の続きです。
「見えない世界」の栄養 の記事を書きながら、言葉で思っていることを
伝えるのは難しいな、ともどかしく感じました。
「見えない世界」といった自分の中では多彩な色合いを含んでいる言葉も、
いざ言葉にして伝えるとなると、色の一つを選んで、
例を並べ説明を重ねていくことになります。
ささいなこともくわしく書きたい思いと、本質的なことや全体像を見失いたくない
という思いを、文章の中で両立させることは難しいです。
しょっちゅう脱線しながら記事を書いていますが、
記事を読んでくださっている方は、一切れのピザの形の話題に終始している時も、
丸い元の形をイメージしながら読んでいただくと助かります。
これまで書いていた「見えない世界」の内容とは少し異なるけれど、
本当に大切な子どもと「見えない世界」の関わりを記録しておられると感じた
非公開コメント(子どもの名前を伏せる形でなら公開を許していただいたので)を
紹介します。
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今年度は保育園の役員をしている関係上、保護者の方々の色々な要望を聞くことがあり、
気になっていることがありました。上の子からの付き合いですので、保育園との関わりは
とても長いのですが、保護者の保育園に対する要望に変化が現れてきているのです。
以前は、保護者は子どもの希望と保護者の希望を混同していることが多かったです。
また、保育園側にも何らかの意図があるのでは?と想像することが少ないなと
感じていました。
ところが最近は保育園側の意図の推察だけに留まらず、子どもの希望をも切り離し、
保護者自身だけの都合を優先しているように感じます。
この想像力の欠如の原因はやはりブラックボックス化だと思うのです。
子どもたちが自分以外の人にもなんらかの意図がある、自分とは違う人格があると
いうことを体感するためにはやはり大人の意図が介入しない、
子どもたちだけの自由な時間と空間を必要なのでしょう。先生の以前のブログ、
普段の生活で心がけるといいこと、やりすぎてはいけないこと、
これを意識して取り組んでいかないと多くの場面で大人の都合による介入が入って
しまい、見えないものを見る、感じる場面がどんどんなくなってしまうと感じました。
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連休中は家族でスキーにいきました。
といっても姉のAはスキーができるけど、弟のBとCはソリ滑りです。
日常的な仕事から離れて、先生が書かれた見えるもの、見えないものを考えながら
過ごしました。うちの子どもたち、他の子どもや家族たちを見ながら考えていました。
うちの子どもたちはリフト券乗り放題チケットを買っても、乗らないともったいない!
なんてちっとも考えず、せっかくきたのだからソリ滑りやスキーをしないとダメだ!
なんてほとんど無縁に、時にはスキーやソリ滑りをするけれど、
それ以外ではほぼ自由に、雪の山に挑んで滑り台を作って色々な滑り方をしたり、
面白いソリのコースを作るのに没頭したり、何か面白い遊びはないのか探していました。
他の家族をみていると、もちろんそこに目的があるからでしょうが、スキーやスノボーの
訓練をしているようでした。また少数派ですが、かまくら遊びに没頭している親子、
雪だるま作りに夢中になっている親子もいました。
そして特記するべき、雪のこぶに対してどのようにソリが入るとどのようなとび方を
するのかシュミレーションをしている小学生の男の子がいました。
その子はかなりこぶに興味があったようで、
そして、BとCの遊びにも興味があったようで、その間を行ったり来たりと
かなり長い間留まっていましたが、そのうち家族の方に帰っていきました。
興味があってその行方を見ているとその男の子のお母さんとお姉さんは、
男の子そっちのけで、夢中になって雪だるま作りをしていました。
大事なことを再確認したような気がしました。
またBは十分創造的に楽しんだ後、ついにスキーに挑戦して、少しの間で滑れる
ようになっていました。今までは父親の言葉に耳を傾けることができませんでし
たが、しっかり言葉を聞いてそれを実行していたそうです。
また最後に私の言った、こけたときに起きあがる方法があって、地味で大変だけど、
これは大事なことだからね。お母さんも一番はじめはそこから練習したよ。という
アドバイスが心に残ったのか、何度も父親に話していて、次の目標にし、また滑りに
いきたいとお願いをしていました。年
末年始この連休と、また一歩大きく成長を遂げました。
Cはこけるのは格好悪いと思っていて、こけたくないという思いと戦っていました。
私はこけることは安全のために一番大事なことで、こけるのが格好悪いと恐れるよりも、
こけても起き上がって練習する方が格好いいよと話をしました。まだまだこけたくな
いという思いが強いでしょうけどきっと、心に残っていると思います。
Aは一人で楽しむより誰かと一緒にでないと不安なようですが、それを乗り越える
方法に気付き始めたようなので、また進歩をとげることでしょう。
帰宅後子どもたちは、水を得た魚のように、ブロックでなにかを作ったり、
手紙をかいたり、車と車で戦わせたり、磁石の不思議を再確認したり、と自分たちの
考えついた創造的な遊びに夢中になっていました。そして弟たちは広告のうらに
線や形などを一生懸命に書いていて、とても大切にしていました。
父親が見つけて捨てようとしたので大反発をし、私が大事にとっておくと言うと
安心し満足していました。きっとこの子どもの大事なものを大切にあつかうことが
子どもたちにとって大事なんでしょうね。(うちの家は一見無意味なものが山の
ようにありすっきりとしませんが、その中に秩序を持たせる工夫はしている
つもりです。そのうち子どもがこの大事な宝物を統合した新しい宝物ができるまで
置いときます。)
また私は、おもちゃは買いません!に至った前後やお友だちのDくんのお母さんの
おもちゃ選びの話のときなど、いいおもちゃって何だろう?と考えていたのですが、
こどもたちの遊びをみていて、子どもの遊び方に広がりでるようなおもちゃが良いの
だろうけれど、子どもに創造性があれば決まった遊び方に留まらず、面白い遊び方を
自分で考えだすのだなと実感しました。もちろん一見地味にみえてどうやって遊ぶの?
みたいなおもちゃほど、創造性のあるこどもには魅力的にうつって、
遊び続けるものなんだろうと実感しました。
またその創造性の下地をつくるまでは大人がおもちゃを選んでいく方が良いのだろう
けど、これはダメ!というおもちゃはあまりなくて、その遊び方を大人が気をつけて
いればよいのかなと感じました。そしてこの考えに至るためには、
大人はある程度子どもの遊びについて見たり考えたりする必要があって、
一般的にいいと言われているおもちゃを買い与えるだけでは十分ではないのだろ
うと感じました。
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そういえばBが先日、班分けをしてある友達と別れたからうれしい、
その友達に臭いからあっちいけとよく言われ、いつも嫌な気分になる。
その友達はわがままだというので、それならその嫌な気持ちを伝える?と言ったら、
ほかの友達もみんなその子にわがままやと言っているから良いねんと話してくれ
ました。しばらく何日か経って、その友達も結構良いことすることもあるから
嫌いじゃないねんと話してくれました。ずっとその子の行為を嫌だと言ったことを
心の中で反芻していたのだと感じ、Bの心の中の世界を垣間みた気がしました。
子どもたちのそのような世界観はどんどん心の中で広がっていって
豊かに花開くのだろうなと感じました。
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お正月にいただいたトミカの峠やまみちドライブ。
おもちゃは買わないけど、頂き物だしまあいいかと思い、組み立てたものをしばらく
置いとくことにしました。子どもたちは大量の車の中でどの車が速いか、
どの車がすごいか、いろいろな項目を作って競わせています。その中で昨日は
この車が一番だというものを選んでいました。なんの項目で競っているのか、
何を根拠に優劣がつくのかは子どもたちが決めて、もう夢中でした。
そういえばAは“あ”があいうえおの王さまだと言い出したことがありました。
最近ではBが新大阪は新幹線の駅だから新幹線の新がつくんだと言い出しました。
今日Cは去年の担任の先生はおこってばかりだからあかんかったと言いました。
子どもたちの中で様々な世界が広がり、色々な分析が日々行われているのだなと
感じました。
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私は以前、こどもたちの興味のピンポイントがなかなかわからないと感じていました。
でも先生が子どもたちといるときの姿勢を直接勉強させて頂いたり、
ブログで教えて頂いたり、また私の子どもに対する期待や自分が今やるべき日常的な
仕事を少し手放すようにすると、雑音が消えてきたのを実感します。
過去のちょっと印象に残った子どもの反応が、今の目の前の子どもの姿とリンクする
ような気付きにつながることもあります。またある程度、興味のおもむくままさせて
おいてもよいかなと感じるときや、私のやる工作や選ぶ絵本なども必ず食いついて
くるだろうと感じることがあります。
工作は見栄えが良くなくても、また完成品でなくてもよいのだと感じています。
とくに私がつくるものは、力の入っていないものでよいのだと感じています。
色々教えて頂いています。ありがとうございます。
ところで週末の子どもたちの様子は、
Cは相変わらず無量大数個がお気に入りです。また紙工作が再燃し、今は立体的な
ものを形作ることが楽しいようです。箱、肩掛け鞄など精力的につくりました。
すべて色画用紙のみで作りました。その熱がもう少し続いたらよいなあと期待して
しまうところですが、どうなってしまうのでしょうか。
またBは折り紙を切って雪の結晶作りをしていました。今日はそれにセロハンを
つけようか、黒い画用紙に貼付けようか。半分半分でも良いし。セロハンが好きで
きっと光を当てたら楽しそうだけど、くっきりとした色のコントラストも好きそう
だしなあと感じていますが、もしかしたらシンプルなままが好きかもしれません。
もちろん本人に任せます。Aは突如折り紙を重ねてケーキを作りました。
正直言ってAがこのようななにもないところからの工作をするのはあまり見たこと
がなくてうれしかったです。基本的に何か真新しい素材を見つけてなにか遊びの
アイデアがでてくるということが多いので。また弟たちを先導してがちゃがちゃの
景品作りをしました。
私は子どもたちが使っていらなくなった半端ものの色画用紙を使って、電車の線路や
その周りの仕掛けを作りました(初めてのピッケのえほんの会で教えて頂いた絵本
工作のアイデアを使い線路の切り替えを作ったり、適当に山を貼付けたり、
ビルをつけてみたり、トンネルをつけてみたり)。難しいしかけや特別な材料は
なかったけど、子どもたちはすぐに食いついてきて、色々アイデアを出してくれました。
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(最高に強いこと、大きなこと、たくさんであること、一番であることに関心がある
4歳の弟のCくんが教室で、「無量大数、作りたい」と工作に取り組んだ日の後で)
無量大数をいつの間に頭に入れていたのでしょうか。たしかに姉のAが何度か口に
出してはいましたが。上の子たちが話していることもしっかり自分の世界に
取り入れていたのですね。
そういえば肉食恐竜と草食恐竜の見分け方として、歯や手足をみるとわかるよねと
話していたとき、Cは食い入るように絵本や図鑑を見ていました。
またその後も恐竜の本を見るときの興味の対象になっていました。
子どもの興味を保証することが私のやるべきことだと実感しました。
最近は週末など時間があると一緒に工作をしています。本をみながらではありますが、
どんどん楽しくなってきました。
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親が子どもたちそれぞれの「見えない世界」を感受するとはどういうことか、
「見えない世界」と関わりながら
子どもはどんなプロセスを経て自分を育てていくのか、
それぞれの子どもが持っている「見えない世界」に、個性と資質と唯一無二の
かけがえのないひとりの人の姿が垣間見えることを感じさせてくれる記録でした。
どうもありがとうございます。
それと、コメント主さんが雪遊びの日に見かけたという
雪のこぶに対してどのようにソリが入るとどのようなとび方をするのか
シュミレーションをしている小学生の男の子、BくんとCくんの遊びにも興味を
抱いていたという子が自分自身の内面にあるものを大事に守っていけたらいいけれど……
と切に願いました。
放置するのは得意ですが(これも語弊がありますが)子供と寄り添うことのい大切さを実感しました。
見守る、寄り添うとうのはとても難しいですが、母は母のペースで変化すればいいんだと意識していきたいと思いました。
母が自分を責めていると子供も自分を責めていますね。どこまで敏感なんだ、と驚かされます。
子どもであるだけで、それが当たり前にあると思っていてはいけませんね。
どれだけ、周りの大人が、
そうさせてやれるかが、
本当に大切なのですが、
難しい…うまくやってやれていないなぁ…と、
またまた突き刺さり、
先生のお話、丸いピザの形を
忘れないように何度も読み返しています。
そんな私の中の変化からか、
息子が急に、伸びてる気がします。
嬉しいです。