「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20161102

2016-11-02 | 矮小布団圧縮袋

〇本当に江戸時代末期に逆戻りしているかのような話であるTPPに関しての日本の政府の件は。
 国際的にみても他の国のカードの出し方と違っているのが変なことに大部分の人も気づいている。
 一方でテレビはもとより報道機関も、もっともらしくしてるところが全然だめで異常なことになっている。素朴な生理的な言い方をすれば、なんかおれおれ詐欺みたいなのに集団で遭ってんのか、みたいな気分だ。もっと言えば、日本ってこんな国だったんか、と愕然とするような。
 20年というと、20年前よりもこういうひどい状況になっているという。その間に2011年があったのだが。
 地方や巷の人たちは本当に深く骨髄まで怒っているし、今後何が起こるか、影響を思うと恐ろしい。
 異常な事件も東京五輪もEntertainmentの話題すらも最も危険な話題の紛らかしに利用されているんだろうが。

 今朝のBGM: 街 /堂本剛 (「We are KinKi Kids Live Tour 2016 Tsuyoshi & Koichi」11/1)
 これを最初に聴いたときは、聴いてる自分も今より若かったから、毎日毎日「憤怒」の連続の中で働いて生きている感覚だったし、愛で救えるかどうかとか言われると綺麗ごとのように思える年頃でもあり、随分青い歌詞だなという気がしたもんだ。だいたい、「てめえよか「時代」のせい、にするんかい」とか思ったから。だが10年以上たって、その後の現代日本においても様々なことがあり、自分の人生にも社会的にいろいろなことがあった。本当に久しぶりに昨日この歌を聴いたら、「自分を守り生きていく時代だ」の聴こえ方が随分変わっていた。さほど青臭くもなく、実際洒落にもならんなと思えてきた。歳をとった自分が、少しは素直になってきたのかもしれんが。「時代」は確かに「やべーよ」、と今なら言うだろう。危機感として。(※つよしって人は随分子供の頃から出てて、天才少年的に言われていたところもあるが、結構言葉づかいなんかあんまし器用ではなさそうで、意外と実はこつこつゆっくりやっていくような大器晩成の人な感じがして、この「街」の時はその時で、この人は自分の考えたことを、なんとかしてほんとに自分の言葉で、決してうまいことじゃないけれどどうにか言おうとしたんだろうな、というふうに、今この曲を聴いているとしみじみ思えてくるのだった。)今の10~20代の人たちは(本当に自分なんかより次の世代を長生きするはずの人々なのだが、)こういう歌詞で言ってることをさらに深刻に受け止めてるかもしれんな、という気持ちもした。
 でもってメッセージ性はもとより、毎度圧倒的な説得力でなぎ倒す歌唱力に打たれる。それで生だと来ちゃうんだ。

 レガシーじゃねえよ。そういうの「負の遺産」っていうんだろ。2011年からだって何でもかんでも、それ「負」ばっかじゃねえか。まだ盛る気か。盛るな。

 KinKi Kidsの人たちも朝を迎えたであろう福岡も、昨日の夜から冷えて比較的寒い朝となった。
(写真:ハーバータウンのキイロイトリ)(20161102)
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