ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

イタリアの赤い街

2013年07月21日 | 大聖年イタリア巡礼

 二週間余にわたって繰り広げられた選挙、新聞調査に拠れば与党圧勝の気配だそうだがその原因は明らか。
 労組役員上がりが跋扈する前与党、政治家以前、資質もなにも余りにも粗末だったがためのこと。
 批判票を集めそうなのが赤い旗の党のようだが、隣の紅い国がおぞましくて一票を託すにはどうもとも思う。

 字は違うけれどイタリアにも “赤い街” と呼ばれる町がある。
 ヨーロッパ最古の大学、ボローニャ大学で有名なエミリア・ロマーニャ州の州都ボローニャである。
 かつて、イタリア共産党がここで勢力を伸ばしたことから、赤い街と呼ばれているとか。

 町の中心マッジョーレ広場に面したポデスタ宮の一階部分は、ボルティカと呼ばれる柱廊になっている。
 ところで、斜塔といえば<ピサ>、ボローニャにも斜塔があることをこの大聖年の巡礼で初めて知った。

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 至る所ボルティカで結ばれているボローニャの町(左/中)です
 
アジネッリの塔により添うようにガリセンダの塔(右)があります

 今もイタリアの各所に残る皇帝派と教皇派の権力争い。
 競って高い塔を建てた名残らしいのだが、今、アジネッリと背の低いガリセンダの二本の塔が残っている。

 マッジョーレ広場の前のサン・ペトロニオ聖堂は、14世紀の建築家アントニオ・ディ・ヴィンチェンツォの設計になる教会。
 ローマのサン・ピエトロ大聖堂を陵駕する聖堂になる計画だったが、実現せず今日に至っているとか。
 広場にはボローニャのシンボル的存在、海神ネプチューンの噴水がある。

 この町はまた食通の天国としても知られ、お馴染みのミートソースのスパゲッティ、ここで作られ始めたマッケローニ・アッラ・ボロニェーゼのことだそうだ。

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 サン・ペトロニオ聖堂(左二枚)のファサードは未完のままとなっています
 
セイレーンが豊満な乳房から水を吐き、些か妖しげな雰囲気を漂わせています
 
噴水の傍らを通りレストラン(右)で昼食、マッケローニ・アッラ・ボロニェーゼが出ました

 話は戻って、少なくとも六年間もの長い間、暮らしを任せる訳だから、ここはしっかり国民の権利、低投票率が予想されそうなのであえて国民の義務と言う、その義務を果たさなければ。
 我が選挙区、知事選ともども詰まらない人ばかりが顔を並べていると雖もである!
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.667

 ※ 大聖年イタリア巡礼、前号「マントヴァ」へは、<コチラ>から入れます。

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