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沖縄のことあれこれ。

障壁越え「宝島」へ 父の影響で沖縄に関心

2019-01-26 06:15:39 | ニュース

直木賞受賞後、琉球新報のインタビューに応える真藤順丈さん=23日、東京都の講談社

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沖縄戦後から日本復帰までの長大な青春群像劇を描いた「宝島」(講談社)で直木賞を受賞した作家の真藤順丈さん(41)が25日までに琉球新報のインタビューに応じ、沖縄をテーマに選んだ背景に父親や沖縄の小説から影響を受けてきたことを明かした。沖縄出身者でない者が「沖縄」を描くことには「越境者」として「越えなければならない障壁があった」と葛藤を語った。障壁を前に足踏みする時期もあったが、そこを越えたところで「宝島」は生み出された。

「今ある日本国の形が戦後、どう形作られてきたのかを知りたかった。現代にフィードバック(過去を参考に修正)できる要素が戦後の沖縄を描くことで表現できるのではないかと思った」と作品に込めた思いを振り返った。その上で「読んだ人が自分ごととして心に残していってもらって、それが今も続いているんだと歴史的背景を知ってもらう機会になればいい」と読者への波及を期待した。

もともと沖縄については父親から聞かされていた。父親は沖縄にも足を運び、沖縄に関する記事をスクラップしていた。沖縄関連の書籍も身近にあった。沖縄の小説からも影響を受けた。恒川光太郎や池上永一の文芸作品、目取真俊、大城立裕、又吉栄喜の作品も読んだ。真藤さん自身の中に「沖縄」が蓄積していった。

作品中、登場人物の言葉で、日本(ヤマト)が沖縄を切り捨て、アメリカ追従を続ける姿勢を批判するせりふがある。インターネット上には、沖縄を取り巻く現状に重ね合わせた感想が上がっていることに、真藤さんは「そういうところもあるが、どうしてあの場面で登場人物がそういうことを言ったのかを見てほしい。その言葉を吐くまでにどういう経緯をたどったかをぜひ読んでほしい」と強調した。

作品を完成させるまでに7年を要した。沖縄出身者でもない自分が沖縄について書いても「こんなのは違う」「言葉に違和感がある」などの批判が来るのではないか。その覚悟を持てずに足踏みする時期があった。その迷いを抱えたまま、ある時沖縄に赴き、ウタキに向き合い、基地のフェンス越しに米兵と対面してみた。そうする中で「傍観者の視点ではなく、(沖縄の)真ん中に行ってみようと思い切った」。真藤さんが「越境」した瞬間だった。

執筆活動で心掛けていることについて「その『土地の声』をすくい集めて、読んでもらいやすいような形にする。『土地の声』を大事に一番に考えたい。いろいろな問題が立ち上がるときに、必ず一番初めに揺るがされるものだが、一番守らなければならないことだ」と語る。


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食べ物がおいしかった旅行先は? 2位は沖縄、1位はやっぱり…

2019-01-25 20:24:51 | ニュース

JTBは旅のアンケートサイト「たびQ」は旅行先で楽しむ「食」に関するWEBアンケートの結果を24日発表した。

おいしいと思った名産品や食事はどの都道府県にあったかの質問で、沖縄と回答した人が6・3%で2位となった。ただ、1位の北海道は23・9%で大きく引き離されている。

アンケートでは「旅先でその土地、地域の名産品や食事を楽しんだことがあるか」との質問に9割が「ある」と答えた。

「ある」と回答した人においしいと思った食事のあった都道府県を聞いた質問で沖縄は2位となった。

具体的には「ソーキそば」「沖縄そば」「チャンプルー」「ラフテー」などがあった。

 

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命名「チビラーサン」「ウシェーランケー」…

2019-01-25 20:13:16 | ニュース

瀬谷さんが馬主のチビラーサン(梅崎晴光さん提供)

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神奈川県川崎市在住の自営業、瀬谷隆雄さん(70)は所有する競走馬に「チビラーサン」(素晴らしい)や「ウシェーランケー」(見くびるな)など、ウチナーグチに由来する名前を付けている。

復帰直後の沖縄と本土との間には生活水準の格差があった。その頃、長期滞在し、仕事で電話回線や通信工事を手掛けた際、地元の人々に親切にしてもらった記憶が脳裏に焼き付いている。「純粋できれいな目をしたウチナーンチュのように輝いてほしい」。瀬谷さんは大好きな沖縄への思いを愛馬に託している。

福島県出身で電気通信工事の技術者だった瀬谷さんは、26歳の時に単身で会社を立ち上げた。本土では1950年代後半から順次、日本電信電話公社(現在のNTT)により、固定電話のダイヤル直通化が整備されていたが、米占領下にあった沖縄は大きく立ち遅れていた。本土復帰を機に、電電公社は72年から沖縄全域の通信環境の整備に乗り出し、瀬谷さんはその下請けとして工事を担った。

民宿などに泊まりながら、3年かけて県内の有人島を端から端まで渡り歩いた。「生活が大変なはずなのに、どの町にいっても皆優しく迎え入れてくれた」。瀬谷さんはウチナーンチュの「穏やかで温かい人柄にたくさん助けられた」と繰り返す。

沖縄全域での事業が起爆剤となり、自社は急成長した。瀬谷さんは築いた富で競走馬を購入し、馬主となった。

現在は地方競馬も含めると18頭を所有している。うち、昨年デビューした3歳牝馬には「きびきびと立派な走りを見せてほしい」との思いで「チビラーサン」と名付けた。別の牝馬には故翁長雄志前県知事が基地負担を沖縄へ押し付ける日本政府に対して発した「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー」(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)に着想を得て、「ウシェーランケー」と名付けた。

他にも「ウジラーサン」(賢くて美しい)や「キッズウヤウムヤー」(親孝行者)もいる。いずれも沖縄通の友人で、ノンフィクション「消えた琉球競馬」の著者である梅崎晴光さん(56)に相談して決めた。梅崎さんは「ウチナーグチには感情や情景を的確に表す魅力的な言葉が多い」と話す。

「馬の活躍で、少しでも沖縄の皆さんに喜んでもらえたらうれしい」。馬を通じた沖縄への恩返しにかける瀬谷さんの思いは熱い。

(当銘千絵)



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やんばるに初スタバ 本部(もとぶ)で3月、建設中の施設に

2019-01-25 15:29:26 | ニュース

本島北部で初進出となるスターバックスが入る施設(写真手前)=24日、本部町山川

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米コーヒーチェーン大手スターバックスが、沖縄県本部町山川で建設されている新商業施設に出店することが24日分かった。

スターバックスコーヒージャパンによると、本島北部で初出店となる。

商業施設は3月22日に開業を予定している。

沖縄美ら海水族館に近接した立地を生かし、店舗には沖縄の海や環境を考えてもらうようなオブジェを設置する計画だ。 

出店するのは新商業施設の「オキナワ ハナサキマルシェ」。

県道114号沿いでドライブスルーが併設される。

施設は前田産業ホテルズ(名護市、前田裕子社長)が新ホテル「アラマハイナコンドホテル」と併設して整備している。
 
スターバックスは2020年までにプラスチック製の使い捨てストローを廃止する方針だ。そこで海に近い同店舗では沖縄の海や環境保護について考えてもらおうと、地域住民と協力してビーチクリーンで集めたプラスチックの漂着ごみでアートオブジェを作り、店舗に展示する計画を進めている。
 
 

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中城城跡に14世紀前半城壁 貴重な発見、定説より古く

2019-01-24 16:32:59 | ニュース

発見された城壁を説明する中城村教委の渡久地真文化係長。中央の黄色い石積みが14世紀前半の城壁。手前は近代に積まれた城壁で、上部は15世紀前半の城壁=23日、中城城跡

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中城城跡で14世紀前半に積まれたとみられる新たな城壁が見つかった。城壁は19世紀末以降に築かれた城壁の内側に積まれていた。中城村教育委員会が城壁修理のため、石積みの解体を行っており、その作業で発見された。護佐丸以前に城にいたと伝承される先中城按司の時代に築かれたとみられる。従来、中城城の築城は14世紀後半とされてきたが、時期がさかのぼり、城の歴史が書き換わることになる。専門家は「築いた按司の力を示すものとも言える。石積みの時期が特定されることは珍しい。まれな発見だ」と話している。

古い城壁の基礎になっている地層に13世紀後半から14世紀前半の土であることを示す中国の陶磁器の一部が見つかり、おおよその築造年代の特定につながった。角を削り取るなど、精緻に加工した切石(きりいし)を用いており、一の郭(かく)の後に築かれた城壁に比べて丁寧に積み上げてあるのが特徴だ。

15世紀の前半には先中城按司か、護佐丸のどちらかがこの石垣の上に新たに城壁を築いた。

高さを約13メートルに上げ、一の郭を拡張している。防御を強化する目的だったとみられる。


新たに発見された14世紀前半の城壁の位置(丸で囲った場所)(写真は中城村教委提供)

発見された古い城壁は、新たに積まれた城壁によって覆われていた。

築城から年月がたち、傷みが出始めた古い城壁を外から覆って保護したとみられる。

2月4日からは石垣の積み戻しが始まる。村教委の渡久地真文化係長は「再び見られることはまずないだろう。多くの方に見てもらいたい」と呼び掛けた。

 

 

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