ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

続・デューラー ‐ 美術史美術館(7)

2016年05月27日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(25)

 ウィーン美術史美術館の旅、聊か落ち着きに欠ける旅人に似て行ったり来たり?
 ドイツ美術史上最大の画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528/ドイツ・ルネサンス)の再登場。

 そのデューラーの 「聖母子」、別名 「切った梨を持つ聖母子」(上)が今回の作品。

 当時、芸術家への経済的な後援者・パトロンに人気があった聖母子画は、彼が好んで描いた主題であったとされている。

 黒い背景のなかで、当時、高価とされた青い絵の具で描かれた上着を纏う聖母は、崇めるように我が子キリストに視線を注いでいる。

 また、幼子イエスに触れんばかりのヴェールは、聖母の慎み深さを表しているかのようにも見える。
 そのヴェールで付け加えるならば、幼子の腰を覆う薄物は、後世の誰かが手を加えたとの説もあり、頷けなくもない。

 特筆すべきは、下部に僅かに覗く聖母の親指と人差し指、幼子のか細さを強調したとされ、その繊細な表現力に驚かされる。

 イエスは、母が切ってくれた梨の上半分をちょうど生え始めた小さな歯でちょっと齧ってい、作品に温かい余韻を与えている。
 ところで彼の作品に共通することだが、本作も美術書などの<写真>を遥かに凌ぐ、と今更乍らに思わせる。

 折角だからもう一枚、「一万人のキリスト教徒の殉教」(中)を。

 「聖母子」の四年前に描かれたとされる本祭壇画、<ザクセン選帝侯フリードリヒ3世賢明公>の委嘱により、ヴィテンベルク城の聖堂の聖遺物室に置かれたという。

 主題は、ローマ皇帝ハドリアヌスとアントニウスの命を受けて、ペルシア王のサポラトが行った大虐殺により、アララト山上で殉死したキリスト教徒の伝説。
 まさに、拷問と虐殺の阿鼻叫喚の場面である。

 その右下、青い外套を着たターバンの男が冷徹に指揮をする姿は、本作が描かれた50年ほども前の1453年、コンスタンティノープル、現在のイスタンブールを強奪したトルコ人の侵略を、本作の前に立キリスト教徒に思い出させたともされている。

 ちなみに、縦横1m足らずのキャンバスのなかにぎっしりと人物が描かれた本作、画面中央部、画家はこの場にそぐわないふたりの男(下/部分)を描いている。

 そのひとりが、“ アルブレヒト・デューラーによって1508年に制作された ” という銘文の付いた棒を持つ画家その人である。

 とまれ、才気あふれる<生意気デューラー>が描く “ 静と動 ”、ふたつの作品だった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1137

 ※ 「美術史美術館(6) ‐ クラナハ」へは、<コチラ>からも入れます。


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