パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

火曜聖書研究会 2018年2月13日

2018-02-15 15:54:14 | 火曜聖書研究会
聖書箇所:ヨハネ5章30節~47節

 キリストが安息日をやぶり、自らを神と等しくすると責めているユダヤ人指導者達への言葉
が続きます。
 今回は、キリストのメシア性を証言するものが三つ有るということを示しています。本人で
はなく、第三者の証言が三つ以上有り、それが一致することは有効な証言として受け入れられ
ていました。

有効な証言1:バプテスマのヨハネによる証言(33節~35節)
 バプテスマのヨハネは真理について、すなわちキリストについて証言しました。パリサイ人
や律法学者たちでさえヨハネのバプテスマを受けようとしました。35節の「ともしび」という
表現は、良い教師に対して用いらえる言葉ということです。ユダヤ人の指導者が認めた人物が
ナザレのイエスはキリスト、メシアであると証言したのですから、彼らはそれを受け入れるべ
きなのではないか、という訴えになっています。

有効な証言2:キリストの行った奇跡の業(36節~38節)
 旧約聖書の記述では、メシアが来れば目の見えない者の目が開かれ、耳の聞こえない者の耳
が開かれ、足の不自由な者が歩けるようになるという預言の記述が有ります。それまでにキリ
ストはすでにそのような証拠としての奇跡を行っていました。しかし、ユダヤ人の指導者たち
は、そのような聖書の言葉を心に留めもせず、キリストを受け入れようとしていないと責めら
れているのです。

有効な証言3:旧約聖書の記述という証言(39節~47節)
 42節‐「神の愛」は神に対する愛と理解できる用法です。キリストは父なる神の権威を持っ
て来られましたし、父の御心と一致した存在でしたが、それを受け入れないのですから、神へ
の愛が無いと言われても仕方が有りません。
 43節‐ほかの人がその人自身の名において来れば、あなた方はその人を受け入れるという記
述に合う人物としては、132年から第二次ユダヤ戦争を率いたバル・コクバが挙げられます。
彼は自分がイスラエルを解放するメシアだと言いました。この時、ユダヤ人指導者のラビ・ア
キバが彼を支持しました。
 46節‐モーセが書いたのは私のことだからです、というのは、申命記18章18節の記述を指す
と考えられます。モーセと同等の力強い預言者が来たならば、その指導に従わなければならな
いということが示されています。その他のメシア預言にもキリストの有様は合致していました
が、ユダヤ人指導者はそれを受けれませんでした。だから、彼らを裁くのは、彼らが尊敬して
いると思っているモーセなのだということになります。

ごく簡単なまとめ
ナザレのイエスがメシアであることは十分に証明されている。
そのような明らかな証拠を受け入れないのは、神への愛がないということだ。
コメント
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