「子どもたちの学力が低下しているのだから、
内発的動機を育てるとか、自発性や創造性を育てるなんて理想論を言っていないで、まず基礎の徹底反復をせよ。
知識を詰め込め。競争させろ。甘やかさずに叱りつけて勉強させろ」
受験肯定派は熱く激を飛ばします。
確かに学力低下には手を打たなきゃならないのはわかるけど、
どうもこの手の意見を聞くと、もやもやっと納得できない気持ちになるのです。
そのどこに納得できないのかうまく言葉にならなかったのだけど、
『プロフェッショナルたちの脳活用法』
(茂木健一郎 NHK「プロフェッショナル」制作班 NHK出版生活人新書)
を読んでいて、もやもやの原因に気づかせてくれる言葉にぶつかりました。
ロボット技術者の小柳栄治氏の次のような言葉です。
「現在、世界中で数多くのロボットコンテストが開催されていますが、子どもたちが発達段階や能力に応じて、゛ちょっと背伸びさせる゛要素がコンテストにはたくさんあるんです。
自分自身も、コンテストに育てられたロボット技術屋だという側面がありますね」
私のもやもやの元とは、小学校って、基礎の徹底の大合唱をすればするほど、
学習面でも、勉強以外の場でも、
知的な面で゛ちょっと背伸びさせる゛要素が、少しもなくなっていくという点なのです。
子どもは、音読とか計算とか、教えられた基礎を繰り返しさえいればいいんだから……と、難しい問題考えるとか、効率的に解くとか、独創的な創造力を使って考えるといったことは、公立小学校ではタブーになっているのです。
虹色教室には小学1年生で、
はじめて見る高学年向けの割合や図形の問題を、
たちまち理解して解いていくような高い数学的センスを持っている子がいますが、そういう子に限って、
「もう知っててできるから、何度もやりたくない」と
基礎計算の反復学習を嫌がるのです。
もちろん、基礎計算はきちんとできているのです。
でも、学校の学習が「できるようになる」ことを目指すのではなく、
単に「子どもには基礎の徹底反復が必要という考えが今流行しているから」という理由で、家で家族と会話する時間もなくなるほど
同じことを繰り返させるので、能力は高いのに
すっかり勉強嫌いになりつつあるのです。
そうしたときに、
「難しい学習をさせるから、ひねくれて、基礎訓練をしようとしなくなった」
という学校中心の考え方でそうした子を裁くのと、
「知的な面でちょっと背伸びがしたい子もいる。そうした子の知的なチャレンジ精神を大事にしてあげつつ、基礎の大切さをきちんと教えていこう」
と捉えて、
そうした子が強く持っている知的好奇心を、他の子たちにも広げていくのとではずいぶん結果が違ってくるように思うのです。
教科学習はで、そうした差をつけるわけにはいかないのなら、
理科工作や算数パズルといった遊びの中ででも、
自分の知力の限界にチャレンジする爽快さを味合わせるのも大事なのではないでしょうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
知人の職場の新入社員が、「先輩、この漢字なんて読むんですか?」とたずねてきたので、「あそこに辞書があるわよ」と言ったところ、
同期の子に、「先輩がいじわるして教えてくれない~」とこぼしていたそうです。
家庭や学校が職場の困ったちゃんを育てていないか、反省……ですね……。
勉強しない高校生の姿を見ると、「小学生から基礎を徹底させなくては!」という話になるのですが……(それに基礎は確かに大事ですが)
私が小学生たちの勉強を見ていると、将来、勉強ができなくなったり、しなくなったりする原因となりそうなのは、
『「1分以上じっくり考える」という経験をしたことがない』という頭の使い方と同時に、
『簡単でシンプルなものを直視できない』という現代っ子特有の気質もあるように見えるのです。
そうした悪習慣が、知識を詰め込んで、基礎を反復させるだけで直るのか
疑わしいのですよ。
まず、大人が何が大切なのか、きちんと把握することこそ先決ではないでしょうか?
こちらも過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。↓
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小学生の算数の学習を見ていると、
非常に多くの子たちが、
現代っ子に共通する「学年が上るにつれて算数が苦手になる大元」となりそうな
困った癖を持っていることが気になっています。
それは……
『簡単でシンプルなものを直視できない』
『単純な情報にしっかり意識を向けていられない』
ということです。
そのため、小学2~3年生に2本の棒を渡して、
こちらの方が4センチ長いです。
「4」はどの部分に当たるの?
とたずねると、比べている短いほうの棒全体が4であると答えたり、
いつまでも首をかしげて、「わからない」と答えたりするのです。
小2の学校の学習では少しもつまずいていない子が、
「どちらが長いか、2本の棒を比べるにはどうすればいいの?」という質問に
棒の一方をそろえることができず、
「どっちがどれだけ長いの?」と長い部分を指させようとしても、
「わからない」と言う場面もありました。
そこまで混乱する子はめずらしくても、
筆算の割り算の最中に、自分が扱っている部分に意識をとどめておけなくて、
いつもごちゃごちゃになってしまう
概数の四捨五入するポイント部分に意識を向けて置けなくて
ごちゃごちゃになってしまう
という様子をよく見かけます。
教師経験のある知人は、「最近の子たちが、シンプルな部分に注意を向けられなくて、シンプルな問題にもかかわらず、あらゆる複雑そうなところから情報を集めてこようとして、さっぱり問題が解けない」
と語っていました。
これは私も、いつも気になるところなのです。
ゴムでっぽうを打つときに、ゴムに注目していられない
こまを回すときにコマを見ていられない
忙しく目を動かし、たくさんの情報を集めようと四苦八苦した結果、
今していることの中心核となる部分がどこか見抜けないし、
それが単純だと意識をとどめておくことができないのです。
それは幼児教育をしてきた子、小学校受験を勝ち抜いてきた子にもよく見られます。
テレビや情報の多い環境などの影響や、
昔遊びの減少、
親が学習を教えるときに、子どもにシンプルな部分に集中させず
「子どもが、まだその対象を難しく感じている混乱状態で情報だけをたくさん与える」
「操作や解法そのもの」を丸暗記させていること
などが原因ではないかと感じています。
この単純なものに意識をとどめておけない
という困った癖は、高学年になって、線分図を扱ったり、
速度や単位量あたりの計算など、
非常にシンプルな図の中に整理していけば簡単に解ける問題を、
「複雑だ~」「難しそうだから難しそうな部分をあっちもこっちも見なきゃ」という意識であちこち気持ちを散らして、さっぱり解けるようにならない
という状態に結びつきます。
幼児期、おもちゃがない状態ですぐに退屈しないで、外遊びができる
靴投げのようなシンプルな遊びをしつこくできる
ブロックや積み木も小さなパーツをどんどん増やすなどして、
情報処理のあり方を幼児期から複雑にしない
テレビやゲームを受動的に見たりしたりする時間を減らす
親がしつけやルールを教えるとき、
たくさんのことを同時に教えない、求めない
といったことが、とても大事なのではないでしょうか?
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内発的動機を育てるとか、自発性や創造性を育てるなんて理想論を言っていないで、まず基礎の徹底反復をせよ。
知識を詰め込め。競争させろ。甘やかさずに叱りつけて勉強させろ」
受験肯定派は熱く激を飛ばします。
確かに学力低下には手を打たなきゃならないのはわかるけど、
どうもこの手の意見を聞くと、もやもやっと納得できない気持ちになるのです。
そのどこに納得できないのかうまく言葉にならなかったのだけど、
『プロフェッショナルたちの脳活用法』
(茂木健一郎 NHK「プロフェッショナル」制作班 NHK出版生活人新書)
を読んでいて、もやもやの原因に気づかせてくれる言葉にぶつかりました。
ロボット技術者の小柳栄治氏の次のような言葉です。
「現在、世界中で数多くのロボットコンテストが開催されていますが、子どもたちが発達段階や能力に応じて、゛ちょっと背伸びさせる゛要素がコンテストにはたくさんあるんです。
自分自身も、コンテストに育てられたロボット技術屋だという側面がありますね」
私のもやもやの元とは、小学校って、基礎の徹底の大合唱をすればするほど、
学習面でも、勉強以外の場でも、
知的な面で゛ちょっと背伸びさせる゛要素が、少しもなくなっていくという点なのです。
子どもは、音読とか計算とか、教えられた基礎を繰り返しさえいればいいんだから……と、難しい問題考えるとか、効率的に解くとか、独創的な創造力を使って考えるといったことは、公立小学校ではタブーになっているのです。
虹色教室には小学1年生で、
はじめて見る高学年向けの割合や図形の問題を、
たちまち理解して解いていくような高い数学的センスを持っている子がいますが、そういう子に限って、
「もう知っててできるから、何度もやりたくない」と
基礎計算の反復学習を嫌がるのです。
もちろん、基礎計算はきちんとできているのです。
でも、学校の学習が「できるようになる」ことを目指すのではなく、
単に「子どもには基礎の徹底反復が必要という考えが今流行しているから」という理由で、家で家族と会話する時間もなくなるほど
同じことを繰り返させるので、能力は高いのに
すっかり勉強嫌いになりつつあるのです。
そうしたときに、
「難しい学習をさせるから、ひねくれて、基礎訓練をしようとしなくなった」
という学校中心の考え方でそうした子を裁くのと、
「知的な面でちょっと背伸びがしたい子もいる。そうした子の知的なチャレンジ精神を大事にしてあげつつ、基礎の大切さをきちんと教えていこう」
と捉えて、
そうした子が強く持っている知的好奇心を、他の子たちにも広げていくのとではずいぶん結果が違ってくるように思うのです。
教科学習はで、そうした差をつけるわけにはいかないのなら、
理科工作や算数パズルといった遊びの中ででも、
自分の知力の限界にチャレンジする爽快さを味合わせるのも大事なのではないでしょうか?
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知人の職場の新入社員が、「先輩、この漢字なんて読むんですか?」とたずねてきたので、「あそこに辞書があるわよ」と言ったところ、
同期の子に、「先輩がいじわるして教えてくれない~」とこぼしていたそうです。
家庭や学校が職場の困ったちゃんを育てていないか、反省……ですね……。
勉強しない高校生の姿を見ると、「小学生から基礎を徹底させなくては!」という話になるのですが……(それに基礎は確かに大事ですが)
私が小学生たちの勉強を見ていると、将来、勉強ができなくなったり、しなくなったりする原因となりそうなのは、
『「1分以上じっくり考える」という経験をしたことがない』という頭の使い方と同時に、
『簡単でシンプルなものを直視できない』という現代っ子特有の気質もあるように見えるのです。
そうした悪習慣が、知識を詰め込んで、基礎を反復させるだけで直るのか
疑わしいのですよ。
まず、大人が何が大切なのか、きちんと把握することこそ先決ではないでしょうか?
こちらも過去記事ですが、よかったら読んでくださいね。↓
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小学生の算数の学習を見ていると、
非常に多くの子たちが、
現代っ子に共通する「学年が上るにつれて算数が苦手になる大元」となりそうな
困った癖を持っていることが気になっています。
それは……
『簡単でシンプルなものを直視できない』
『単純な情報にしっかり意識を向けていられない』
ということです。
そのため、小学2~3年生に2本の棒を渡して、
こちらの方が4センチ長いです。
「4」はどの部分に当たるの?
とたずねると、比べている短いほうの棒全体が4であると答えたり、
いつまでも首をかしげて、「わからない」と答えたりするのです。
小2の学校の学習では少しもつまずいていない子が、
「どちらが長いか、2本の棒を比べるにはどうすればいいの?」という質問に
棒の一方をそろえることができず、
「どっちがどれだけ長いの?」と長い部分を指させようとしても、
「わからない」と言う場面もありました。
そこまで混乱する子はめずらしくても、
筆算の割り算の最中に、自分が扱っている部分に意識をとどめておけなくて、
いつもごちゃごちゃになってしまう
概数の四捨五入するポイント部分に意識を向けて置けなくて
ごちゃごちゃになってしまう
という様子をよく見かけます。
教師経験のある知人は、「最近の子たちが、シンプルな部分に注意を向けられなくて、シンプルな問題にもかかわらず、あらゆる複雑そうなところから情報を集めてこようとして、さっぱり問題が解けない」
と語っていました。
これは私も、いつも気になるところなのです。
ゴムでっぽうを打つときに、ゴムに注目していられない
こまを回すときにコマを見ていられない
忙しく目を動かし、たくさんの情報を集めようと四苦八苦した結果、
今していることの中心核となる部分がどこか見抜けないし、
それが単純だと意識をとどめておくことができないのです。
それは幼児教育をしてきた子、小学校受験を勝ち抜いてきた子にもよく見られます。
テレビや情報の多い環境などの影響や、
昔遊びの減少、
親が学習を教えるときに、子どもにシンプルな部分に集中させず
「子どもが、まだその対象を難しく感じている混乱状態で情報だけをたくさん与える」
「操作や解法そのもの」を丸暗記させていること
などが原因ではないかと感じています。
この単純なものに意識をとどめておけない
という困った癖は、高学年になって、線分図を扱ったり、
速度や単位量あたりの計算など、
非常にシンプルな図の中に整理していけば簡単に解ける問題を、
「複雑だ~」「難しそうだから難しそうな部分をあっちもこっちも見なきゃ」という意識であちこち気持ちを散らして、さっぱり解けるようにならない
という状態に結びつきます。
幼児期、おもちゃがない状態ですぐに退屈しないで、外遊びができる
靴投げのようなシンプルな遊びをしつこくできる
ブロックや積み木も小さなパーツをどんどん増やすなどして、
情報処理のあり方を幼児期から複雑にしない
テレビやゲームを受動的に見たりしたりする時間を減らす
親がしつけやルールを教えるとき、
たくさんのことを同時に教えない、求めない
といったことが、とても大事なのではないでしょうか?
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