平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

世界の救い主(2014.12.21 クリスマス礼拝)

2014-12-21 14:41:15 | 礼拝メッセージ
2014年12月21日クリスマス礼拝メッセージ
『世界の救い主』
【マタイ2:1~12】

はじめに
 きょうはクリスマス礼拝です。私たちのために救い主イエス・キリストが、この世に生まれて下さったことを、心一杯お祝いしたいと思います。
 きょうのこのクリスマス礼拝のメッセージのタイトルは『世界の救い主』です。イエス・キリストはユダヤ人のヨセフとマリヤの子としてユダヤのベツレヘムで生まれ、そしてユダヤのエルサレムで十字架に掛かって死にました。ですからイエス・キリストはユダヤ人のための救い主ではないかと思う人も世の中にはいるでしょう。或いはまた、日本人の多くはイエス・キリストは西洋人のための救い主だと思っています。しかし実際は、ユダヤ人や西洋人のためだけの救い主ではありませんね。イエス・キリストは世界中の人々のための救い主です。東方の博士たちが誕生した幼子のキリストを遠路はるばる拝みに来たことは、そのことを物語っています。きょうは先ずこの東方の博士たちに注目して、イエス・キリストが世界の救い主であることを見たいと思います。
 また、それと同時に、当時の科学文明がいかに発達していたかということも、併せて見ることができたらと願っています。二千年前というと日本では弥生時代ですし、イエス・キリストの生誕物語では家畜小屋とか羊飼いたちが登場しますから、科学的な文明など全く無かった時代ではないかと、つい思ってしまうかもしれませんが、この当時には既に高度に発達した科学文明がありました。そんなことも一緒に学びつつ、クリスマスのお祝いをしたいと思います。

星観測の専門家だけが見た星
 きょうのマタイ2章の東方の博士の箇所は、おなじみの箇所ですから、ほとんどの皆さんは良くご存知のことと思います。まず1節と2節、

2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

 イエス・キリストが生まれたのは二千年前のヘロデ王の時代のことでした。この時、東の国から博士たちがエルサレムのヘロデの所にやって来ました。この博士たちは東のほうで、ユダヤで王が生まれたことを示す星を見たので、拝みに来たということでした。
 この星がどんな星だったのか、そして博士たちとはどんな人々だったのかを想像することは楽しいことです。想像を楽しみながら、博士たちがどんな博士たちだったのかを、もう少しハッキリさせてみたいと思います。
 まず、この星の出現は誰が見てもわかる、というようなものでは無かったと言えると思います。誰が見てもわかるものであれば、その地域一帯で騒ぎになっていたことでしょう。新しい星の出現は、現代でもあることですね。特に彗星については話題になります。彗星と言えばハレー彗星が有名です。ハレー彗星が1986年に接近した時は、あまり大きくは見えませんでしたが、その前の1910年に大接近した時には、世界中で大騒ぎになったのだそうですね。彗星の尾には猛毒が含まれているという噂や、彗星の尾が地球を通過する時には地球の空気が一時的に無くなるという噂が流れたそうです。それで日本では金持ちが自転車のチューブを買い占めて、チューブ内の空気を吸って彗星の尾をやり過ごそうとしたり、水を張った桶で息を止める訓練をする者などもいたそうです。或いはまた、どうせ死ぬのだから死ぬ前に金を遊びで使ってしまおうという者が増えて、歓楽街が非常に賑わい、かつてない盛況を見せたそうです。これは100年前の1910年の話ですが、2000年前でも、もし博士たちが見た新しい星の出現が誰にでもがわかるようなものだったなら、この1910年ほどではないにしても、人々の間で話題になり、ヘロデ王もまた気付いたことでしょう。しかし、博士たちがヘロデの所に行くまでヘロデはこのことを知らなかったのですから、この星の出現は素人にはわからない、星の観測を毎日のように行っている専門家でなければわからないものだったのですね。2000年前の天文学は、既に相当に高度に発達していたと思いますから、東方の博士たちもまた、そのような高度の天文学を身に付けた者たちであったことでしょう。東方の東の国がどこであったのかをマタイは明らかにしていませんからわかりませんが、かつてバビロンがあったチグリス・ユーフラテス川の流域は文明が発達していた地域ですから、バビロンの方から来たのかもしれません。

高度に発達していた天文観測技術
 2000年前の天文学がどれぐらい発達していたかは、プトレマイオスの天動説を考えてみると、だいたい想像できると思います。プトレマイオスは1世紀の末から2世紀の中頃までを生きた人ですから博士たちよりは100年ぐらい後の人ですが、当時の天文学のレベルを見る分には、同じぐらいの時代と言って良いでしょう。週報の中に図(出典 http://www008.upp.so-net.ne.jp/takemoto/chidousetsu.htm)を描いた紙を挟み込んでおきましたが、単純な天動説では、上の図のように地球を中心にして、全ての天体が単純な円軌道で地球の周りを回るというものです。



 しかし、プトレマイオスの天動説では、地球の周りの円軌道上に、もう一つの円軌道を周回させて惑星の運動を表現しています。ということは、当時もう既に、火星や木星などの惑星が非常に複雑な動きをすることがかなり正確にわかっていたのですね。現代の私たちは地動説を知っていますから、地球も他の惑星と同じように太陽の周りを回っていることを知っています。地球から見た惑星の動きが複雑なのはそのためであることを私たちは知っています。しかし当時は、まさか自分たちの側が動いているとは思いませんから、プトレマイオスはこのような、しくみを考え出しました。そして実際に、この図で実際の惑星の動きをかなり上手く説明できていました。コペルニクスの地動説が現れるのは、このプトレマイオスよりも遥かに後で西暦1500年代の前半のことです。プトレマイオスよりも1400年も後のことです。ですから、東方の博士たちより少しだけ後のプトレマイオスの時代には既に、天動説による天文学はほぼ完成の域に達していたことになります。恐らく東方の博士たちもまた、プトレマイオスの時代とそれほど変わらない天体観測技術を持っていたのだろうと私は思います。
 そのようにマタイの福音書に登場する東方の博士たちというのは、非科学的な怪しげな占星術を操る者たちなどではなく、当時の最先端の天体観測技術を持ったハイレベルの科学者であったのだろうと思います。また昔の博士というのは、今と違って一つの専門分野しか持たないということはありませんでしたから、様々な分野において優れた知識と技術を持っていたのだろうと思います。

早くから確立されていた製鉄技術
 天文観測以外の技術で私が興味を持つのは、この地域では早くから鉄を利用して武器や農具を作る技術を持っていたということです。イザヤ書の2章を開いてみましょう。2節、

2:4 主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。

 これは主が諸国に平和をもたらすという幸いな預言です。イザヤが預言していた時代は紀元前700年代で、それは北王国がアッシリヤ帝国に攻められ、やがて滅亡した頃のことです。このイザヤ書2章4節には、「彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し」とありますから、当時、紀元前700年代には既に武器の剣や槍も、農具の鋤や鎌も鉄で作られていたということですね。鉄は硬くて丈夫ですから、武器や農具として用いるのに、とても適していました。しかし、鉄は鉄だけで天然に存在するわけではありません。そこらへんに鉄骨が転がっているわけではなく、自然界の中では鉄は隕石や鉄鉱石として存在しています。隕石や鉄鉱石は岩石です。そのような岩石を高温に熱して製鉄し、武器や農具などの鉄器を作る技術が既に紀元前700年代のイザヤの時代には確立していたなんて、本当に凄いことだなあと思います。
 私たちは聖書の時代というと何となく科学技術がほとんど発達していない、文明的にはかなり劣った時代と考えてしまいがちかもしれませんが、いま話した天文観測技術や製鉄の技術を見ても、相当に高度な技術を持っていたのだという認識を持つ必要があるだろうと私は思います。そして東方の博士たちというのは、当時の最先端の知識と技術を持った人たちであったと言えるでしょう。最近の話題で言えば、ノーベル賞の授賞式があったばかりですから、東方の博士たちのレベルというのは、ノーベル物理学賞を受賞した科学者たちに匹敵すると言っても決して間違ってはいないだろうと思います。
 少し話は脱線しますが、今年のノーベル物理学賞は青色LEDを製造する技術を開発した3人に与えられましたね。私は古代に鉄鉱石から鉄を作る製鉄の技術を開発した人々の功績は、ノーベル賞よりも、もっともっと凄い功績だと思います。また2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんは、超新星爆発で発生したニュートリノを観測した功績が評価されました。小柴先生はまさに新しい星の出現を観測したわけですから、東方の博士たちと同じだというわけですね。東方の博士たちというのは、今で言えばそれぐらいのノーベル賞級の科学者たちと言って良いのだろうと私は思います。

世界の全ての人々のための救い主
 マタイの福音書に戻ります。きょうはヘロデ王については飛ばして、9節から11節までをお読みします。

2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

 黄金、乳香、没薬は宝の箱に入っていて、どれもとても高価なものでした。これらのものを贈り物としてささげることができた博士たちは、やはり身分的にもかなり高い人々だったのでしょう。
 イエス・キリストが生まれた時、幼子のイエスさまは羊飼いの訪問を受け、祝福されました。羊飼いというのは当時のユダヤ人の社会では身分の低い者たちでした。そうして、今度は東の方の外国にいる身分の高い博士たちからも拝まれ、祝福されました。それは、イエス・キリストが全ての人々のための世界の救い主であるからですね。ユダヤ人も異邦人も区別なく、身分が低い者も身分が高い者も区別なく、イエス・キリストは世界の全ての人々のための救い主です。
 イザヤ書には、主がすべての国の人々に救いをもたらすことを示す記述があちこちにあります。きょうは最後にイザヤ書の61章をご一緒に読みたいと思います。なぜ61章を選んだかというと、このイザヤ61章は、成長した主イエスが宣教を開始した時に、会堂で巻物を手に取って読んだ箇所だからです。ですから、まずルカの4章をご一緒に見ましょう。ルカの福音書4章の16節から21節までを、交代で読みましょう。このルカ4章の前の方には、主イエスが荒野で四十日間、悪魔の試みに会ったことが書かれています。そうして主イエスはご自分が育ったガリラヤに戻って来ました。16節から21節までを、交代で読みます。

4:16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。
4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」
4:20 イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
4:21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

 21節で、イエスさまは、聖書のこのみことばが実現しましたとおっしゃいました。「このみことば」とは、18節にある、「主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。」というみことばですね。このみことばは、イザヤ書61章のみことばです。最後に、イザヤ61章をご一緒にみましょう。
 イザヤ61章の1節にあるのが、今ご一緒に読んだルカの福音書にあったみことばですね。

61:1 神である主の霊が、わたしの上にある。【主】はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。

 この1節から始まるイザヤ61章の最後の2節を読んで、きょうのクリスマス礼拝を閉じたいと思います。特にじっくりと味わいたいのが11節です。「地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽ばえさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽ばえさせるからだ」とあります。主がすべての国の前に義と賛美とを芽ばえさせて下さいましたから、日本人の私たちにも神の義が与えられ、また神を賛美する恵みが与えられたのですね。

おわりに
 クリスマス礼拝のきょう、このことを心一杯感謝しながら、10節と11節を交代で読みたいと思います。

61:10 わたしは【主】によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。
61:11 地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽ばえさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽ばえさせるからだ。

 お祈りいたしましょう。
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