平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

ラザロとエルサレムと沼津の復活(2017.4.2 礼拝)

2017-04-04 08:07:47 | 礼拝メッセージ
2017年4月2日礼拝メッセージ
『ラザロとエルサレムと沼津の復活 ~イースターに向けて』
【ヨハネ11:43-44、ハガイ2:4-5、ネヘミヤ2:17-18】

はじめに
 4月に入りました。来週の第2聖日は棕櫚の聖日で、シオン教会の荻野先生がメッセージを取り継いで下さいます。そして第3聖日の16日がイースターです。今年はお知り合いの方にチラシを渡していただきたいと願っています。それゆえ伝道的な説教になると思いますから、聖書のあちこちを開くということはしません。それで、きょうは少しフライングになりますが、イースターに絡めたメッセージを新約聖書と旧約聖書の両方をあちこち開きながら見ることにしたいと思います。

復活したイエスと出会うことの重要性
 まず、きょうの聖書箇所には入れませんでしたが、第一コリント15章を見ましょう(新約聖書p.340)。ここでパウロは「復活」について述べています。15章全体を述べたいところですが、きょうはあちこち聖書を開く関係で、あまり時間がありませんから、最初のほうは飛ばして、12節から14節までを交代で読みましょう。

15:12 ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。
15:13 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
15:14 そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。

 この14節は、強烈だと思います。キリストの復活がなければ私たちの宣教も信仰も実質のないものであるとパウロは書いています。しかし20節、

15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

 パウロは確信を持って、このように書いています。なぜパウロは、キリストの復活について、このような確信を持っていたのか、それはパウロが「復活したイエスさま」と出会った経験を持っていたからです。
 この復活したイエスさまとの出会いを経験することは、信仰にとって決定的に大事なことです。復活したイエスさまと出会ってさえいれば、もうイエスさまとの関係ができていますから、あとは全部イエスさまにお委ねしていれば万事OKという信頼関係ができます。そのイエスさまとの信頼関係さえできていれば、死んだら自分はどうなるのかということは、ぜんぜん心配しなくて良いわけです。クリスチャンは死んだ後に復活すると私たちは教えられていますが、その復活とは具体的にどういうことなのか、一体どんな風に復活するのか、色々なことが言われていますが、本当のところは実際にその時になってみなければわからないことでしょう。それが気になってしょうがないとか、本当に復活するのか不安だとか思う方もいるかもしれませんが、復活したイエスさまと出会ったことがあるなら、それだけで十分だと私は言いたいと思います。死んだ後のことは、全部イエスさまにお任せすれば良いのです。

復活したイエスとの出会いを助けるヨハネの福音書
 私がヨハネの福音書を深く理解することを皆さんにお勧めしているのも、この福音書が復活したイエスさまとの出会いを助けてくれる書になっているからです。少し前の礼拝でもご一緒に見ましたが、ヨハネの福音書1章の35節から39節までを交代で読みましょう。

1:35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言った。
1:37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
1:38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
1:39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。

 ここに「ふたりの弟子」が登場しますが、この弟子のうちの一人は、私たち読者です。そうして私たちはイエスさまに「あなたがたは何を求めているのですか」と問い掛けられて、「来なさい。そうすればわかります」と言われて、付いて行きます。このように、自分がイエスさまに「あなたがたは何を求めているのですか」「来なさい。そうすればわかります」と言われているように感じるなら、復活したイエスさまと出会ったと言って良いでしょう。一方、この「ふたりの弟子」のことを2千年前の弟子だと思っている間は、復活したイエスさまにまだ出会っていないと言えるのではないかと思います。

ラザロの復活とエルサレムの復興
 さて、こうして自分がこの福音書の登場人物の一員であることを感じるなら、イエスさまが2千年前の約30年間だけに存在していたのではなく、「旧約の時代」にも「使徒の時代」にも、そして現代にも存在している、つまりイエスさまは「永遠」の中にいることがわかるようになります。そして、きょうの聖書箇所のヨハネ11章のラザロの復活の場面も、エルサレムの復興と重ねられていることがわかるようになります。
 ヨハネ11章の43節と44節を、交代で読みましょう。

11:43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
11:44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」

 この場面の少し前の35節で、イエスさまは涙を流されました。これまでに何度も説明して来ましたから、きょうは詳しくは述べませんが、このラザロの死の場面はエルサレムが滅亡したことと重ねられています。霊的なイエスさまは「旧約の時代」のエルサレムが滅亡した時代にいて、バビロン軍の攻撃によって廃墟となったエルサレムの町を見てイエスさまは涙を流しました。ですから、きょうの聖書箇所のラザロの復活の場面は、エルサレムが復興したことと重ねられています。そのエルサレムの復興の時代について記しているのは旧約聖書では、エズラ記やネヘミヤ記、或いはまたハガイ書やゼカリヤ書です。
 次にハガイ書をご一緒に見ましょう(旧約聖書p.1545)。ハガイ2章の4節と5節を交代で読みましょう。

2:4 しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。──【主】の御告げ──エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。──【主】の御告げ──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の【主】の御告げ──
2:5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。

 この預言者ハガイの時代、バビロン捕囚からエルサレムに帰還した人々による神殿の再建が長い間、中断していました。様々な妨害に遭って人々はくじけて意気消沈してしまっていたからです。そんなエルサレムの人々に向かって主はハガイを通して叱咤激励しました。
「強くあれ。仕事にかかれ。わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。」
すごい励ましだと思います。こうして工事が再び始まって、エルサレムの神殿は再建されました。このことがヨハネ11章のイエスさまがラザロを復活させた場面には重ねられています。「新約の時代」には、聖霊は人の心の内に入ります。ですから、人の体が神殿となります。ラザロの復活には、そのような意味も込められているのだと思います。
 さて、このハガイ書で主は、単にエルサレムの人々を叱咤激励しただけではありません。ハガイ書1章で主は、5節と7節で2回、「あなたがたの現状をよく考えよ」と仰せられています(教報4月号の巻頭言で林先生もこのことに言及しています)。

現状をよく考えよ
 私たちもまた、私たちの現状をよく考えて行動しなければならないと思います。今、私たちの会堂建設も止まってしまっています。このことに私たちは決して失望してはならないと思います。私たちの現状をよく考えて、次のステップを踏み出すべきでしょう。
 では、具体的にどういうことを考えたら良いのでしょうか。今度はネヘミヤ記をヒントにしたいと思います。ネヘミヤはご承知の通り、エルサレムの城壁の再建の指導者となった人物です。ネヘミヤ記2章を開いて下さい(旧約聖書p.813)。17節と18節を交代で読みましょう。

2:17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
2:18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。

 こうしてネヘミヤがリーダーとなってエルサレムの城壁の再建が始まり、様々な妨害を受けながらも工事を完了することができました。この城壁の再建工事を始めるに当たっては、ネヘミヤは周到に準備をしました。まずエルサレムに赴くに当たってネヘミヤ、自分が仕えていたペルシヤの王に手紙を書いてもらいました。2章の7節と8節をお読みします。

2:7 それで、私は王に言った。「もしも、王さまがよろしければ、川向こうの総督たちへの手紙を私に賜り、私がユダに着くまで、彼らが私を通らせるようにしてください。
2:8 また、王に属する御園の番人アサフへの手紙も賜り、宮の城門の梁を置くため、また、あの町の城壁と、私が入る家のために、彼が材木を私に与えるようにしてください。」私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。

 このようにネヘミヤは周到に準備をしました。また、エルサレムに着いてからは、破壊された城壁の状態を入念に調べました。15節をお読みします。

2:15 そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。

 このネヘミヤ記、そして先ほどのハガイ書から私たちが学ぶべきことは、私たちの現状をよく考えて、そして、どうやったら会堂建設の事業を再開することができるか、周到に準備することが必要だということでしょう。私たちは祈ることも大切ですが、しっかりと考えることもまた必要です。
 これまで私たちが議論して来た、この沼津教会の会堂建設案は、今のところは残念ながら墓に葬られた形になったと言わざるを得ません。しかし、私はここから復活するようにと主からの語り掛けを聞いているように感じています。では、どういう形の復活なのか。それを私たちは考えなければなりません。

(中略)

おわりに
 「復活」とは、イエスさまの復活やエルサレムの復興、或いはまた私たちの死後の復活のことだけでなく、現状では衰退に向かっているキリスト教の復活をも意味します。その復活策をよく考えるべきです。イースターに向けて備えて行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

「強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。──【主】の御告げ──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の【主】の御告げ──
2:5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。」
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