なんですか、ここ?』
『俺には別の街にきたという感覚しかしねぇ』
さすがに大声で話すと周りから変な目で見られるので精神感応で会話してはいるものの、あまりの変り映えのなさにボクたちの気が抜ける。
ふとバス停の少し向こうを飛び回る球形の飛行物体が目にとまる。
それが一つこちらの方に飛んでくるので、ボクは軽く凝視してみるが、球体の中央に目にも見えるレンズ状のものと下部に軽い突起状のアンテナが生えている。
「いてっ!」
突然後から声がしたので振り返る。
そこには革製の手持ち鞄を抱えたサラリーマン風のスーツを着た細身の中年男性が地面に倒れ、その姿を見下ろすように仁王立つ大柄でガタイがいい、タンクトップ姿の粗野な感じの若い男性。
「テメェ、どこに目ぇつけてやがる」
鋭い目つきでスーツ男性を睨みつける大柄男。
「そ、そちらが自分からぶつかって」
「ああ!」
「ひっ!」
スーツ男性は声を震わせながら抗議するが、大柄男が声を荒げ威嚇し、
「コイツァ、お仕置きしねぇといけねぇかなぁ」
そういうと指をボキボキと鳴らしスーツ男性に一歩、また一歩にじり寄る。
「ヒ、ヒィ!」
恐怖を感じた男性は手にした鞄から棒状のものをとりだし大柄男に突きだした。
『この人魔法使い?』
ボクはスーツ男性の動きに魔法使いの姿を重ねるが、突如飛行していた球形物体がサイレンを鳴らし、
「一般人への魔法の行使は禁止されています。また威嚇行為も同様に違反行為としてカウントされます」
よく響く音声を発したかと思うと、いつの間にか球形の飛行物体があちらこちらから飛んできて、スーツ男性と大柄男を取り囲む。
「え、違っ!」
事態を目にしていたボクは思わず講義をするためベンチから立ち上がろうとするが、いきなり腕を掴まれ引き戻され、
「黙って見てて」
若い女性の声が耳元で囁いた。
咄嗟に声の方に目を向けると、そこには黒ブチ眼鏡とウェーブのかかった栗色のショートヘアの愛らしい容貌の女性が座っている。
やや垂れた目にはブラウンの瞳が輝き、高くも低くもない形のいい鼻と小ぶりな口元には小さなホクロがある。
あまり大きくも小さくもない背丈に合わせた服はベージュ系でまとめられ、少し肌寒い季節に合わせたようなジャケットとパンツルックだ。
その人が目を合せずに、
「いいから見てて」
そう一言いうと、あえてボクやサイトさんとは目を合せずに、事態の成行きを耳だけで捉えてる。
「なんだぁ! 文句あるのか?」
ボクの予想とは異なり大柄男が声を荒げる。
「あなたは一般人に対して危害を加え、また威嚇行動をした疑いがあります」
「こいつからぶつかってきたし、それに変な武器を出してんだぞ!」
「他のマジカメラにより、よそ見したあなたからぶつかったのは確認済みです。また被害者のとりだしたものは武器ではなく、スティック菓子です」
マジカメラと自らを呼ぶ球形物体が事態の推移と現状を冷静に説明するのに対して、
「ケッ!」
大柄男が悪態をつきながら、口の中でなにか呟きはじめる。
『これは……呪文?』
呟きが終ると大柄男の両腕が大きく膨張しはじめ巨大な拳へと変化する!
『変異魔法だと?』
精神感応でつながったサイトさんの声が聞こえる。
『この人が魔法使い?』
『思ってたのと違う!』
ボクたちの驚きをよそに、巨大腕を振り回しながら今にも暴れ出しそうな大柄男の周りをマジカメラの群れが取り囲み、
「被疑者に抵抗の意志あり。これより強制連行行動に移ります。周囲の皆さまは警戒ラインより外にお下がりください」
そういうと周囲に青い光が発せられ、大柄男を取り囲む結界とも呼べる青い空間が作り出され、またその周囲の地面には、まるで駅のホームにあるようなラインが青い輝きを放ち浮き上がる。
「待てよ、俺の言い分も聞けよ! お、お願いだよ!」
今までの威勢はどこへやら、大柄男は懇願するような情けない声でマジカメラの群れに声を上げるが、
「あなたの言い分は署で伺います」
マジカメラが一言告げると、結界に囲まれた大柄男は姿を消し、辺りには平穏が戻る。
『でも、なんで周りはなんで驚かないんだ?』
明らかに異常事態が目の前で展開しているというのに、駅から出てくる人向かう人が、一向にこの騒動に注目していない。
中にはチラ見した人もいたけど、まるでいつもの光景を目にするように、すぐに視線を戻してその場を去っていく。
「なんでみんな気にしてないのか知りたい?」
先ほどボクの腕を掴んだ眼鏡女子が愛らしい声で囁く。
「ええ」
「なんでだよ?」
ボクもサイトさんも小さな声で尋ねる。
「この世界には魔法使い行使条例というのがあるの。魔法使いに対しての権利と罰則、雇用や福祉などが書かれた法律ね」
少しボクたちに流した視線を送りながら眼鏡女子は続ける。
「要は魔法使いは特殊な力の持ち主だから、力の暴走を戒めながら一般人を法律で保護しつつ、魔法使いの権利も守るというものね」
「でもさっきの人は?」
「あれはれっきとした魔法使いのスタイルの典型。魔法はなんで使えるかわかる?」
眼鏡女子の問いかけにボクは少し考え、
「知識と魔力、ですか?」
自信なさ気にボクは答えるものの、
「ブー! 不正解。この世界では知識と気力、そして体力。呪文を覚えるには知識は必要だけど、発動させるには気力が大事、そしてその気力を養い維持するには体力が必須!」
「じゃあ他にもあんなガタイの奴らが」
サイトさんが少しうんざり気味に尋ねると、
「そう、それがこの世界の魔法使いの基本体型! 体力・イズ・パワー! パワー・イズ・マッスル! 筋肉はすべてを解決する!」
眼鏡女子がハイテンションで応えるが、その声に周りの視線が集まる。
しかし眼鏡女子はそれに臆さず、愛らしい笑みを浮かべて視線を向けた人たちに手を振るから、周りもなにか気まずそうにそそくさとその場をあとにする。
「……いい度胸してますね」
「愛嬌って呼んで☆」
あまりの恥ずかしさに顔を伏せて呟いたボクの嫌味に眼鏡女子が茶目っ気たっぷりで応える。
『なんなんだこの人』
そんなボクたちをよそに眼鏡女子は少し興奮気味に、
「見て、あの二人。あそこのとアレ!」
少し顎をしゃくりながら指し示す二人の人物にボクは目を走らせる。
一人は先ほどの大柄男同様ガタイがよく小柄でガチムチ体型の中年男性で、もう一人は通りをガチムチ男に向って歩いている、これもガッシリとした短髪黒髪の中年スーツ男性。
同じ通りを歩きぶつかりそうになる二人だが、ふと歩みを止め、互いを凝視する。
見つめあう瞳と瞳、熱く沸き立つ熱気!
オーラとも呼べるものに誘われたのか、周りからどこからともなくマジカメラの群れが、二人を取り囲むように集まりはじめる。
「まずいですよ……」
ボクが先ほどの事態のようになるのを恐れ声に出すが、
「面白いから見てて」
眼鏡女子が楽しげに呟く。
その声が届いたのか、マジカメラがサイレンを鳴らし、
「魔法使い同士の合意により、これよりマジファイトを開催します。付近を移動中の皆さまには大変ご迷惑をおかけいたしますが、お時間のある方はマジビジョンにて観戦いただけます。くれぐれも結界内には踏みこまないようお願いたします」
すると先ほどと同じ青い結界がマジカメラから発せられ、二人を取り囲むように青い空間が形成される。
結界ができると二人をとりこんだまま空中へと浮かび上がり、そして結界の周囲に幾つものモニター画面、たぶんマジビジョンが浮かび上がる。
「なんだ、これ?」
サイトさんが素っ頓狂な声を上げる。
その間も結界内では魔法使いと呼ばれた二人の男たちが呪文を唱え、ガチムチ男が光線を放つと、それを短髪黒髪が体を金属状にして弾いた上で凄い勢いで殴りかかる。その勢いに吹き飛ばされるガチムチ男。
「魔法?」
ボクも声を上げる。
確かにマンガやアニメでガタイのいい特殊能力使いは色々見てきたし、サイトさんみたいな例もある。
とはいえ、実際戦っている姿が肉弾戦だ、接近戦だとなると多少……
「魔法も気力により発動されるから、その気力のために体力をつける。で、体力つけるには筋トレとか運動よね、というわけで、皆さん健全系ガチムチ魔法使いになる人が多くって」
眼鏡女子が説明している最中も激しい戦いは続き、体を金属状に硬化されるのをやめた短髪黒髪が、両腕に炎をまとわせ凄まじい勢いのラッシュをガチムチ男にしかける。
だがガチムチ男もやられっぱなしではなく、自らの体内から激しい電撃を放ち、短髪黒髪の接近を阻止する。
「……魔法……?」
サイトさんも疑問の声を上げる。
確かにやってることは魔法だけど、なんか、思ってたのと違う!
「なんであいつら距離とらないで殴り合いしてんだ?」
「そりゃぁ、距離が離れたらその分気力も使うからでしょ。近ければコストも少ないし」
サイトさんの問いに眼鏡女子が軽やかに答える。
「魔法は撃たないのか?」
「撃つより拳にまとわせて殴れば結果は同じでしょ」
「どっかのマンガに出てくる連中と同じステゴロメンタルかよ」
目の前で展開される魔法合戦という名の実質ドツキあいを見ながら、サイトさんが呆れたような声を上げる。
「それに長距離魔法を撃てば、誤射とかで一般人にも被害が出るし、自分にまとわせて殴ったり防御すればそれだけ周りの被害も少ないでしょ。なんて合理的!」
ウキウキした様子で饒舌に話す眼鏡女子の説明をうわの空で聞きながら、ボクたちは二人の魔法使いの戦いを注視する。
ガチムチ男は回復魔法をかけつつ防御するが、短髪黒髪が魔法剣のような光の剣を作り出し斬りつけるので回復が追いつかない。
周囲のマジビジョンを取り囲む群衆が湧き立つ!
「一般人にとっては突如はじまるマジファイトはいい娯楽になってるの。中には賭けてる人もいるって噂だけど」
「そんなことやっていいのかよ?」
「行政が一切関与しないギャンブルなんて知ったことじゃないし、八百長やろうものなら、その魔法使いの明日に保証もないから無問題!」
物騒なことなのにニコニコしながら説明する眼鏡女子に、ボクは一抹の不安を感じる。
『この人なんなんだ?』
そんなことを思っていると、
「マジファイト、ゲームセット!」
魔法使いの戦いを映しだしていたマジビションからファンファーレのような音楽と声が流れ、戦いの結果が映し出される。
やっぱり勝ったのは短髪黒髪の方で、ガチムチ男は白目をむいたまま倒れてピクリともしない。
「あれ、大丈夫なのか? 生きてるのか?」
サイトさんが不安げな声で眼鏡女子に尋ねるも、
「世の中には蘇生魔法ってあるから、ケアもバッチリ☆」
営業スマイルの眼鏡女子にゲンナリするサイトさん。
戦いが終わり、マジカメラによる結界が解かれると、勝者となった短髪黒髪にギャラリーの何人かが拍手を送り、他の人たちは口々に戦いの感想を口にしながらその場を去る。
短髪黒髪も服や髪を整え、なにごともなかったように自分の生活へと戻った。
一方地面に転がるガチムチ男は息をしていないものの、すぐに救護班らしきものが駆けつけ、なにか呪文を唱えるとガチムチ男は起き上がり、申し訳なさそうに救護班に頭を下げるとまるで修行が足りん、とでもいう表情と決意を浮かべ、そちらも自分の生活に戻っていく。
その光景はどう見てもなにかボコリあうゲームでよく見る景色にも似ているようないないような……
「どう、たとえ倒れても魔法で蘇生させられて、負けた自らを省みて、己が高みを目指しながら体と魔法を鍛える! これこそまさに魔法世界☆」
「武器じゃなく魔法使ってボコりあうだけのヴァルハラだろ、ここ」
眼鏡女子がうっとりするような表情で惚れ惚れと世界説明するのにツッコミを入れるサイトさん。
「もう、そんなこというと真仙様のところに案内しませんよ!」
眼鏡女子の言葉に突如として現れた真仙の名前。
「あの、その人って……」
「真仙っていったよな?」
ボクとサイトさんの問いに楽しげな笑みを浮かべながら、
「うん、真王の一人、真仙様。真士様よりNPCとして派遣されたお二人をお待ちですよ」
その言葉にボクたちは言葉を失う。この子、一体誰なんだ?
「あ、申し遅れました。アタシ、カグラと申します。お二人よりも少し前にここにきて、今は真仙様のお手伝いとしてNPCをやらせていただいています」
カグラと名乗った眼鏡女子はペコリと頭を下げると、すぐに愛らしい笑みを浮かべる。
「真仙様はこのビルの3階にいます。ご案内しますね☆」
カグラちゃんに連れられてやってきた古そうな雑居ビルのエレベーターにボクたちは乗る。
果たしてそこにいる真仙とはどんな人なんだろう?