ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

続々・同行二人 ‐ 金色の寺

2014年07月14日 | 神社/仏閣

 表参道、杉の大木が迫りうっそうとした月見坂。
 だらだらと続くのかと思っていたら、結構、勾配がきついところもあって酔狂老人には応える。

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 弁慶堂、薬師堂やら観音堂、仏様や縁の人を祀る祠を滴る緑のなかに埋めて坂道は続く。
 人影もまばらな上り、なのに下りはぞろぞろと団体さんが続く、昼餉(おひる)の時間帯なのかな?

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 天台宗東北大本山、慈覚大師円仁が850年に開山したとされる中尊寺、本堂には丈六の釈迦如来がおわす。
 奥州藤原氏初代清衡(きよひら)が1124年、前九年と後三年のふたつの役(いくさ)で亡くなった無名の兵(つわもの)どもを供養するため大伽藍を造営、開基したとか。

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 ちなみに、平安時代後期に奥州を舞台に、陸奥の国の豪族安倍氏と出羽清原氏が争い、清原氏が覇者となったのが前九年の役(1051-62)。
 その清原氏が消滅、藤原氏が平泉を中心に奥羽一帯に勢力を張るきっかけとなったのが後三年の役(1083-87)。

 紺紙に金字行、銀字行が一行ずつ交書された清衡発願の中尊寺経、「金銀字交書一切経」をはじめ、国宝・重文などを含む三千を超える宝物を収蔵するのが讃衡蔵(さんこうぞう)。

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 さて、関山(かんざん)中尊寺の中核をなすのが国宝・金色堂。
 14世紀になって堂塔の殆どが焼失したものの、創建当時の姿で遺った唯一のものとか。

 本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音と勢至の両の菩薩、六体の地蔵菩薩と持国天と増長天が護持する。
 今は新覆堂(おおいどう)に納まって黄金に輝いているが、かつては旧覆堂、鞘堂(さやどう)にあった。

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 時代は270年ほど下がって1397年、京の北山(ほくざん)に室町三代足利義満が開基したのが鹿苑寺。
 その舎利殿・金閣を拝観しているので驚きはないが、金色堂が初めてならば目を瞠ったと思う。

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 ところでここ平泉は、紀行文「おくの細道」にも俳聖芭蕉の足跡が。
 初句は中尊寺の近く、義経の居館があった高舘(たかだち)で詠み、次句はここ中尊寺で、句碑も遺る。

  夏草や 兵どもが 夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
  五月雨の 降り残してや 光堂 (さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)

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 その俳聖の像を過ぎた辺りで皮肉にも驟(はし)り雨が、大急ぎで寺内の白山神社の能楽堂を廻って、這う這うの体で退散した。

 復路、しんどくなって一ノ関から仙台まで新幹線を馳走、往路2時間余が僅30分ほどで着いちゃった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.834

 ※ 「続・同行二人 ‐ 各駅停車」へは、<コチラ>からも入れます。

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