今朝方、正しくは昨日(9/23)の早朝か、NHKの “ マイあさラジオ ” という番組、新聞の活字を追いながら聴いていたら、“ 落合恵子の絵本の時間 ” になったらしく彼女の声が。
そこで彼女、「今日はお彼岸の中日、『春はぼた餅、秋はおはぎ』、今頃、作っておられる方も多いと思います」と話すのを聞いて、「おっ、そうだ。そうなんだよなあ」と思った、という他愛もない話。
外国語のことは知らない、が、まったく同じものでも季節に応じて使い分ける多様さ、感性の豊かさ、日本語の美しさに感じ入る。
春は牡丹、秋は萩の花に掛けた、のはいうまでもないが、こんな風にわざわざ解くのを野暮天と言うのだろうなあ。
ちなみに、“ 小豆には邪気を払う効果があると信じられていたために、先祖の供養の際にお供えをしたのが始まりとされた ” と、薀蓄本にある。
彼女、洗礼を受けてからも、この時季になると小豆をコトコトと煮ていたのを思い出した。
尤も、左党の酔狂、鰥夫(やもめ)になって両方ともとんと無縁だが。
余談だが一昨日の<レジオマリエ>の集会で、先輩諸兄姉に 「おはぎ、お供えまで・・・はしなくとも、食べますよね?」と訊こうと思ってみたものの、多分、向けられるであろう冷ややかな視線に怖じ気ついて聞きそびれた。
それはとも角、「萩」は盛りだが、一方は夏から秋まで息長く咲く 「野牡丹」、紫色がきれいで牡丹のように美しいのでこの名になったとか、「ちっとも牡丹に似てないよ」なんて野暮なことは言うまいて。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1386
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