長年連れ添った亭主、女房といえども所詮は他人、いつもいつも痒いところに手が届く訳でもない。
言葉で伝えなくともあいつなら判ってくれている筈だと思っている。
神に分かつられるまで、無防備に、傍にいてくれるものと信じ込み、人生の黄昏になって突如三下り半を突きつけられて狼狽える。
いっとき、そんな 「熟年離婚」が、矢鱈話題になった。
市民権を得て普通のことになったか、お父さん方が心を入れ替えたか、このところ騒がれないけれど。
ところで、最近は 「死後離婚」が増えているとか。
過日(6/5)の朝日紙 “ 配偶者が亡くなった後、配偶者の血族である姻族との関係を断ち切る死後離婚がこの10年で1・5倍に増えた。女性からの届け出が多いようだ ” とあった。
結婚してできた姻族関係は離婚をすれば自動的に解消する。
が、夫か妻の一方が亡くなり関係を終わらせるには役所へ 「姻族関係終了届」を出す必要があって、これが 「死後離婚」と一般的に呼ばれているようだ。
記事は、“ 核家族化などで負担が重くなりがちな義父母の介護、墓の管理への不安が背景にあるとみられる ” と続けていた。
そんな理由もさり乍ら、遺産のこともあり看取るまでは我慢したけれど、独りになって残りの人生を、妻、あるいは夫として生きたくないと思う方もいるのかも・・・と、思いは巡る。
人それぞれに事情があるのだろうが、絆と柵(しがらみ)、夫婦とはなんとも摩訶不思議なものだ、と改めて思わされた記事ではあった。
夏の花 「向日葵」、花言葉は “ 私の目はあなただけを見つめる ” だそう、そんな昔もあっただろうに。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1330