私がギリシャを訪れたのは、一昔前の五月。
時折降るスコールが冷たかった。
アテネ中を歩き回り、小さな博物館を片っ端から回ったが、肝心の考古学博物館が休館中という残念な時だった。
あそこへ行っていたら、
あそこで私は壺絵を好きになっていたに違いない。
残念ながら、ギリシャの神々は私に壺絵を好きにさせるチャンスを与えなかった。
「ほかにも壺なんかたくさん、ごろごろしているでしょう?」
ええ、もちろん。
しかし、私の見たい、必要な図柄は、どこにもなかったのだ。
もっとも、シンタグマの駅構内にはド~ンとあったので、神は私をお見捨てにはならなかったとも思った。
さて、ある日私は頼まれた図を仕上げて、師匠のところに持っていくと
「はい、よろしい。百点。では「おじい」が散歩しているような構図を考えてみて」
と言われました。
おじい…?
ピタゴラスが散歩しているように?
作家たちと本を作る仕事はこれまでもしてきた。
しかし、好きなエジプトの本にかかわることができる日が来るとは思わなかった。
それも「おじいが散歩」である。
「おじい」も「散歩」も私には大事なキーワード。
雨上がりのぬかるんだ道、石畳、春の花が咲き乱れ、
あおい緑の草が生い茂るアゴラを思い出しながらこのページを作った。
『【図説】地中海文明史の考古学-エジプト・物質文化研究の試み』長谷川奏(彩流社)
詳しい内容は紀伊国屋書評ブログで→こちら
ガイドブックとして持ち歩けるように、紙は軽いものを採用し、図版と地図が盛りだくさんである。
ブログからトンずらして、古代地中海世界を散歩していた編集長をどうぞおゆるしあれ。[a]
便りのないのはよい便り…と申しまして。
ラマダーン・カリーム!
イスラーム社会では断食月です。
夜明けから日没まで一切の飲食を断ちます。
とはいえ、子供やお年寄り、病気がある、女性の場合は生理期間中は免除されます。
逆に、健康を害する恐れがあるのにもかかわらず、断食することは禁じられています。
今年二回目のカイロでのラマダーン、異教徒への強制はありません。
イスラーム教徒が断食することにより、神からの恩恵があるもので、誰でも彼でもやるものだと
イスラームでは教えていません。
そのため、私は断食する義務がありませんが、
やはりそばに断食している人がれば、ちょっと遠慮するというのが人情というものでしょう。
いろいろ真似してみた結果、私が完全に断食できるとすればそれは冬しかないと思いました。
イスラーム暦はいわゆる陰暦なので、毎年断食月はずれてきます。
夏の暑い時期の断食で最もつらいのが、水分補給ができないことです。
慢性扁桃腺肥大と、血管が人の半分の細さの私が、暑いさなかに水分を取らないとみるみる具合が悪くなっていきます。
今日は試しに部屋でゴロゴロして動かないというのをやってみました。
動かなければ、食べなくても大丈夫でしたが、
11時の時点で扁桃腺がヒリヒリして、腫れてきました。
14時には、肩こりがしてきて、腕が重くなってきました。
これではいけません。
断食ができる健康体を、神様からいただいたことを感謝できる意味もあると実感しました。
エジプトでは、ラマダーン中にランプを飾ります。
カイロの考古学博物館脇の大きなランプ。[a]