平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

十字架から二千年は紀元何年か(2017.7.19 祈り会)

2017-07-20 07:47:44 | 祈り会メッセージ
2017年7月19日祈り会メッセージ
『十字架から二千年は紀元何年か』
【マタイ26:3~4、他】

はじめに
 昨日、シオン教会で持たれた講演会は大変に良い学びになりました。中高生たちにもっと教会に来て欲しいと教会が願う場合、それは往々にして教会の都合であり、本当に中高生たちのことを思ってのことなのか、考えたほうが良いという指摘には、痛い所を突かれた思いがしました。確かにそういう面があります。若い人たちが教会に集わないと教会の存続が危ういという教会の都合が優先されていると思いました。しかし、次のようにも思います。平和の働きは、次世代を担う若者たちが中心になって行われるべきです。それゆえ、教会には若い人々に集っていただきたいと私は願っています。これは教会のためではなく平和のためです。

十字架の年は紀元何年か
 さて、先週から「十字架からの二千年の2033年までに核廃絶と平和を」と、核兵器の廃絶に期限を設定することの提案を始めています。暦の上からはイエス・キリストの十字架は紀元30年または33年であろうとされています。さらにヨハネの福音書5章を読み解くなら、十字架の年は紀元33年となることを、先週の祈り会と今週の礼拝で話しました。きょうは、なぜ暦の上からは紀元30年または紀元33年というところまで絞り込めるかということについて、共に学ぶことにしたいと思います。
 Jimmy Akin という人のブログにある記事がわかりやすいので、これに沿って説明します。
http://www.ncregister.com/blog/jimmy-akin/when-precisely-did-jesus-die-the-year-month-day-and-hour-reveale

 Akinは聖書の記述から7つの点を挙げながら、イエスの十字架の死が紀元33年4月3日金曜日の午後3時であったと絞り込んで行っています。きょうは、このうちの最初の5点を紹介します。

①大祭司カヤパの在任中であった(マタイ26:3-4、他)

26:3 そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、
26:4 イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。

 大祭司カヤパは他の資料から、紀元18年から36年まで在任していたということがわかっているそうです。ですから、イエスの十字架の死は紀元18年から36年までの間であったことになります。

②総督ポンテオ・ピラトの在任中であった(マタイ27:11-26、他)

27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです」と言われた。
27:12 しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。
27:13 そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」

 総督のポンテオ・ピラトの在任期間は紀元26年から36年までであったことがわかっているそうです。

③皇帝テベリオの治世の15年にバプテスマのヨハネが活動を開始した(ルカ3:1-3)

3:1 皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、
3:2 アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。
3:3 そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。

 この皇帝テベリオの治世の15年とは紀元29年だそうです。それゆえ十字架は紀元29年から36年の間であったことになります。

④十字架は金曜日であった(マルコ15:42-43、他)

15:42 すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、
15:43 アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。

 これらの記述から、十字架は紀元29年から36年の間の金曜日にあったことになります。

⑤十字架は過越の祭の金曜日であった(マルコ14:12、他)

14:12 種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」

 紀元29年から36年までの過越の祭の日は、下記の通りだそうです。
 ・紀元29年4月18日(月) Monday, April 18, A.D. 29
 ・紀元30年4月7日(金) Friday, April 7, A.D. 30
 ・紀元31年3月27日(火) Tuesday, March 27, A.D. 31
 ・紀元32年4月14日(月) Monday, April 14, A.D. 32
 ・紀元33年4月3日(金) Friday, April 3, A.D. 33
 ・紀元34年3月24日(水) Wednesday, March 24, A.D. 34
 ・紀元35年4月12日(火) Tuesday, April 12, A.D. 35
 ・紀元36年3月31日(土) Saturday, March 31, A.D. 36

 こうしてイエスの十字架の日は、紀元30年または33年の二つの年に絞り込まれます。この後Akinは、ヨハネの福音書に三つの過越の祭に関する記述(ヨハネ2:13、6:4、11:55)があることから、イエスの活動期間が最低2年間であるとして、紀元30年を排除します。なぜならバプテスマのヨハネの活動の開始が皇帝テベリオの第15年である紀元29年であることから、もし十字架が紀元30年であったら過越の祭に三回参加することはできないからです。
 しかし私の見解では、ヨハネの福音書は創作を含んでいることからイエスの活動期間が二年以上であったとヨハネの福音書からは言えません。その代わり、ヨハネ5章の38年間病気にかかっていた人の記事が、十字架が紀元33年であったことを示しています。

核廃絶の期限を設けることの意義
 来月に入ると8月6日の広島の原爆の日、8月9日の長崎の原爆の日を迎えますが、それに先立つ今月の7月16日は、アメリカで初めての核爆発実験が行われた日でした。この実験の名称は「トリニティ実験」と呼ばれています。命名した人は三位一体の神を意識していたわけではないようですが、一般的には「トリニティ」と言えば三位一体の神のことです。この神聖な言葉を核実験の名称に使うとは、この兵器を開発した人々がいかに神から離れていたかということが、よくわかると思います。
 ですから核兵器は必ず廃絶されなければなりません。特にアメリカ・ロシア・イギリス・フランスのキリスト教の伝統を持つ核兵器保有国は率先して核兵器を削減し、2033年までの全廃を目指すべきです。なぜなら新約聖書のヨハネの福音書にはイエス・キリストが戦災で廃墟になったエルサレムを見て霊の憤りを覚え、涙を流したことが記されているからです。イエスはエルサレムだけでなく広島・長崎の被爆地はもちろん、戦災で廃墟になった無数の現場で涙を流しています。
 しかし現状では、いつになったらそれが実現するのか全くわかりません。そういう意味で、十字架から2033年までに実現するという期限を設けることには大きな意義があると思います。盛大に祝われるべき十字架から二千年の年は、単にセレモニーを盛大に行って終わるのではなく、平和の果実を捧げて祝われなければなりません。
 2033年を目指して私たちにできる小さなことを一つ一つ行っていきたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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