ようやく東の空が白み始める頃、コトリとポストが小さく鳴る、新聞が届いたのだ。
その音で目が覚め、聊か行儀が悪いが取りに行ったその足で、ベッドでインクの匂いを嗅ぎながら目を通す時間が好きだ。
時に、数ページを読んだあたりで、うとうととまどろんだりすることもある。
お盆の前後だったか、豪雨で各地に大きな被害が出た頃のこと。
被災された方には申し訳ないが、雨もようの涼しい明け方、すだく蝉の声からも解放されて新聞を読んでいたら、まま20分ほどもうつらうつらしていたよう、大欠伸をしながらベッドで背伸び。
ところが、左耳の辺りに違和感があって、えっ、なんだ?と慌てて起き上がると、枕の傍に5センチほどの茶のプラスチック片が。
指で摘み、なんだこれ?と寝ぼけ眼で眺めていると、かけていた老眼鏡の塩梅がおかしいのに気付いた。
ひよっとして? 外してみると、あ~あ、やってしまった!と思ったが後の祭り、蔓(つる)がポッキリと折れていた。
その老眼鏡、調製して5年ほどもなるのかな、そろそろ度が合わなくなって作り替えなければと思っていたが、面倒でぐずぐずしていた矢先の事。
背中を押して貰ったようにも思うのだが、気持ちとして聊か癪なところもあり、応急措置というか無理矢理くっつけて今のところ使っている。
ちょっと大層に言えば、形あるものは何時か壊れ、それに壊れ時?というようなものもあるようで可笑しい。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.861
ペトロお父さんの一人暮らし奮闘記、拝見させていただきました。何とかかんとか頑張るお父さんに、カタリナお母さんの姿が重なってみえます。
昨年、介護タクシーに乗って家に帰るカタリナお母さんを、今生の別れになるかもしれない思いでガラシアの玄関から見送ったことを思い出していました。
私事ながら、2月にガラシアを退職いたしました。過去ログに掲載されているガラシアでの数々の写真、時間を忘れて懐かしく眺めていました。
ホスピスでの一期一会をそっと胸にしまい、今は急性期病棟で人工呼吸器の乗った数々の人々と対峙しながら、「生かされる命」の勉強をしています。
ガラシアを退職され新しい使命にチャレンジされている由、あなたの頑張り、尊敬します
翻ってペトロ、相も変わらず過ぎし日のことを思い、ぐだぐだと過ごし反省しきりです
こんな爺さんを見かねられたのでしょう、レジオ・マリエに来い!とU神父様に叱られ、あれほど組織に縛られるのが嫌だったペトロ、9月から見学参加しています
昨年の今頃、ガラシアで望外の時間を過ごさせて頂いたこと、折につけ懐かしく思い出しています
昨日、娘と電話で話す機会があったのですが、丁度今頃だったでしょうか、月下美人を見るんだと頑張っていたのは
辛いですが、もうそろそろ納骨をしてやらねばなりません
U神父様に一年祭と併せ納骨をお願いし、一応の区切りをつけたいと思っています
懐かしさの余り自分の事ばかりになってしまいましたが、ろーざ らふぁえら さんが、新しい職場で多くの人のために頑張られることを心からお祈りします
娘も小ブログ見ていますので、きっとエールを送ることと思います 頑張って下さい
こんばんは!お元気でご活躍のこと、お喜び申し上げます。
母が帰天して、そろそろ一年になります。この間、母のことを思い出さない日は一日も、ありませんでした。
昨日は素敵なお月様で、カメラで写真を撮りながらおかーさーん、とつぶやいておりました。
やはり生身の母に寄り添って月を見上げることができないのは、少しさみしいです。
でも、母はすごく大きな愛を込めて逝きました。というのも、母が亡くなった直後、目の前に母はいる、のですが、突然母の顔が見えなくなって、あれ?おかあさん、どこ行っちゃった?となぜかキョトンとしていました、それでいてすぐ近くに居るようなのです。
天国とか、いわれても、なんだか正直ピンと来なかったぐらいです。
あれ、おかあさん?とキョロキョロしておりましたが、ハッとわかりました。
エマオの弟子の話です。この人がよみがえりのイエスだ、と解った途端、弟子たちの視界からイエスが消えた話です。
今までは向かい合って思いを込めて眼差しを交わしていましたが、母はなくなってなくなる命じゃない、よみがえって、私の中に生きている!それも私とおんなじ顔と身体の向きで、眼差しを重ねて。
だから見えなくなっちゃったんだ、と解った途端、その大きな愛に本当に感動し勇気付けられました。
母はご存知のように静かで気丈な人でした。いまは母のその強さが私の中でしっかり立っています。
日々勇気付けられて私もいただいた時間を豊かに耕して生きていきたい!
昨年の夏の間、私たちはたくさんのお祈りに支えていただいていました、しっかり実を結んでいます。
シスターとろーざらふぁえら様に本当に感謝しております。
ろーざらふぁえら様に主が共におられます、いつも祈っています、どうぞ大変なお仕事、頑張ってくださいませ。
長々すみません、感謝の気持ちをどこかでお伝えしたくて、、、
ペトロさん、場所を提供してくれて、ありがとう!
まずは、ペトロお父さんがこのブログを続けて下さっていることに心から感謝。
ここで再会できようとは。。
いつか修道院で戴いたSr.お手製のとろとろゼリー、とても美味しかったですね。今は少し切なく、そして懐かしい思い出の味となりました。
たった一年前のことが、昨日のことのように思えたり遠い昔のことのように思えたり・・・
524号室。
「失礼しまーす」と静かに扉を開けると・・・
ペトロお父さんとカタリナお母さん、そしてテレジアさんの3人が、思い思いの場所に腰掛けて読書を楽しんでいる。
一瞬、病室ではなくて、自宅にお邪魔したんじゃないかと思うような錯覚にとらわれる穏やかな午後の夏の日。
何気ない日常の一日を過ごせることが、どれほど貴重で尊い時間なのかを、あの日、知ることができました。
カタリナお母さんは静かで気丈な方でした。
そして、信念の人であったと思います。
少し動くだけでも息が切れるのに。
「私達があとできれいにしておきますよ」と言うのに。
カタリナお母さんは、洗面所で手を洗った後、必ず廻りに飛んだ水滴をきれいに拭き取っていました。
「後に来て洗面所を使う人のために気持ちよくしておくことがワタシの美徳」
荒い呼吸をつきながら、精一杯の力で洗面ボウルのぐるりを拭く。はぁはぁと息をつきながら。。。
今、私は最先端医療と呼ばれるようなところで仕事をしています。
折しも昨年は「信仰年」。
神様が呼ばれるところに派遣されることも、私の使命なのかなと思い、ガラシアを退職いたしました。
「どこかで種を撒きなさい」と神様から言われているような気がして。。。
エマオの弟子達の気づきのきっかけの、まさにその疑似体験をしているような気もしています。
カタリナお母さんはいつもいつも、ご家族と共におられますよ。
テレジアさんと同じくして、私にもお母さんの姿は見えないし、何の科学的根拠もありませんが、 この感覚、きっとわかっていただけるものと思います。
「永遠の命を生きる」とは。
肉体という姿形は失っても、肉体の中に居た形のないもの(私達はそれを「霊」という言葉で表しますが)
きっとそういう存在に姿を変えてしまったしまっただけのことで、いつもいつも私達と共にいる、そして、「耳」という道具を媒体としない声で、語りかけてくれているのだと信じています。
ところでペトロお父さん、そしてテレジアお嬢様。
もしお時間がありましたら、検索してコラムを覗いてみて下さい。
「野の花診療所」または「徳永進」で。
鳥取で開業なさっている先生です。著書もたくさん出されておられます。
お忙しい中、レスありがとうございます。
徳永進先生!テレビでお見かけしたことがあります、ご紹介ありがとうございました。
早速サイト覗いてみます、大事にするものは、、、昼の雲、夜の星、いいですね!