ソーラス
6/14(木)渋谷クラブクアトロ
ゲスト:ロンサム・ストリングス&中村まり
名古屋公演の様子。全員総立ち!!
可憐なダンス・シスターズ、サラ&クリスティーンも観客を魅了!!
サイン会も長蛇の列です。
来日中のソーラス、昨日大阪、本日名古屋を終え、明日東京に戻ります。
ソーラスは現在「シャムロック・シティ」というプロジェクトに取り組んでいます。
アイルランド移民をルーツに持つ彼ら。今回の企画では、シェイマスの父親の曾叔父にあたるマイケル・コンウェイという人が、1910年にアイルランドからアメリカに渡り、モンタナ州のビュートという鉱山で働き、亡くなった・・・というエピソードから、アイリッシュ移民の足跡をテーマにしたそうです。
下記の映像はDVDの予告編で、ソーラスが実際にビュートまで行き撮影したもの。できあがりが楽しみですね。
Solas - Shamrock City Trailer
ソーラスは会場販売物として、シャムロックシティの限定ミニアルバム、Tシャツ、シルクスクリーン版画(ナンバー入の限定品)を持ってきています。完売必至、ご購入は開場中がおすすめです。ご購入者対象サイン会有り!
<最終公演>
6/14(木)渋谷クラブクアトロ
ソーラス来日公演、初日は山形でした。来日は3回目ですが、東北地方は初めての彼ら。重要文化財でもある大正初期の洋風建築「山形県郷土館 文翔館」では、館内を見学して大喜び。写真もたくさん撮っていました。
会場は、旧県会議事堂ホールでのアコースティックなコンサート(ボーカルだけちょっとマイク)。
リーダーのシェイマス。ギターにバンジョー、フルートと、次々楽器を持ち替えます。
フィドルのウィニーと、アコーディオンのミックは、「sailing back to you」という二人名義のアルバムも持ってきました。会場で限定販売。
ギターのイーモン。
ニーヴはボーカルのほか、ヴィオラも弾きます。
温かくて素敵なコンサートでした。
明日の大阪からは、ステップクルーのタップダンサー、サラ&クリスティーンが合流します。どうなる初共演!?
ソーラス来日公演2012
ゲスト:サラ・ウディン&クリスティーン・カー
6/11(月)18:00開場/19:00開演
梅田クラブクアトロ 06-6311-8111
6/12(火)18:00開場/19:00開演
名古屋クラブクアトロ 052-264-8211
6/14(木)18:00開場/19:00開演
渋谷クラブクアトロ 03-3477-8750
ご来場をお待ちしております!
おまけ:PAのレイモンド。この日はPAナシのため東京に残って観光という選択があったにも関わらず一緒に山形へ。メンバーの楽器を持ったり、ライヴ写真や映像を撮ったりと、とても良い感じの大男。明日からも良い仕事をしてくれることでしょう。
シェイマス・イーガン(SOLAS)からのメッセージ
SOLAS リーダーのシェイマスから、日本のみなさんへメッセージです。
会場限定EP『シャムロック・シティ』を持ってきています。
お楽しみに!
6/9(土) 山形県郷土館 文翔館<完売!>
6/11(月)18:00開場/19:00開演
梅田クラブクアトロ 06-6311-8111
6/12(火)18:00開場/19:00開演
名古屋クラブクアトロ 052-264-8211
6/14(木)18:00開場/19:00開演
渋谷クラブクアトロ 03-3477-8750
ご来場をお待ちしております!
ソーラスのリーダー、シェイマス・イーガン本日無事に来日致しました。
先週金曜日、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの最年長のシンガー、イリエが亡くなったという悲しい知らせが届きました。
享年83歳。渋い歌声とぴんと背筋の通った存在感で、長老メンバーとしてタラフを支えて来ました。(2000年の初来日時の年齢は、72歳。)いつも温厚で優しい人柄は皆に好かれていました。タラフ随一の紳士だったのではないでしょうか。これからは、天国のジプシー楽団で、ニコラエ、カクリカ達と、きっと歌い続けていくのでしょう。ご冥福をお祈りします。
クラムド・ディスクのサイトに、1990年にルーマニアでタラフを発見し、世に知らしめたタラフのプロデューサー/マネージャーである、ステファン・カロによるコメントが発表されています。以下が日本語訳、英語の原文はこちら。
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タラフ・ドゥ・ハイドゥークスのシンガー、大黒柱のイリエ・イオルガ、安らかに眠る
このグループ写真、誇り高く楽器を掲げるミュージシャンの中、落ち着き払い、最も魅力的に映るポーズを決めた、この痩せた小さな男を見よ。
にたりと笑みを浮かべ、不思議と耳に手を当てている。まるで何かを聞き取ろうとしているようだが、それはカメラマンのフラッシュ音か?あるいは撮影の指示だったのか?
彼は幸せそうに見える。このフォト・セッションの直後に予定されたファッションショーの為、言われるがままにドレスアップし、デザイナーが選んだ上等なステーションハットをかぶり、緊張からか、うっすら頬は赤味を差しているにもかかわらず。
楽しそうに瞳は輝いているが、それでいて極めて慎み深くもある。この瞬間、彼が何を考えていたかを知る者はいない。あるいは、彼は本当に、古い友人のマリン、義理の息子であるコスティカや、他のタラフ・ドゥ・ハイドゥークスのメンバーと共に、そこに立っている事を意識していたのだろうか?
この男は、数日前、遠くへ去ってしまった、永遠に。その歌声と息が死に絶えるまで言葉を語り、そして片手を上げた。「もう十分だ」とでも言うかのように。
1928年11月15日生まれ、彼の名はイリエ・イオルガ。人々は時に彼を Ilie Paputsoiと呼んだ。歌手、吟遊詩人、トルバドゥール。古く伝わる貴重なルーマニア音楽、叙事詩、愛の歌、猥歌、詩、農夫の歌、愛国心にまつわる歌までも知る、最後の世代の1人とみなされた。
この男は、1世紀という時間の大半、戦争、社会の激動と変化の中を、生来の礼儀正しさ、優しさや、紳士然とした態度を失わずに生き抜いた。ルーマニアで"Ca un dom"と言われる様に。60年間、途方も無い数のレパートリーを歌い、数えきれぬ詩と音楽の知識の宝を持ちながら、行ってしまった。
いつも背筋をぴんとして立ち、そのどこか堅苦しい姿は人々に「人生はどこか深刻なもの」であるかの様な印象を表し、また、声の抑揚の調子で多少やわらげられたにせよ、それは彼の歌うバラードに「歌ではなく本当の話である」と信じ込ませる重厚さ、荘厳さを与えた。
終わりに向かうにつれ、彼の聴力は弱くなっていったが、正しい音程で歌い続けた。バンドメイト達が彼を驚かそうと、時々キーを変えるという、やんちゃで愛情あるいたずらを、悪意と取る事も無いままに。それは、仲間へのいたずらが大好きな、ジプシー・ウェディングのミュージシャン達によるゲームで、聴衆のいるコンサートの本番中にさえ行われるのだ。
彼は、あらゆるものを愛した、ただし、愛するに値しないものを除いて。そして自分の健康について気にも留めなかった。今こそ、本当に、彼は何にも心配する必要は無いのだ。自分自身についても、私達についても。
ステファン・カロ
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