ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【食】味のむろ市 [ラーメン@室蘭]

2008年06月19日 22時00分23秒 | 外食記録2008
味のむろ市(あじのむろいち)[ラーメン@室蘭][室蘭タウン]
2008.5.31(土)17:25入店(初)
注文 しょうゆチャーシューメン 800円

 
・室蘭の輪西町、バス通りから市民会館へ続く中央分離帯のある道路から数えて、JR輪西駅側へ三本目の通り。う~ん、自分で書いていても分らない。詳しくはリンク先の地図を参照のこと。乗用車二台がギリギリすれ違えるほどの幅しかない狭い路地に面しています。隣には『一平』や『とり金』があります。左隣の空き地に2~3台分の駐車スペース有り。
 
・細長い店内はカウンター10席と奥にテーブルが一卓だけ置かれた座敷があります。おばちゃんが一人でやっている店のようです。壁には少年(社会人?)野球の写真がたくさん。ご家族の関係でしょうか。
・壁に貼られたメニューを見ると非常に簡素。ラーメンは『しょうゆ』と『塩』のみで、『味噌』がありません。こ、これは……美味しい予感がしてきます。

・しょうゆチャーシューメン(800円):具はチャーシューのほか、のり、ほうれん草、長ネギ、メンマ、なるとなど。
 
・スープを一口すすると「おっ!?」と思わせる独特のコク。麺によく絡んで、美味しい~ぃ♪ 素朴な味わい。

・塩ラーメン(600円):同行者が注文した品。試しにちょっと味見させてもらいました。一口すすって、「!? なんじゃ、こりゃぁぁぁ!!!」 一応『塩』とは名前がついていますが、味噌とか正油とか塩とかそんな味を超越した、ただ『ラーメンのスープ』としか呼びようのない代物です。色は透き通った黄金色で『黄金のスープ』と形容したくなるような美しいスープ。ただし、楽に全部飲みきれるタイプのあっさりスープではありません。しょうゆはしょうゆで美味しかったのですが、どちらか一品となると迷わずこちらの『塩』をオススメします。危うく『塩』を食べそびれる所でした。一人で行かずによかったです。
・人の姿がほとんど見えない寂れた場所にありますが、食べていると一人また一人と、いったいどこから沸いてくるのかと思うほど続々とお客が入ってきました。どの客も馴染みの地元の方のようです。地元民御用達のお店。

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【本】ノーベル賞 二十世紀の普遍言語

2008年06月19日 08時05分35秒 | 読書記録2008
ノーベル賞 二十世紀の普遍言語, 矢野暢, 中公新書 900, 1988年
・とっても有名ではあるけれど、その内幕となるとさっぱり分からない、『ノーベル賞』について。新書のため分量が限られているものの、日本の "ノーベル賞通" である著者により、その生い立ち、歴史、各賞にまつわるエピソードが網羅されている。ノーベル賞受賞者についての文献は数多く出ているが、このようなノーベル賞そのものについての文献は少ないのではないでしょうか。
・巻末にノーベルの遺言全文日本語訳、歴代受賞者リスト、各国受賞者数の表などの付録つき。
・今にしてこのような世界的に有名な賞が、ノーベルの遺言の一部、新書にしてたった1ページの分量の簡素な文言から生まれたとは驚きです。
・「ノーベル財団の活動が、アルフレッド・ノーベル個人の思惑よりは、むしろスウェーデンの国家的な業と結びついて展開してきた、という考え方のほうが妥当であるかもしれない。」p.ii
・「<普遍言語>とは、世界のどの文化圏にも絶対的な価値として通用する記号なり象徴なりをいうのだが、私は、二十世紀が生み出した<普遍言語>としては、ノーベル賞以上の存在をほかに知らない。その意味で、ノーベル賞は奇跡的存在ですらある。」p.ii
・「私は、あるとき、大人たち子供たちほどノーベル賞には関心をもっていない事実に気づいた。大人になり、己れを知ったとき、自分とノーベル賞との距離があまりに隔絶しているので、思わず知らずそれを関心の外に置くのであろう。私は、ノーベル賞を描いた大人のための作品がほしいと、いつしか願いはじめることになった。ところが、それを、まさか私自身が書くようになるとは、夢にも思ってはいなかった。」p.iv
・「十二月十日は、アルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)の命日である。ノーベル財団関係者は、この日のことを「ノーベル・デイ」あるいは「儀式の日(Hogtigsdag)」と呼んでいる。ノーベル賞授賞式は、毎年この日に行われる。」p.6
・「この文章のあとに、五つの賞についての規定がくる。そして、この肝心のパラグラフの最後のところに、「賞を与えるにあたっては、候補者の国籍はいっさい考慮されてはならず、スカンディナヴィア人であろうとなかろうと、もっともふさわしい人物が受賞しなくてはならないというのが私の特に明示する願いである」という文章がくる。この文章は、ノーベル賞のだいじな特徴となる開かれた国際性を規定したものとして、ひじょうに重要な個所である。」p.27
・「俗に「ノーベル経済学賞」といわれている賞である。しかし、これは厳密な意味ではノーベル賞ではない。  この賞の正式の名称は、「アルフレッド・ノーベルを記念する経済学賞(pris i ekonomisk vetenskap till Alfred Nobels minne)」である。それに、「スウェーデン銀行」という表現が付くこともある。そもそもノーベルの遺言にない以上、名称を「ノーベル賞」とするわけにはいかなかったのである。」p.63
・「ラメル専務理事は、経済学賞がはじまってからの十五年間のあいだに、およそ二十ほどの新賞の提案があったことを認めている。なかでも有名なのは、音楽賞の設置を求めたあるスウェーデン財界人からの寄付の申し出、そして、たしかアメリカから出たものであったが、バレー賞の設置のための寄付の申し出である。」p.65
・「ラメル専務理事がよく口にする話に、こういうエピソードがある。1976年に経済学賞を受けたミルトン・フリードマンが授賞式のあと賞金小切手を受けとりに財団に出頭したとき、ノーベル財団の基金はいくらか、とラメル専務理事にきいた。ラメル氏が「米ドルに直して約五千万ドルだ」と答えたら、フリードマンは目を丸くして、「たった五千万ドルで、こんなに世界中を大騒ぎさせているのか!」といったそうである。ラメル氏は、そのとき、「財団の設立者がダイナマイトの発明者であった以上、他の財団よりは小さな基金で大きな騒ぎ(ビッグ・バン)を起こすのは当然でしょう」と答えたという。」p.72
・「ノーベル賞の選考過程の事実関係はいっさい極秘に付され、しかも守秘義務の守られるべき期間は五十年である。選考過程に関する記録や資料はことごく各アカデミーの資料室(アーカイブ)に厳重に収納されるが、五十年経ったあとも、閲覧を認められるのは科学史等の分野のとくに認められた研究者に限られ、自由な閲覧は認められない。」p.75
・「物理学賞と化学賞のばあい、選考は三段階方式でなされると通常いわれるが、その意味は、まずノーベル委員会で決定がなされ、そのつぎに該当クラスで決定され、最後アカデミー総会での秘密投票で決定される、という手順を踏むということである。」p.86
・「外に通じない人間を、内輪だけで英雄視していることほどみっともないことはないのだ。そのようなみっともない事態は、日本人の習癖なのか、私たちの社会のそこかしこにみられる。」p.123
・「初期のころ、「理想主義的傾向」の厳格な解釈の壁のために受賞できなかったのが、たとえばイプセンであり、エミール・ゾラであった。こういう作家の自然主義的傾向は、「理想主義的」とは見做されなかったのである。」p.141
・「ノーベル文学賞の黄金時代は、やはり1940年代から1960年代にかけての時期であっただろう。毎年、めくるめくような大作家が選ばれ、世界の話題になった。この時期は、二十世紀文学のピークでもあった。(中略)ところが1970年にA・ソルジェニーツィンが選ばれたあとになると、多少傾向が変わってくる。世界中がなじんでいる周知の大作家が少なくなったこともあって、無名の作家を探し出してくる、いわば発掘型の授賞が増えてくる。」p.143
・「つまり、ストックホルムの授賞式が、いわば最高の知性を祝福する豪華な祭典という性格をもつのにたいして、ノルウェーのほうは、世界に向けて平和のメッセージを発する理念発信の機会として位置づけられている。」p.164
・「私のみるところ、この1987年からことしにかけて、ノーベル賞の権威は、おりしもいま、頂点を極めているように思えてならない。2章で述べたように、1987年度には、ノーベル財団の基金も1901年当初の規模を回復したし、ノーベル各賞の賞金額も史上最高の水準に達している。名実ともに、現在世界に二千を数えるという国際賞および国際的水準の賞のことごとくをはるかに凌駕する立場にあり、ノーベル賞の権威はいまなお高まる一方である。」p.192
・「ノーベル賞は、一言でいうと、二十世紀が生み育てたひとつの<普遍言語>である。」p.203
・「ノーベル賞は、一言でいうと、男のロマンである。」by ぴかりん
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