波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

言葉のケイコ【その廿拾柒(にじゅうしち)】

2020年03月31日 | 【保管】言葉のケイコ

「バカと天才は紙一重」というセリフをとある漫画で見つけた。当時私は小学生。この、「紙一重」という言葉の意味がわからず、母に尋ねるも、「わからない言葉は辞書で調べなさい」と。そこで私は素直に辞書を引いたのだが、結局「紙一重」という言葉の意味はわからなかった。その後言葉の意味はいつの間にか理解したが、この言葉と初めて出会ったのが漫画の中なのは覚えている。私は漫画が大好き。子どもの頃からたくさん読んできた。ここ数年どっぷり小説漬けになっているが、そもそも私の本好きの原点は漫画だ。料理のうんちくは『美味しんぼ』で学び、バスケのルールは『スラムダンク』で覚えた(別に私はバスケをやらないけれど笑)。そして、難しい漢字の読みも慣用句も四字熟語も、漫画で得た知識が多い。私の母は私に漫画を読むことを禁じることはしなかったし、本を読むことの楽しさは、活字ばかり読んでいても培われないのだろうと理解してくれた。私が子どもたちに国語を教えることを仕事にできたのは、私にたくさんの本を読む機会を与えてくれた母のおかげでもある。


図書館が閉館中のため、久しぶりに押し入れから漫画を引っ張り出して読む。やはりいくつになっても漫画は面白い。だが困ったことが。漫画の字、こんなに小さかったっけ。数年ぶりに目にしたそれは、老眼が始まっているらしい私の目には辛い。若さと老いも紙一重?どうも私は紙を一枚めくってしまったようだ。


ブログ上の読書交流をお願いしたらSNさんとケイコさんが速攻で送ってくれた。MSさんから「(開催されたら)感想だけの参加にしようと思っていました」というメールSNさんから森友自殺職員の遺書全文掲載の週刊文春(3/26号、4/2号)見せて貰う。人間最後の言葉、嘘をつく人間たちの言葉、人間は何を守る生き物なのだろう。

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『戦時期日本の精神史』を読む。

2020年03月30日 | 読書

戦時期日本の精神史 1931~71945年』(鶴見俊輔著:岩波現代文庫)を、コロナ、コロナと騒がれ始めた頃に読み始め、その話題が一日一杯TVで流れ、有名なコメディアンが亡くなった今日読み終わる。図書館に買ってもらった『鶴見俊輔伝』で、この哲学者をもっと知りたくなって読む。

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読むのをためらわせる題名と、この著書の原本が40年前のカナダの大学での講義ノート(全て英語による授業)、加えて「岩波書店」に怯むが、「鶴見さんなら、自分でも理解できるように書いてくれているだろう」と思って約300頁めくる。
近代と現代の境目、標題の15年間の意味、転向、鎖国、国体、アジア、朝鮮、玉砕、戦時下の(庶民)の日常生活、原爆の犠牲者、戦争の終わり・・・・読みながら、近現代史を知らなくても、これらのキーワードで「15年戦争」時の知識人の事実と意味をもとに「文化の鎖国製」という特質を推理小説のように明らかにしてくれる。予備知識無いカナダの学生が対象というのも、わかりやすさの理由だろう。同時に、「名文とはわかる文章のこと」であり鶴見さんはその筆頭だと今回も思った。

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加藤周一さんの日本文学史も独自の日本文化論で強烈に刺激的だが、7年前に手にして難しすぎていつ読了できるかわからない。それに比べ鶴見さんのこの日本文化論は頭に素直に入る。前者が上から目線とは言わないが、後者が庶民の立場から離れず門外漢にも親切だ。加藤さんが足場を国外に置いた理論に比べ、鶴見さんが国内で実践的に理論化しているせいもある。今回、日本の精神とは何か、近現代史の骨格をなす思想とは何だったのか、哲学の内容と方法とは何か、のような普段の暮らしとかけ離れた問題を身近に感じた。知らなくても困らないが知ったこと、考えたことで少し幸せになれる感じがする。


この本を誰か読まないかなあ、語り合いたいなあ、腹ペコさんの近現代史の講義で目を開かれたママヨさんに頼んでみようかなあ 明後日久々に図書館再開が嬉しい。同じ日に2階から港の見える温泉が閉鎖し実に悲しい。

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中止のお知らせ

2020年03月26日 | ご連絡

月29日(日)に予定していた読書交流会を中止します。たぶん、きっと、いつものように開催して何でも無いような気がしますが、そういう中での交流は落ち着きません。不要不急の外出自粛の今、今までに無く読書生活は豊かになっているかもしれませんが。

の代わりと言ってはなんですが、このブログ上で交流を行います。次の内容で、今月中をめどにメール送信していただければありがたいです。投稿はこの読書交流会の参加経験有無を問いません。よろしくお願いします。
①投稿者名(ブログではイニシャル表記)
②書名と著者名(3冊以内)
③感想(イチオシは長く。これまでの読書交流会記録参照)
④自己評価(全然ダメ『★1』~素晴らしい『★5』の5段階で)
 ■メール発信先namikazetateo@gmail.com

回は、4月26日(日)14:00~。このぐらいまでには状況が落ち着いていることを願ってやみません。また、皆さんが無事でありますよう心から祈っております。波風氏は本日をもって68歳となり、ママヨさんと映画『パラサイト』を観に行く予定でしたが辞めました。誕生日に肝試しもないだろうと。

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コメの学習帳33頁目【残りあと1回】

2020年03月26日 | 【保管】こめの学習帳

言葉に守られる~稚内の暮らしを振り返る【中】~

大学教育に興味がある。その延長に1960年代における学生運動への関心もある。最初は集団心理として興味を持ち、その後、学生が大学のあり方や学生の位置付けについて議論を繰り返したのだと知った。引越し際に訪れた札幌で『三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実~』を観た。映画の評価には触れないが、最後に重要なこととして「熱、敬意、言葉」とあった。言葉についてはこの映画の冒頭から示されていた。自分にとって「言葉」がフォーカスされるのはタイムリーなことだった。

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稚内以前の暮らしの中で、言葉について考えたことはあまりなかった。それまで意識してこなかったわけではないが、正確に使う道具としての意味で言葉があったし、専門性を獲得するものとして言葉があった。特に研究として言葉を使う中で、そうした言葉の位置付けが確定していったと思う。ただし、過去に読んだ小説や小論においては、自分にとって「落ちる」言葉に何度か触れていたのだと思う。いつのまにかそれが損なわれていたのかもしれない。

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稚内で過ごした諸先輩方からいただいた言葉は自分に「落ちる」ものが多く、大変な時や困った時に思い出すことがたびたびあった。稚内で過ごした後半は「ほんのおつきあい」で自分が読まない類の本を知り、馴染みのない言葉にもたくさん触れた。そういう言葉に囲まれて、面白いと思ったり落ち着いたりしたことで、稚内での暮らしが支えられていたと思う。前回の最後に「自身」と表現したが、「安心」が正しいかもしれない。

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言葉のケイコ【その廿拾陸(にじゅうろく)】

2020年03月24日 | 【保管】言葉のケイコ

ために



形県の中学1年生の女の子が、手作りの布マスク612枚を寄付。朝の情報番組で知る。彼女は、2月の終わり頃から毎日布マスクを作り続けた。きっかけは、「おじいちゃんやおばあちゃんたちがマスクを買い求めて何件もの店をまわっていたから」と。自分に何ができるだろうと考え、苦手な裁縫に挑戦してマスクを作り続けたのだと話す。かかった費用はおよそ8万円。それを彼女は、自分で貯めてきたお年玉貯金の中から出した。「人のために使えることは嬉しい」と。子どもだから純粋に聞こえるのではない。彼女の心からの言葉だから胸にずしりと響く。彼女のマスクは県庁に寄付され、養護施設などに配られるという。1枚ずつ個包装され、手書きのメッセージつき。受け取った人がどれだけ笑顔になるか、想像に難くない。

女のように、行動に移すことも素晴らしい。でもそうでなくても、今子どもたちは本当によくがんばっているのではないか。登校も、自由に遊びに出ることも制限。それは自分や身近な人たちのためだけではない。感染症で重症化する可能性のある人たちのために、ひいては社会全体のために、不自由を受け入れてくれている。では、私たち大人には何ができるだろう。どんな姿を見せるべきだろう。子どもたちのがんばりを無駄にするようなことだけは、してはならないと強く思う。


【波風氏談】「今子どもたちは本当によくがんばっているのではないか」を思う。先月末から、外出して子どもの姿をまず見なかった。その分、大人に従って健気に努力しているんだなあ。

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