●ヨハネ 2:1 「それから三日目に」とは?
「三日目に」は、イエス・キリストの十字架と復活の日の日数の数え方だ。イエスは一日目の金曜日に十字架に掛かって死に、二日目の安息日を挟んで三日目の日曜日に復活した。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四つの福音書とも一日目と三日目の出来事についてはたっぷりと書いているが、二日目の安息日に何があったかは何も書いていない。
ヨハネ2:1の「三日目に」も、これと似ている。ヨハネ2:1の「三日目に」は1:29、1:35、1:43の三つの「その翌日」と連動している。すなわち1:29の「その翌日」で「アブラハムの時代」になり、1:35の「その翌日」で「イサクの時代」になり、1:43の「その翌日」で「ヤコブの時代」になり、2:1の「三日目に」では「ヨセフの時代」をスキップして「モーセの時代」に入る。省略された「ヨセフの時代」は二日目の安息日と同じ扱いだ。
上記は「旧約の時代」との重なりだが、ヨハネは「使徒の時代」とも重ねている。「使徒の時代」においてはイエス・キリストが復活した日から五十日目の五旬節(ペンテコステ)の日に、弟子たちが聖霊を受けた。この五十日をヨハネは三つの「その翌日」と「三日目に」で表している。すなわち1:29の「その翌日」が「十日目」、1:35の「その翌日」が「二十日目」、1:43の「その翌日」が「三十日目」で、「四十日目」はスキップして2:1の「三日目に」で五旬節の「五十日目」を迎えた。
従って、ヨハネ2章には「モーセの時代」の出来事と「ペンテコステの日」の出来事が重ねられている。このようにしてヨハネの福音書においては下記のように「旧約の時代」と「イエスの時代」と「使徒の時代」の三つの時代が同時並行で進んで行く。
この重層構造を用いて記者のヨハネは「イエスの時代」の「人間イエス」に「旧約の時代」と「使徒の時代」の「霊的イエス」を重ねている。「旧約の時代」の「霊的イエス」は聖霊を受けた預言者の内にいる。同様に、「使徒の時代」の「霊的イエス」は聖霊を受けたクリスチャンの内にいる。
それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。(ヨハネ2:1)
「三日目に」は、イエス・キリストの十字架と復活の日の日数の数え方だ。イエスは一日目の金曜日に十字架に掛かって死に、二日目の安息日を挟んで三日目の日曜日に復活した。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四つの福音書とも一日目と三日目の出来事についてはたっぷりと書いているが、二日目の安息日に何があったかは何も書いていない。
ヨハネ2:1の「三日目に」も、これと似ている。ヨハネ2:1の「三日目に」は1:29、1:35、1:43の三つの「その翌日」と連動している。すなわち1:29の「その翌日」で「アブラハムの時代」になり、1:35の「その翌日」で「イサクの時代」になり、1:43の「その翌日」で「ヤコブの時代」になり、2:1の「三日目に」では「ヨセフの時代」をスキップして「モーセの時代」に入る。省略された「ヨセフの時代」は二日目の安息日と同じ扱いだ。
上記は「旧約の時代」との重なりだが、ヨハネは「使徒の時代」とも重ねている。「使徒の時代」においてはイエス・キリストが復活した日から五十日目の五旬節(ペンテコステ)の日に、弟子たちが聖霊を受けた。この五十日をヨハネは三つの「その翌日」と「三日目に」で表している。すなわち1:29の「その翌日」が「十日目」、1:35の「その翌日」が「二十日目」、1:43の「その翌日」が「三十日目」で、「四十日目」はスキップして2:1の「三日目に」で五旬節の「五十日目」を迎えた。
従って、ヨハネ2章には「モーセの時代」の出来事と「ペンテコステの日」の出来事が重ねられている。このようにしてヨハネの福音書においては下記のように「旧約の時代」と「イエスの時代」と「使徒の時代」の三つの時代が同時並行で進んで行く。
→ 使徒の時代 →
→ イエスの時代 →
→ 旧約の時代 →
→ イエスの時代 →
→ 旧約の時代 →
この重層構造を用いて記者のヨハネは「イエスの時代」の「人間イエス」に「旧約の時代」と「使徒の時代」の「霊的イエス」を重ねている。「旧約の時代」の「霊的イエス」は聖霊を受けた預言者の内にいる。同様に、「使徒の時代」の「霊的イエス」は聖霊を受けたクリスチャンの内にいる。