ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

モンマルトル日記(四)

2010年07月08日 | フランス

 10××日(曇り時々小雨)「サン・ピエール教会

 小雨の丘の街で、深まりゆく秋の余韻を楽しみながら、サン・ピエール教会(写真上左)に入った。
 正式には、サン・ピエール・ド・モンマルトルというこの教会、サクレ・クール寺院の傍らにある小さな教会だが、パリ最古の歴史を持つらしく着工が1134年、そして13年後に完成したと案内書にある。

 PhotoPhoto_2サン・ピエール、聖ペテロを祭祀するこの教会。
 妻マリー・アントワネットとともに断頭台の露と消えたルイ6世が創設、かつてベネディクト派の修道院に付属していたともある。                                                       

 祭壇脇に、天国への鍵を持つ、「聖ペテロの像」(写真上右)があったが、彼の右足の脛は、聖人にあやかりたい信者にさすられて金色に光っていた。

 Photo教会から出ると、ジプシーが手を差し出す。
 この手のものは大方無視をするのだが、カタリナ が、ペトロ が「霊名を頂いた聖ペテロの教会だから」と、感謝の気持ちも込めて幾ばくかのコインを置いた。

 テルトル広場から、サクレ・クール寺院(写真左)へと向かった。
 寺院の前に広がるテラスからは、多くの観光客がパリの風景を楽しんでいる。

 モンマルトルとは、“ 殉教者の丘 ”。
 そしてサクレ・クールとは、“ キリストへの聖心(みこころ)” の意だとか。

 Photo_3聖なる心、サクレ・クール寺院は、1870年の普・仏戦争の敗北、そして翌年のパリ・コミューンと続いた暗い時代、カトリック教徒の疲弊、心を癒す目的で建設が計画されたそうだ。

 実際に建設が始まったのは7年後の77年、予想以上に時間と費用がかかり、完成したのは1914年、計画から完成までに実に40年の歳月を費やしたとされている。                                                                  

 ロマネスク・ビザンチン様式の切り妻屋根と丸天井を擁する白亜の聖堂は、今もってパリ市民の憩いの場として愛されている。                                         

 今から、そのサクレ・クール寺院下の写真のどこかにカタリナがいます。に入る。(まだ、続く)

 ※「モンマルトル日記(五)」へは、<コチラ>からも入れます。

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