道を間違えたかと不安に襲われ始めたころ、奥社入口に着いた。
なるほど、一面雪景色である。山門から真っすぐに伸びる参道も例外ではなく、聞いてきた通り、除雪作業を一切受け入れていない。山門の前にそば屋が一軒見える。これも『うずら家』の情報通り。見れば、札が貼ってある。長靴の貸し出し、半日二百円、一日三百円。長靴のみならず、スノーシューやノルディックスキーの貸し出しまである。ノルディックスキー?
長靴を半日借り、雪の上へ歩を進める。
雪の表面は、何人もの足で踏み固められている。深さは推し量りがたい。ときどきくるぶしまですっぽりはまることがあり、長靴の有難さを思う。参道はどこまで見渡しても真っすぐである。両脇は冬木立が視界を覆っている。道筋は明瞭である。私は一歩一歩、雪を踏みしめて歩く。
遥か前方に人影が現れる。若者四人組である。観光客というのは、マスコミが取り上げさえすれば、こんな雪深いところまで足を伸ばすのである。つくづくもの好きな人たちである。自分のことを差し置いて言えば。
四人組は近づき、私とすれ違い、通り過ぎていった。するとまた、前方に人影が点となって現れる。まるで順番を待っていたかのようだ。今度は男女二人組。近づき、すれ違う。日本酒がようやく回り始めたのか、旅の高揚感からか、気がつけば、私は彼らに声を掛けていた。
「こんにちは」
「こんにちは」
向こうも元気よく挨拶を返す。
また人影。今度は外国人男性二人連れである。二人とも白人で、一方は太っていて、一方はそれほど太っていない。どちらもサングラスをしている。白人の二人連れというのはだいたいこのパターンである。私は敢然と歩を進めながら、彼らとすれ違う際には、ハローではなく、絶対にこんにちはにしてやろうと、心に決めた。彼らはこの国に興味を持ち、この国を旅しているのだ。英語で挨拶されるよりは、日本語の挨拶を見せられた方が絶対に喜ぶであろう。いや喜ぶ如何にかかわらない。ここは日本である限り、日本語で挨拶すべきなのだ。
たかが挨拶にかくまでの意気込みを抱き、私は彼らとのすれ違いざまに「こんにちは」と声を掛けた。
二人組は照れたような笑顔を見せ、頷き、去っていった。挨拶を返さなかったところを見ると、どうも日本語をあまり勉強してこなかったらしい。旅先の国の挨拶言葉くらいは練習して来るべきだ。それにしても、奥社はまだかしら。
ようやく着いたかと思った通用門は、奥社と奥社の入口の中間に位置する随神門であった。
いまだ道半ば。仰げばまだまだ先がある。道の左右には、樹齢を数世紀数えなければならないような立派な杉が連なっている。視界はさらに狭められる。両脇にずらりと並ぶ大樹たちはまるで、捧げ銃をした巨大な護衛兵たちである────彼らが護るのは、もちろん我々旅人ではない。我々無遠慮な侵入者から、神殿を護るのである。
さらに歩を進める。何だか様子がおかしい。道は緩やかにうねり始め、勾配がつき、いよいよ雪山登りの観を呈してきた。息が切れる。体が汗ばむ。どうも一合のひや酒が本格的に効き始めたらしい。
ぜいぜい言いながらがむしゃらに歩いていたら、親子三人連れに追いついた。赤いダウンジャケットを着た、やんちゃな少年時代の面影が抜け切れていない父親と、おしとやかさの見本のような母親と、おさげ髪の女の子。
「マユも杖を持つ。杖を持つからマユに貸して」
杖とは父親が持っている長い木の枝のことである。
「手にとげが刺さるから用心するんだよ。転んだらすぐ手を離すんだよ。とげが刺さるから。ほら、転んで目を突いちゃだめだよ」
父親はとんでもない用心を強いる。娘が可愛くてしょうがないのである。
雪道はいよいよ急勾配に、階段状になってきた。しかしこんな幸せ家族が登っているのだから、もちろん私に登れないはずはない。私は息切れを悟られないように挨拶をして彼らを追い越し、ヒマラヤの羊飼いさながらにぐんぐん登っていった。
最後は冗談かと思われるほどの坂道を、どこかの栄養飲料のコマーシャルさながらに一息に駆け上がり、ついに奥社にたどり着いた。
二千年の歴史を持つと言われる戸隠神社、その中でも最も山中に位置する、岩戸伝説の天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る奥社。
私はついにたどり着いたのだ。とは言っても、一向に達成感のある光景ではない。鳥居は四つん這いにならないとくぐり抜けない状態、奥社の神殿に至っては屋根まで雪の中である。これではご神体を冬の間移転させるわけである。私は百メートル走を立て続けに四本走らされた中学生のように全身で息を切らし、雪の上に大の字に寝転がった。
空も山も、全てが白い世界である。死のことを、何となく思う。
生きるとは、死に場所を探し求めることではないか。すると旅とは、潜在的に臨終の地を選ぶ行為か。旅に生き、旅に死すとはそういうことか。ひょっとして、旅そのものが、日常の自分を葬り去る儀式なのではないか。死の仮想体験。馬鹿馬鹿しい。しかし、この冷たい無の静けさは、妙に心を落ち着かせる。
親子三人連れが遅れて登ってきた。おさげ髪の女の子は相変わらずべちゃべちゃとしゃべり続けているが、息の切れている様子はない。こしゃくな娘である。
雪に埋もれた神社を見下ろす位置から、三人手を合わせる。
「お友達がたくさんできますようにってお願いしなさい」と父親。
「お友達がたくさんできますように」と娘。
四月から小学校に上がる娘なのであろう。至極平和な家族である。死闘を終えたボクサーのように肩で息をしている私を残して、彼らは来た道をまた下っていった。
私は一人、虚無の世界に残される。
四半時はじっと景色を見つめていたろうか。
膝に手を当てて立ち上がる。私も下山の途につかねばならない。
(つづく)
なるほど、一面雪景色である。山門から真っすぐに伸びる参道も例外ではなく、聞いてきた通り、除雪作業を一切受け入れていない。山門の前にそば屋が一軒見える。これも『うずら家』の情報通り。見れば、札が貼ってある。長靴の貸し出し、半日二百円、一日三百円。長靴のみならず、スノーシューやノルディックスキーの貸し出しまである。ノルディックスキー?
長靴を半日借り、雪の上へ歩を進める。
雪の表面は、何人もの足で踏み固められている。深さは推し量りがたい。ときどきくるぶしまですっぽりはまることがあり、長靴の有難さを思う。参道はどこまで見渡しても真っすぐである。両脇は冬木立が視界を覆っている。道筋は明瞭である。私は一歩一歩、雪を踏みしめて歩く。
遥か前方に人影が現れる。若者四人組である。観光客というのは、マスコミが取り上げさえすれば、こんな雪深いところまで足を伸ばすのである。つくづくもの好きな人たちである。自分のことを差し置いて言えば。
四人組は近づき、私とすれ違い、通り過ぎていった。するとまた、前方に人影が点となって現れる。まるで順番を待っていたかのようだ。今度は男女二人組。近づき、すれ違う。日本酒がようやく回り始めたのか、旅の高揚感からか、気がつけば、私は彼らに声を掛けていた。
「こんにちは」
「こんにちは」
向こうも元気よく挨拶を返す。
また人影。今度は外国人男性二人連れである。二人とも白人で、一方は太っていて、一方はそれほど太っていない。どちらもサングラスをしている。白人の二人連れというのはだいたいこのパターンである。私は敢然と歩を進めながら、彼らとすれ違う際には、ハローではなく、絶対にこんにちはにしてやろうと、心に決めた。彼らはこの国に興味を持ち、この国を旅しているのだ。英語で挨拶されるよりは、日本語の挨拶を見せられた方が絶対に喜ぶであろう。いや喜ぶ如何にかかわらない。ここは日本である限り、日本語で挨拶すべきなのだ。
たかが挨拶にかくまでの意気込みを抱き、私は彼らとのすれ違いざまに「こんにちは」と声を掛けた。
二人組は照れたような笑顔を見せ、頷き、去っていった。挨拶を返さなかったところを見ると、どうも日本語をあまり勉強してこなかったらしい。旅先の国の挨拶言葉くらいは練習して来るべきだ。それにしても、奥社はまだかしら。
ようやく着いたかと思った通用門は、奥社と奥社の入口の中間に位置する随神門であった。
いまだ道半ば。仰げばまだまだ先がある。道の左右には、樹齢を数世紀数えなければならないような立派な杉が連なっている。視界はさらに狭められる。両脇にずらりと並ぶ大樹たちはまるで、捧げ銃をした巨大な護衛兵たちである────彼らが護るのは、もちろん我々旅人ではない。我々無遠慮な侵入者から、神殿を護るのである。
さらに歩を進める。何だか様子がおかしい。道は緩やかにうねり始め、勾配がつき、いよいよ雪山登りの観を呈してきた。息が切れる。体が汗ばむ。どうも一合のひや酒が本格的に効き始めたらしい。
ぜいぜい言いながらがむしゃらに歩いていたら、親子三人連れに追いついた。赤いダウンジャケットを着た、やんちゃな少年時代の面影が抜け切れていない父親と、おしとやかさの見本のような母親と、おさげ髪の女の子。
「マユも杖を持つ。杖を持つからマユに貸して」
杖とは父親が持っている長い木の枝のことである。
「手にとげが刺さるから用心するんだよ。転んだらすぐ手を離すんだよ。とげが刺さるから。ほら、転んで目を突いちゃだめだよ」
父親はとんでもない用心を強いる。娘が可愛くてしょうがないのである。
雪道はいよいよ急勾配に、階段状になってきた。しかしこんな幸せ家族が登っているのだから、もちろん私に登れないはずはない。私は息切れを悟られないように挨拶をして彼らを追い越し、ヒマラヤの羊飼いさながらにぐんぐん登っていった。
最後は冗談かと思われるほどの坂道を、どこかの栄養飲料のコマーシャルさながらに一息に駆け上がり、ついに奥社にたどり着いた。
二千年の歴史を持つと言われる戸隠神社、その中でも最も山中に位置する、岩戸伝説の天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る奥社。
私はついにたどり着いたのだ。とは言っても、一向に達成感のある光景ではない。鳥居は四つん這いにならないとくぐり抜けない状態、奥社の神殿に至っては屋根まで雪の中である。これではご神体を冬の間移転させるわけである。私は百メートル走を立て続けに四本走らされた中学生のように全身で息を切らし、雪の上に大の字に寝転がった。
空も山も、全てが白い世界である。死のことを、何となく思う。
生きるとは、死に場所を探し求めることではないか。すると旅とは、潜在的に臨終の地を選ぶ行為か。旅に生き、旅に死すとはそういうことか。ひょっとして、旅そのものが、日常の自分を葬り去る儀式なのではないか。死の仮想体験。馬鹿馬鹿しい。しかし、この冷たい無の静けさは、妙に心を落ち着かせる。
親子三人連れが遅れて登ってきた。おさげ髪の女の子は相変わらずべちゃべちゃとしゃべり続けているが、息の切れている様子はない。こしゃくな娘である。
雪に埋もれた神社を見下ろす位置から、三人手を合わせる。
「お友達がたくさんできますようにってお願いしなさい」と父親。
「お友達がたくさんできますように」と娘。
四月から小学校に上がる娘なのであろう。至極平和な家族である。死闘を終えたボクサーのように肩で息をしている私を残して、彼らは来た道をまた下っていった。
私は一人、虚無の世界に残される。
四半時はじっと景色を見つめていたろうか。
膝に手を当てて立ち上がる。私も下山の途につかねばならない。
(つづく)