先日、久しぶりに父と話していて、父が私のことをすごく誇りに思ってくれていたんだなってことがわかって胸が熱くなった。
アメリカから帰ってきて、3年間日本の勉強がお留守になってる馬鹿だから、公立に入ってたら高校受験なんてできない!と危惧された中学3年生の春。
裏口入学みたいな感じで、親の大学の恩師のコネで中高一貫の私立校に入れてもらった。
形式的に入試は受けたんだけど、テストを受けながら「私全然わかってねーわ」と自覚できて笑っちゃうくらい出来がわるかった。あんなボロボロの答案で合格させてくれて本当にすみません。
で、当時の日本はとってもバブリーで、学校初日で私はもうなんかあのお嬢様方についていけなかった。
それで、金銭感覚についていけないのはしようがないとしても、この人たちに勉強でもついていけないのは悔しいな…と思って、1日でも早くここを抜け出そうとして私は勉強を始めた。
6年生のお勉強はまぁ捨てるとして(笑)、中1中2のお勉強を中3の1年間でやった。
高校受験は、中高一貫だからほぼないに等しかった。(クラス分けの意味合いの強い高校入試だった)
なんか私が激しく勉強しているので、父も受験受験とうるさく言ってくるようになり、それがウザくて高校2年のときにアメリカに交換留学をした。
普通、高2で1年間留学なんかする人は、帰ってきてから留年してもう1度高校2年生をやり直すことを強く勧められるんだけど、さっき書いた通り私の目標は「1日でも早くこの学校を抜け出す」ことだったので、向こうの学校でもらった単位を認定してもらって日本に帰ってきて高校3年生になる、ということをした(っつーか、「1日でも多くこの学校から逃避する」っていう目標にすりかわっちゃってる…)。しかも、アメリカは9月から新学期が始まるから、高2の夏から高3の1学期にかけて受験勉強ができないってことで、しかもアメリカの学校の部活(吹奏楽)が楽しくて夏の間もやってて日本に帰ってきたのが9月直前とかで、担任の先生からは「おまえ何やってんだ?!」と怒られたけど、私としては至ってマイペースで「うち貧乏なんで国立行きます」とか言ってセンター試験の勉強を始めて、なんかミラクルで東京外語大に現役合格したけどね。
この中3から高3までの4年間が、父にとってはすごく誇りなんだって。
3年間のアメリカ生活でせっかく身についた英語を、どうにかして残して、伸ばしてやろうと思って、恥も外見もないとか言われたけどコネで私立に入れて、学費も寄付金もいっぱい払ったけど、お前は本当によく頑張った!って父は私を褒めてくれた。
その英語が今全然活かせてなくて、すみませんね。
あと、ついでに言えば、私勉強ばっかしてたから、あの頃のことなんてゴミみたいな記憶しか残ってないんだけどね。
でも、父ちゃんアメリカで3年働くんだってよ!という出来事がなければ、私は山梨から一歩も外に出ることなく生きていただろうな、と思う。アメリカに行く前の、学校から帰るとおじいちゃんと一緒に相撲中継見てみかん食べて弟とキンケシで遊んでた生活がその後30年間ずっと続いただろうな、と容易く想像できる。
父が私たちを山梨の外に追い出そうと努力してくれたおかげで、自分は貧困から脱して今生活できてるんだろうなとマジで思う。
子どもの世界を広げるために、親としてできることはすべてやれ。というのが父の言葉。
せっかく山梨じゃなくて都会に住んでるんだから、いろんなことを子どもにさせてやれ、と。
そうだよね。私の小学校の頃って、ほんとに刺激のない毎日だったもん。こんな少年時代を自分の子どもに送らせちゃいけないな。
アメリカから帰ってきて、3年間日本の勉強がお留守になってる馬鹿だから、公立に入ってたら高校受験なんてできない!と危惧された中学3年生の春。
裏口入学みたいな感じで、親の大学の恩師のコネで中高一貫の私立校に入れてもらった。
形式的に入試は受けたんだけど、テストを受けながら「私全然わかってねーわ」と自覚できて笑っちゃうくらい出来がわるかった。あんなボロボロの答案で合格させてくれて本当にすみません。
で、当時の日本はとってもバブリーで、学校初日で私はもうなんかあのお嬢様方についていけなかった。
それで、金銭感覚についていけないのはしようがないとしても、この人たちに勉強でもついていけないのは悔しいな…と思って、1日でも早くここを抜け出そうとして私は勉強を始めた。
6年生のお勉強はまぁ捨てるとして(笑)、中1中2のお勉強を中3の1年間でやった。
高校受験は、中高一貫だからほぼないに等しかった。(クラス分けの意味合いの強い高校入試だった)
なんか私が激しく勉強しているので、父も受験受験とうるさく言ってくるようになり、それがウザくて高校2年のときにアメリカに交換留学をした。
普通、高2で1年間留学なんかする人は、帰ってきてから留年してもう1度高校2年生をやり直すことを強く勧められるんだけど、さっき書いた通り私の目標は「1日でも早くこの学校を抜け出す」ことだったので、向こうの学校でもらった単位を認定してもらって日本に帰ってきて高校3年生になる、ということをした(っつーか、「1日でも多くこの学校から逃避する」っていう目標にすりかわっちゃってる…)。しかも、アメリカは9月から新学期が始まるから、高2の夏から高3の1学期にかけて受験勉強ができないってことで、しかもアメリカの学校の部活(吹奏楽)が楽しくて夏の間もやってて日本に帰ってきたのが9月直前とかで、担任の先生からは「おまえ何やってんだ?!」と怒られたけど、私としては至ってマイペースで「うち貧乏なんで国立行きます」とか言ってセンター試験の勉強を始めて、なんかミラクルで東京外語大に現役合格したけどね。
この中3から高3までの4年間が、父にとってはすごく誇りなんだって。
3年間のアメリカ生活でせっかく身についた英語を、どうにかして残して、伸ばしてやろうと思って、恥も外見もないとか言われたけどコネで私立に入れて、学費も寄付金もいっぱい払ったけど、お前は本当によく頑張った!って父は私を褒めてくれた。
その英語が今全然活かせてなくて、すみませんね。
あと、ついでに言えば、私勉強ばっかしてたから、あの頃のことなんてゴミみたいな記憶しか残ってないんだけどね。
でも、父ちゃんアメリカで3年働くんだってよ!という出来事がなければ、私は山梨から一歩も外に出ることなく生きていただろうな、と思う。アメリカに行く前の、学校から帰るとおじいちゃんと一緒に相撲中継見てみかん食べて弟とキンケシで遊んでた生活がその後30年間ずっと続いただろうな、と容易く想像できる。
父が私たちを山梨の外に追い出そうと努力してくれたおかげで、自分は貧困から脱して今生活できてるんだろうなとマジで思う。
子どもの世界を広げるために、親としてできることはすべてやれ。というのが父の言葉。
せっかく山梨じゃなくて都会に住んでるんだから、いろんなことを子どもにさせてやれ、と。
そうだよね。私の小学校の頃って、ほんとに刺激のない毎日だったもん。こんな少年時代を自分の子どもに送らせちゃいけないな。