【九里】を探して三千里

【くのり】と読む曽祖父の苗字を調べております。
各地の九里情報・伝承をご存知の方、是非教えて下さい!      

ほのかな香りのすずらん♪♪

2016-05-28 | コラム
自然界の中の香水〜! 風に吹かれて、適度に香ってくる感じに好感が持てます。

散歩途中のお宅の【すずらん】です。








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あらたな情報。実明の兄実宗とその周辺

2016-05-27 | 九里【只今の状況・まとめ】
藤原実明の兄である実宗。

母は、実明と同じく持明院基家の娘です。

実宗の子どもたち、
三条公定、西園寺公経、藤原公仲、公暁、藤原隆忠室となった女子、藤原公国室となった女子、藤原定家室となった女子

その西園寺 公経の妻に、一条能保の娘がおり、
公経の子どもたち、
掄子、実氏、実材、公子、成子、嘉子、一条実有、洞院実雄、四辻実藤、実意、実助、尊恵、道融、実顕、行安、慈助、実勝、女子(三条実親室)らがおります。

そう、能保とは関係があるかもしれませんが、一条実有は、また別の一条家の祖です。

wikipediaより

清水谷家(しみずだにけ)は、羽林家の家格を有する公家。藤原北家閑院流。西園寺家の一門。家業は書道、笙、能楽、神楽。江戸時代の家禄は200石。伯爵。

鎌倉時代、西園寺公経の次男実有を祖とする。当初は「一条家」と名乗っていたが、一条実秋の代に同じ家名の摂関家との重複を避けて現在の家名に改めたという。


さらに、九条道家の息にも一条がいるのです。九条道家には子どもがたくさんいるのでコピペします。

父:九条良経
母:一条能保の娘(源頼朝の姪)正室:西園寺綸子(西園寺公経の娘)

男子:九条教実(1211-1235)
男子:二条良実(1216-1271)
男子:藤原頼経(1218-1256) - 鎌倉幕府第四代将軍
男子:一条実経(1223-1284)
男子:円実(?-1272)
男子:慈源(?-1255)
男子:法助(1227-1284)
女子:九条竴子(1209-1233) - 後堀河天皇中宮、四条天皇の母
女子:九条仁子 - 近衛兼経室、近衛基平母、従一位

妻:源有雅の娘 男子:深忠

妻:源重房の娘 男子:慈実(1238?-1300?)

生母不明 男子:行昭(1231?-1303)
男子:道智
男子:勝信(1236?-1287)
男子:道意
女子:九条佺子 - 四条天皇尚侍、従二位

その一条 実経(いちじょう さねつね、貞応2年(1223年) - 弘安7年7月18日(1284年8月30日))は、鎌倉時代の公卿。従一位、摂政 関白、左大臣。五摂家の一つ一条家の祖。号に円明寺殿、後一条入道関白など。法名に行雅、行雄、行祚などがある。通称は円明寺関白(えんみょうじ かんぱく)。・・・となっており、これまた、一条家の祖です。

人気のある「一条」という苗字です。

さて、どの一条家が甲斐国の一条庄に関係があったのでしょうか?

そして、甲斐源氏、武田信義の息一条忠頼が一条庄の家司をしていたらしいのです。

wikipediaには、甲斐国山梨郡一条郷(山梨県甲府市)を領し、一条氏と名乗った。と書かれております。


今日は、ココマデにします。

windows10のアップグレードのお知らせが来ました。
皆さまは、どうなさったのでしょうか?

セキュリティを考えると、無料のうちに…と思いますが、それで何か不具合が生じるのでは…と思うと恐ろしいです。
どうしよっかなぁ〜〜〜と悩んでおります。








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再掲 北海道も蚊の季節? 近江八幡の蚊帳

2016-05-26 | 雑記
先日、石狩方面に行ったときに大発生していた蚊。

その蚊にまつわる小話です。


建武の新制・室町時代・戦国時代の時代の九里は、どんなことをしていたのでしょうか。

おもに、商業関係らしいのですが【得珍保】・【三村庄】などの荘園の監理をしていたようです。


近江八幡の岡山城に居る頃でしょうか、奈良でその当時【蚊帳】が大変売れていたそうです。

そこに目を付けた九里は真似をして近江の麻で「近江八幡蚊帳」を試作し、製品化します。


琵琶湖の水の湿気で、他の土地では作ることのできない【麻の繊維】で蚊帳を作ることに成功!!

長命寺に蚊帳を造るために使う竹を切り出しに行っている様子の記述があります。

近江麻生史の文章を書き出してみます。〜〜

『七月二日九里毀若衆十二人キホウ竹切-一上ノ時飯米二下…』

上の記録は、長命寺へ蚊帳の竹切りに登ったというのである。

つぎに、安土の摁見寺(総見寺)の狩野永徳筆の絵馬に蚊帳が描いてある。
その色が萌黄色なので、近江蚊帳の特色をあらわしているから、〜〜云々  


九里氏と村の人々が作った蚊帳が、狩野永徳の描いた絵馬に描かれているとすれば、何て素敵なことでしょう〜♪

近江八幡の蚊帳、どのようなものか見に行ってみたいものです!




【得珍保】は得珍というのは、比叡山延暦寺お坊さんの名前で、平安時代後期にその荘のあたりに用水路を作った人だそうです。

wikipediaには以下のように書いてありました。

遅くとも鎌倉時代頃から戦国時代まで近江国蒲生郡(現・東近江市)に存在した延暦寺東塔東谷仏頂尾衆徒領の荘園である。

保内の今堀日吉神社に保蔵されていた文書によって座商人たちの商業活動が判明している数少ない例であり、後の近江商人につながる中世後期商人たちの拠点となった荘園でもある。

また惣結合(郷村の自治結合)が発達した地としても有名。

保(ほ、ほう)とは元来、律令制における行政単位(国・郡・里)が平安時代中期(11世紀頃)に崩壊する中、国衙領が再編され、

郷(霊亀元年(715年)に里から改称)や名(別名)と並ぶ行政単位となったものである。

未開墾地の開発申請に応じて、国守が認可を与えた荘園を指し、開発申請者が保司に補任された。

以上が、web上にある情報でした。

荘園のことも良くは知りませんが、商人たちを入れて取引の場としても活用されていたのですね。

荘園内で他国(?)から来た人を泊めてはいけない、犬を入れてはいけない、などの決まりもあったようです。

もう一つの【三村庄】の関係では、九里次郎左衛門が東寺の百合文書に書いた文字までも残っており、感激です。伊庭代官だったそうです。

あまり詳しくは判りません。断片のみなのが残念です。



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再掲&追記 謎の別紙古文書、解明なるか?

2016-05-26 | 九里【只今の状況・まとめ】


 http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%C3%B6%C6%E1

 ↑で取り上げていた古文書ですが、

  【 尤 其頃當旦那居城 】もっとも その頃当旦那居城 の部分 旦那という言葉が気にかかります。

 これは、もしかすると甲良氏の大工の旦那のことではないでしょうか?
 
 いやいや、藩主のことも旦那とも言う場合もあるのでは・・・?



もっと詳しく前後を見ますと、

  當家江相勤候儀 寛永年中よりと承傳申候

  尤 其頃當旦那居城

  下野国壬生城ニ御座候 猶承糺可申上候

寛永年中〜〜〜日光東照宮の改修は寛永13年である。

当旦那〜〜〜〜甲良豊後守宗廣 かもしれない。

壬生城〜〜〜〜日光にほど近い所にある。(将軍が日光社参の際には壬生城に宿泊することもあったという。)

因みに寛永年中の壬生城城主は、

               日根野吉明が寛永11年まで
               阿部忠秋が寛永16年まで
               三浦正次が元禄になるまで、、、ですので、その中の誰かの家臣であった可能性もあるかもしれません。

其々の九里との接点としては、

              日根野氏ですと、徳川秀忠の家臣であり、秀忠の妻が浅井家からの有名な【江】ですので、近江とも関連があります。
            日根野吉明の正室が松平一生(かずなり)の娘です。

とすると・・・時代は隔たりますが、以下の文書の存在につながるのでは・・・              

             松平縫殿頭用達九里平左エ門 請書 十二月廿二日
                [慶応3年]12月22日

             土屋采女正用達九里平左衛門 請書 十二月廿二日
             土屋妥女正・松平縫殿頭用達九里平左衛門 請書 
慶応三卯年十二月十六日
(東京大学史料編纂所データより)

              阿部氏ですと、長田氏(おさだ)と関係があるようなので、近江と関係がありそうです。
              (近江八幡の九里村は長田村のすぐお隣!)
               
              三浦氏もやはり秀忠の家臣で、秀忠の妻が【江】です。
 


この九里平左衛門とは? googlebooksからそのまま載せますと、

十村の大淹村平左衛門は郡奉行九里平左衛門より「御座間」工事について質問され、寺院内に領主通り路椽が残っている旨
答え、その見図りを大工に行わせ一貫六〇〇目を算出したと長安寺が町側に伝えた。(近世在郷町の研究)

松平大炊頭内岸清助、松平丹波守内鵜飼十蔵、美濃弓削十郎兵衛、京都居住
町人九里平左衛門
、^、対上手二つ三つ、御直坪田翫碩、京極主膳正内渡辺太郎
左衛門、同木村伝左衛門、江戸住居町人河瀬四郎右衛門、三枝丹波守、対上手三つ (近世風俗見聞集, 第 3 巻)



しかし、偉大なる人物、しかも井口中原系図の中の人物を忘れていないだろうか。

日光東照宮の初めの設計施工者 藤堂高虎の配下だと想像すると、どうなるのだろうか?

寛永時代に手掛けた形跡はあるだろうか? 高虎は寛永7年に没しているので可能性はあるでしょう。

しかも家臣に蒲生姓が居ります。


どの時代もスッキリはしておりませんが、だんだんつながってきそうな感触です。


2016年現在、三浦氏流佐原氏と関係がありそうなので、三浦正次も怪しいかな?と心は傾いておりますが、

皆怪しくなってきてしまったので、其々を調べていかなくては…と思います。


壬生藩の藩主の名前に挙がっていた【三浦氏】に関する今分かっていることは、


三浦安次の妻は朽木元綱の娘で、其の元綱の母親は飛鳥井雅綱の娘なのだそうです。藤原とのパイプがあるということです。

また蛇足であるかもしれませんが、朽木氏は磯野氏の配下にいたこともあるそうです。



















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朽木氏と佐原氏

2016-05-26 | 九里【只今の状況・まとめ】


佐原市の歴史は古く、古代から香取神宮が鎮座し神官の祭典の時に使用する土器、「浅原(さわら)」を造って納めていたので「サワラ」という地名がついたともいわれている。「サワラ」という地名は「浅原」、「左原」、「砂原」、「沙原」などとも書かれるが、建保6年(1218年)の古文書に「佐原」という文字が最初に登場する。wikipediaより

香取神社は中原氏が祭式を執り行うこともあったようです。


佐原氏ですが、江戸時代最後の丹波柏原藩士であった九里敬三の母親が福知山藩士 佐原佐久右衛門の娘です。(政忠の妻)

福知山藩はwikipediaによりますと、朽木氏が常陸土浦藩より転封して以来ずっと朽木氏が福知山藩主でありました。

敬三の祖父政敬は、息が一人=政忠であったので、多分ルーツに近い所からお嫁に来てもらったのではないかとも考えられます。

別紙の【当旦那】が、関係してくるかもしれません。我が家の古文書の別紙。

以前の記事を書いた時よりも、進捗しておりますので、書き直して出したいと思います。


古文書別紙↓

http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/e63a7015c2084976c81ffe666615840d

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再掲 卜部(うらべ)基仲 そして 白川家譜

2016-05-25 | 九里【まとめ】

『基仲帥(そち)』に関してです。

基仲という名前で記録に残っているは私が調べた本では3名でした。(公卿諸家系図: 増補諸家知譜拙記)

卜部基仲

五辻基仲

東園基仲

その中で『蓮乗の祖父』の時代とぴたりと合ったのが、『卜部基仲』でした。またの名が蓮浄で、孫が蓮乗です。(たぶんそうだと思います。)

仁安2年 1164年 近江国司となっております。

そのほかにも美濃守 従4位下 ということ、また「鹿が谷の事件」に関わっていたことが分かりました。

卜部基仲の娘が非常に有名な人だったらしく、あちらこちらに登場します。

その名前は『建春門院伯耆』

建春門院伯耆(けんしゅんもんいんのほうき)鎌倉時代初期の歌人。近江守卜部基仲の娘。神祇伯仲資王の妻。(花山源氏)

…とあり、高倉天皇の生母である建春門院平滋子に出仕、後に土御門天皇の内裏女房。また、斎宮の乳母を務めたという、スーパーな活躍をした女性です。

なるほど、そこで平氏と関係が出てくるのですね。


論文「八条院領の伝領過程をめぐって」のなかに、卜部と橘氏が宇多庄とのかかわりから関係が深まっていくこともおぼろげながらもわかって、

この『卜部基仲』は蓮乗と繋がるだろうと、私には思えるのです!

私の予想。
基仲帥→藤原実明→蓮乗→蓮忍→長男・経重
                      →次男・経季
                      →五男・常忍




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西園寺家と佐原氏、そして北条氏とのつながり

2016-05-25 | 九里【只今の状況・まとめ】

藤原実明の息
園城寺、延暦寺、興福寺、仁和寺と僧が多いです。
一番下の息は【公真】で、醍醐寺です。

蓮乗が実明の息と書かれていた文書は、醍醐寺のものでした。

また、時代は移って戦国時代、九里源兵衛が『天文法華の乱』で法華宗と浄土真宗の調停を試みますが、その役に付いたのも僧に親戚が多かったせいではないでしょうか?

特に蓮忍・常忍は日蓮の弟子ですし、藤原にも、親鸞(中原)にもつながりがあったため、その役に抜擢されたように思えます。
でも、残念ながら調停はうまくはいかなかったようです。


もう一つ、実明の曽孫に当たる【公名】の母親が、【佐原盛連】の娘だそうで、平です。
北条とも関係が深そうです。三浦氏八代当主が盛連の五男(盛時)だそうで、北条時氏と異母兄弟になるそうです。

大和宇陀藩の九里は平姓、大和郡山藩の九里は藤原姓です。

このあたりの系とつながってくると面白いな、と思っております。



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網野善彦著作集の大中臣氏系図

2016-05-25 | 九里【只今の状況・まとめ】

網野善彦著作集を借りて、大中臣氏系図の部分を読んでみました。

中臣不比等=藤原不比等の流れであるにもかかわらず、

藤原氏と名乗ることでヤッカミを受けるために、藤原を名乗らずに「中原」と名乗ることもあった、と書かれておりました。

もしかすると九里の祖の書かれている【近江国御家人井口中原系図】にも、藤原氏だったにもかかわらず、ヤッカミを避けるため中原とした人も交じっているのかもしれないとも思うのです。





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間違い訂正! 蓮乗の母方祖父は蓮浄=基仲帥なので・・・

2016-05-25 | 九里【只今の状況・まとめ】
大間違い!

九里の祖=蓮忍に関係する藤原実明の息とは、蓮乗なのですが、蓮乗の母方の祖父は、基仲帥となっております。

もしも公雅と仮定しますと、玄修が母方の祖父となりますので、間違っています。

他に母親の名が記述されていない息たちが藤原公綱・明暹・明辨(1174-1246)・公遍・公縁・公真と六名おりますので、その中の誰かと思われますが、ひょっとすると正式な息子ではなく、名前が載っていなかったり、宗教上の師弟関係であったり、そのあたりの事はいまだ何も確たる証拠が出てきておりません。

ただ、丹後国河守庄の地頭となった蓮忍入道が、1239年に室尾谷観音寺に山林を寄進していること。

その室尾谷観音寺の中興の祖というのが蓮乗であり、彼が観音寺を立て直してすぐにその寄進が決まっていることなどが、わかっているのみです。


そして、醍醐寺の文書に蓮乗は、前の僧名は慈信。祖父は基仲帥。少納言実明息。と記述がありました。

そのあたりは以前の記事を再掲したいと思います。


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藤原実任と一条実遠とは?

2016-05-24 | 九里【只今の状況・まとめ】
仮定ばかりで恐縮だが、

まず、藤原実明の息蓮乗を公雅(1183-1148)とする。

その公雅の息が実任であり、妻が佐原盛連の娘である。

その二人の子どもが公名である。時連(真野次郎左衛門尉)

つまり、佐原盛連の娘の兄弟には、以下の六名がいるのである。(公名の叔父たち!)

猪苗代経連
比田広盛
藤倉盛義
蘆名光盛
佐原盛時
佐原時連(真野次郎左衛門尉・新宮氏祖)

藤原実任の義理の兄弟となる。


〜〜〜*〜〜〜

公雅の女(娘)は藤原経任に嫁いでおり、息は爲方(1255-1307)である。
実任の叔母である。

この経任・爲方は中御門家である。。藤原北家勧修寺流、勧修寺庶流となる。

一条能保も中御門流である。一条家(いちじょうけ)は、藤原北家中御門流の庶流である公家。「御堂関白」藤原道長の子右大臣頼宗の玄孫である一条通重を祖とする。

藤原通基 ―― 通重 ―― 一条能保

通基の娘が実明の母であるので、能保の父親と兄弟姉妹の関係である。(能保の叔母)・・ということは、実明と能保は従兄弟である。

おまけに、能保の母親は徳大寺公能の娘で、北家閑院流である。実明も北家閑院流である。西園寺と徳大寺は、もともとは、兄弟である。

〜〜〜*〜〜〜

能保を入れて数えて六代目が一条実遠となる。

どのような人だったのだろう。

一条前左兵衛督藤原実遠

一条新少将  弘安7年11月17日  勘仲記  確認してみた。コマ24(国立国会図書館デジタル)

勘中記とは藤原北家日野流広橋家の広橋兼仲の日記である。

広橋 兼仲(ひろはし かねなか)は鎌倉時代後期の公卿。
『民経記』の著者広橋経光の次男。解由小路 兼(かでのこうじ かねなか)の名で知られている。日記『勘仲記』の著者。
       

(嘉暦元年7月24日)

一 通 阿 祢 々 譲 状 案 右 、 両 名 者 、 一 条 左 兵 衛 督 実 遠 卿 後 室 < 真 野 左 衛 状 案 右 、
両 名 者 、 一 条 左 兵 衛 督 実 遠 卿 後 室 < 真 野 左 衛 門 尉 宗 連 先 妻 ・・・

〜〜〜*〜〜〜

以上の事から見て、佐原真野と藤原の北家 閑院流・中御門流とのつながりがあることが判った。

佐原盛連以降なのかどうかまではわからないが、これから探していこうと思う。

九里の祖蓮忍と蓮乗のあたりの記事をまた再掲したいと思う。



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