もともとお茶は食べるものであったらしい。不思議に思うが、抹茶を思い浮かべると無理がない。初期の茶葉は、ボール状に固められ、飲むときに削って湯にといたという。しかして、この食べるお茶は、初めて日本にもたらされたお茶であったが、長くは続かなかった。
お茶は、たいてい「お」をつける。もともと高級であった名残であろう。今でこそあるのが当たり前のお茶だが、遣唐使が伝えたものの、一般に広く普及しないうちに遣唐使が廃止。栽培などもしていたが廃れてしまった。このときのお茶が削るタイプ。
それから約400年間、お茶は忘れられていた。
鎌倉時代になって、栄西禅師が宋ではやった抹茶を伝えたのが、現在にいたっている。栄西は『喫茶養生記』著作でも知られた。喫茶の文化はこれが発端で、今度は絶えることなく、鎌倉後期には庶民にまで広がった。
さて、お茶のない生活なぞ考えられないが、日本にお茶が定着するのには、いつも山越え谷越えの道のりがあるようだ。
緑茶の定着に400年の歳月。そして紅茶の道も険しかったのである。
紅茶は黒船と共にやってきた。開港した日本は貿易をせねばならない。生糸とお茶が主要な輸出品に選ばれた。当時の需要は圧倒的に「紅茶」
付け焼刃で明治政府が作った紅茶が、本場インドの紅茶に勝てるはずもなく惨敗。
日清戦争で、台湾を占領したおり、紅茶生産を開始。これが日東紅茶の始まりである。
しかし日本人が紅茶を常備するようになるには、昭和20年代後半まで待たなければならない。
それから思えば、今のペットボトルのお茶の品揃えはなんと豊富なことか。いまや、何茶であっても、私たち日本人にお茶は欠かせないものである。[a]
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