波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

言葉のケイコ【その拾肆(じゅうし)】

2019年12月31日 | 【保管】言葉のケイコ

華麗なるカレンダー

の住まいで暮らすようになってまもなく、リビングの壁紙を変えた。イメージとしてはホテルの部屋。気に入っている。せっかくだから素敵な絵でも飾ろうかしらなんてご機嫌になる。が、いざやろうとするとなんだか画鋲や釘の穴を空けることを躊躇する気持ちが芽生えた。うむむ。けれどそんな芸術的な作品よりももっと生活に即した壁に貼るべきものに気づく。カレンダーだ。私はスマホのカレンダーを見る習慣がないので、壁掛けのカレンダーは絶対に必要だ。(一斉にみんなで日付を確認することもできるしね。)そんな私にとって最重要なカレンダーは、当然画鋲を使う。うんうん唸って迷ってから、結局壁に貼ることに。実用的な大きな数字のカレンダーと、愛する大谷翔平選手のカレンダー(笑)。ゆえに2019年は美しい壁に2つの装飾(?)が施されていた。


て2020年。やはり絵のひとつでも飾ってみるかとぼんやり考えていたら、先日波風先生からカレンダーをいただいた。先生お手製の、イラスト付きのカレンダー。見ていると胸があたたかくなる。ポストカードサイズで、慎ましやかだが確かな存在感。ああ、これだ。芸術的で、かつ実用的。私の心を満たしてくれるもの。ということで、私の家の壁には2020年、大きな数字のやつと愛する大谷翔平、そして額に入った波風カレンダーが華麗に飾られる。うん、満足!


【波風氏談】ケイコさんのブログ、2019年14回達成。波風ブログへのご協力ありがとうございました。来年もヨロシクお願いします。14回目の4の漢数字「肆」には「ほしいまま」もあるとか。ケイコさんにとって、一番欲しいものが得られる新年でありますように。

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こめの学習帳21頁目

2019年12月27日 | 【保管】こめの学習帳

歌のゆくえ

Amazonプライム特典のPrimevideoをよく利用しており、1人の夕食時に何となく流している。先日、「最近追加された番組」に「8時だョ!全員集合」が加わっていた。調べてみると自分が物心つく前には放送が終わっていたので、「懐かしの映像」等での部分的なものを除けば、観たことはない。ちょっと興味があってつけてみた。

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Primevideoに入っている一番古いものが1972年。生まれる前だ。それでも第144回目の放送。感じたのは「
歌が多い」ということであった。これも調べてみると、前後半に計30分ほどのコントがあって全体で48分なので実際には時間としてそれほど長くもないのだろうが、「ゲストの歌」が3~4組あり、「少年少女合唱隊」が入るのでなかなかの長さを感じる。この時代にとっての「バラエティ」は歌だったのだろうなぁ、等と思って観ていた。

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しかし振り返ってみると、自分にとってのバラエティ番組にも歌は多かったし、音楽番組は今でもあり、年末の紅白歌合戦はまだ定番だと思う。歌の多さを感じたのは、おそらく今、歌を消費するように聞いているからだろう。スマホ1台あれば、いつでもどんな歌も聞けると言って差し支えない時代だ。わざわざテレビで流すことに勝手に違和感を感じたらしい。たまにはじっくり聞いてみようか。まずは久しぶりに紅白をちゃんと観てみようかしら。


【波風氏談】こめさんに何があったのだろう(笑)、ブログ記事が続けて送られてくる(感)。イラストは、こめさんでなく腹ペコさんブログ用の家族風景。豆太君も大きくなっただろうなあ。

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思い出の国語授業【読書交流記録 オマケ】

2019年12月25日 | 読書

先月の『ほんのおつきあい』で、国語授業の思い出を交流した。参加者一同、楽しかったという記憶がほとんどの方に無く(涙)、国語教師の波風氏は寂しく思った。

KK(女) 思い出すのは中学の時の『夏の葬列』。艦載機の機銃掃射でヒロコさんがゴムまりのように弾んだ・・・という表現を鮮烈に覚えている。国語の授業は面白くないことが多かったですね。

ママヨ 常に手を挙げようか挙げまいかと迷っている子どもで、挙げたことが一度も無かったです。覚えている授業は無いです。

HY(男) 家が漁師で学校に行ける環境で無かった。国語も苦手だったし若い先生も馴染めなかった。家にあった『坊ちゃん』が本の思い出。

HH(女) 『平家物語』の前文を暗記させられたこと。その時は、なぜこんな意味の無いことをさせられるのかなあと不満だったが、後になって日本語の美しさみたいなものを感じさせてくれたんだと思う。今となってはありがたいことだ。

SN(女) 記憶に残っている授業が全然ありません。高校の詩の授業で、忌野清志郎の詩を自分で書いたと提出したら、清志郎を知らない先生が赤ペンで添削して返却されたこと。「やっちまったぜ」が「やりました」みたく(笑)。

波風 授業のことはまったく記憶に無いが、宮沢賢治の『虔十公園林』は割合鮮明に覚えている、小学校5年生の頃。これは大事なことが書かれているなあと思った。


次回の読書交流会「ほんのおつきあい」は、来年1月26日(日)14:00から。今月末は世界中が何かと忙しいためお休み  

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言葉のケイコ【その拾参】

2019年12月24日 | 【保管】言葉のケイコ

雪かきの


ついにこの季節がやってきた。冬、といえば雪かき。冬場のみ普段の家事に1つ追加されるそれは、時として気力、体力を根こそぎ奪っていくこともある。なんという恐ろしさ。仕事をしているときはとにかく「雪よ降るな!降るんじゃない!」と毎日空を睨んでいた。体を動かせるから良いようにも思えるのだが、だからといって痩せられるほど動くわけでもないのでただただ苦痛。でも雪かきをサボってしまうといいことは一つもない。自分たちの動きに制限がでるだけでなく、見た目も悪いし近所に迷惑をかけることもある。だから必死に朝早く起きる。よくやった自分と、毎日自分を褒めていた。


さて、今年引っ越して初めての冬を迎えた。ご近所さんの様子を見つつ、できるだけ美しい外観を保つべくママさんダンプを握りしめる。幸いにしてうちの裏は結構たくさん雪をためるスペースがあるので、とりあえず裏にせっせと雪を運ぶ。そうやって綺麗になった家の前を見ると満足。けれどもやっぱり雪かきはしんどい。雪国の人間として当たり前のこと。でも、たまには誰かに褒めてほしい(笑)。とはいえこういう作業こそ、さりげなくこなした方が格好いいということもよくわかっている。
あくまでもスマートになんでもないことのように振る舞いつつ。よくやった自分と、これからも思う存分自分で自分を褒めていこう(笑)。

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祈りを意識する

2019年12月23日 | 新聞感想

ほぼ同年齢の年金生活者による読者投稿(12/23朝日朝刊)。詳しいことはわからないが、妻から夫に対する不満は我慢するしかないと綴る。当然、夫も読むだろう新聞に投書する気持ちが悲しい。この投書に何一つ意見は無いが、身震いするようなわびしさが残る。
これを読んだ後、「日々、われらの日々~鉛筆画家 木下晋 妻を描く~」(12/21放映のETV特集)の録画を見る。夫を支え続けた病の妻を描き続ける夫。絵からも、暮らし方からも夫婦という不思議な縁を思う。
脈絡なく、「祈る」という言葉が浮かび、ある詩文を思い出す。

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青山は私を見て無言で生きろという
蒼空は私を見てさりげなく いきろという
むさぼる心を捨て 怒りからも解脱して
水のように 風のように 生きていけと
(茨木のり子著『一本の茎の上に』にある韓国ハングル文字の詩文)

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宗教にも、神にも縁が無いというか、信じることのできない人間は、どんな魂なら心静かに暮らすことができるのだろうか。今読んでいる『燃え上がる緑の樹』(大江健三郎著)がこの問題に正対させる。難解な本だが読み続けている。
前に生死の境を意識した時、ママヨさんが教えてくれたのが、前述の韓国の四行詩。これを声に出さないで病室から見えるガラス越しの空に向かい、繰り返し繰り返しただただ唱えていた。ああいうのが祈りというものなのかなあ。

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