波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

猫の時計

2023年09月28日 | 図工・調理

猫の時計子ども食堂支援工作の第1段。猫好きの依頼主様がどう思われるかは不明だが、製作者は「おもしろいなあ、これ」の世界に浸る。渡すのが惜しくなった(笑)。素材感が温かく素朴な雰囲気になった。

時計の機能は曖昧だが刻々と違う表情を見せてくれる。部屋空間を嫌味なく彩ってくれるはず。気になるのは、依頼主様が飼っている2匹の兄弟猫の感想。

コメント

ユウビンウケ鳥

2023年09月27日 | 図工・調理

拾ってきた流木で昨年作った黒い鳥。柄が大きいので邪魔にされ、あちらこちらを彷徨い最後に郵便受けに置いたら落ち着いた。が、何かが足りない、いや何かが余分。カラスや九官鳥のイメージがいらない、説明過多なのだ。

 

赤く塗り直した。自然の模倣というか直感を信じず世間擦り寄りの嫌らしさから脱出。嘴に「ありがとうございます」のメッセージも挟み未だ不完全だが。
現代彫刻からリサイクルショップでいつまで経っても売れ残ってる工芸品になったが、「コレナニ?」が漂うようには少しなった。
名づけて『郵便受け取り』、もとえ『ユウビンウケ鳥』。電気や水道の領収書も、まあよく来る高齢者向け「もしもの場合」生命保険申込、ありがたい皆さんからのお手紙は、この赤い鳥が検閲する。受け取り拒否や没収といった権力的行為はたぶんとらないと思う。

コメント

時計注文、承ります。

2023年09月25日 | 図工・調理

段ボール製の壁掛け時計を制作中。このブログにも載せたやつ。昨日の読書交流会に来てくれた方々や、ダイエットに励む波風氏の妹からの依頼、と言えばカッコ良いが押し売り。この世は日頃のお付き合いが処世の術(笑)。波風食堂が未だ休業中なので、子ども食堂支援のための資金作り。「どんな注文にも応じます」と調子良いことを言っていたら、色はピンクには良しとして、ネコをお願いします、孫の好きな緑色の新幹線、イルカを作って下さい、ということでウームと考え込みつつ『手作り一点もの』に価値があるよな、と思い直し励む。

 

価格は、時計1台が何と1.000円。この「なんと」は安いつもりの副詞だが、材料費が百均の時計ユニットと輸送用段ボール箱と少量の絵の具代だから高い、と思われる方もいらっしゃるだろう。ママヨさんは「高いでしょう」と呆れていた。だが考えて欲しい、波風氏には1円も入らず全て子ども食堂応援費になるのですから高くはない。それ以上に、わかる人にはわかるアートとしての価値がある はずである(笑)。このブログを見ていて「それなら欲しい」と言う方は、次の要領で注文して欲しい。9月30日を締め切り日とします。

波風氏手作りの壁掛け時計
●金額  1台 1.000円
●郵送料 1台   3.70円(ユウパック料金) 取りに来られる方は当然ですが必要ありません。
●保障 何らかの不都合が出た場合は修繕、取り替えいたします。
●その他 マンガン電池使用のこと。アルカリ電池は高級すぎて壊れます。今まで10台以上作りましたがほとんどが壊れず5~10年以上動いてます(中国製のユニット、素晴らしい!)

◎注文はこちらのメールで。入金等はメール返信時にお知らせします→ namikazetateo@gmail.com

コメント

本箱に本を並べる

2023年09月20日 | 読書

読んだ本を少しまとめてみる。このブログの右脇にあるブックマークの『●波風文庫(読書備忘録用)』というデジタル上の仮想本箱。上から3段目の加藤多一著『原野にとぶ橇』から左側、そして上段が新しく並べた本。このブログのカテゴリー『読書』に載せたものをまとめね置いただけだが、「今年は本を読んでいないなあ」を実感。老いの兆候あらわる、とは思いたくない。畑と散歩と工作で十分楽しかったせいかなあ。図書館から借りた本を載せていない(何を読んだかほぼ忘れてる)のでこんなものかもしれない。

画像は、若松英輔著『悲しみの秘儀』(文春文庫)。TVで「死にたくなった時に読んだら良いよ」と紹介された本。読み始めたばかりだが、忘れられない言葉に出会えるかもしれない予感。読み終えた村田紗耶香著『しろいろの街のその骨の体温の』(朝日新聞出版)も同じ番組で紹介されていた。
残り3ヶ月の今年、「2023年 波風読書ベスト10」に挙げられるのはまだ半分というところ。


イラストも整理しておきたい。『最新フォトチャンネル』が「2016年イラスト」のまま(笑)。7年前だよ 宇宙は規則正しく運動している、ということで8枚の花弁が整然と並ぶ美しい形になっているから秋桜のことをコスモスっと言うらしい。風に揺れるコスモスを描きたいが寒いしなあ。

コメント

欲望を見つめてみる 続き

2023年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回から続く)
欲望は、少し前までは割合遠くにあり、手に入るとどんなに嬉しいか幸せかを妄想するもの。文字通り『もの』を欲しがる心だった。若い頃は目の前にあっても手に入れるのがむずかしい物に執着し、少し世の中がわかってくると簡単には手に入らない価値あるものを欲しがるようになり、もう少し経ったら持っていないと不安が湧いてくるもの。どうなるのだろう老後?欲望を買うためのお金、使うための健康は?いやいや、もっと必要なものがあるのじゃないか?

 

余計なこと考えていたなあ。老いるほどに等身大の自分が見えてきて、それに従い、本当に欲しいものが段々とわからなくなる。なるようにしかならないのが人生で、不安を抱えて暮らすのも、面白く生きるのも、自分次第だなあとわかってきて仙人に近づく(笑)。年金も保険も介護施設もなくたって、江戸時代の老人が全員ウツになったとか子どもに背負われて裏山に捨てられたは聞かない。むしろ今より楽しかったしれない。
今まで欲しかったものは、自分以外の環境が自分に「これ欲しいだろう、欲しいはず」と擦り込まされていたのかもしれない。欲しいものは欲しくてもかまわないが、それだけでは何か虚しい。

 

自分は本当に欲しいのか?あったら心から嬉しいのか?・・・与えられる欲望ではなく、心と体がしみじみと欲しがる「何か」を持ちたい。余っているお金は無いけれど何とかご飯を食べていて、健康診断は身体評価で一喜一憂の機会だし、作ったり食べたり話したりはまだ飽きない、前まで日々の暮らしは暮らし、欲望は欲望と別ものだったがどうも違うようだ。欲望する自分を肯定しつつ、そんな自分を慈しみ(笑)笑える人物になりたい。
「欲望をコントロールできる欲望」、波風氏はこれを何にもまして手に入れたい。

 

距離感が老人には必要だ。これまで書いた欲望観は70歳過ぎてからのもので、社会と自分を少し遠くに置いて眺められるようになって気づいたこと。ここは老人ならではの成長点。
自分に関係する「ひと・こと・もの」も、近いと見えず離れなければ本物はわからない気がする。ママヨさんと仲良く暮らし続けるカギもこれ。自分をそれなりに認められるかどうかも同じ。


画像は、畑のバジルで作ったバジルペースト、スライスチーズに塗って焼いた厚焼きトースト。前は、もっぱらトマトソースのピザトーストだったが、今時期はバジル一食、いや一色 学校の先生たちのプライドが心配。無制限の労働時間、がんじがらめの学校、OECD34か国で平均以下の賃金。教員のワイセツ事件耳にするたび、凄まじい勢いで教員のプライドが喪失している感じ。驚きも怒りも感じなくなってきた、これが怖い。

コメント