虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

本当に その教育法でうまくいくの? 勉強につまずくときの対応と予防 6

2011-05-20 15:27:11 | 日々思うこと 雑感
本当に その教育法でうまくいくの? 勉強につまずくときの対応と予防 3の記事に次のようなコメントをいただきました。
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長文で失礼します。
最近小学生の親向けの掲示板や教育雑誌に感じていたなんともいえない違和感が、「時間」を「お金」で買うという感覚だったのかなと思いました。私立の中学を選ぶ際に「東大合格率」で選ぶというのはまさにこの感覚から来るものでしょうね。「東大合格率の高い学校」に合格率の高い塾を探すのは、私立中学入学を希望する一部の親にとっては大命題になっているようです。

もちろん、こういう風潮が良いとは思いません。子供はできるだけ沢山お友達と遊ばせてあげたいとも思います。しかし現実はそんなに単純ではありません。私は神奈川に住んでいますが、神奈川の公立高校の入試はそのほとんどが先生の主観を含む内申で決まります。でも目の前の公立小学校の現状を見て、その子達が進む中学の内申で高校が決まる現状を考えると中学受験を考えざるを得ないのです。それは現場の先生方の努力ではどうにもならない問題だからです。そして中学入試を考えるということは、小学校生活後半の大部分の時間をそれに費やすということでもあります。時間にせよお金にせよ、その労力があまりにも大きいために、つい「対費用効果」を追求したくなる気持はとても理解できます。

更にその労力を少しでも楽にできたらと「早くからのスタート」を考える親もいます。一部は小学校入試に走り、他の多くは低学年でどのように過ごせば受験勉強を効率的にこなせるかを考えます。全ては子供を思うがためです。そして沢山の情報に流され、気がつくと子供を追い詰めているのです。追い詰められているのは子供だけではありません、親もまた「子供から大切な時間を奪っているのではないか」という自責の念にかられています。自分のやっていることが間違いだとは思いたくなくて、過剰防衛に走りやたら攻撃的になる親もいます。

当事者以外がそんな親の姿をみて「子供にとって何が本当に大切なのかわかっていない」と批難することは簡単です。でも批難している人間も、批難されている人間も「子供を思っている」気持自体は実はそれほど違うわけではないのです。実際、小学校時代にそういって受験する親を批難していた人から、公立中→高と進むにつれ「あの時多少無理させても受験させておけば」と後悔している声をよく聞きます。子供の教育を真剣に考えれば考えるほど、公の教育に任せておけない、と思うようです。今は親が何も考えずに地域の学校に任せておけば自分の子供の頃と同じように子供が育つ時代ではなくなってしまっています。そうしてなるべく子供をよく育てよう、親が賢くなろうと考え勉強したあげく、方法論に偏ってしまい、結局は子供を傷つけたりするのです。だからこそこの問題は根が深いのではないでしょうか。

教育にお金をかけることを全て否定するのも何か違うように感じます。稽古事にしろ塾にしろ、上手く嵌れば学校以上に子供に多くの気づきを与えてくれる場所になるからです。子供が、親と学校の先生以外の大人に触れるのも大切な経験ではないでしょうか。少なくともうちの小学生の娘は、お稽古事で精神的に大きく成長しています。
だからこそ「子供を追い詰める親」と「子供を成長させられる親」の違いが知りたいと思います。それは単に中学受験をするとかしないとか、勉強時間を何時間とるとかの問題だけではないはずだと思うからです。
それでも中学受験を選択した時点で、子供から何かを奪うことになってしまう。親として、とても苦しいです。
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苦しいお気持ち、とてもよくわかります。

子どもにより良い選択肢を与えたい、より良い道を歩めるように
手をつくしてあげたいと思うのは、
自然な親心でもありますよね。

私もうちの子たちを育てるなかで、何度も真剣に悩まなきゃならない
選択肢にぶつかったことがあります。

何を選んだとしても、
「最終的には子どもの自立と成長をうながす支えとなった」と満足する結果を得ることができた
私の工夫を紹介しますね。


★心の中に「選択肢に対して反対したり攻撃している敵」を作らない。


子どもの進路に関する大きな選択は、
子どもが決めたことでも、
それを許した親にも
後々まで責任が発生するし、覚悟も必要です。

ですから心の中の余計なノイズを省いて、
うまくいかなかったときのことも
しっかり想定して選ぶ必要があると思います。

自分の意見に反対して攻撃してくる人のことを考えながら
何を選ぶか悩んでいると、
頭が感情に乗っ取られてしまって、主役である子どもの存在を忘れて
良し悪しを決めてしまうなんてことも起こります。

将来の進路が決まるような試験の最中に、
友だちとの口げんかのことで頭がいっぱいで大きなミスをする
のと似ています。


自分の選ぼうとしている道に対して、
あれこれいう人の意見は、選ぶかどうか決めるときに、
起こりうる問題点をリストアップしていってくれるので、
冷静にひとつひとつ検討していくとき役に立ちます。

攻撃する人は、どっちにすべきか迷いや不安があるからこそ、
感情的に攻撃しているのですから、
後から反省して、正反対の自分側の意見に同調してくる可能性が大きいです。

誰かが自分に批判的な目を向けていると思うと、
ゆがみのない目で状況を正確に判断するのが難しくなります。
選択眼を狂わせる原因にしかなりません。



うちの子の受験の時は、↓にリンクした過去記事にも書いていますが、
現実に学校や周囲から猛反対を受けました。あきらかに攻撃的な言葉もたくさん投げつけられました。
でも、実際、がんばるのも子ども、結果を受け止めるのも子ども。
不安に耐えるのも、障害を越えるのも子ども本人。

それを請け負うわけでもない親の私が、自分を批判している人がいる‥‥‥と身構えて、
どうしようかと考えるのは、子どもにとってよくないと感じました。


子どもには、自分の選んだことに責任を持って、
覚悟して臨んでもらいたかったので、
親の私は、なるべく心をクリーンにすることを心がけました。



★未来の選択肢は、どちらも確率的に有利であるに過ぎないと
あっさりと捉えておく。



まだ経験していない未来について、

「あるひとつの道しか自分が望む何かを得る方法はありえない」

と、親が追い詰められた気持ちを抱くのは、
大きな危険が伴います。

特に、それが子どもに関することである場合。

「こっち」の道はリスクが高すぎるから、
「あるひとつ」の道しか自分が望む何かを得る方法はありえないと感じたとしても、
結局、「こっち」にしても「あるひとつ」にしても、
50%の成功率と80%の成功率という具合に、
どちらも確率に過ぎないのですから。

子どもの人生は、お金と時間と労力をかけたら
必ず親の選択した通りになるものではなく、
子どもの能力や運、体調、親子関係などの
さまざまな要素が影響するので、
未来はどのみちわからないのです。

「絶対、こっちに行かなくては、あっちに行くと先がない……」と親が思い込むほど、
思っていた道に進めなかったときに、
子どもは「人生の終わり」であるかのように絶望してしまいます。

「どの道を歩んでいても、そこで全力を傾けて努力する」
ということができなくなってしまいます。


小学校時代に受験する親を批判していた人から
「あの時多少無理させても受験させておけば」という後悔を聞くと、
「その方々の選んだ選択肢はダメだった」という印象を受けますよね。
でも「その方々にとってダメだった」だけで、その道の成功率は0%ではないはずです。

私は 人づてにですが、私立の中高一貫校を選んだ(受験した)ことで後悔しているという方の話をちょくちょく耳にすることがあります。

受験に失敗して公立に行かざるえなかった……。
中高一貫校の多量の宿題と進度の速い授業についていけずに学校に行けなくなった……
学力が伸びずに留年や退学を余儀なくされた……校風が子どもに合わない……など。

こうした方々はごくまれなケースかもしれませんが、
宿題が多すぎたり、授業についていけなかっり、成績が伸び悩んだりする悩みは、私立に子どもを通わせている数%の成績優秀児の親以外は
ほとんどの方が抱えている苦しみではないでしょうか。



★子どもが挫折したとき、自分で責任を負えるように
親のもやもやした心という余計な荷物を背負わせない。
将来にダメージを与える不安を刷り込まない。


うちの子たちは本人の希望で中高を、娘は公立に、息子は私立に行かせましたが、どちらも大変といえば大変で、
一方を選べば選ばなかった選択肢を思って後悔するような印象があります。

私自身は、「だから、どちらを選んでもいっしょ」とは思っていなくて、
子どもの能力や気質や目指している進路によって、
「客観的に見て、より良い選択肢」というのはあると思っています。

でも、それは、「絶対」ではなくて、
チャレンジするのも、失敗のリスクに立ち向かうのも、
さまざまな現実を受け入れていくのも、結局、子ども本人なのですから、

親の私の価値観やら迷いやら世間体やら願望やらで、
本人が自分の目の前の現実に誇りを持って生きることができなくなる」ということがないように自分の心に気を配っています。

たとえば、子どもが、受験をして不合格になった場合でも、
「その痛みに耐えて、自分のすべき努力を続けて、勇気を持って、次もチャレンジする」という現実は、
子どもにとって全身全霊で向き合わないと超えられない巨大な山です。

親の価値観や迷いや世間体や願望などという
余計な荷物を背負いながら
できることではありません。

高校受験がエスカレーターで進めたところで、
大学受験、就職試験、就職後のどこで大きな挫折を体験するかもしれないし、
それまでに親の内面の不安や罪悪感といったもやもやを
刷り込んでいればいるほど、
子どもの現実に立ち向かっていこうとする気持ちは
萎えるのではないでしょうか。



過去記事ですが、わが子が受験期に考えたことをまとめたものです。↓
よかったら読んでくださいね。
★子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 1

★子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 2

★子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 3

★子育てって、より偏差値の高い学校に子どもを進ませるための競技なの? 4



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2 コメント

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Unknown (ぱぐぱぐ)
2011-05-23 17:11:58
コメントをするのが遅くなりましたが…。このコメントは今の親達が抱える苦しみを的確に表現されていてとても共感しました。

奈緒美先生はどう感じられたのだろうと思っていたので取り上げていただいて嬉しいです。

奈緒美先生の心の在り方に感動しました。どうしてそんなに澄んだ心でいられるのでしょうか?私は修行不足でなかなか…自分の選択肢が間違っていると認めたくないために別の選択肢をした人にちょっと意地悪な気持ちを抱くことも少なくありません。

少しでもクリアでいられるよう自分の心に気を配ろうと思いました。
ありがとうございました! (yuzu)
2011-05-23 17:15:06
前回の長文で感情的な私の文章に対し、とても誠実でご丁寧なアドバイスをありがとうございました。
まさかこのような形でお返事を頂けると思っておりませんでしたので、週明けにこちらを拝見して驚き大変恐縮しております。ひとつひとつのご指摘がとても心に染み入りました。

なおみ先生のブログからははいつも沢山の気付きを頂いており、前回の記事でも常々感じていた違和感を説明されていて非常に納得したのですが、だからこそ悩む面もあるのだと、つい感情的になって書き込んでしまったのでした。
うちの子は小学校3年生で、まだ本格的な受験体制には入っていません。が、それだけにまだ色々な選択肢があり、迷う気持も大きいです。

そして今回の記事を読んで、私自身既に情報に流されていたり、来るべき批判に身構えてしまっていることに改めて気がつきました。「こうなってはいけない」と思っているはずなのに、いつのまにかその状態に陥っているところが怖いです。そしてそれを全て「子供のため」という理由にしてしまえる点も(そしてもちろんそれは嘘ではないのです)。
「あちら側には行きたくない」と思っているそのほうへ自分もいつのまにか入り込んでいるかもしれないことを、常に自覚しなければならないと思いました。

同時に、何時の時点でも結局は子供が主体であるということを忘れずにいなければと改めて思いました。子供の人生を生きるのは子供自身であり、親としては子供自身の選んだ道を心置きなく歩けるように心を砕いていくことしかできないのですね。わかっていたはずなのですが、実際にそれを実行するのは難しい。どうみてもリスクがある、子供のやり方では結果がみえている、そう思ったときに親としてどこまで肝を据えて子供に向き合っていけるのか。

息子さんの受験に対するなおみ先生の姿勢、親としての懐の深さには感じ入りました。息子さんも素晴らしいけれど、なおみ先生の元だからこそ、その長所を思う存分伸ばすことができたのでしょう。親ならこんな風に子供を伸ばせたらと思うけれども、娘の日々のささいなことでイライラしてしまう自分には、その心境に至るにはまだまだ長い道のりになりそうです。…が、それでも日々試行錯誤しながら子供と向き合っていくことが大切なのかなあと思いました。

こちらのブログは、そんな迷える親の良い指針です。これからも色々勉強させて下さい。どうぞよろしくお願い致します。

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