大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【大阪】 天保山

2009年06月07日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
本日の行程:(大阪市営地下鉄・大阪港駅) → 【天保山公園】【海遊館】【安藤忠雄建築展 2009 対決。水の都 大阪VSベニス 水がつなぐ建築と街・全プロジェクト(サントリーミュージアム[天保山])】

昨日は奈良の「山の辺の道」を歩き、入山時間を過ぎてしまったために三輪山に登ることができなかった。
今日改めて三輪山へ行ってみようと思っていたが、くたびれてしまっていたので予定を変更。
「山」とはいえ、海抜4.53メートル、日本一低い天保山に登る(?)ことにした。


天保山は、「天保山公園」の中にある。
鳥羽伏見の戦いの際、大坂城から脱出した徳川慶喜が軍艦開陽丸に乗船したのは、ここ天保山の沖。
この山は、天保2年(1831)から翌年にかけて、川浚えの土砂を積み上げて作った人工の山なのだそうだ。
公園内には、天保山を描いた浮世絵の陶板があり、賑わっていた天保山の様子を伺い知ることができる。


本朝名所「大坂天保山」(初代歌川広重 画)


天保山名所図会「大浚」


「浪花百景 天保山」(南粋亭芳雪 画)


「浪花天保山風景」(歌川貞升 画)
かつての天保山は眺望に恵まれていて、生駒、金剛、比叡の山々や四国、淡路島まで見渡せたという。
花見や景色を楽しむ人々の憩いの場であったそうだ。


大阪港築港の功労者である西村捨三氏の像


大阪築港基石


朝陽岡と銘されるこの石は、彦根藩主井伊家の庭園にあったもの。
西村捨三が井伊家に仕えていた時は、毎日この碑の前で殿様と休憩していたという。


明治天皇観艦之所
明治元年(1868)に、明治天皇が我が国初の観艦式に臨んだことを記念して建てられた。
建立は昭和4年(1929)。


天保山頂の三角点
山頂は、「明治天皇観艦之所」の碑の近くにある。
三角点の傍らの貼紙によれば、「天保山山岳会」で登山証明書を発行してくれるのだそうだ。
こういうのおもしろくって好きだ。
発行してもらおうかなあ。


天保山渡船場
公園のすぐ近くに、天保山渡船場がある。
桜島までの約400メートルを結ぶ。
朝と夕方は1時間に3~4便、日中は1時間に2便の間隔で運行している。
乗船料が無料だというのには驚いた。
利用者は多いようで、渡船場を見ている間にも、次々と人が集まってきていた。


今日の歩数:12,632歩