
〇田舎者なので、めったに来ない東京に出ると、朝からあちこち行って、一度に用事を済まそうとする。
今季的に開催中の「David Bowie is」展の天王洲にも見に行っちゃう。
今回は一周忌にあたるらしく大回顧展。カフェに行った2013年3月のThe Next Dayの時には、その数年後にこういう感じになるとは考えていなかったなあ。

しかし展示は本当に素晴らしい。確かに普通に読んで聴いて見て回るのに2時間はかかった。もはや博物館である。これこそが世界水準で一流のcuratorの仕事なのですな。勉強になります。
自分などは子供の頃読みふけった音楽専科社の「8ビートギャグ」で知った影響が強く、Bowie先生に関する自分の知識のレベルも60~70年代のものをはじめとしてからそう詳しいわけでもなく、ましてやリアルタイムの熱狂そのものではありえないだろうなと思っていたのだが、これだけ丁寧にかつ怒涛のように熱っぽく展示されているのを見ていると、これじゃ確かに当時の人たちの既成の価値観ががばっとかき乱されたわけだわ、今見てもこりゃ只事じゃないな、と思われるような迫力をひしひしと感じる。今から見ると、もはや「古典的」ともいえるネタも、いっぱいあることがわかったし(「これって、David Bowie先生のパロだったのね」的に)基礎教養だね。(※ro69も紹介している。)
何よりも、Bowie先生は(独特の「美」はもちろんとして)地味ながら物凄くこだわる手仕事的な職人性と、シニカルな知性と、不思議な積極性と、奇妙な秘密性と、人前に出た時にばーんと発揮される女優みたいな爆発力と、…等々様々な要素が一人の人間のキャラクターの中に複雑に絡み合っていて、そういうのを全部ひっくるめて、ご自身の人生そのもの含めて全部を凄い作品にしてしまったような人だったのね、と実感して心打たれます。
本人の手書きの歌詞だの手紙だのレイアウトだのイラストだののノートがとっても手作りで真面目でいいのだ。
「周期表」だってDavid SylvianもDave Gahanも入ってたりするのを一個ずつ読みながら見てたりすると、確かに時間かかるんですわ。
BGM:Boys Keep Swinging (「Lodger」1979)
どう考えても1979年よりも後に生まれたっぽい若者たちが、展示で流れているこの曲のPVの画面の前に結構多く立ち止まってて、みんな呆然と見入っているのが、かえって印象的だった。この人たちは知らないかもしれないが、1970年代って過激だったんだよ多分。自分にとっては子供の頃だけど。YMOもこの頃だ。
高倉健を見て映画館から出てくる時みたいに、こういうの見終わって美術館出てくると、ぴっと姿勢を正したくなりますな。

カフェで休憩するキイロイトリたち。
デヴィッド・ボウイ先生のコースターが欲しかったのでヒューガルデンを頼む。「フフフッ」
昼間からとはいえ晃兄さんのようにやさぐれているわけではなく
今日は運転しない日なので、この軽い勢いで午後から夕方までゆらゆらお散歩するの。てな気分。
会場で流れてたRock'n Roll Suicideを思い出しながらいただいておりまする。(20170309)
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