直木賞作家の葉室麟のベストセラー小説を、『雨あがる』『博士の愛した数式』の小泉堯史監督が映画化した人間ドラマ。無実の罪で3年後に切腹を控える武士の監視を命じられた青年武士が、その崇高な生きざまを知り成長していく姿を師弟の絆や家族愛、夫婦愛を交えて描き出す。過酷な運命を背負いながらもりんとした主人公に役所広司、その監視役の青年には『SP』シリーズの岡田准一。そのほか連続テレビ小説「梅ちゃん先生」の堀北真希や、ベテラン原田美枝子が共演を果たす。
<感想>小説は読んでいません。岡田准一さんが出演とあらば観ないわけにはいくまい。そう思って観賞したので、庄三郎役の岡田さんの侍としての佇まいとか、時代考証は江戸時代なのでしょうか、しかし、まだまだ現代とは違う価値観があり、そこには古き日本の根底にある美意識があるように感じ取れました。
師と仰ぐ黒澤明監督の精神を継ぐ小泉堯史のこだわりとは。秋谷と庄三郎の姿に、黒澤監督との関係を重ね合わせたようで、撮影方法も黒澤スタイルを真似て、一つのシーンを複数のカメラで同時に撮影し、本番一発勝負にてキャストも全精力を注ぎこんだそうです。それに、デジタル全盛の時代において、フィルムの色調を好み今回の撮影に用いているそうです。
冒頭での豪雨の中、風で墨が飛び隣の席にいた水上の裃汚してしまった岡田くん。怒った水上が刀を抜き喧嘩になり、水上の足を怪我させてしまった庄三郎。その不始末の罪を免れる代わりに、幽閉されている戸田秋谷を見張るように言い渡される。
幽閉中の戸田秋谷の罪は、密通によるものだとか、後半で分かるのですが、それは7年前に起きた御家騒動によるもので、殿様に可愛がられた側室である寺島しのぶの息子を殺害するために、夜中に起こった出来事。
その時、そこへ立ち会った戸田秋谷が、バッタバッタと狼藉ものを切り捨てたのだが、つまりは本妻が仕掛けたことで、自分の息子を後継者としたいがための殺害計画だったというわけ。側室のおよしの方の息子は殺されたのだが、病死にされてしまう。
ですが、当時は世継ぎ騒動での御家騒動なんてことが江戸へ知られれば、藩ごと御取り潰しに会うために、殿が戸田秋谷に頼んだことで、藩の存続のために冤罪なれど戸田秋谷が罪を一人で被ったということが明らかになる。つまりは、「義を見てせざるは、勇なきなり」罪を自ら望んで背負う、藩のために、一人の女のために、側室のおよしの方とは幼馴染の間柄だった秋谷。
それに、当時は、殿の奥方になる女性は、氏素性をあまり調べずにめとったようで、檀野庄三郎が後に調べると、奥方はあの憎い悪商人播磨屋の娘が旗本に養女として貰われ、殿の奥方になったというわけ。それもこれも、上の偉いサン方は全部承知で決めたこと。理不尽なことがまかり通る江戸時代の封建制度。それに、農民らは法外な年貢の取り立てに、米の借入時まで指図される始末。それで、戸田秋谷が村人を懐かせて百姓一揆を扇動しているということまで話が大きくなっていた。
藩の歴史をまとめる家譜の編さんを命じられていた傍ら、畑仕事をし、1日、1日を大切に過ごす秋谷。庄三郎はその人柄と慎ましやかな暮らしぶりに触れる。庄三郎は秋谷が不義密通するような人物に思えず、娘の薫たちとも心を通わせる。薫には堀北真希ちゃんが演じていて、綺麗ですね、本当に彼女は時代劇に向いている。そして、秋谷の妻には原田美枝子がこれまた綺麗で、現金収入を得るためにイ草のゴザを編む。最後には、夫の秋谷に手を握られ夫婦として連れ添って良かったと感じるシーンもあります。
そういえば、「柘榴坂の仇討」の映画でも、夫婦の在り方というか、夫の優しさと思いやりを感じるシーンがありましたね。庄三郎も同じく、寺の急な石段を上がる時に、薫に手を差し伸べてました。それに、薫も好きだという意思表示を朝食の卵で表現してましたね。
そんな時代でも、武士としての生き様だと思うが、日本人の礼節と侍としての忠義や切腹で死ぬという当たり前の伝統が、ここでもまざまざと見せられる。それに、幼い息子が農民の友人が殺されたのを見て、家老の屋敷に直訴をしにいくのも、これはきっと息子は家来に斬られてしまうと思った。でも、息子と一緒に伴をする庄三郎。それを知り馬で駆けつける父親の秋谷。
奥方の企てた世継ぎ騒動事件のことを隠蔽しようと企む家老。それでも、父親は自分が一人背負えばいいと、きっぱりと家老に談判する姿勢に父親としての威厳と武士としての魂が感じ取られました。
人間同士の絆の尊さが、最期には晴れたような素顔の戸田秋谷を演じた役所広司の演技も見事で、庭には柚子の白い花が咲いていて、何も残すことはないと言わんばかりの、武士の鑑のような晴れやかな姿に、日本の時代の歴史を感じ取ることができました。
2014年劇場鑑賞作品・・・308 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
<感想>小説は読んでいません。岡田准一さんが出演とあらば観ないわけにはいくまい。そう思って観賞したので、庄三郎役の岡田さんの侍としての佇まいとか、時代考証は江戸時代なのでしょうか、しかし、まだまだ現代とは違う価値観があり、そこには古き日本の根底にある美意識があるように感じ取れました。
師と仰ぐ黒澤明監督の精神を継ぐ小泉堯史のこだわりとは。秋谷と庄三郎の姿に、黒澤監督との関係を重ね合わせたようで、撮影方法も黒澤スタイルを真似て、一つのシーンを複数のカメラで同時に撮影し、本番一発勝負にてキャストも全精力を注ぎこんだそうです。それに、デジタル全盛の時代において、フィルムの色調を好み今回の撮影に用いているそうです。
冒頭での豪雨の中、風で墨が飛び隣の席にいた水上の裃汚してしまった岡田くん。怒った水上が刀を抜き喧嘩になり、水上の足を怪我させてしまった庄三郎。その不始末の罪を免れる代わりに、幽閉されている戸田秋谷を見張るように言い渡される。
幽閉中の戸田秋谷の罪は、密通によるものだとか、後半で分かるのですが、それは7年前に起きた御家騒動によるもので、殿様に可愛がられた側室である寺島しのぶの息子を殺害するために、夜中に起こった出来事。
その時、そこへ立ち会った戸田秋谷が、バッタバッタと狼藉ものを切り捨てたのだが、つまりは本妻が仕掛けたことで、自分の息子を後継者としたいがための殺害計画だったというわけ。側室のおよしの方の息子は殺されたのだが、病死にされてしまう。
ですが、当時は世継ぎ騒動での御家騒動なんてことが江戸へ知られれば、藩ごと御取り潰しに会うために、殿が戸田秋谷に頼んだことで、藩の存続のために冤罪なれど戸田秋谷が罪を一人で被ったということが明らかになる。つまりは、「義を見てせざるは、勇なきなり」罪を自ら望んで背負う、藩のために、一人の女のために、側室のおよしの方とは幼馴染の間柄だった秋谷。
それに、当時は、殿の奥方になる女性は、氏素性をあまり調べずにめとったようで、檀野庄三郎が後に調べると、奥方はあの憎い悪商人播磨屋の娘が旗本に養女として貰われ、殿の奥方になったというわけ。それもこれも、上の偉いサン方は全部承知で決めたこと。理不尽なことがまかり通る江戸時代の封建制度。それに、農民らは法外な年貢の取り立てに、米の借入時まで指図される始末。それで、戸田秋谷が村人を懐かせて百姓一揆を扇動しているということまで話が大きくなっていた。
藩の歴史をまとめる家譜の編さんを命じられていた傍ら、畑仕事をし、1日、1日を大切に過ごす秋谷。庄三郎はその人柄と慎ましやかな暮らしぶりに触れる。庄三郎は秋谷が不義密通するような人物に思えず、娘の薫たちとも心を通わせる。薫には堀北真希ちゃんが演じていて、綺麗ですね、本当に彼女は時代劇に向いている。そして、秋谷の妻には原田美枝子がこれまた綺麗で、現金収入を得るためにイ草のゴザを編む。最後には、夫の秋谷に手を握られ夫婦として連れ添って良かったと感じるシーンもあります。
そういえば、「柘榴坂の仇討」の映画でも、夫婦の在り方というか、夫の優しさと思いやりを感じるシーンがありましたね。庄三郎も同じく、寺の急な石段を上がる時に、薫に手を差し伸べてました。それに、薫も好きだという意思表示を朝食の卵で表現してましたね。
そんな時代でも、武士としての生き様だと思うが、日本人の礼節と侍としての忠義や切腹で死ぬという当たり前の伝統が、ここでもまざまざと見せられる。それに、幼い息子が農民の友人が殺されたのを見て、家老の屋敷に直訴をしにいくのも、これはきっと息子は家来に斬られてしまうと思った。でも、息子と一緒に伴をする庄三郎。それを知り馬で駆けつける父親の秋谷。
奥方の企てた世継ぎ騒動事件のことを隠蔽しようと企む家老。それでも、父親は自分が一人背負えばいいと、きっぱりと家老に談判する姿勢に父親としての威厳と武士としての魂が感じ取られました。
人間同士の絆の尊さが、最期には晴れたような素顔の戸田秋谷を演じた役所広司の演技も見事で、庭には柚子の白い花が咲いていて、何も残すことはないと言わんばかりの、武士の鑑のような晴れやかな姿に、日本の時代の歴史を感じ取ることができました。
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