インマヌエル沼津キリスト教会

神の「永遠」の発信教会
沼津市今沢34番地

父を慕う幼子のような信仰(2013.4.28 礼拝)

2013-04-28 21:26:12 | 礼拝メッセージ
2013年4月28日礼拝メッセージ
『父を慕う幼子のような信仰』
【Ⅱサムエル6:12~23】

はじめに
 サムエル記の第二を終わりの方から始めの方に遡って学んでいる礼拝の説教も、今日で4回目になりました。前回はダビデの心が神から離れ、バテ・シェバの夫のウリヤを謀によって戦地の最前線に送って殺してしまった場面を見ました。ダビデはその時までは、心が神から離れることはありませんでした。しかし、イスラエルの王となり、神の箱をエルサレムに運び入れて、神から祝福を約束されてからは、心に隙が出来てしまったようです。その心の隙間にサタンが入り込んだのでしょう。ダビデは人妻のバテ・シェバとの間に姦淫の罪を犯し、さらに、その罪をもみ消すために主人に忠実であったウリヤを殺してしまうという、重大な罪を犯しました。神を恐れる信仰を持ったダビデといえども、人生の頂点に立った時に気が緩み、心に隙が出来てしまうと、このような恐ろしい罪を犯してしまいます。
 きょうの第二サムエルの6章は、まだダビデが頂点に向かって登り坂を上っている時、あと少しで頂上に至るという所です。この時のダビデの心は、神の方をしっかりと向いており、神から離れずにいました。この6章には、イスラエルの王になったダビデが神の箱をエルサレムに運び入れた時のことが書かれています。その時、ダビデは神の箱の前で力の限り踊りました。きょうは、このダビデが神の箱の前で力の限り踊ったことに注目しますが、その前に、そもそも何故、神の箱がエルサレムに無く、運び入れなければならなかったのか、その経緯を見ておくことにしましょう。

1.神の箱を戦場にかつぎ出したイスラエル
 第一サムエル3章の終わりから、4章の始めに掛けてを、ご一緒に見てみたいと思います。まず第一サムエル3章の終わりの方の19節と20節とをお読みします。

3:19 サムエルは成長した。【主】は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とされなかった。
3:20 こうして全イスラエルは、ダンからベエル・シェバまで、サムエルが【主】の預言者に任じられたことを知った。

 この、サムエルが主の預言者に任じられた時、ダビデはまだ生まれていませんでした。その頃に起こった出来事が4章に記されています。
 4章の1節から3節までを、お読みします。

4:1 サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。
4:2 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣ぞなえをした。戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。
4:3 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ【主】は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」

 2節にあるようにイスラエルはペリシテ人との戦いに敗れて、約4千人が戦死してしまいました。それで、イスラエルの長老たちが会議を開きました。この時、イスラエルにはまだ王様がいませんでした。そこで、大事なことについては預言者を通じて神の指示を仰ぎましたが、細かいことについては長老たちが集まって方針を決めていたのですね。
 この長老たちは、自分たちがペリシテ人に負けたのは、戦場に神の箱が無かったからだと考えました。神の箱をシロの幕屋からかつぎ出して軍隊の真ん中にあれば、きっと神がイスラエルに力を与えて下さり、ペリシテ人に勝つことができるであろうと考えました。
 神の箱をかつぎ出すことは、小さな細かいことではなく、非常に大きなことです。このように大事なことを、長老たちは神の意向を聞かずに、自分たちの考えだけで進めてしまいました。これが決定的な失敗でした。もし、この時に長老たちがサムエルを通じて主がこのことを喜ばれるかどうか、伺いをたてていれば、主から「よろしい、神の箱をかつぎ出しなさい、わたしはあなたがたに力を与えよう」という返事があったかもしれない、と私は思います。或いはまた、「かつぎ出さなくてもよい。かつぎ出さなくても、わたしはあなたがたに力を与えよう」とおっしゃったかもしれません。大事なことは、かつぎ出すかかつぎ出さないかではなく、自分たちの行おうとしていることが、主の御心に適うものであるのか、そうではないのか、主に伺いをたてて、主の御心を知ろうとすることではないかと思います。それが、主を愛し、主に心を向け、主と共に歩む、ということだと思います。
 しかし、この時のイスラエルの長老たちは主の御心を知ろうとはせずに、自分たちの考えだけで神の箱をシロの町の幕屋から勝手にかつぎ出してしまいました。長老たちは、これで神が力を与えて下さるであろうと信じていました。そして、それは、ペリシテ人たちにとっても、同じだったのですね。ペリシテ人たちはイスラエルの神の箱が戦場に持ち込まれたことを知って、恐れました。第一サムエル4章の7節に、こうあります。

4:7 ペリシテ人は、「神が陣営に来た」と言って、恐れた。そして言った。「ああ、困ったことだ。今まで、こんなことはなかった。」

 しかし、このピンチが逆にペリシテ人たちを奮い立たせました。9節です。

4:9 「さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」

 そして10節と11節、

4:10 こうしてペリシテ人は戦ったので、イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。
4:11 神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ。

 こうして神の箱が奪われてしまったので、それ以来、幕屋の中に神の箱はなく、至聖所の中は空っぽになってしまっていました。

2.主の前で力の限り踊ったダビデ
 きょうの聖書箇所の第二サムエル6章は、それ以来、何十年振りかで幕屋の至聖所の中に、神の箱を戻そうというものでした。第二サムエル6章の12節から見て行きましょう。(11節までのことは、きょうは省略します。)12節、

6:12 【主】が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された、ということがダビデ王に知らされた。そこでダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。

 この時、神の箱はオベデ・エドムの家に置かれていました。ダビデは、ここから神の箱をエルサレムのダビデの町の幕屋の中に運び入れることにしました。ダビデはそれを喜びを持ってしました。その様子はこうでした。13節、

6:13 【主】の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。

 いったい、どれだけの時間が掛かったのだろうと思いますが、ここに、ダビデの喜びが現れていると思います。そしてその時、ダビデは力の限り踊っていました。14節と15節、

6:14 ダビデは、【主】の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
6:15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、【主】の箱を運び上った。

 この「力の限り踊った」というのが、どんな様子なのかは想像するしかありませんが、それは妻のミカルがダビデを軽蔑するほどのものでしたから、相当に激しく踊っていたのではないかと思います。次の16節に、妻のミカルのことが書いてあります。16節、

6:16 【主】の箱はダビデの町に入った。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が【主】の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。

 この後、20節でミカルはダビデに皮肉を言いました。20節、

6:20 ダビデが自分の家族を祝福するために戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。」

 14節には、ダビデはエポデをまとっていたと書いてあります。しかし、20節でミカルはダビデが裸になったと言っています。これは、ダビデの踊り方があまりに激しかったので、エポデがはだけて、ダビデが飛び跳ねた時にはエポデもはね上がって、裸の体が露わになっていたのだろうと思います。そしてダビデは、汗をびっしょりとかいていたのだろうと思います。ミカルは大人のごろつきを当てはめましたが、私は、幼い子供と重ねるのがふさわしいであろうと思います。幼い子どもが汗びっしょりになって、シャツがはだけているのも構わずに夢中で遊んでいる姿をダビデに重ねたいと思います。
 私は、ダビデは幼子のように夢中になって主の前で踊っていたのだと思います。それが、主を愛しているダビデの信仰だからです。ダビデは主がイスラエルの民を、そして自分を愛して下さっていることを知っていました。そしてダビデもまた主を愛していました。その気持ちが、神の箱をダビデの町に運び入れる時に、爆発的な喜びとなって現れたのだと思います。その神とイスラエルの民との愛の関係は、父と幼子の間の愛のような関係でした。
 神と人との関係を、父と子の関係と重ねることは信仰を理解する上で、非常に大事なポイントであると私は思います。人の子として、この世に遣わされたイエス・キリストもまた、神に対して「アバ、父よ」(マルコ14:36、ローマ8:15、ガラテヤ4:6)と呼び掛けました。神は万物の創造主であり、私たち人間の命も神によって造られましたから、神は私たちの父であり、私たちは神の子です。新約聖書の教えでは、イエス・キリストを信じる者が神の子どもとされるわけですが、その「神の子どもとされる」ということの意味は、「もともとの関係が回復される」という意味においての「神の子どもとされる」ということです。本来は父と子の関係には無かったのが、父と子の関係にされる、というのではありません。神がアダムとエバを造った時には父と子の関係にあったのが、罪が入ってアダムとエバの心が神から離れてしまったために、その父の子の関係が歪んでしまいました。イエス・キリストを信じる者は、その歪んだ関係が回復され、本来の父と子の関係に戻る、という意味において神の子どもとされるのだと解釈すべきでしょう。放蕩息子は父親から離れていても依然として父親の息子です。しかし、離れている時は本来の父と子の関係ではありません。放蕩息子が父親のもとに戻った時、父と子の本来の関係が回復されました。
 ですから神と人とは、たとえ人の心が神から離れていたとしても、父と子の関係にあるのだと言うことができます。そして旧約の律法の規定というのは、父が子を愛しているがゆえに、子の心が親から離れて行ってしまわないように、細かいことまで、うるさいぐらいに定めているものなのですね。それは子を縛るためではなく、親が子を愛しているがゆえです。子供というのは、判断力がまだ十分に育っていませんから、危険なことに巻き込まれないように、親がいろいろとルールを決める必要があります。例えば門限を定めて、何時までには帰宅しなければならないと決めるのも、子供が危険な目に遭わないようにするためです。親は子を愛していますから、そのようにして子を守ります。門限を定めるのは、子を縛るためではなく、子を愛しているからです。同じように、律法の規定も父が、まだ信仰が十分に育っていない、信仰が幼い我が子を愛しているからこそ、授けたルールです。
 或いはまた、私たちは小さな子供には、道路を渡る時には手を上げて横断歩道を渡るように言いますね。手を上げることの意味は、自分が今道を渡るのだと言う合図を運転手に送ることと、もう一つ、子供は体が小さいですから、手を上げて体を大きく見せ、できるだけ運転手に目立つようにする、という意味があると思います。このルールも、判断力が十分でない子供が道を渡る時でも交通事故に遭わないよう、子供を愛しているからこそ教えることです。
 この、道を渡る時に手を上げるという動作を、私は大人になってからは、ほとんどしたことがありませんでした。しかし、沼津に来てからは、よく手を上げて道を渡るようになりました。それは、そこの旧国道1号線を渡る時ですね。夕方、天気が良い時には、私はなるべくジョギングをすることにしています。そんなに長い距離は走りませんが、運動のためと、それから良い景色を眺めると心がリフレッシュされますから、なるべく走るようにしています。そして走るのは、専ら、その海岸沿いの堤防の上の道です。ここからは駿河湾と富士山の両方の景色が楽しめて、本当に心が洗われるような気持ちになります。しかし、唯一の難点は、行き帰りにそこの道を渡らなければならないことです。私が走る夕方は車が多くて、なかなか車が途切れません。2車線とも車が完全に途切れることは、まずありませんから、2車線のうちの片側の車線の車が途切れて、そしてもう片側の車線の車がノロノロ運転になった時に、手を上げて合図を送って道を渡らせてもらいます。この、手を上げて、そこの道を渡る時、道を渡る時は手を上げることを子供の時に教えてもらって良かったなあといつも思います。この、道を渡る時に手を上げるという動作は、子供だけでなく大人にも有効なんですね。
 旧約聖書に記されている律法の規定も、新約聖書の時代になって、すべてが不要になったわけではありません。律法は大きく分けるなら、祭儀的な律法と道徳的な律法の二つに分けることができます。新約の時代になって祭儀的な律法は不要になりましたが、モーセの十戒に代表されるような道徳的な律法は不要になったわけではありません。この律法は、父なる神が、子である私たちを愛して下さっているがゆえに、与えて下さったものです。
 さて、サムエル記第二の6章に戻ると、13節にダビデがいけにえを捧げたことが書いてあります。いけにえを捧げることは祭儀的律法ですが、旧約の時代には、人の心が神から離れないようにするには必要な律法だったのですね。ダビデはそのいけにえを6歩進むごとに捧げ、神を崇める気持ちを示しました。そして、ダビデは幼い子供のように、はねたり踊ったりしました。その姿は親の前で子供がはしゃいでいるようなものでした。そして、このダビデの姿を見て、ダビデをさげすんだミカルには、天の父の愛が、よくわかっていなかったのだと思います。

3.聖霊が注がれていたダビデと注がれていなかったミカル
 幼子のように、はねたり踊ったりしているダビデを見てさげすんだミカルは、信仰が足りない、私たちはそんな風に思いがちかもしれません。しかし、ミカルを責めるのは気の毒だと私は思います。それは、ダビデには聖霊が注がれていましたが、ミカルには聖霊が注がれていなかったからです。聖霊が注がれた者の中には、父・御子・聖霊の三位一体の神がいますから、神の愛を霊的に感じることができます。しかし、ミカルには聖霊が注がれていませんでしたから、神の愛を霊的に感じることは難しいことでした。
 そしてそれはミカルに限らず、イスラエルの民のほとんどに当てはまることでした。イスラエルの民は、ほとんどの場合、神から心が離れていました。時々は神に心が向き、神への信仰心を示すこともありましたが、すぐにまた神から心が離れてしまいました。神は忍耐強く、預言者たちを通じて神に立ち返るように語り掛けましたが、多くの場合、イスラエルの民は耳を傾けようともしませんでした。それはイスラエルの民の信仰が足りなかったからと言わなければなりません。しかし、そもそも聖霊が与えられていない者にとっては、神の愛を感じることが難しいのだという問題がありました。それで神様の側でも、とうとうあきらめて、一人一人に聖霊を与えることにしたのですね。そのことが、はっきりと書かれているのが、エレミヤ書です。
 きょうは最後にエレミヤ書を開いて終わることにしたく思います。エレミヤ書の31章を開いて下さい。旧約聖書の1302ページです。エレミヤ書31章の31節から34節までを、交代で読みましょう。

31:31 見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。──【主】の御告げ──
31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──【主】の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
31:34 そのようにして、人々はもはや、『【主】を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。──【主】の御告げ──わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」

 
 33節に、「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす」とあります。新約の時代のペンテコステの日以来、イエス・キリストを信じる者には誰でも聖霊が与えられるようになり、この33節の預言が成就しました。律法というのは、さきほどの門限の例えで話したように、神の愛の表現です。私たちが神から離れて危険な目に遭わないよう、神が私たちを愛して下さっているがゆえに、私たちに与えられたものです。その愛の律法が、聖霊が注がれるようになったことで、私たちの心の中に置かれるようになりました。それゆえ、私たちは神の愛を心で感じることができるようになりました。

おわりに
 聖霊が注がれる前、私たちはダビデをさげすんだミカルのように神の愛をなかなか感じることができない者たちでした。しかし、イエス・キリストが十字架に掛かって下さり、復活して天に昇り、天から聖霊を注いで下さったことで、私たちにも神様の愛がわかるようになりました。神様は父親のようにたっぷりと私たちに愛を注いで下さっています。
 ですから私たちも、神様の愛に感謝する気持ちを、ダビデのように精一杯、表すことができる者でありたいと思います。ミカルのように冷めた心でいるのでなく、ダビデのように、力の限り、神様をお慕いする気持ちを表現できる者でありたいと思います。
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4月28日礼拝プログラム

2013-04-25 09:04:15 | 礼拝プログラム
インマヌエル沼津キリスト教会
 4月28日礼拝プログラム

 礼拝はどなたでも参加できます
 お気軽にご出席ください

第4聖日礼拝順序

 司  会              矢崎兄
 奏  楽              矢崎姉

 前  奏
 讃 美 ①  十字架のもとに     134
 聖書交読  詩篇138篇全
 使徒信条
 主の祈り
 祈  祷
 讃 美 ②  たとえば私が      395 
 讃 美 ③  起きよ喜べ       236
 聖書朗読  Ⅱサムエル6:12~23
 説  教  『父を慕う幼子のような信仰』
                  小島牧師
 讃 美 ④  とうときこそ主こそ私の 392
 献  金
 感謝祈祷
 頌  栄  父・子・聖霊の     271
 祝福の御言葉
 後  奏
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ヨルダンの東に三度いたイエス(2013.4.24 祈り会)

2013-04-24 16:40:20 | 祈り会メッセージ
2013年4月24日祈り会メッセージ
『ヨルダンの東に三度いたイエス』
【ヨハネ1:28、3:22、10:40】

はじめに
 前回は、ヨハネ12:28に注目しました。12:28は、ヨハネの福音書の中で唯一、天の父の声が記されている箇所です。天の父が直接話されたことばですから、重要であることは、言うまでもありません。ここで天の父はこのように仰せられました。

「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」(ヨハネ12:28)

 ここで父が既に現した栄光とは、旧約の時代の栄光であるということを先週話しました。旧約の時代、イスラエルの民はエジプトで奴隷になっていましたが、神はモーセをリーダーにしてイスラエルの民をエジプトから脱出させ、その後に律法を授けました。この旧約の時代の出来事が、このヨハネ12:28で父が仰せられた、「すでに現した」栄光です。このことがわかると、ヨハネの福音書の背後には旧約の時代が重ねられていることに気付くようになります。逆に、この「すでに現した」栄光を、イエスの時代の中の出来事から探そうとするなら、いつまでたってもヨハネの福音書の背後に旧約の時代が重ねられていることに気付きません。
 きょうは、先ほどご一緒に読んだヨハネの福音書の中の3つの箇所を見ながら、ヨハネの福音書の背後には、旧約の時代がどのように重ねられているかを、説明して行くことにします。

1.東西南北に活発に移動するヨハネの福音書のイエス
 ヨハネの福音書は、マタイ・マルコ・ルカの福音書と異なる点がいろいろあります。中でも、イエス・キリストが東西南北に活発に動いている様子は、マタイ・マルコ・ルカとは随分と異なります。
 マタイ・マルコ・ルカの福音書のイエスは、北のガリラヤ地方で宣教を開始してからは、ずっと北方で宣教をしていて、終盤に入ってから南方のユダヤ地方に移動してエルサレムに入京して十字架に掛かって死にました。北方ではピリポ・カイザリヤを巡るなど、あちこちに移動していますが、それらは皆、北方でした。マタイ・マルコ・ルカの福音書のイエスの旅の行程は、単純化して言えば、北から南へ一方通行で一回移動しただけのものでした。そしてマタイ・マルコ・ルカの福音書にはイエスがヨルダン川を渡ったことは記されていません。
 それに対してヨハネの福音書のイエスは、何度もヨルダン川を渡って東西に移動していますし、北方のガリラヤとサマリヤ地方と南方のユダヤ地方との間の南北の移動も何度もしています。このことについては、注解書を読むと、いろいろな理由があげられています。例えば、ヨハネの福音書にはマタイ・マルコ・ルカには記されていない初期の頃のイエスの宣教活動が記されているのだということが良く言われます。また南北間を頻繁に移動していることについては、ヨハネの福音書の写本が後世に伝わる過程のどこかでページが入れ替わってしまったのだと考える聖書学者が多くいます。もともとの原本ではイエスはそんなに何度も南北移動をしていないのに、ページが入れ替わってしまったために、南北移動の回数が増えてしまったのだという考え方です。
 しかし、これらの考え方のほとんどは間違っています。ヨハネの福音書がどういう書物かというと、ヨハネの福音書はマタイ・マルコ・ルカの福音書に記されているイエスの活動にプラスして旧約の時代の出来事と使徒の働きの時代の出来事を重ねている、そのような書です。ですから、イエスは忙しく動き回っています。ヨハネの福音書のイエスは「イエスの時代」という現在を中心にして「旧約の時代」という過去にも、「使徒の時代」という未来にも同時に存在しています。人間にとっては、「イエスの時代」を「現在」とするなら、「旧約の時代」は「過去」であり、「使徒の時代」は「未来」です。しかし、神にとっては「旧約の時代」は過去ではなく、「使徒の時代」も未来ではありません。神にとっては、過去・現在・未来の三つの時のいずれもが「今」です。人間の側から見ると「旧約の時代」の神は御父が中心で、「イエスの時代」の神は御子が中心で、「使徒の時代」の神は聖霊が中心で、それぞれの時代に中心となる神がいるように見えますが、神は三位一体の神であり、神にとっては全てが今ですから、過去・現在・未来の三つの時は一つであり、「旧約の時代」は御父が中心だとか、「イエスの時代」は御子が中心だとか、「使徒の時代」は聖霊が中心であるということはありません。
 私はこれを「三時一体の神」と呼ぶことにしようかと、いま考えているところです。神は過去・現在・未来の三つの時が一つになっているから、「三時一体の神」です。三位一体の神の三位というのは、第一の位格の御父・第二の位格の御子と第三の位格の聖霊の三つの位格が一つになっているので、「三位一体の神」と呼ばれます。しかし、キリスト教になじみのない一般の人々に御父・御子・聖霊の三つの位格の話をしても、わかりにくいだろうと思います。過去・現在・未来の三つの時が一つになっているというのも、わかりにくいかもしれませんが、御父・御子・聖霊の三つの位格が一つというのよりは、少しはわかりやすいのではないかなあと思います。ですから私は、「三時一体の神」をキャッチフレーズとして広めることができないだろうか、と今考えているところです。それとも、「三位一体の神」がなまったような感じで、今一つでしょうか?

2.アブラハムにハラン出立を促した神(ヨハネ1章)
 さて、ヨハネの福音書には「三時一体の神」が描かれていますから、「イエスの時代」にさらに「旧約の時代」と「使徒の時代」が重ねられています。そして、きょうは『ヨルダンの東に三度いたイエス』というタイトルで、旧約の時代がどのように重ねられているかを説明します。
 先ほどはヨハネ1:28と3:22と10:40をご一緒に読みました。そして、ヨハネ1:28でイエスがヨルダンの東にいたことは、創世記のアブラハムの時代、アブラハムがまだアブラムでカナンに入る前、ヨルダン川の遥か東方にあるウルとハランにいた時のことが背後に重ねられています。3:22では、ヨシュア記の時代にイスラエルの民がヨシュアに率いられてヨルダンの東から西に渡った時のことが背後に重ねられています。そして10:40では、イスラエルの民がバビロンに捕囚に引かれて行ったことが背後に重ねられています。バビロンもまたヨルダン川の遥か東方にあります。
 1:28がアブラハム、3:22がヨシュア、10:40がバビロン捕囚ということから分かっていただけると思いますが、ヨハネの福音書の背後には、旧約聖書の時代が歴史の順番通りに重ねられていて、「旧約の時代」が流れています。10章がバビロン捕囚だとすれば、11章はエズラ・ネヘミヤ記の時代だろうと予想できますね。その通りです。11章でイエスはヨルダン川を渡って東から西へ移動して、死んだラザロをよみがえらせました。これは「旧約の時代」にあっては、エズラ・ネヘミヤの時代にイスラエルの民がバビロンからエルサレムに帰還して、エルサレムを再建したことに対応しています。イエスの動きの背後に創世記や出エジプト記、ヨシュア記や列王記、そしてエズラ記やネヘミヤ記が重ねてあるということは、それらの旧約聖書の時代にも「三時一体の神」であるイエスは、常にそこに存在していたのだ、ということを示しています。
 イエスがどのような形で存在していたのかも、ヨハネの福音書を良~く丁寧に読み込めば、わかります。背後にある旧約聖書の時代の人物が預言者である場合には、イエスはその預言者の中にいます。預言者は聖霊が注がれた存在ですから、イエスは聖霊が注がれた預言者の中にいます。一方、登場人物が預言者ではない場合には、イエスはその登場人物の中にはおらず、別の人物としてその登場人物に接します。
 例えば、最初に読んだ1:28では、イエスはアブラハムの中にはいません。アブラハムは預言者ではなかったからです。しかし、アブラハムの中にはいなくても、すぐ近くにはいました。29節では、イエスがバプテスマのヨハネのほうに向かって歩いて行きます。これが、神がアブラハムのほうに近付いて行ったことを表しています。ここではバプテスマのヨハネにアブラハムの役が与えられており、アブラハムに神が近付いて行きました。少し前後しますが、23節に、バプテスマのヨハネが、「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です」(ヨハネ1:23)と言ったことが記されています。アブラハムは「信仰の父」と呼ばれていますから、まさに主の道をまっすぐにして整えた者の一人です。そのアブラハムの役をバプテスマのヨハネが担っているのです。
 そして創世記12章に、まだヨルダン川より東方にあるハランの地にいたアブラハム(当時はまだアブラム)に、神が話し掛ける場面が記されています。ご一緒に見てみましょう。創世記12章(旧約聖書16ページ)、1節から4節までをお読みします。

12:1 【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
12:4 アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。

 このように神はアブラムに語り掛けました。これがヨハネの福音書の1:29でイエスがバプテスマのヨハネのほうに近付いて行ったことに対応します。一方、預言者の場合、イエスは多くの場合、預言者の中にいます。先週、2章4節でイエスが母に向かって、「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。」と言ったことを見ましたが、この場面は、モーセが自分を生んだ母に向かって言った言葉であると考えて良いだろうと思います。モーセとイエスとは完全に一体になっています。
 モーセの後継者のヨシュアとイエスとが、どれだけ一体化していたかは定かではありませんが、イエスがヨシュアとともにおられたことは確かです。ヨシュア記を読むと、神がヨシュアとともにおられたことが書かれています。そのヨシュアに率いられてイスラエルの民がヨルダン川を渡ってカナンの地に入った出来事がヨハネ3:22と重ねられていることが、前後関係からわかります。ヨハネ3:22に、「その後、イエスは弟子たちと、ユダヤの地に行き」とあります。この「ユダヤの地に行き」が、ヨシュアの時代にイスラエルの民が神と共にヨルダン川を渡ったことに重ねられています。

3・エルサレム滅亡寸前のエレミヤの叫び(ヨハネ10章)
 そして、きょうの最後はヨハネの福音書10章を開きましょう。10章40節に「そして、イエスはまたヨルダンを渡って」とありますから、ここでイエスはヨルダン川の東側に移動したわけですが、これは始めに話したように、イスラエルの民がバビロンに捕囚として引かれて行ったことに対応します。預言者で言うなら、バビロンに引かれて行った預言者はエゼキエルです。また、10章のイエスのことばの多くは、エレミヤの叫びと重ねることができます。ヨハネ10章の1節を見て下さい。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。」(ヨハネ10:1)

 これはエレミヤの時代に、外国人の略奪隊がエルサレムを攻めたことに対応します。列王記には、その頃の様子が次のように記されています(Ⅱ列王24:1,2)

24:1 エホヤキムの時代に、バビロンの王ネブカデネザルが攻め上って来た。エホヤキムは三年間彼のしもべとなったが、その後、再び彼に反逆した。
24:2 そこで【主】は、カルデヤ人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた。ユダを攻めて、これを滅ぼすために彼らを遣わされた。【主】がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。

 このようにエルサレムは外国人の略奪隊に攻められて風前の灯火の状態にありました。この時、預言者エレミヤは悲痛な叫びをあげていたわけですが、それがヨハネ10章のイエスのことばと重ねられています。滅亡寸前のエルサレムでエレミヤが感じていた危機感とあせりとを、10章1節のイエスのことば、「羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です」からも感じることができます。10章には、その他にもいろいろと面白いことがあります。
 10章23節に、「時は冬であった」とありますね。そして35節でイエスは「聖書は廃棄されるものではない」と言っています。これはエレミヤの時代の、ある冬にエホヤキム王が神のことばが書かれた巻き物全部を暖炉の火で焼きつくしたこと(エレミヤ36:22,23)と重ねられています。
 この時にエレミヤが感じていたあせりや怒りや絶望がヨハネ10章のイエスのことばからも感じられます。このように「三時一体の神」であるイエスは「旧約の時代」にも「イエスの時代」に存在するのと同時に存在していました。

おわりに
 この、過去・現在・未来の三つの時が一つになって存在している「三時一体の神」を、ぜひ皆さんにも感じられるようになっていただきたいと願っています。すると、神との一体感を今までよりも一層感じられるようになると思います。
 私たちはどうしても人間的な思いで動いてしまいがちです。しかし、「三時一体の神」を感じることが少しずつできるようになるなら、神の御心がどこにあるのかを感じる時に、人間的な思いが入り込む余地が少しずつ減らして行くことができるのではないかと思います。そのようにして、神の御心を感じながら、神と共に歩んで行くことができるお互いとしていただけたらと思います。
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主人に仕える信仰(2013.4.21 礼拝)

2013-04-21 13:33:13 | 礼拝メッセージ
2013年4月21日礼拝メッセージ
『主人に仕える信仰』
【Ⅱサムエル11:6~17】

はじめに
 今月の礼拝では、サムエル記を終わりのほうから始めの方へと、遡りながら見ています。前回は第二サムエル15章の、ダビデの息子のアブシャロムが謀反を起こし、危険を察知したダビデがエルサレムの王宮を出て行った場面を見ました。
 ダビデの家は、息子のアブシャロムが謀反を起こすほどにドロドロの中にありました。そのドロドロとは次のようなものです。
 ダビデには何人もの息子たちと娘たちがいました。その息子の一人のアムノンが娘の一人のタマルに恋をして、はずかしめてしまいました。ダビデは息子のアムノンが娘のタマルをはずかしめたことを怒りましたが、アムノンを罰することはしませんでした。そのアムノンに手を下したのが、アブシャロムでした。アブシャロムは謀(はかりごと)をしてアムノンを誘い出して殺してしまいました。
 ダビデはアムノンがタマルをはずかしめたことに怒ってはいましたが、愛する息子の一人ですからアムノンが死んでしまったことを嘆き悲しみました。そしてアムノンを殺したアブシャロムを遠ざけました。このことによってダビデとアブシャロムとの関係がこじれてしまい、遂にはアブシャロムが謀反を起こして、ダビデがエルサレムの王宮を離れなければならない事態に陥ってしまったのでした。
 ダビデの家がこのようにドロドロになってしまったことの発端は、ダビデがウリヤの妻バテ・シェバを見初めて王宮に召し入れたことにありました。バテ・シェバは身ごもってしまい、それをもみ消すためにダビデは彼女の夫のウリヤを戦地の最前線に送って殺してしまいました。それが、先ほど司会者に読んでいただいた箇所です。この11章の箇所は後ほど見ることにして、まず12章の7節からを見てみましょう。ここには、預言者ナタンを通して語られた主の怒りの言葉が記されています。主はダビデのしたことを、非常に怒っておられました。ダビデの家がドロドロになってしまったのは、それゆえです。7節から10節までの、二重の鍵カッコでくくられている箇所が主のことばです。お読みします。

『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。さらに、あなたの主人の家を与え、あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。それなのに、どうしてあなたは【主】のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行ったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』(Ⅱサムエル12:7-10)

 そうして主は11節でダビデにこのように言いました。

『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを起こす。』(Ⅱサムエル12:11)

 主は、「わたしはあなたの家の中から…わざわいを起こす」と仰せられました。ダビデの家の中がドロドロになってしまったのは、それゆえでした。きょうは、ダビデの犯した過ちに、主がどうしてこれほどまでに怒ったのかを、福音書も開きながら、ご一緒に見て行くことにします。

1.忠臣ウリヤを謀殺したダビデ
 よく言われることは、ダビデは姦淫の罪を犯したということです。確かにそうです。バテ・シェバは人妻でしたから、ダビデは姦淫の罪を犯しました。モーセの十戒にも「姦淫してはならない」(出エジプト20:14)と書いてありますから、これは大きな罪です。しかし、主は姦淫の罪だけでダビデの上に災いを起こすほど激しく怒ったわけではないのですね。主が激しい怒りを向けたのは、姦淫の罪そのものより、むしろその後でダビデがもみ消し工作として行なったことに対してでした。12章9節で主はダビデに「あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした」と仰せられました。このダビデがウリヤを殺した謀(はかりごと)は、全くひどいものでした。それが、先ほど司会者に読んでいただいた11章6節からの箇所です。
 その前の5節には、バテ・シェバがダビデの子をみごもったことが書かれています。バテ・シェバの夫のウリヤはずっと戦場で戦っていましたから、もしバテ・シェバが子供を産んだら、ダビデが姦淫の罪を犯したことが国中に知れ渡ってしまいます。それで、ダビデは、この不始末をもみ消すために、ウリヤを戦地から呼び戻すことにしました。11章6節、

11:6 ダビデはヨアブのところに人をやって、「ヘテ人ウリヤを私のところに送れ」と言わせた。それでヨアブはウリヤをダビデのところに送った。

 そうしてウリヤが戦地から戻り、ダビデの所に入って来ると、7節にあるように、ダビデはウリヤに尋ねました。「ヨアブは無事でいるか、兵士たちも変わりないか、戦いもうまくいっているか。」
 ダビデはウリヤに親しく話し掛けました。王であるダビデが一介の戦士であるウリヤに親しげに接することで、ウリヤを喜ばせてウリヤの緊張を解き、自宅でくつろぐことができるように仕向けたのでしょう。そして8節、

11:8 それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って、あなたの足を洗いなさい。」ウリヤが王宮から出て行くと、王からの贈り物が彼のあとに続いた。

 こうしてウリヤが家に帰れば、バテ・シェバに出来た子供はウリヤの子供であるとすることができます。しかし、ダビデの作戦はうまく行きませんでした。9節、

11:9 しかしウリヤは、王宮の門のあたりで、自分の主君の家来たちみなといっしょに眠り、自分の家には帰らなかった。

 そこでダビデはウリヤに聞きました。「あなたは遠征して来たのではないか。なぜ、自分の家に帰らなかったのか。」(11:10)
 ウリヤはダビデに答えました。
「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか。あなたの前に、あなたのたましいの前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません。」(11:11)
 そこでダビデはもう一晩ウリヤをエルサレムにとどませることにしました。13節、

11:13 ダビデは彼を招いて、自分の前で食べたり飲んだりさせ、彼を酔わせた。夕方、ウリヤは出て行って、自分の主君の家来たちといっしょに自分の寝床で寝た。そして自分の家には行かなかった。

 酒に酔えば妻のバテ・シェバが恋しくなるだろうとダビデはウリヤを酔わせましたが、ウリヤはこの晩も家に帰りませんでした。そこで14節と15節、

11:14 朝になって、ダビデはヨアブに手紙を書き、ウリヤに持たせた。
11:15 その手紙にはこう書かれてあった。「ウリヤを激戦の真っ正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。」

 冷酷な命令を伝えるヨアブへの手紙をダビデはウリヤ自身に持たせました。そうして17節にあるように、ウリヤは戦死しました。この6節から17節までで、特に注目したいのが、11節のウリヤのことばです。

 「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか。あなたの前に、あなたのたましいの前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません。」(11:11)

 ウリヤはまず、神の箱のことに言及しました。普段のダビデであったなら、ダビデは主を恐れる信仰を持っていましたから、自分がしていることが主を恐れない罪深いことであることに気付いたことでしょう。我に返り、悔い改めたことでしょう。しかし、その時のダビデは自分の不始末をもみ消すために必死で、自分の心が神から離れていることに気付きませんでした。
 そしてウリヤはイスラエルとユダの人々に言及し、そして自分の主人のヨアブと、同僚の家来たちについても言及しました。ウリヤの主人のヨアブは将軍でした。その主人である将軍ヨアブも野営しており、同僚の家来たちも野営しているのに、自分だけ家に帰ることはできないとウリヤは言いました。ウリヤはこのように真面目で主人に忠実な戦士でした。そしてウリヤは真面目で忠実だけでなく、非常に有能な勇士でした。ウリヤは、サムエル記の中で「あの三十人」と特別に名前が挙げられたほどの勇士でした。23章を見てみて下さい。第二サムエル23章24節に、「あの三十人の中には次の者がいた」とあります。そして23章の最後の39節に、「ヘテ人ウリヤ」とあります。ダビデの軍隊には有能な勇士がたくさんいたことと思いますが、「ヘテ人ウリヤ」は、「あの三十人」と呼ばれるほどに有能な勇士だったのですね。この勇士たちはダビデがまだ王になる前から、ダビデと行動を共にしていました。ダビデが王になれたのも、この勇士たちがいたからでした。
 それほど有能で忠実な戦士であったウリヤを、ダビデは自分の不始末をもみ消すために殺してしまいました。このことに主が激しく怒ったのは、ウリヤが軍隊の上下関係に忠実だったことを、ダビデが利用したことが大きな要因ではなかったかと思います。人間社会の上下関係と信仰の主従関係(主とそれに従う者との関係)はとても良く似ています。主は、忠実なしもべを、ことのほか喜ばれます。たとえばマタイの福音書には、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイ25:21,23)ということばがあります。このように信仰は主人としもべとの関係に例えることができます。

2.イエスが驚いた百人隊長の信仰
 信仰が、主人としもべとの主従関係と密接に関係していることを示す福音書の箇所は、他にもあります。例えばイエスが百人隊長の信仰をほめた場面です。そこをご一緒に見ることにしましょう。マタイの福音書の8章の5節から10節までです。新約聖書の13ページです。8章の5節から10節までを交代で読みましょう。

8:5 イエスがカペナウムに入られると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、
8:6 言った。「主よ。私のしもべが中風で、家に寝ていて、ひどく苦しんでいます。」
8:7 イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」
8:8 しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。
8:9 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」
8:10 イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。

 ここで、イエスが百人隊長の信仰を褒めた理由は、一つだけではなく、いくつかの理由があると思います。まず一つは、百人隊長がローマ兵の百人隊長であってイスラエル人ではないということです。イスラエル人ではないのに、イスラエル人のうちにも見たことがないような立派な信仰を持っているということでイエスは驚いていました。
 二つめは、イエスもまた権威の下にある存在であることを百人隊長が知っていたことです。百人隊長はローマ皇帝の権威の下にありました。そして百人隊長はイエスもまた神の権威の下にあることを知っていました。イエスはナザレ出身の田舎者だとか、単なる教師なのではなく、神の権威の下にある存在であることを百人隊長は知っていました。そのことにイエスは驚きました。
 そして三つめは、百人隊長は、イエスがことばだけで病人を癒すことができることを信じ切っていたことに驚きました。百人隊長はイエスが神の権威の下にあることを知っていましたから、つまりそれは百人隊長は神への信仰を持っていたということです。イエス・キリストには百人隊長がそのような信仰を持っていることに気付き、驚きました。

3.よく似ている信仰と人間社会の主従関係
 百人隊長はローマ人であったにも関わらずイエスが神から遣わされた者であることを知っており、ことばだけで病気のしもべを癒すことができると信じる信仰を持っていました。そして、そのことをローマ軍の主従関係に例えて話しました。イエス・キリストは、そのことを称賛しました。つまりそれは、国家や軍隊などの人間社会の主従関係と信仰における神と人との関係が、非常に良く似ているということです。
 ウリヤは主人の将軍ヨアブに忠実で有能な戦士でした。ウリヤは主人が野営している時に自分が家で寝るわけにはいかないというほどヨアブに忠誠心を持つ勇士でした。ウリヤはヨアブの言うことなら何でも聞きます。百人隊長がしもべに命令するように、将軍ヨアブがウリヤに「行け」と言えば行きますし、「来い」と言えば来ます。また、「これをせよ」と言えば、その通りにします。ダビデは、このウリヤのヨアブへの忠誠心を利用して、ヨアブへの命令の手紙をウリヤに持たせ、そしてウリヤを最前線に出させて、殺してしまいました。このようにダビデが主従関係を利用したことに、主は激怒されたのだと思います。

 日本で徳川幕府が倒されて明治の新しい世になった時にキリスト教の信仰を持った者のうちの多くは、武家の出身者たちでした。
 内村鑑三や新渡戸稲造もそうでしたし、今の大河ドラマのヒロインの新島八重、八重の兄の山本覚馬、そして八重の夫の新島襄も武家の出身です。
 まず兄の覚馬が新島襄らとの親交を通じてキリスト教を深く知るようになり、それで八重もキリスト教を知り、やがて信じるようになりました。八重も覚馬も会津の殿様への忠誠心がありましたから、キリスト教にすんなりとなじむことができたのだと思います。新渡戸稲造の『武士道』を読んでもわかりますが、封建制度の主従関係とキリスト教の主としもべとの関係はとても良く似ています。武士たちの多くは命を賭けて主君である殿様のために働きました。
 日本人に人気のある忠臣蔵の赤穂浪士たちも、大石内蔵助の指揮のもと、主君・浅野内匠頭の無念を晴らすために吉良上野介の屋敷に討ち入りをして目的を果たしました。そして討ち入りを果した後は逃げも隠れもせずにお上の裁きに従いました。私は、この忠臣蔵が好きです。それで、姫路にいた時に最初に観光に行ったのは姫路城でしたが、次に観光したのは、播州赤穂でした。姫路も赤穂も同じ兵庫県の播州という地域にありますから、赤穂に行って忠臣蔵にゆかりのある場所を訪ねました。
 封建時代の武士たちはそういう封建制度の中で生まれ育ちましたから、主君に仕えることを当たり前のこととして受け入れていたかもしれません。では、私たちは、なぜ神を崇め、仕えなければならないのでしょうか。それは、神が私たちの命を造り、私たちを愛して下さっているからですね。私たちを造った神が私たちを愛し、そして「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37)とおっしゃっていますから、私たちは神を愛し、神に仕えなければなりません。

おわりに
 いま私たちは、イースターを越えてペンテコステへと向かっています。イエス・キリストが復活して、その主の復活を信じる者に聖霊が注がれたことから、私たちは、私たちの命が神によって造られたものである、ということの確信を与えられています。十字架で死んだイエスを神が復活させることができたのは、神が命を造ることができるお方だからです。命を造ることができる神だから十字架で死んだイエス・キリストを復活させることができました。ですから私たちは、復活があったからこそ、私たちの命は神が造ったのだということを信じることができます。
 そして復活が実際にあったことは、使徒たちに聖霊が注がれたことによって、信じることができます。ペテロ、ヨハネなどのイエス・キリストの弟子たち、そして使徒であるパウロたちがイエス・キリストを力強く宣べ伝えることができたのは、聖霊が注がれていたからこそです。迫害にも負けずにペテロやパウロたちが宣教を約30年間も続けることができたのは、聖霊の力が与えられていたからです。1年や2年なら人間の力だけでもイエス・キリストを宣べ伝えることができたかもしれません。しかし、イエス・キリストの復活後から約30年間もイエスの教えを宣べ伝えることができたのは、聖霊の力があったからこそのことです。復活がなければ聖霊が注がれることもありませんでした。ですから、私たちは復活が実際にあったことを信じることができます。
 聖霊が注がれ、聖霊の力が与えられているのは使徒たちだけでなく、現代においてイエス・キリストを信じる私たちも同様です。いま日本のキリスト教の状況は厳しい中を通っています。日本には迫害こそありませんが、かつての勢いは失われ、多くの教会では信徒の高齢化が進んで信徒の数も減って来ています。それでも私たちには聖霊の力が与えられていますから、伝道に励むことができます。
 主は私たちの命を造って下さり、そして私たちを愛し、聖霊を与えて下さり、私たちに力を与えて下さっています。ですから、私たちも主を愛し、主に仕えていかなければなりません。
 私は、この沼津教会に来てからローマ人への手紙12章11節のみことばを与えられました。最後にここを開いてみていただけますか。

「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい」(ローマ12:11)

 きょう、私たちはまず、ウリヤの主人への忠誠心を見ました。そして、この主人としもべの関係は、信仰における神と人との関係と同じであることを、ローマ兵の百人隊長の信仰を通して見ました。
 私たちもまた、私たちの命を造って下さった神様と、主としもべの関係にあります。私たちは、この神様を心から愛し、仕えて行きたく思います。最後にローマ人への手紙12章11節をご一緒に読んで、終わりたく思います。

「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい」(ローマ12:11)
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母の日感謝礼拝(2013)のご案内

2013-04-20 20:12:46 | 特集
母の日 感謝礼拝(2013年5月12日)午前10:30~

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4月21日礼拝プログラム

2013-04-18 09:55:18 | 礼拝プログラム
インマヌエル沼津キリスト教会
 4月21日礼拝プログラム

 礼拝はどなたでも参加できます
 お気軽にご出席ください

第3聖日礼拝順序

 司  会              矢崎兄
 奏  楽              矢崎姉

 前  奏
 讃 美 ①  確かなもとい      230
 聖書交読  詩篇51篇全
 使徒信条
 主の祈り
 祈  祷
 讃 美 ②  威光・尊厳・栄誉(2回) 253 
 讃 美 ③  起きよ喜べ       236
 聖書朗読  Ⅱサムエル11:6~17
 説  教  『主人に仕える信仰』
                  小島牧師
 讃 美 ④  主のために生きる    461
 献  金
 感謝祈祷
 頌  栄  父・子・聖霊の     271
 祝福の御言葉
 後  奏
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既に現された父の栄光(2013.4.17 祈り会)

2013-04-17 22:16:44 | 祈り会メッセージ
2013年4月17日祈り会メッセージ
『既に現された父の栄光』
【ヨハネ12:27~33】

はじめに
 まず短く、前回のおさらいをします。
 前回は、私が2年前の6月の早朝に姫路教会で、レビ記の1章を読んでいたら涙が止まらなくなったことのお証しをしました。
 それまで私にとってはレビ記は退屈な書でしかありませんでした。特に高津教会の一般信徒であった時には、聖書通読に2回挑戦したものの、2回ともレビ記で挫折していたのでした。ですから、2年前に私がレビ記を読んで涙を流したのは聖霊体験に間違いありません。
 それは全く不意打ちのような、予期していない出来事でした。レビ記に記されている律法には、天の父のイスラエルの民に対する愛が溢れていることが、突然わかるようになりました。それは父親が幼稚園児ぐらいの幼い我が子が世の中で安全に暮らして行くことができるように、細かいことを手取り足取り教えるようなものなのだということがわかりました。そして律法は恵みなのだということがわかりました。そして、律法が恵みであることが分かって以降、私のヨハネの福音書に関する理解が格段に進みました。
 まず分かったのは、ヨハネの福音書1章16節をどう解釈したら良いかということです。ヨハネの福音書1章16節、

「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである」

 この16節の「恵みの上にさらに恵みを受けたのである」というのは、モーセの律法の恵みの上にイエス・キリストの恵みを受けたのである、ということです。もし律法が、人の自由を縛る恵みとは異なるものであるという解釈であれば、この「恵みの上にさらに恵みを受けたのである」というのは、イエス・キリストの恵みを二重に重ねて恵みの素晴らしさを強調した表現であるということになります。しかし、私は聖霊体験により律法は恵みであることがわかりましたから、ここはモーセの律法の恵みの上にイエス・キリストの恵みを受けたのだと解釈すべきである、ということがわかりました。
 ここまでが、前回、話したことです。いま私は、この前回のおさらいをしていて、前回は少し言葉が足りなかったことに気付きました。
「恵みの上のさらなる恵み」とは、「モーセの律法の恵みの上のイエス・キリストの聖霊の恵み」と言うのが、もう少し正確です。「律法の恵みの上の聖霊の恵み」です。
 そして私は2年前の聖霊体験から2年近くが掛かってしまいましたが、ヨハネの福音書は、この「律法の恵みの上の聖霊の恵み」を描いたものであることがわかりました。わかりました、と言っても学会で発表したわけではありませんし、学会で発表するつもりもありませんから、この私のわかったことが世に認められたわけではありません。
 私はかつて、いくつかの専門分野で研究をしていて毎年学会発表を何件もしていた時期がありましたから良くわかるのですが、私は聖書学に関しては大学院で勉強した経験がありません。そんな私には聖書学の分野で学会発表する資格はありませんし、仮に発表できたとしても全く注目されないでしょう。大学院に入って牧師をしながら修士論文や博士論文を書くという道も考えられないわけではありませんが、そういう時間的なゆとりは平和から急速に遠ざかりつつある今日の日本そして世界においてはないでしょう。私が伝道者として召し出されたのは、人々に平和を告げ知らせるためです。私の召命のみことばはイザヤ52:7の

「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。
 平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、
 『あなたの神が王となる』とシオンに言う者の足は。」

です。
 私は平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝えるために召し出されました。
 しかし現在の世界や日本の情勢を見ると平和から、どんどん遠ざかっているように見えます。北朝鮮の動向やボストン・マラソンでのテロ事件を見てもそうですし、このように世界情勢が平和から遠のいているがゆえに、日本においても平和憲法が危うい状況にあります。
 今のような不穏な情勢下では、日本も憲法を改正して国防に力を入れるべきだと考える人も多いことでしょう。そう考えざるを得ない状況下にあることは私もわかります。 しかし、そのようなことをしていたら、世界はますます平和から遠ざかるばかりです。
 私は今こそ日本から新しい平和のメッセージが発信されなければならないと思っています。このような状況下では、私は学会で認められるために大学院に通っている時間的なゆとりはありません。時間的なゆとりが無いという状況は、この沼津教会の会堂問題も同様であろうと思います。老朽化が進んでおり、のんびりしているゆとりはありません。
 平和を告げ知らせるために召し出された私に、ヨハネの福音書に隠された重大な秘密を神様が教えて下さり、その上で私が今回、この沼津教会に任命を受けたことは絶妙のタイミングだったのだと思います。平和から遠ざかっている世界と日本の情勢と、老朽化が進行しているこの沼津教会の会堂の問題は、共に悠長に取り組んでいる時間的なゆとりはありません。
 皆さんはこれまでも伝道に熱心に取り組んで来られたと思いますが、私たちは、これまで以上に霊に燃えて主に仕えていかなければならないと思います。

 では、具体的にどうすれば良いかと言えば、今まで知られていなかったヨハネの福音書の隠された神のメッセージを、人々に伝えて行くことです。これには私と皆さんとの協力が欠かせません。私はどうしても伝道者ではなく研究者の目でヨハネの福音書を見てしまいがちです。しかし、それではヨハネの福音書を伝道に活かせません。ぜひ皆さんからの意見を参考にしながら、これまで知られていなかったヨハネの福音書の平和のメッセージを、日本へ、そして世界へと発信して行くようにしたいと思います。
 そのためには、まずは皆さんにもヨハネの福音書がどういう構造を持った書なのかを、よく理解していただく必要があります。これから、この祈祷会で説明して行くヨハネの福音書の特殊な構造は、2世紀には、もうわからなくなってしまったことです。
 ヨハネの福音書は1世紀の末頃に書かれたと考えられます。書かれた当初は、それがどういう構造を持つ書なのかを知っている人は、著者以外にもきっといたのではないかと思います。しかし、2世紀の後半には、誰にもわからなくなってしまっていました。なぜなら2世紀後半のエイレナイオスという教父が『異端反駁』という著書の中でヨハネの福音書について簡単に解説していますが、その中では私がこれから話すヨハネの福音書の特殊な構造については、一切触れられていません。ですからエイレナイオスは、このヨハネの福音書の特殊な構造に気付いていませんでした。
 3世紀前半のオリゲネスの『ヨハネの福音書注解』を読んでもそうですし、アウグスティヌスとルターのヨハネの福音書の講解説教を読んでも、これらの偉大な先人たちは、ヨハネの福音書の特殊な構造に気付いていませんでした。20世紀、そして21世紀になって書かれたヨハネの福音書の新しい注解書を読んでも、誰もヨハネの福音書の特殊な構造に気付いていません。
 それが21世紀に入って10年が経ってから、どうして突然、神様が私にヨハネの福音書の重大な秘密を教えて下さったのか、その理由はわかりません。それはきっと今の時代に必要なのであろうとしか私は答えようがありません。しかし、神様がこの重大な秘密を私に教えて下さった以上は、私は何としてでも、これを世に宣べ伝えなければならないと思っています。

1.父が既に現した栄光とは?
 さて、ちょっと力の入り過ぎた前置きが長くなってしまいましたが、
 私がヨハネの福音書の1章16節をどう解釈すべきか、それは律法の恵みの上に聖霊の恵みを私たちが受けたのだと解釈すべきである、とわかったことの「次」に私が気付いたのが、さきほどご一緒に読んだ、27節から33節の中の、28節です。
 この27節より前の状況を簡単に見ておきますと、イエスは11章で、死んで墓の中に入れられて4日になるラザロをよみがえらせました。そして、12章に入ってから、いよいよ十字架に向かってエルサレムに入京します。13節に、イエスがエルサレムに入京した時に人々が棕櫚の木の枝を取って、「ホサナ」と叫んだ様子が描かれています。そして24節に有名な一粒の麦のみことばがあります。24節、

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」

 そうして27節と28節で、イエスが

「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」

と言った時に、天から父の声が聞こえたのですね。28節の続きです。

「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」

 ヨハネの福音書で天の父の声に関する記述があるのは、ここだけです。天の父の声ですから、重要であることは言うまでもありません。しかし、この「既に現した栄光」が何なのか、ということは、ハッキリしません。
 「またもう一度栄光を現そう」というのは、だいたい想像がつきますね。十字架、復活、聖霊のバプテスマの授与の一連の出来事の全てか、或いは、そのうちの一つかは定かではありませんが、いずれにしても十字架、復活、聖霊のバプテスマのいずれかであることは間違いありません。
 しかし、「既に現した栄光」というのは、何でしょうか。注解書を読んでも、いろいろなことが書いてあり、定まった見解はありません。ただし、どの注解書も、一つの点では同じです。それは、イエスの地上生涯の期間中にあった出来事の中から、「既に現した栄光」を見出そうとしていることです。
 イエスが宣教活動を始めたばかりの頃に御霊がイエスの上にとどまったこととか、ラザロのよみがえりのこととか、或いはヨハネの福音書にはありませんが、他の福音書に記されている、変貌山においてイエスの御姿が変わり、御顔が太陽のように輝き、御衣が光のように白くなった時(マタイ17:2)の時のことです。
 しかし、ここが、このヨハネの福音書の隠された構造に気付くか気付かないかの重要な分かれ道になるのですが、実は、この御父がおっしゃった「わたしは栄光をすでに現した」という、その出来事は、「旧約の時代」に遡らなければなりません。ピンポイントで言うなら、恐らく律法の授与ということになると思いますし、もう少し広く取るなら、過越の恵みによりイスラエルの民の初子を打たずにエジプトを脱出させ、海を二つに割って乾いた海の底を歩いて渡らせ、そして、その後に律法を与えたということになるでしょう。

2.「旧約の時代」、「イエスの時代」、「使徒の時代」の同時進行
 いずれにしても、御父がおっしゃった「既に現した栄光」というのは、「旧約の時代」の出来事です。そして、私はまず、ヨハネの福音書には「旧約の時代」が旧約聖書の記述の順番に重ねられていることに、気付きました。そうして、その何か月か後に、ヨハネの福音書には「旧約の時代」だけでなく、使徒の働きの時代も重ねられていることに気付きました。
 つまり、「イエスの時代」を中心にしてそれより前の「旧約の時代」と、それより後の「使徒の時代」が重ねられているのです。「旧約の時代」というのは、律法の恵みの時代であり、「使徒の時代」というのは、聖霊の恵みの時代です。このようにして、律法の恵みの上の聖霊の恵みが描かれています。しかも、この「旧約の時代」、「イエスの時代」、「使徒の時代」が同時に進行して行きますから、それが神の時間である、というわけです。

3.背後の「旧約の時代」と「使徒の時代」の具体例
 次回以降は、さらにこの詳細を見て行くことにしたく思っていますが、少しだけ、具体的な例を挙げておいたほうが良いだろうと思います。できるだけ分かりやすい例を挙げてお示ししたいのですが、残念ながら、そんなに分かりやすい箇所はありません。もし分かりやすかったら、2世紀以降、誰も気付かなかったなどということはなかったはずです。
 しかし、比較的分かりやすいかな、と思うのが、2章の4節です。2章の前半はカナの婚礼でイエスが水をぶどう酒に変えた奇跡が記されていますが、4節で、イエスは母に向かって、「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。」と言っています。これは、すごく違和感のある言い方ですよね。実はここには「旧約の時代」と「使徒の時代」とが重ねられています。
 ここで「旧約の時代」の母マリヤは、モーセの母が重ねられています。モーセの母は赤ちゃんのモーセをかごに入れてナイル川の葦の茂みに置きました。そして、それをパロの娘が見つけて自分の子どもにしましたから、モーセはエジプトの王女の息子になりました。
 ですから、モーセにとって実の母は乳母ではありましたが、それ以外はあまり関係のない人だったのですね。預言者のモーセには聖霊が与えられていましたから、モーセの中には御子イエスがいました。それで、この2章4節で、イエスのこのような言葉が出たのでした。

 また「使徒の時代」のイエスの母マリヤは、もはやイエスの母ではなくて愛弟子(ヨハネのことでしょう)の母でした。なぜならイエスが十字架に付けられたとき、イエスは母と愛弟子を見て、「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」(ヨハネ19:26)と言いました。それから愛弟子に、「そこに、あなたの母がいます」(ヨハネ19:27)と言いました。ですから、「使徒の時代」の復活したイエスにとっては、母マリヤは、もう関係のない人だったのですね。
 急ぎ足で見ましたから、あまりわかりやすくなかったかもしれませんが、このようにして、ヨハネの福音書には「「イエスの時代」」にさらに「旧約の時代」と「使徒の時代」が重ねられています。

おわりに
 次回以降は、このことを、さらに見て行くことにします。このヨハネの福音書の特殊な構造が分かって来ると、神の時間が、もっと良く実感できるようになるであろうと思います。
 そうして御父と御子との交わりを、霊的にもっとしっかりと感じられるようになれるお互いでありたいと思います。
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すべては主の御手の中に(2013.4.14 礼拝)

2013-04-15 16:20:39 | 礼拝メッセージ
2013年4月14日礼拝メッセージ
『すべては主の御手の中に』
【Ⅱサムエル15:13~18、24~30】

はじめに
 先週は第二サムエルの18章を開きました。そして今週は第二サムエルの15章です。これからの何回かの礼拝説教では、サムエル記を第二サムエルから第一サムエルへ遡って行くことを考えています。これは、5月26日の野外礼拝では第一サムエルのダビデとゴリヤテとの対戦の話をしようと思ったことから、たまたま思い付いたことです。しかし、今回の試みは、神の時間に慣れ親しむという意味でも、とても有効かもしれないと、いま私は思い始めています。
 先週も少し触れたと思いますが、神様の時間は過去も未来もありません。神ご自身が、

「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(黙示録22:13)

とおっしゃっていることから分かります。
 初めであり、終わりである、ということは神様の中では過去から未来までが全部同じであるということを意味するでしょう。一方、私たち人間は、時間とは過去から未来へ一方通行で流れるものであると考えるのが一般的です。そのため、時間は川の流れに例えられたりします。小説やテレビのドラマで歴史の大きな流れの中に生きる人物を描いたものを大河小説や大河ドラマと呼ぶのは、時間を大河の流れとして見ているからですね。川の流れとは、河口付近を除けば、上流から下流に向かって流れる一方通行のものです。あるいは、時間を飛ぶ矢に例える場合もあります。光陰矢のごとしという諺がありますが、これも時間を単純な一方通行のものとして、とらえています。
 しかし、例えば時間を宇宙スケールで考えてみると、私たちは過去から未来に向かって整然と流れる時間の中に身を置いているのとは少し違うことに気付きます。例えば私たちは昼間、太陽の光を浴びていますが、太陽と地球とは遠く離れていて、光の速度でも8分20秒ほどが掛かります。ということは、いま私たちが浴びている太陽の光は、8分20秒前に太陽を出た光です。また夜になると、たくさんの星を見ることができます。これらの星と地球との距離は、一つ一つの星によって全部違います。すると、私たちに降り注ぐ星の光は、数年前の光もあれば、数十年前の光もありますし、数百年前の光、数千年前の光、数万年前の光と、実に多彩な光が私たちに降り注いでいます。私たちは、そういう中に身を置いています。そして、今はまだ見えていませんが、私たちが未来に見ることになる光、たとえば1年後に見る星の光は、既にもうその星を出発しているのですね。私たちにとっては未来に見る光が、既に宇宙の中を飛んでいます。そのようないろいろな光が宇宙空間の中を飛び交っています。そして、神様はその宇宙を創り、宇宙を統べ治めておられますから、様々な時代に星を出発した光の一粒一粒も、神様はすべて支配しています。神様はアルファでありオメガであるお方です。初めであり、終わりであるお方です。そしてすべてはその神様の御手の中にあります。私たちも神様の御手の中にあります。ですから、実は私たちは過去から未来へと一方通行に流れる時の中に身を置いているのではないのですね。過去も未来も一緒になった時間の中に身を置いているのだと考えるべきでしょう。
 過去も未来もすべて同じであるという神様の時間の中に身を置くことを、私は信仰生活において極めて大切なことではないかと考えます。時間は過去・現在・未来という一方通行の流れであるという意識から私たちはなかなか自由になれませんが、そこから自由になって神様の時間の中に身を置くことほど大事なことはないのではないかと私は考えます。なぜなら、そのことによって、私たちは人を赦すことができるようになり、平和を実現することができるようになると、私は思うからです。
 私たちは神様から、人を赦すように教わっていますが、それはなかなかできるものではありません。過去に人から受けたダメージからなかなか回復できない場合、その加害者に恨みを持ち続けたりします。そして、時に報復に及んだりもします。
 私たちが相手に恨みを抱き、その恨みが往々にして薄まらずに却って増殖してしまうのは、私たちが過去・現在・未来という一方通行の時間観を持っていることと密接に関連しているように私には思えます。この時間観の中にいると、相手からの被害に遭う前はバラ色の明るい生活をしていたのが、その被害に遭ってからは、一転して暗い生活の中に投げ込まれてしまったと考えてしまいます。しかし実際は、明るい時にも暗いことはあったし、暗い時にも明るいことが少しはあるのだと思います。私たちは、明るいことと暗いこととが混じり合っている中で生活しているはずです。どちらかが多いだけであって、決して明るいことだけ、或いは暗いことだけの中で生活しているわけではありません。しかし、一方通行の時間観に支配されていると、明るいか暗いかの、どちらか一方のほうにばかり心が向いてしまいがちです。そして自分を暗い方に追いやった加害者に恨みを抱くようになります。
 過去も未来もない神の時間の中に身を置いて自分の心を点検するなら、私たちは皆、一人の人間の中には清い心の部分もあれば醜い心の部分もあることを、よりハッキリと感じることができると思います。そして私たちの心は一方通行で清い方向に向かうわけではありません。ですから人と比べて清い時もあるかもしれませんが、醜い時もきっと多いことでしょう。私たちは皆、五十歩百歩ですから、相手を恨んでいても、争いが果てしなく続くだけです。相手を赦し、自分も赦されることは、神の時間の中に身を置くことで初めて実現できることではないかと私は思います。それが「主の祈り」の中で私たちが祈る、

「我らに負い目あるものを、我らがゆるすごとく、我らの負い目をもゆるしたまえ」

ということではないだろうかと思います。
 この世で戦争がなかなか無くならず、平和が実現できないのは、私たちが過去から未来への一方通行の時間観の中に縛られているからだと思います。それはクリスチャンであっても同じで、多くのクリスチャンが未だにこの一方通行の時間観に縛られています。
 今年に入ってから私は急速に、このことを強く感じるようになって来ました。そしてその少し後に、この沼津教会への転任の内示を受けました。ですから、私はこの平和を実現するためのメッセージ、すなわち平和を実現するためには神の時間の中に身を置くべきであるというメッセージを、この沼津の地から先ず、日本に発信し、やがては世界に発信したいと願っています。この平和のメッセージの発信源が、この沼津教会になります。そして、この平和のメッセージを沼津教会から日本へ、そして世界へ発信して行くなら、この教会は必ずや主に用いられるでしょう。主に用いられるのであれば、会堂の問題も主が助けて下さるであろうと信じています。
 そのためには、まず沼津教会の私たちが、神の時間をもっと感じることができるようになる必要があると思います。私たちが十分に感じることができないのに、このことを外に向けて発信しても、誰も振り向きもしないでしょう。ですから、私は皆さんに、私のメッセージの中でわからないことがあったら、ぜひ礼拝が終わった後で、質問していただけたらと思います。礼拝は、神様を礼拝する場ですから礼拝中の質問はご遠慮いただき、礼拝が終わったなら遠慮なく質問していただけたらと思います。そうすることで私もメッセージをもっとわかりやすいものに整えて行くことができ、外に発信するのにふさわしいメッセージに整えて行くことができるだろうと思っています。
 さてしかし、神の時間の中に身を置くことは、そんなに簡単なことではないだろうと思います。神の時間の中に身を置くには、私たちはまず神に自分自身を委ねる必要があります。その、神に自分を委ねることがしっかりとできていたのが、ダビデです。ダビデは神である主にすべてを委ねていました。

1.地位も財産も捨ててエルサレムを離れたダビデ
 前置きが長くなりましたが、ここからは今日の聖書箇所の第二サムエル15章を見て行きましょう。
 聖書朗読では15章の13節から読んでいただきましたが、12節までには、ダビデの息子のアブシャロムが、謀反を起こす前に4年間にわたって周到に準備をして、そして遂に謀反を決行したことが記されています。
 アブシャロムが謀反を計画したのは、ダビデがアブシャロムを遠ざけたためで、アブシャロムはそのことでダビデに恨みを抱くようになっていました。なぜダビデがアブシャロムを遠ざけたかというと、それはアブシャロムがダビデの別の息子のアムノンを殺してしまったからです。ダビデには何人もの息子たちがいました。ダビデの王国を継いだソロモンも息子の一人ですが、その他にも多くの息子たちがいました。その息子の一人であるアムノンをアブシャロムは殺してしまいました。それでダビデはアムノンの死を嘆き悲しみ、アムノンを殺したアブシャロムを遠ざけました。そのように、ただ単に二人が遠くに離れていれば謀反は起きなかったかもしれませんが、ダビデの家来たちが間に入って、離れている二人をくっつけようとしたのですね。しかし、その仲裁が裏目に出て事態がこじれ、遂にはアブシャロムが謀反を起こすことにまで至ってしまいました。
 きょうは詳しい説明は省きますが、アブシャロムがアムノンを殺したのは、それなりに理由がありました。それはアムノンが妹のタマルをはずかしめたからです。ダビデの家は、そういうドロドロの中にありました。
 どうして、そこまでダビデの家がドロドロになってしまったのか、そのすべてはダビデがウリヤの妻であったバテ・シェバを自分の王宮に召し入れたことから始まっていました。ダビデは、そのことをよく理解していました。自分の家庭がドロドロになり、遂には息子のアブシャロムが謀反を起こすことになったことの発端は、自分がバテ・シェバを王宮に召し入れたことであり、すべてはそこから始まったことを知っていました。自分が犯した過ちに主が怒ったために、このような災いがダビデの身に降り掛かっていたのでした。ですから、13節で、ダビデのところに告げる者が来て、「イスラエル人の心はアブシャロムになびいています」と言った時に14節にあるようにダビデはエルサレムにいる自分の家来の全部に言いました。

「さあ、逃げよう。そうでないと、アブシャロムからのがれる者はなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの町を打つといけないから。」

 ダビデは自分が犯した過ちに主が怒っておられることを良く知っていましたから、自分が王宮にとどまっていても主は助けて下さらないことがわかっていました。王宮にとどまるということは、自分の地位や財産にしがみ付くことです。ダビデの王としての地位も、豊かな財産も、すべて主が与えて下さったものであることを、ダビデは知っていました。その地位と財産にしがみ付いても主は助けては下さらないことをダビデは知り抜いていました。ですから、いったんそれらを全て明け渡して、裸一貫になることしか、この窮地から逃れることはできないと気付いていたのかもしれません。
 そこで思い出すのは、マタイの福音書に記されている金持ちの青年の話ですね。金持ちの青年はイエス・キリストに聞きました。

「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」(マタイ19:16)

 すると、イエス・キリストは答えました。途中は省略しますが、イエスは青年にこう答えたのですね。

「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。」(マタイ19:21)

 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行きました。この人は多くの財産を持っていたからです。それから、イエスは弟子たちに言いました。

「金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」(マタイ19:23,24)

 この金持ちの青年は財産を手放すことができませんでした。財産を持つこと自体は悪いことではありませんが、財産がたくさんあると、どうしても心が財産のほうに向いてしまい、神のほうに心を向けることができなくなってします。
 一方、ダビデは自分の地位と財産にしがみ付くことはしませんでした。それは、すべては主が与えて下さったものであることを、ダビデが知り抜いていたからですね。
 ダビデがエルサレムを離れた時、レビ人たちは神の箱をかついで、やはりエルサレムを出ました。しかし、ダビデは祭司のツァドクに言いました。25節と26節です。

「神の箱を町に戻しなさい。もし、私が【主】の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいとを見せてくださろう。
 もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」(Ⅱサムエル15:25,26)

 きょうは是非、この25節と26節をじっくりと味わいたいですね。まず第一に覚えたいことは、このようなダビデのいさぎよい言葉は、ダビデが地位と財産にしがみ付かずに、あっさりと手離して王宮を出て来たからこそ、出て来た言葉であろうということです。自分を捨て、主にすべてを委ねるとは、こういう心境なのだという良いお手本のような言葉だと思います。

2.捨て切ったからこそ気付くこと
 第二に気付くことは、このように全てを捨て切ったからこそ、気付くことがある、ということです。それは、神の箱をかつぎ出しても、それで主が助けて下さるわけではないということです。
 まだダビデが生まれる前のことですが、かつてイスラエルの民は、ペリシテ人との戦いの場に神の箱をかつぎ出したことがありました。そうすれば、主が力を与えて下さるであろうとイスラエルの民は考えたからです。これは、一見すると理にかなっていることのように思えます。神を信じ、神を信頼しているからこそ、神の箱をかつぎ出します。このことが不信仰なこととは到底思えません。しかし、実際はこのことは不信仰なことだったのですね。人間の都合で神をかつぎ出すことを神は喜ばれません。人間が神に従わなければならないのに、人間が自分達の都合で勝手に神をかつぎ出しても、神は力を与えては下さらないのですね。
 イスラエルの民がペリシテ人との戦いに神の箱をかつぎ出した頃、ダビデはまだ生まれていませんでした。しかしダビデはそのことが不信仰であることを知っていました。なぜなら、この時に幕屋からかつぎ出された神の箱を幕屋に戻したのは、ダビデだったからです。
 ダビデのすごいところは、何が形だけの信仰で、何が本当の信仰であるかということを、良く知っていたことです。私たち普通の者は、ついつい形だけの信仰に走ってしまいがちです。しかし、ダビデは何が本当の信仰であるのかに気付いていました。そして、このアブシャロムの謀反という困難の中で全てを捨て切った時に、ダビデの心はますます澄みきり、信仰は冴えわたっていました。ダビデは全てを主に委ね、主の手の中に陥っていました。それは、26節で、

「もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」

と言うほどでした。これは、この先、自分たちがアブシャロムの軍勢に打ち負かされて、みじめに死ぬことがあっても良いということですね。主がそのほうが良いと思われるなら、それを受け入れようということです。
 ああ、これが主にすべてを委ねるということなのだなあ、ということがダビデの信仰を見ると良くわかります。私もこういう信仰を持ちたいものだと思いますが、なかなか、ここまで自分を捨て切るのは難しいと思うことです。しかし、ダビデにはそれができました。
 先週、私たちはこの後に息子のアブシャロムが戦死して、ダビデの側が最終的には勝利したことを見ました。ダビデが勝利したのは、このようにダビデがすべてを主に委ねきったからでしょう。もしダビデの信仰が中途半端なものであったなら、主はダビデを王宮に戻すことはなかったのではないかと思います。
 30節に、ダビデが泣きながらオリーブ山の坂を登ったことが書かれています。ダビデは地位も財産も失い、主が自分を再びエルサレムに戻して下さるかどうかも、まったくわからない状態でした。ダビデは王様でしたが、今や全くただの弱い一人の人間になっていました。

3.弱い者に力を与えて下さる主
 このような弱い者にこそ主は力を与えて下さるのですね。パウロがコリント人への手紙第二に書いている通りではないでしょうか。最後に、第二コリントをご一緒に見てみましょう。コリント人への手紙第二12章の9節と10節です。新約聖書の360ページです。私のほうでお読みします。

12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 私たちが神の時間の中に身を置く時、ダビデもパウロも同じ時間の中にいます。ダビデもパウロも弱いただの一人の人間でした。そして、この同じ時間の中にはもちろん、イエス・キリストがいらっしゃいます。イエス・キリストこそがあらゆる人間の中で最も弱い存在になって下さった方です。十字架のイエス・キリストは弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難の中にありました。そして、すべてを捨て切ったパウロとダビデも、イエス・キリストに似た者とされていました。

おわりに
 私たちが神の時間の中に身を置くなら、私たちはダビデ、パウロ、そしてイエス・キリストと同じ時間の中に入れられます。その中に身を置く時、私たちは自然に人を赦すことができるようになるのではないでしょうか。人を恨む気持ちを、私たちは簡単には捨て去ることはできません。しかしダビデやパウロやイエス・キリストと同じ時間の中に身を置くなら、人を恨む心は、平和を望む心へと次第に変えられて行くのではないでしょうか。そうして、平和を実現するための器として用いられるようになるのではないでしょうか。
 私はこの沼津教会が、平和を実現するための拠点の一つとして主に用いられることを願っています。そのためには、私たちは自分を主に委ねることができる者にしていただかなければなりません。すべては主の御手の中にあります。私たちは、その主の御手の中に陥り、主にすべてを委ねて信仰の道を歩んで行ける者でありたいと思います。
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父の愛を知る(2013.4.10 祈り会)

2013-04-11 19:54:12 | 祈り会メッセージ
2013年4月10日祈り会メッセージ
【レビ1:1~9】
『父の愛を知る』

はじめに
 私は7日の礼拝説教の中で、この沼津教会で私にできることには限りがあるけれども、新しい会堂を建てるということだけは、何としてでも実現したいと考えているという話をしました。広瀬先生の新会堂への熱い思いを受け継いで、何が何でも実現しなければならないと思います。そして、その新会堂の実現のためには、私たちが霊的に成長して一つにならなければならない、という趣旨のことも話しました。私たちが霊的に成長して一つになり、熱い祈りを捧げるなら、主は必ずや私たちをこの沼津の地において、これまで以上に用いて下さるだろうと私は思います。私は、この祈祷会の場を、私たちが霊的に成長するための場として、最大限に活用したいと考えています。
 「霊的」とか「霊性」ということばは、ひどく漠然としていて、とらえがたいもののように思えますね。私は今、このとらえがたいものを、何とかもっと、とらえやすいものにできないだろうかと、いろいろと考えているところです。そして私は最近、その糸口をつかみかけているように感じています。
 それは、「霊性」と呼ばれるものは、どうやら私たちの「時間」に関する感覚と密接に関係しているらしい、ということです。そして礼拝では次のような話をしたと思います。

 私たちがイエス・キリストを信じる前には、聖書はとても古い書物のように感じられた。しかし、イエス・キリストを信じるようになってからは、聖書の人物を身近に感じるようになり、聖書の時代も、そんなに昔のこととは思わないようになった。それは私たちに聖霊が与えられ、私たちが神の時間を共有するようになったからであろう。神には過去も未来もなく永遠の中におり、人間にとっては過去や未来であることも、神にとっては全てが今なのだ。その神の時間を私たちも聖霊の働きにより共有しているのだ。

というような話です。私たちは神の時間を共有していますから、ダビデの時代もイエスの時代も身近に感じます。しかし、それでもなお、私たちの中では「霊性」よりも「理性」が優勢ですから、ダビデの時代はイエスの時代よりも前の時代のことであると考えてしまいがちです。理性的には、それは全く正しいことです。ダビデは紀元前の人物であり、イエスは紀元後の人物ですから、まさしくダビデはイエスよりも前の時代の人物でした。しかし、霊的にはそうではないのではないですか、というのが、私が7日の礼拝で皆さんに投げ掛けたことです。霊的にはダビデもイエスも同じ時代の人物であると捉えるべきなのだと思います。なぜなら神の時間の中では過去・現在・未来という時間の流れはなく、すべてが今であり、聖霊が与えられた私たちは、その神の時間を共有しているからです。
 私は、このことを特に祈祷会において、さらに膨らませて行き、皆さんと共に霊的に成長することを願っています。それゆえ、この祈祷会の説教は、礼拝の説教よりも上級で、しかも多少、理屈っぽくなるかもしれません。上級というのは初級・中級・上級の、上級のことです。礼拝には、初心者の方にも来ていただきたいですから、なるべく初級か、せいぜい中級のレベルでしか話さないようにするつもりです。とは言っても、ついつい上級のことを話したくなってしまい、時には上級のことも話してしまうかもしれません。でもなるべくは、上級の話は避けるようにしたいと考えています。
 一方、この祈祷会では、上級の話をためらわずにすることにしたく思っています。ただし、あまり話が難しくなってもいけませんから、初級・中級も混ぜながら、上級だけの話にならないようにするつもりです。でも基本的には中級以上の話にしたいと思っています。
 いまさっき私は、この祈祷会での説教は多少理屈っぽくなるかもしれないと言いました。ここで誤解しないでいただきたいのは、私が話す理屈の基になっている事柄は、私の理性による考察から導き出されたものではない、ということです。霊性に関わることは決して理性からは導かれません。霊的なことは霊性によってのみ導かれます。
 きょうの説教でレビ記を開くことにしたのは、私の霊的な体験のお証しをして、私がこれから沼津教会で話す理屈ぽいことは理性から導かれたものであるという誤解をされないようにするためです。これから証しすることは、私はこれから沼津教会では何度も触れることになると思います。礼拝説教でも、この証しをどこかでするつもりですし、一度ならず二度、三度とするかもしれません。皆さんはそれを聞いて、「あ~、また同じことを話している」と感じるかもしれませんが、私がこの証しをする時は、私が話す理屈は全てこのレビ記についての霊的な経験に端を発していることであって、決して私の頭の中で作り上げられたものではないのだ、ということを示すために、この証しをするのだということを頭の片隅に置いておいていただけると幸いです。

1.聖霊体験の証し
 私がこのレビ記で霊的な経験をしたのは、2年前の2011年の6月17日のことでした。その時、私は聖宣神学院の神学生の4年生で、インターン実習生として姫路教会に住み込んでいました。この時の姫路教会の牧師は竿代信和先生で、竿代先生は神戸のご自宅から日曜日にだけ姫路に通っておられました。ですから私は姫路教会に一人で住み込み、説教も祈祷会の短い説教は毎週ありましたが、礼拝説教は最初の半年は月に1回しかがありませんでしたから、あまり忙しくなくて自由に思い巡らしをする時間がたっぷりとある、恵まれた時を過ごしていました。
 その6月17日はペンテコステの日の5日後のことでした。ペンテコステ礼拝の説教は竿代先生が他の教会で御用があったために私がしました。そうして霊的な状態が整えられていた中で私は不思議な聖霊体験をしました。その6月17日の早朝、私はいつものように姫路教会の会堂の中でひとしきり、お祈りの時を持ってから、その日の聖書通読の箇所であったレビ記を開きました。その頃の私はだいたい毎日10章ずつぐらいを読むことを日課にしていて、その日はレビ記の10章ぐらいまでを読むつもりでいました。私は神学生の4年生でしたから、それまでにレビ記はもう何度も繰り返し読んでいました。しかし、神学院に入るまでの私は、レビ記は全く苦手な書でした。実は私は神学院を受験するために聖書を一生懸命読み始めるまでは、聖書の通読に一度も成功したことがありませんでした。
 私の母教会は高津教会で、高津教会の一般信徒であった時、私は2回ほど聖書通読に挑戦したことがありました。しかし、2回ともレビ記で挫折してしまっていました。創世記の1章1節から始める聖書通読では、出エジプト記のモーセの十戒の辺りまでは、物語風ですから、面白く読めますね。しかし、出エジプト記の後半の幕屋の作り方の箇所に入ると、「~しなければならない」、「~しなければならない」という文章の連続になります。しかも、幕屋の各パーツの寸法をこと細かく指示するだけの文章ですから、極めて退屈です。そうして、幕屋の作り方の退屈な話が終わってホッとしたのも束の間、レビ記に入ると、今度はいけにえの捧げ方の細かい説明という、現代の私たちとはほとんど何の関係もない儀式の細かい規定がくどくどと続いて、もうそれ以上、ページをめくる気力がなくなってしまうんですね。特に神学院に入る前の私は、自由を愛する人間でしたから、「~しなければならない」のオンパレードには、本当にウンザリしました。
 神学院の受験のために聖書を通読した時も状況は似たようなものでした。やはりレビ記は、ぜんぜん面白くないものでした。しかし今度は挫折するわけには行きませんから、一応目は活字の上をたどるようにはしますが、ほとんど頭の中には入って来ず、ただ機械的に目が字の上をなぞり、機械的にページをめくるだけでした。そんな私でしたが、神学院に入ってレビ記の授業を受けてからはレビ記の重要性が少しはわかるようになりました。それでも、やはり好きな書ではありませんでした。
 私にとってレビ記とは、その程度の書でした。しかし、2011年の6月17日の午前6時過ぎに不思議なことが起こりました。レビ記1章1節から読み始めて、2節、3節の「~しなければならない」の辺りまでは、いつものレビ記だな、という感じだったのですが、5節~8節に掛けて語尾が「~しなさい」に変わった辺りで、この「~しなさい」の語尾に天の父のイスラエルの民に対する愛情がたっぷりと感じられて、急に涙がボロボロと出てきました。一般信徒だった時の私は、レビ記の文章にウンザリして、もうそれ以上読み進めることができなかったのですが、この時は涙がボロボロ出て、目がかすんだために読めなくなってしまいました。
 それは天の父の愛がわかったという、うれしさの涙でもありましたし、亡くなった私の父親が私の子供時代に私に注いでくれた愛を思い出したための涙でもありました。或いはまた、天の父の私への愛を、私自身がほとんど分かっていなかったことを申し訳なく感じたゆえの涙でもありました。
 このレビ記1章の箇所で私は、天の父がイスラエルの民をどんなに愛しているか、愛しているがゆえにイスラエルの民の心が神から離れないように、細かい指示を与えたのだということが理屈ではなくて、感覚的にわかりました。理性に支配されている時の私はレビ記にウンザリしていましたから、この涙の出来事は、明らかに聖霊の働きによる霊的な出来事でした。

2.律法は神のイスラエルの民への愛情表現
 そして、この涙の出来事により私は、律法というのは、親が幼稚園児ぐらいの子供に、横断歩道を渡る時は手を上げて渡りなさいと教えるようなものなのだ、ということがわかりました。幼稚園の子どもは、まだ状況判断がよくできませんから、車がいてもいなくても、横断歩道を渡る時は手を上げてできるだけ目立つようにして、ドライバーが気付きやすいようにして渡るのが安全です。一方、大人は状況判断ができますから、ドライバーに合図を送る意味でドライバーの顔を見ながら手を上げることはありますが、それ以外の時は闇雲には手を上げて横断歩道を渡ることはしません。自分で状況を判断して、手を上げずに横断歩道を渡ります。
 律法も同じようなものなのですね。新約の時代の私たちには助け主である聖霊が与えられていますから、聖霊の助けによって霊的な状況判断ができます。また、神がいつも共にいて下さいますから、律法の細かい規定を守って神から心が離れないようにする必要はありません。しかし、旧約の時代のイスラエルの民は、まだ信仰が幼く、聖霊も与えられていません。聖霊が注がれたのは、モーセやダビデや預言者たちなど、ごく一部の神の器たちだけでした。一般のイスラエルの民には聖霊は注がれていませんでした。そのような信仰が幼いイスラエルの民は、幼稚園児がいつでも必ず手を上げて横断歩道を渡るように教えるのが良いように、細かい律法の規定が必要だったのですね。そうして律法を守ることで、心が神から離れないように、神様の側でして下さいました。ですから、律法は神からイスラエルの民に注がれた愛情でした。
 こうして、私はレビ記に書かれているような律法の規定は神のイスラエルの民に対する愛情表現であり、決してイスラエルの民を規則で縛るものではないのだ、ということを霊的に理解することができるようになりました。

3.律法の上のさらなるイエス・キリストの恵みを描いたヨハネの福音書
 すると、この日以降、私はヨハネの福音書のことが急速によくわかるようになりました。きょうは最後にヨハネの福音書を一カ所だけ開いて終わることにします。礼拝の説教はだいたい30分から35分ぐらい、祈祷会の説教は15分から20分ぐらいを目安にしていますから、あと少しで終わりにします。
 ヨハネの福音書1章の16節と17節を見て下さい。新約聖書の第3版ですと172ページ、第2版ですと157ページです。私のほうでお読みします。

1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
1:17 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
 
 16節に、私たちは皆、恵みの上にさらに恵みを受けたとあります。私たちがさらに受けた恵みというのは、イエス・キリストの恵みで間違いありません。では、そのイエス・キリストの前の恵みというのは何でしょうか。これは聖書学者の間でも意見が分かれているようなのですね。律法を恵みと考える場合には、モーセの律法という恵みの上にさらにイエス・キリストの恵みを受けたと考えます。しかし、律法は恵みではないと考える人もいます。律法は人を縛る規則であるから恵みではない。だから恵みの上にさらに恵みを受けたというのは、イエス・キリストの恵みを二重に重ねて強調した表現であると考えるようです。
 どちらが正しいのか、神学生である私には、それまではどちらとも判断がつきませんでした。しかし、6月17日のレビ記での聖霊体験以降、モーセの律法は恵みなのだということがわかりましたから、ヨハネの福音書の1章16節の、恵みの上にさらに恵みを受けたというのは、モーセの律法の恵みの上にイエス・キリストの恵みを受けたのだということが、ぶれることなく確信できるようになりました。ここの解釈がぶれてしまうと、ヨハネの福音書はしっかりと理解することができませんから、この6月17日の聖霊体験は、私にとって本当に大きな出来事でした。
 こうして2011年の6月17日以降、私のヨハネの福音書の理解は急速に進みました。その内容については、来週以降、この祈祷会で話して行くことにします。そうして、天の父の愛を皆さんとご一緒に分かち合って行きたく願っています。

おわりに
 天の父の愛は、創世記の時代から現代に至るまで注がれ続けています。この愛は、神様にとっては全て、いま注いでいる愛であると霊的には捉えるべきです。すると、それがいかに莫大な量の愛であるかということが、霊的に成長すればするほど感じることができるようになると思います。私自身もまだまだであると感じています。ですから、皆さんと共に霊的に成長したいと願っています。この素晴らしい恵みをまず私たちがしっかりと分かち合い、次いで私たちの周囲の人々にお伝えすることができる者となって行きたいと思います。
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天の喜びと悲しみ(2013.4.7 着任礼拝)

2013-04-08 16:40:29 | 礼拝メッセージ
2013年4月7日着任礼拝メッセージ
『天の喜びと悲しみ』
【Ⅱサムエル18:24~33】

はじめに
 私が初めて、この沼津教会に来たのは私が神学院の2年生だった2009年の夏でした。この時、私は静岡教会で夏期実習をしていましたから、静岡教会の皆さんとこちらの伝道会に参加したのでした。この時の伝道会の説教は高桑先生がされたと思いますが、広瀬邦男先生も挨拶をされて、その時に、広瀬先生が新会堂を何とかして建てたいのだと言っておられたことが、非常に印象に残りました。それゆえ私の中では沼津教会と言えば、新会堂実現のために闘っている教会ということになっています。
 ですから、今回、年会を前に教団から沼津教会への転任の内示があった時に私が思ったことは、私が広瀬先生の新会堂への熱い思いを受け継いで、何としてでも実現しなければならない、ということでした。
 ご承知のように私はまだ牧師になって1年が過ぎたばかりですから経験も浅いですし、夫人の牧師もいませんから、私にできることは限られています。この沼津教会で、これまではできたのに、これからはできないことも少なからずあって皆さんにはいろいろとご迷惑をお掛けすることになると思います。しかし新会堂を必ず実現するのだという思いだけは、今までと変わることなく教会の皆さん全員と共有して歩んで行きたいと思っていますから、どうか主にあって、よろしくお願いいたします。

 さて教会で私たちが何かを成し遂げるためには、私たちは、牧師も信徒も主にあって一つにならなければなりません。そのための学びとして開くと良いであろう聖書の箇所はいろいろあるだろうと思います。新約聖書であれば、エペソ人への手紙などのパウロの手紙やヨハネの福音書の最後の晩餐の場面などを開くと、良い学びになるだろうと思います。旧約聖書であれば、たとえばバビロン捕囚の後でエルサレムに帰還したユダヤの民が神殿の再建を進めるよう、主が励ましを与えたハガイ書や、あるいは城壁の修復のためにリーダーのネヘミヤとユダヤの民が奮闘したネヘミヤ記などを開くことも良い学びになるでしょう。
 そのように、いろいろとある箇所の中で、私がこの沼津教会に着任するに当たって示された箇所が、きょうのサムエル記第二の18章です。私は、この1,2カ月ほど、この箇所に心が通っていて、この箇所のダビデを思い巡らすことで、私の霊性の奥行きが深まって行くことを感じています。ですから、きょうは是非とも、私が感じている霊的な恵みを少しでも皆さんと共有して、皆さんと御霊の一致を感じることができたらと願っています。
 ダビデは頂点に昇り詰めた後には、心の油断からか、心が神様から一時的に離れてしまった事が何度かありましたが、それ以外の時には、主を恐れ、主に全てを委ねる、私たちの手本となる素晴らしい信仰を示してくれています。それゆえ、この4月からの礼教では、ダビデの信仰を何回かのシリーズで見て行くことを導かれています。ただし、順番はサムエル記の通りにはならないと思っています。5月26日には野外礼拝があるということですから、その時には少年ダビデのゴリヤテとの対戦が良いのではないかなと思っています。それが第一サムエルの17章です。そして、きょうは第二サムエルの終わりに近い方の18章ですね。ですから、時間をさかのぼって行って第二サムエルから第一サムエルに向かう、という方式も面白いかもしれないなと思っています。

1.天は魂が救われれば大喜びし、滅びると嘆き悲しむ
 さて、先ほど読んでいただいた、きょうの聖書箇所の第二サムエル18章24節以降には、ダビデが息子アブシャロムの死を嘆き悲しんだことが記されています。ここでダビデは非常に激しく嘆き悲しんでいます。ただの嘆き方ではありません。18章33節を見ると次のように書いてあります。

18:33 すると王は身震いして、門の屋上に上(のぼ)り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」

 さきほど私は、最近、私の中ではこの第二サムエル18章が心に通っているということを話しました。それは、どういうことかと言うと、この場面がルカの福音書15章の放蕩息子の父親と良く似ていると感じているということです。そのことを感じながら、この場面について思いを巡らすと、非常に霊的に恵まれるのです。きょうは、是非このことを、皆さんと分かち合いたいと願っています。
 ルカの福音書15章の放蕩息子の父親については、ご存知の方が多いと思いますが、簡単におさらいをしておきたく思います。ルカの福音書の15章を開いて下さい。新改訳聖書の第3版ですと、146ページに当たります。15章の始めの方から見て行くと、ここでは、イエスがパリサイ人たちにたとえ話をしたことが書いてあります。放蕩息子について書かれているのは11節以降です。それより前には、100匹の中の1匹の、いなくなった羊が見つかったなら、きっと大喜びするであろう、それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、天に喜びがあるとイエス・キリストは言っていたことが書かれています。また、その次には、なくした一枚の銀貨が見つかったなら、なくした女は大喜びをするであろう、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるとイエスが言ったことが書かれています。
 そして、なくした羊と銀貨のたとえ話に続いて、イエスは「放蕩息子の帰郷」のたとえ話をしました。
 この放蕩息子は非常に悪い息子で、父親がまだ生きている間に財産を分けて欲しいと頼みました。これは、本当にひどい話なのですね。財産は本来は父親が死んでから相続するものです。ですから、この放蕩息子は早く父親が死んで欲しいと願っていたことになります。でも、父親がなかなか死んでくれないので、仕方がないから生前分与を望んだというわけです。そして、財産を分けてもらうと幾日もたたないうちに、遠い国に旅立ってしまいました。父親と一緒にいる不自由な生活とは一日でも早くサヨウナラをして、自由気ままな生活をしたいというわけです。本当にひどい息子ですね。でも、その気持ちも全くわからないわけではありません。自分で好きなように自由に生活できないというのは、なかなか大変なものです。私がまだ神学生だった時の3年生の後半の頃、あと半年で4年生のインターン実習生になって神学院の寮生活ともサヨウナラが出来ると思うと、もうそれが待ち遠しくてたまりませんでした。寮生活が終わるまで、あと6ヵ月、あと5ヵ月、あと4ヵ月とカウントダウンしていました。しかし、そうやってカウントダウンを始めてしまうと、よけいに長く感じるのですね。クリスマスが終わってからの3ヵ月間は、とても長く感じました。そして、とうとう4年生になって寮を出て行くことができました。私が寮にいた時は、まだまだいろいろな規則があって自由が少なかったですから、寮を出て解放感を感じました。ただ、私が寮を出た途端に、神学院の院長が代わって、寮の規則が大幅に自由になりました。そして男子寮と女子寮で違う規則が定められていたのも、一本化されました。女子寮の規則は男子寮よりもさらに厳しいものだったようですから、H姉は、その自由化の恩恵をだいぶ受けたのではないかなと思います。昨年、卒業式に出席するために私は1年ぶりで神学院に戻りましたが、随分と自由になっていたので驚きました。

 話をルカの福音書の放蕩息子に戻します。放蕩息子は、父親のもとでの自由の少ない生活が本当に嫌で嫌でたまらなかったのでしょう。財産を分けてもらうなり、父親のもとを去って行きました。父親にとっては、本当にひどい息子です。
 しかし、父親はこんな息子のことを、それでも愛していたのですね。
 父親は、いつも息子が去って行った方角の遠くのほうを気にしていました。息子は荷物を父親のもとには残さず、何もかもまとめて出て行ったのですから、もう戻っては来ないはずでした。そんな薄情な息子のことなど、忘れてしまったほうが精神衛生上は良いでしょう。しかし、父親はいつも、遠くのほうを気にしていました。そして、皆さんご存知のように、息子は戻って来たのですね。20節の「こうして彼は」の「彼」は放蕩息子のことです。20節、

15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

 父親は、戻って来た放蕩息子が家まではまだ遠かったのに見つけました。それは父親が息子を愛し、息子が去って行った方角の遠くのほうを、いつも気にしていたからです。戻って来た息子が遠くにいるのを見つけた父親は、息子をかわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、くちづけをしました。そうして、父親はしもべたちに言いました。22節から24節までです。

「『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」

 父親の家では盛大な祝宴が始まりました。これは、15章の始めのほうで先ほど見た、一匹の羊と一枚の銀貨が見つかった時に喜んだ様子と同じです。放蕩息子という一人の罪人が悔い改めたので、天は大喜びをしたのでした。
 この放蕩息子とは私たちのことです。父親が、ひどい息子のことを愛していたのと同様に、神様は私たちを愛して下さっています。かつて私たちは神様から心が離れており、神様のことをののしったりすることさえもありました。そんなひどい私たちのことを神様は愛して下さり、教会へと導いて下さいました。そして私たちの一人一人が信仰を告白した時には、天はその都度、大喜びしたのでした。
 なぜ、そんなに大喜びするのでしょうか。それは、天の父は、私たちが一人でも滅ぶことを望んでいないからですね。
 マタイの福音書の一匹の羊の箇所では、イエス・キリストは次のように言っています。

「このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。」(マタイ18:14)

 また、ヨハネの福音書の有名な3章16節は次のように言っています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 このように天は、私たちが一人でも滅びることを望んではいません。滅びるとは、放蕩息子の例えで言うなら、放蕩息子が遠い国で野垂れ死にしてしまった場合のことです。放蕩息子は湯水のように財産を使ってしまったので、使い果たした後で、危うく飢え死にしてしまいそうになりました。14節から17節にかけてそのことが書いてありますね。14節から17節、

15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。

 こうして放蕩息子は我に返りましたが、我に返る前に餓死してしまっても、少しもおかしくない状況でした。我に返る前に死ぬということは、神様から心が離れたままで死ぬということです。そのような者を神様は赦すわけには行きませんから、それが滅びるということです。正義の神は筋を通さなければなりませんから、神から心が離れた者を赦しては下さいません。しかし、神様はそのことを決して望んではいません。神様は全ての人を愛していて下さいますから、一人として滅びることを望んでいません。どんなにひどい罪人でも神様は愛して下さっており、その罪人が我に返って神に心を向けることを望んでおられます。ですから、どんなにひどい罪人であっても、滅んでしまった時には、天には大きな悲しみがあるでしょう。一人が救われた時には大喜びする天ですから、一人が滅んだ時には大きな悲しみがあるでしょう。
 それはどれほどの悲しみでしょうか。それが、第二サムエル18章33節でダビデが見せたような悲しみ方ではないでしょうか。第二サムエル18章に戻ります。18章33節、

18:33 すると王は身震いして、門の屋上に上(のぼ)り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」

2.愚かな息子を愛したダビデと放蕩息子の父親
 放蕩息子の父親とダビデとでは、最後の結果は全くの正反対です。しかし、途中までは、両者はとても良く似ています。もし息子のアブシャロムが我に返り、生きてダビデのもとに帰って来たなら、ダビデは放蕩息子の父親のように大喜びしたことでしょう。また、もし放蕩息子が遠い国で我に返る前に死んだことを父親が知ったなら、放蕩息子の父親はダビデのように激しく嘆き悲しんだことでしょう。
 いま18章の33節から先に見てしまいましたが、この18章のダビデと放蕩息子の父親とが、いかに良く似ているかということを、もう少し詳しく見て行くことにします。
 まず第一に放蕩息子と良く似ている点は、アブシャロムが、ダビデにとっては非常に悪い息子であったという点です。きょうはもう、アブシャロムがいかに悪い息子であったかを詳しく説明する時間はありませんから、それはまた別の機会に話すことにしたく思いますが、ごく簡単に言えば、息子のアブシャロムは謀反を起こして父親のダビデがエルサレムの宮殿から追い出してしまいました。そうしてダビデたちが出た宮殿にアブシャロムは入って占領してしまいましたから、謀反は成功したかに見えました。しかし、宮殿を出たダビデたちは態勢を整えてアブシャロムの軍勢と戦い、アブシャロムが戦死したために、最終的にはダビデの側が勝利を収めました。
 謀反を起こした息子のアブシャロムはダビデにとっては本当にひどい息子でした。しかし、そんなにひどい息子でありながら、ダビデはアブシャロムが戦死することは望んでいなかったのですね。何とか生きていて欲しいと願っていました。そして我に返って自分のもとに帰って来てほしいと望んでいました。きょう聖書朗読で読んでいただいた24節からは、そのことが書かれています。24節に、ダビデは二つの門の間にすわっていたとあります。恐らく門の間にいて安全を確保した上で、二つの門のうちのどちらから知らせが入って来ても、すぐに知らせの内容が聞けるように待ち構えていたのですね。門から離れた奥に引っ込んでいたのではなく、門から知らせが入って来たら、すぐに情報の内容が聞けるようにしてありました。そして、知らせが入って来た時に、ダビデが聞いたことは、29節にあるように、「若者アブシャロムは無事か」ということでした。ダビデはアブシャロムが滅ぶことは望んでおらず、無事を願っていました。
 知らせの者は二人いました。少し遅れて、もう一人の知らせの者が入って来た時、32節にあるように、ダビデは全く同じことを聞きました。「若者アブシャロムは無事か」。ダビデはアブシャロムの無事だけを願っていました。息子のことを心配するダビデの姿は、放蕩息子を心配する父親の姿と全く同じです。
 そうしてアブシャロムが無事ではなく死んでしまったことがわかった時、33節のように激しく嘆き悲しみました。

「わが子アブシャロム。わが子よ。わがアブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」

3.霊的には同じ時間の中にいるダビデとイエス、そして私たち
 きょう私が皆さんと分かち合うことができればと望んでいることは、この第二サムエル18章のダビデの姿がルカ15章の放蕩息子の父親と似ているという、表面的なことだけではありません。この背後にある、もう少し深い霊的な意味について分かち合うことを望んでいます。
 私たちクリスチャンは、父・御子・御霊の三位一体の神を信じています。使徒信条でそのことを告白しますし、祝祷でも三位一体の神の恵みが私たちに注がれるようにお祈りします。この三位一体の神は、天地が創造される前の、初めの時からいらっしゃいました。御子イエス・キリストが初めの時からいたということは、ヨハネの福音書に書いてあります。ですから、父と御子が遣わす聖霊もまた当然、初めの時からいました。
 さて、ダビデは聖霊が注がれた存在でした。
 巨人ゴリヤテとの対戦の少し前、サムエルがダビデに油をそそいだ時、
「主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った」
と第一サムエルに書いてあります(16:13)。
すると、神は三位一体の神ですから、父も御子もまたダビデと共にいたことになります。ダビデ自身はそのことをはっきりと意識はしていなかったとしても、聖霊が下ったダビデには父も御子も共にいました。そして、ルカの福音書で放蕩息子について語る御子イエスとダビデと共にいる御子は同じ御子です。御子イエスは神ですから、神の時間の中にいます。神には過去も未来もありません。神は過去も未来もない永遠の中にいます。ダビデには聖霊が下っていましたから、ダビデはその神の時間を共有していました。ダビデ自身は意識していなかったかもしれませんが、聖霊が下ったダビデは神と同じ時間の中にいました。
 では、私たちはどうでしょうか。ペンテコステ以降、イエス・キリストを信じる者には聖霊が与えられるようになりました。ですから、私たちにも聖霊が注がれています。ということは、私たちもまた、ダビデと同じように神の時間を共有しているのですね。ということは、ダビデの時代も、イエスの時代も、私たちにとっては、決して過去のことではないということになります。
 もし私たちがまだイエス・キリストを信じる前で、聖霊が与えられる前の段階の者であったなら、ダビデの時代もイエスの時代も、過去の時代ということになります。しかし、聖霊が与えられた私たちは神の時間を共有していますから、アブラハムの時代もモーセの時代もダビデの時代もすべて同じ時代の、今として感じるべきなんですね。ペテロやパウロの時代についても同様です。それは1世紀のことではなく、霊的には今として捉えるべきでしょう。
 私たちは聖書を古い書物とは感じていませんね。しかし、イエス・キリストを信じる前はきっと聖書は古い書物だと感じていたのではないでしょうか。私たちが聖書を古いと感じないのは、私たちに聖霊が下り、神の時間を共有しているからです。
 きょうご一緒に読んだサムエル記のダビデもルカの福音書のイエスも、イエス・キリストを信じない人にとっては過去の人物です。しかし、私たちにとってはダビデもイエスも霊的には今を生きる人物であると言えます。私たちは普段は霊性よりも理性のほうに支配されていますから、ダビデのほうが古い時代の人物であると思ってしまいがちですが、霊的にはダビデもイエスも同じ今の時代の人物であると言えます。
 そうして、ダビデの悲しみを「天の悲しみ」、放蕩息子の父親の喜びを「天の喜び」であるというように、二つを同列に並べて考える時、私たちは神との交わりの中に一層深く入れていただけているのではないでしょうか。
 ヨハネの手紙第一でヨハネは次のように書いています。

「私たちの見たこと、聞いたことをあなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(Ⅰヨハネ1:3)

 イエス・キリストを信じる私たちは既に御父および御子イエスとの交わりの中に入れていただいています。この神との交わりの中に入れていただいているということは、神の時間を共有しているということです。しかし、私たちは霊性よりも理性に支配されていますから、なかなか神の時間を感じることができません。そんな私たちでも、霊的に整えられて来るなら、きっと神の時間を霊的に感じることができるようになり、御父および御子イエス・キリストとの交わりを今まで以上に実感することができるようになるでしょう。

おわりに
 私は、この沼津教会の新会堂を実現するための祈りも、私たちの一人一人が御父および御子イエスとの深い交わりを感じながら熱い祈りを捧げるなら、必ずや実現することができるであろうと信じています。私たちが霊的に成長するなら、神様は私たちを用いて下さり、もっと多くの人々の魂が救われるよう会堂を備えて下さることでしょう。
 神様はただ一人も滅びることを願っていません。天は一人の魂が救われたなら大喜びし、一人の魂が滅びたなら激しく嘆き悲しみます。私たちは霊的にさらに成長し、天が大喜びするお手伝いをさせていただくことができる者になりたいと思います。そのように神様に用いられるお互いになることができるよう、お祈りさせていただきましょう。
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2013年4月~8月の行事予定

2013-04-08 07:03:24 | 行事予定
2013年 4月~8月の行事予定(インマヌエル沼津キリスト教会)

 4月 7日(日) 着任礼拝
 5月12日(日) 母の日 招待礼拝(→ チラシ
 5月19日(日) ペンテコステ礼拝
 5月26日(日) 野外礼拝 於・富士山樹空の森(CS合同)
 6月 9日(日) 会堂特別礼拝①
 6月16日(日) 会堂特別礼拝②
 6月23日(日) 会堂特別礼拝③
 6月30日(日) 会堂特別礼拝④
 7月15日(月・祝)講演「真の時間と人の時間」(→ チラシ
 8月 4日(日) 教会学校お楽しみ会(午後)
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地図

2013-04-07 20:29:57 | 地図



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礼拝・集会案内

2013-04-06 20:49:34 | 礼拝・集会案内
礼拝、祈り会、聖書を読む会には、どなたでも参加できます。
お気軽にご参加ください。
聖書と讃美歌は教会に備え付けてあります。

教会学校は幼児~高校生の子どもさん向けです。

礼拝
 毎週日曜日 午前10:30~11:40

祈り会
 毎週水曜日 午後1:30~2:40

聖書を読む会
 毎月第3日曜日 午後1:00~2:30

教会学校
 毎週日曜日 午前9:15~10:00
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教会紹介

2013-04-05 21:02:47 | 教会紹介
 インマヌエル沼津キリスト教会は1967年に設立されたプロテスタントの教会です。
 霊に燃え、主に仕える教会として、沼津の地から神の平和のメッセージを発信します。









住所: 〒410-0875 静岡県沼津市今沢34番地
電話: 055-966-2612(Fax共)

牧師: 小島 聡(こじま さとし)



 1959年  静岡市生まれ
 2001年  インマヌエル高津キリスト教会にて受洗
 2008年  インマヌエル聖宣神学院入学
 2012年  インマヌエル姫路キリスト教会牧師
 2013年~ インマヌエル沼津キリスト教会牧師

 召命の聖句:イザヤ52:7
  「良い知らせを伝える者の足は
   山々の上にあって、なんと美しいことよ。
   平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、
   救いを告げ知らせ、
  『あなたの神が王となる』とシオンに言う者の足は。」

 ツイッター:
  https://twitter.com/chissonosuke
  
 
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