ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

今年の9.11‐言葉

2010年09月21日 | アメリカ/カナダ

 不真面目だと叱られそうだが、久し振りにミサ・日曜礼拝(写真上)に行った。
 ミサでは 《主の祈り》 の一節、「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」(日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳)を唱える。

 また、使途パウロは、「憐れみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身につけなさい」(コロサイの信徒への手紙/新共同訳)と教えた。

 Photo_2聊か旧聞になるが11日の土曜日は、米国で同時多発テロがあった日。
 01年のこの日、ペトロ とカタリナ、ウィーンにいたこと、<9.11>で書いた。

 その跡地、グランド・ゼロ近くイスラム教のモスクの建設計画に、ニーヨーク(NY)のみならず全米中がデモや集会でかまびすしいと聞く。

 テロの犠牲者やその遺族などが、象徴とされる地の近く、モスクが建設されることに違和感を覚え、感情的になることは理解できないでもない。
 テロの記憶が生々しく、傷が癒えていないこともあって、許されざる行為と受け取られるのだろう。

 そこから端を発したのか、フロリダ州のキリスト教会のひとりの牧師が、その日に「聖典のコーランを集めて燃やそう」と呼びかけ、その波紋が世界を駆け巡る騒ぎなった。

 幸Photo_3いにしてこのコーラン焚書計画、実行には至らなかったが、イスラム教国は勿論のこと、ヨーロッパ諸国やヴァチカンや当事国のアメリカ自身も強く反対した。

 9月10日の「天声人語」。
 
NY大の教授は、「社会が自由や寛容を失ったら、それこそテロリストを勝利させることになる と案じ、憎悪が憎悪をあおる愚挙は、まさにテロリストの思うつぼ、と主張。

 また、ビアスの悪魔の辞典、宗教とは希望と恐怖を両親とする娘を引用、不寛容という乳母の手で醜く育った娘は、何であれ世界を不幸にする、と続けた。

 斯く言うペトロ、洗礼を受けて10年余、《寛容、謙遜、赦し》 いまだ行い難し。

 写真の花、強い日照りにも耐えて、次々と一日花を咲かせるという「松葉牡丹」。葉っぱが太いので、「ポーチュラカ」という外国種かも知れない?

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