شراب (シャラーブ)
一壺の紅(あけ)の酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐ糧(かて)さえあれば、
君とともにたとえ荒屋(あばらや)に住まおうとも、
心は王侯(スルタン)の栄華に勝るたのしさ!
(『ルバイヤート』 オマル・ハイヤーム作 小川亮作訳 岩波文庫)
盃になみなみと注がれた美酒、この世のものならぬ美女、天のものなる楽の音・・・
ペルシャ詩にはありとあらゆる美しいもの、享楽的とさえ言える事象が登場する。中でも、酒(葡萄酒)はイスラーム神秘主義詩において、神へ近づき、神の愛を感受するための「道(手段)」であるが、11世紀の詩人にして偉大なる思想家であったオマル・ハイヤームの詩においては、酒は「酒」そのものであった。異民族が侵入を繰り返し、古来から続くペルシャ的なるものが次々に破壊され・・・
詩人が生きたのはそんな時代。乱世において、命の儚さ・世の無常を嘆き、アラブ人がもたらした宗教・イスラームの道徳観に疑問を投げかけ、来世への約束ではなく、現世での一瞬の輝きを追い求めた詩人が紡ぎだす「酒の歌」は、力強さ・純粋さに満ちている。
さて、話を現代のイランに移そう。
1979年のイラン革命以来イスラーム指導体制を貫くイランにおいては、酒はご法度である。イランでは酒を飲むことも作ることも禁じられている。他のイスラームの国では、外国人が利用するホテルなどで通常酒が出されるが、イランでは公の場で酒にお目にかかる機会はない。
だが、本来イラン人は無類の酒好きで知られる国民。革命前に日常的に嗜んでいたものを、途端に禁じることが出来るものではない。結果、イランでは闇酒が出回り、自家製ワインが製造されることとなった。自家製ワインとは、潰したブドウに砂糖を加え発酵させただけのシンプルなもの。自家製であるだけに温度調節も難しく、発酵が進みすぎてワインビネガーになってしまうこともしばしば。
一方、「闇酒」は、イランを取り囲む険しい山岳地帯を伝い、様々な荷物に混じり、主にコルディスターン(クルド地区)から「驢馬車」あるいはトラックに載ってイラン国内へもたらされる。運び屋の命の危険を賭してもたらされた「闇ワイン」一本の値は案外安く、日本で手にする安価なフランス産のワインとさほど変わらない。しかし、様々な地を巡り巡って辿りついたワインの背景にはきっと壮大な「ドラマ」があり、味も値段と銘柄以上の深みが増しているように思う。
そんな「禁酒の国」イランだが、革命前は良質のワインを産出することで有名だった。以前、詩人の街としてご紹介したシーラーズは、温暖で、ワイン作りに用いられる黄色種の小粒ブドウの大生産地として名を馳せる。かつて、このブドウの原種がフランスにもたらされ、有名なシラー種となったとも言われ、オーストラリアの有名な「シラーズ・ワイン」は、シラー種のブドウを原材料とし、この「詩人と葡萄酒」の街に因んで、「シラーズ」の名を冠することとなった。
神秘主義者(スーフィー)よ、薔薇を摘み、弊衣は棘に与えよ
その乾いた禁欲を楽しい酒に与えよ
たわ言や寝言は竪琴の調べの道に置け
数珠や外被(カバー)は酒と酒飲みに与えよ
美女や酌人(サーキー)が買い求めない重苦しい禁欲を
花園の集い(つどい)にて春の微風(そよかぜ)に与えよ
おお恋人たちの長よ、紅の酒が私を襲った
恋人の頬のくぼみにわが血を与えよ(後略)
(『ハーフィズ詩集』 ハーフェズ作 黒柳恒男訳 平凡社東洋文庫)
写真は、14世紀の詩人ハーフェズの廟。彼は、葡萄酒・美女・薔薇など、シーラーズの「名産品」をメタフォーとして、神秘主義的抒情詩の中で用いた。シーラーズ郊外に位置するこの場所には季節を問わず花が咲き乱れ、現在でも多くの人が参拝している。イラン人は、たとえ葡萄酒はなくとも、極上の酩酊を誘う偉大なる詩の韻律に、酔い、戯れる。(m)
*イタリア ギリシャ エジプト 日本 カリフォルニア ポルトガル チュニジア
世界各地のワインセラーで試飲をお楽しみください。クリックも・・・ね。