平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

《人工知能の支配》に向かう人類(2016.5.18 祈り会)

2016-05-20 00:38:33 | 祈り会メッセージ
2016年5月18日祈り会メッセージ
『《人工知能の支配》に向かう人類』
【ヨハネ4:23】
 
はじめに
 先聖日はペンテコステ礼拝の幸いな恵みをいただけて感謝でした。
 最近の私は何度も話しているように、聖霊の働きには時間を越えた永遠を感じさせる働きがあることを、もっと広く知ってもらえるように頑張らなければならないと強く感じています。そして、ペンテコステの日の日曜日の晩にNHKで放送されたNHKスペシャルを見て、なお一層そのことを強く感じましたので、きょうはその話をさせていただきます。

《人工知能の支配》に向かう人類
 日曜日の晩に見たNHKスペシャルは「人工知能」についてでした。人工知能の研究がどこまで進んでいて、これからどこへ向かおうとしているかを、将棋棋士の羽生善治さんが研究現場を取材するというものでした。番組の構成としては、今年話題になった囲碁のコンピュータ・プログラムのアルファ碁と韓国のイ・セドル棋士との対戦を軸にして進められました。そして羽生さんがこのアルファ碁を開発したロンドンのグーグル・ディープマインド社や、対話型ロボットを開発している日本のソフトバンクの研究所などを訪問して、開発者とやり取りする場面などが放映されました。その他、いま人工知能の最新の成果が実際にどのように生活の場で活用されていようとしているかなども紹介されていました。
 そして番組を見終わって私は、これは大変なことになっていると思いました。それは、このままでは近い将来、人類の大半が《人工知能の支配》の下に入ってしまうと思ったからです。これは本当に危険なことです。もし人類の大半が《人工知能の支配》の下に入ってしまったら、私たちが《天の支配》の下にあることが、ますます見えにくくなってしまいます。
 少し前の祈祷会で私は、今の人間は《時計の支配》の下に入ってしまっていることを話しました。このことにより、私たちが《天の支配》の下にあることが非常に見えにくくなってしまっています。一番上には《天の支配》があるわけですが、天と私たちとの間に《時計の支配》が挟まってしまっていますから、《時計の支配》の上に《天の支配》があることが非常に見えづらくなっています。

《時計の支配》の恐ろしさ
 この《時計の支配》の恐ろしいところは、私たちが知らない間に時計に支配されてしまっていることです。私たちの時間は太陽の動きで決めています。このことが、ちゃんとわかっている間は時計に支配されてはいません。しかし、日本標準時というのがあって、日本では兵庫県の明石市がある東経135度の太陽の位置を基準にして時刻が決められています。すなわち明石市で太陽が真南にある時が昼の12時です。ですから東日本では太陽が真南に来た時にはまだ12時になっていなくて、真南を過ぎてからようやく12時になります。ただし真南の方向がどちらなのか、正確に知っている人は少ないと思いますから、このことを気にする人はいないでしょう。しかし、昼ではなくて日の出の時間や日の入りの時間になると違いが良くわかります。西日本に行くと、夏なら夜の8時近くまで明るかったりします。すると大抵の人は、「西日本は日が暮れるのが遅いな」という感想を持つでしょう。私も西日本にいる時は、「日が暮れるのが遅いな」という感想を持っていました。しかし、これは時計に支配されている者の感想です。本来は「西日本は時計の針を東日本よりも進めているのだな」という感想を持つべきでしょう。これが時計に支配されていない者の感想です。私たちは《天の支配》の下で時計を支配しており、時計の針を進めたり遅らせたりします。しかし、いつの間にか自分たちが時計の針を進めたり遅らせたりしたことを忘れて、時計の針に支配されてしまうようになりました。
 日本の時刻が昔のように単純にそれぞれの地域の太陽の位置で決められてバラバラだったら現代においては非常に不便ですから、日本標準時が定められていることは良いことです。しかし、私たちはちゃんとそれを理解して時計の針を進めているとか遅らせているということを、頭の片隅に置いておくべきです。それが、いつの間にかそのことを忘れて、西日本に行った時に遅い時間でも明るいのを見ると、西日本は日が暮れるのが遅いのだななどと思ってしまうのでは、時計に支配されてしまっていることになります。これは非常に危険なことです。なぜなら時計は人間が作った人工の物だからです。人間が作った人工物に支配されているうちに人間は知らず知らずに、万物は神が創造したものであることを忘れ、その結果、創造主としての神様などいないと多くの人が思うようになってしまいました。特に日本人の場合には、サッカーの神様とか野球の神様というような役割分担がある神様の存在は信じても、万物を創造した創り主のことは信じない傾向があると思います。

魔の手はすぐ近くに
 このように私たちの大半は既に《時計の支配》の下に入ってしまっていますから、今のままであれば、《人工知能の支配》の下に入ってしまうのも時間の問題だろうと思います。その魔の手は、日常的にスマホやパソコンを使っている人には既に届いていて、今やほとんど支配下に入っていると言っても良いのだろうと思います。そのことを私はパソコンの画面に現れる広告で強く感じます。
 インターネットを利用していると、いつも横の方に広告が現れますが、今の広告の多くはパソコンを利用している人のニーズに合うようにしています。例えば私は去年の今頃は土地の値段について色々と調べていました。沼津地域の不動産の物件情報をパソコンで頻繁に見ていました。すると、その閲覧履歴から私が不動産に興味があると判断されて、不動産情報が優先的に表示されるようになります。ただ、今はもう物件情報を得る必要がなくなりましたから、ぜんぜん見ていません。それでも私がパソコンでインターネットを利用していると不動産情報の広告が、よく表示されます。私は自分のパソコン上の閲覧履歴は消去しましたから、私のパソコンは記憶していないと思うのですが、どこか外部で私の閲覧履歴を保存している場所があるのだろうかと思います。
 ただ、不動産情報に関しては購入するにしても一生に何回もあるものではありませんから、その広告に踊らされることもないのだろうと思います。しかし、たとえば書籍など、比較的購入し易いものだと事情は違います。一頃私はアメリカのアマゾンのサイトでヨハネの福音書の注解書を買い漁っていた時期がありました。すると、こっちが調べもしないのに、アマゾンの方から、こういうヨハネの注解書がありますよと言って頻繁に知らせて来るようになりました。そうすると欲しくなって買ってしまいます。そうして私はかなりの数のヨハネの福音書の英語の注解書を買いました。

悪意を持った誘導の危険
 こうやってそれぞれのユーザーが何に関心を持っているかを分析して様々な提案をして来ることも人工知能の働きの一つです。この提案型の人工知能の働きのことを私はとても恐ろしいことだと感じています。それは、悪意を持って人をある方向に誘導することも可能だろうと思うからです。例えば私がある政治団体に関する情報を良く見に行っているとします。それは私がその政治団体を支持しているからかもしれませんし、支持していないから悪い材料を探しに行っているのかもしれません。しかし、私がその政治団体を支持しているか支持していないかは閲覧履歴を分析すれば、だいたい分かってしまうことでしょう。すると、その政治団体に敵対する勢力が私に対してパソコンを通して巧みにその政治団体が嫌いになるように誘導することも可能だろうと思います。もしかしたら、そういうことは現実に秘かに行われているかもしれません。
 このようにスマホやパソコンを通して人をある方向に誘導することは、これらの機器をあまり利用しない年配の方々に対しては、そんなに心配する必要はないと思います。しかし、今の若い人の大半は、いつもネットとつながっていますから、既に人工知能の支配下に入ってしまっているかもしれません。
 NHKスペシャルでは中国の青年が、対話型のスマホのアプリを利用して悩み事を聞いてもらっていることも紹介されていました。この青年の心は既に人工知能に支配されてしまっています。今のところ、このコンピュータとの対話のプログラムに悪意は混入していないと信じますが、悪意を持ってこの青年の心をコントロールすることも既に可能な段階になってしまっていると思います。

《天の支配》が見えなくなる危険
 このような《人工知能の支配》の危険から人間を守る働きは、今すぐ行わなければ大変なことになるでしょう。ですから、今がその時です。《人工知能の支配》から人を守るには、先ずは私たちが《時計の支配》の下に入ってしまっていることを認識する必要があると思います。そのためには、ヨハネの福音書のことを知ってもらうのが一番だろうと思います。
 私は最近まで、ヨハネの福音書とはどういう書かを広める働きは腰を据えてゆっくりやるべきなのかなと思っていましたが、そんな悠長なことは言っていられないと今回のNHKスペシャルを見て思いました。いま急いで働かないと大変なことになります。
 これまで何度も話して来たように、ヨハネの福音書の背後には【旧約聖書の時代】と【使徒の時代】とが重ねられています。イエスさまがガリラヤに行く途中でサマリヤ地方を通ったヨハネ4章には列王記第一17章の預言者エリヤの時代と使徒の働き8章のピリポのサマリヤ伝道の時代とが重ねられています。しかし、聖書は世界のベストセラーと呼ばれるほどに多くの人が読んでいるにも関わらず、ヨハネの福音書は紀元30年ごろのイエスさまの言動について記した書であると思い込まれています。それは私たちが《時計の支配》の下に入ってしまっているからです。東日本の人が西日本に行った時に、西日本では日が暮れるのが遅いのだなと思うのは、《天の支配》ではなく人間の《時計の支配》の下で西日本を見るからです。同様にヨハネの福音書も《天の支配》ではなく人間の《時計の支配》の下で読むなら、これは紀元30年頃の出来事として読んでしまうことになります。
 これは大したことではないようでいて、実は《天の支配》が見えなくなっているという重大なことが起きています。

今がその時
 きょう最初にご一緒にお読みしたヨハネ4章の23節を、もう一度、ご一緒に読みましょう。

4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

 ここでイエスさまは「今がその時です」とおっしゃっています。「今」とはいつのことでしょうか。それは、この福音書の読者にとっての「今」です。ですからヨハネの福音書が書かれた1世紀の終わりの読者にとっての「今」は1世紀の終わりですし、21世紀の現代の私たちにとっては21世紀の現代が「今」です。しかし、ヨハネの福音書の読者の多くは、先ずは紀元30年が「今」だと思って読むことでしょう。その後で21世紀の「今」のことを感じもすると思いますが、先ずは紀元30年と思うでしょう。けれどもヨハネの福音書の霊的なイエスさまは先ず何よりも真っ先に、読者の「今」に語り掛けています。ですから紀元30年のことは後から考えるべきで、先ずは21世紀の「今」のことを考えるべきです。
 ヨハネの福音書がこのような書であることを知らせる働きを、私は正に「今」やらなければならないと強く感じています。そうして人々に《時計の支配》から抜け出して《天の支配》の下に帰るようにお勧めし、《人工知能の支配》の下に入ってしまうことを防がなければなりません。

おわりに
 このことを私は皆さんにもご理解いただき、ご一緒に働きたいと願っています。私たちの教会は、《エジプトの支配》から人々を救った神様の下で働いていたモーセやアロンのように、神様にお仕えしたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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