インマヌエル沼津キリスト教会

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信じる者を決して捨てないイエス(2016.9.14 祈り会)

2016-09-15 21:14:39 | 祈り会メッセージ
2016年9月14日祈り会メッセージ
『信じる者を決して捨てないイエス』
【創世記5:21~24、ヘブル11:5、ヨハネ6:37】

神とともに歩んだエノク
 きょうはヘブル書11章の学びの続きでエノクの箇所を開きますが、まず創世記5章のエノクの箇所をご一緒に見たいと思います。創世記5章の21節から24節までを交代で読みましょう。

5:21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
5:22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。
5:23 エノクの一生は三百六十五年であった。
5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

 22節に「エノクは・・・三百年、神とともに歩んだ」とあります。神とともに歩んだということから、エノクは信仰の人であったことがわかります。この「エノクは神とともに歩んだ」は24節にもう1回出て来ます。そして、「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」とあります。これが創世記のエノクに関する記事の大きな特徴です。エノクの記事には、エノクが死んだことが書かれていません。その前の人々は死んだことがちゃんと書かれています。5章の5節にはアダムが死んだことが書かれています。8節にはセツが死んだとあります。11節にはエノシュが死んだこと、14節にはケナンが死んだこと、17節にはマハラルエルが死んだこと、20節にはエレデが死んだことが書かれています。しかし、エノクが死んだことは書かれておらず、24節には「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」と書かれています。
 このことから、ヘブル書の記者は次のように書いています。ヘブル人への手紙11章5節を、ご一緒に読みましょう。

11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。

 このようにヘブル書の記者は、「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました」と書いています。そして、「移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました」と書いています。

ヘブル書の記者がエノクを取り上げたのは何故か?
 ヘブル書の記者がエノクを立派な信仰の先輩の例として取り上げて、このようなことを書いたのは、どうしてでしょうか。今回、私は初めてヘブル書をシリーズで取り上げて説教を作っています。今まで、つまみ食い的にヘブル書の一部の箇所だけを引用して説教をしたことはありましたが、シリーズで説教をすることにしたのは初めてです。それで何週か続けて継続的に読んでいるうちに、ヘブル書がどういう書か、段々わかって来たような気がしています。
 2週間前に私は、このヘブル書について、迫害を恐れて信仰を捨てそうになっている人々に宛てた手紙だということを念頭に置いて読むと、よく味わうことができるという話をしました。きょうのエノクの箇所も、このことを念頭に置いて読むと、とてもよくわかると思います。もう一度、ご一緒にヘブル11章5節を読みましょう。

11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。

 ここでヘブル書の記者が一番書きたかったことは、エノクが死を見ることがなかったということよりは、移される前に彼が神に喜ばれていたということではないかと思います。つまり私たちも、この世を去る時には神に喜ばれているようにしましょうというわけです。
 このエノクの前に書かれているアベルは、神に喜ばれる捧げ物をした後ですぐにカインに殺されてしまいましたから、アベルは神に喜ばれたままで死ぬことができました。しかし、そのような神に喜ばれる信仰をずっと保ったままでいることは、なかなか難しく、また疲れることです。でもエノクという信仰の先輩を見習って、この世を去る時には神に喜ばれているようにしましょうというのが、ヘブル書の記者の言いたいことではないかと感じます。だから、これらの信仰の先輩たちのことを書いた後で、12章の1節から3節のことを書いたと思うのですね。

忍耐をもって走り続ける・・・
 既に何回か読んでいますが、12章の1節から3節までを交代で読みましょう。

12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
12:3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

 アベルのように神様に喜ばれてすぐに死ぬなら、忍耐を持って走り続けることはありませんが、私たちの人生は長いですから、途中で元気を失い、疲れ果ててしまうこともあります。そうならないように、ヘブル書の記者は2節で、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」と書いています。


 これは聖書が書いていることですから、もちろん全く正しいことです。しかし、なかなか大変だという思いもします。そういうわけで、私はヨハネの福音書の素晴らしさを、このヘブル書の学びを始めてから一層深く味わうことができるようになったと感じています。ヨハネの福音書は、新約聖書の中でも一番あとのほうに書かれた書です。ヨハネの福音書が書かれる前には、ヘブル書の記者が懸念しているようなことが、きっと色々とあったのだろうなと想像されます。

信じる者を決して捨てないイエス
 ここでヨハネの福音書をご一緒に見たいと思います。6章37節をご一緒に読みましょう。
 
6:37 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。

 イエスさまは、「わたしは決して捨てません」とおっしゃっています。ですから、自分で頑張って信仰から離れないようにする必要はないということです。このようにおっしゃるイエスさまを信じるなら、イエスさまから離れることは有り得ないことです。今度は35節をご一緒に読みましょう。

6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

 これはイエスさまを信じるなら、永遠の命が与えられるということです。このことの素晴らしい恵みがわかると、イエスさまから離れてしまうことは、まず有り得ないことです。しかし、現実には現代の教会においても教会から離れてしまう人々が大勢いますから、このことの素晴らしい恵みがあまり深くは理解されていないのですね。このことを私はとても残念に思います。ですから、ヨハネの福音書の魅力をもっとわかりやすい形でお伝えできるように私は努力と工夫を重ねて行かなければならないと思わされています。

おわりに
 最後に、もう一度、創世記5章24節をご一緒に読みましょう。

5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

 エノクは神様と共に歩みました。私たちも、神さまと共に歩んでいます。私たちには聖霊が注がれていますから、頑張らなくても神様のほうで共にいて下さり、神様の側から私たちを捨てることは決してありません。ですから、私たちは、頑張らなくても、ただ神様から離れないようにしていれば良いのですね。これが永遠の命を与えられた者の素晴らしい恵みです。
 このことの恵みを私たち自身が深く理解して、地域の方々にもお伝えして行きたいと思います。
 お祈りいたしましょう。

「エノクは神とともに歩んだ。」
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