コロナ禍の影響で4年ぶりに開催された板橋シティマラソンに参加した。
初めてウェーブスタートが導入され、5ブロックに分かれて6分間隔でスタートしたので、それほど混雑感が無くて良かった。
またエイドが多く、給食も種類が豊富で大変満足できた。
長いブランク明けと膝痛を抱えてのフルに不安があったが、とにかく完走を目指して臨んだ。
6分15秒/㎞ペースで進み、10km過ぎに4.5hのペーサーに追いついてから30kmまでついて行ったが、徐々に足が重くなり集団から脱落した。
今年も平井大橋の付近で家族の応援を受け励まされた。
ラスト4kmで仲間の声援を受けた直後に、いつもの痙攣が起き太腿の傷みがひどく転倒しそうになり、歩くこともままならない。
何度も立ち止まっては屈伸をして、ゴール寸前でも大勢の前で座り込んでしまった。
今回もまた「歩かず完走」は達成できなかったが、苦しさよりも集団で走れるレースの喜びは格別だった。
打ち上げはJさん手配のいつもの所で慰労会。4年ぶりに再会したメンバーも多く来年の約束をして解散した。
ボランティアの皆さん、応援の皆さんありがとうございました。
初めてウェーブスタートが導入され、5ブロックに分かれて6分間隔でスタートしたので、それほど混雑感が無くて良かった。
またエイドが多く、給食も種類が豊富で大変満足できた。
長いブランク明けと膝痛を抱えてのフルに不安があったが、とにかく完走を目指して臨んだ。
6分15秒/㎞ペースで進み、10km過ぎに4.5hのペーサーに追いついてから30kmまでついて行ったが、徐々に足が重くなり集団から脱落した。
今年も平井大橋の付近で家族の応援を受け励まされた。
ラスト4kmで仲間の声援を受けた直後に、いつもの痙攣が起き太腿の傷みがひどく転倒しそうになり、歩くこともままならない。
何度も立ち止まっては屈伸をして、ゴール寸前でも大勢の前で座り込んでしまった。
今回もまた「歩かず完走」は達成できなかったが、苦しさよりも集団で走れるレースの喜びは格別だった。
打ち上げはJさん手配のいつもの所で慰労会。4年ぶりに再会したメンバーも多く来年の約束をして解散した。
ボランティアの皆さん、応援の皆さんありがとうございました。