波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

この頃思うこと

2023年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

今年が終わる頃だったり、この歳になってだったり、北国に住むことだったり、「そういうことなのか」と思うこと。ブログの材料に考えたが放って置いた、そのまま消えてしまうのも癪なのでメモで書き残し。

先生の精神疾患6539人(2022年度の公立学校教員、前年度比642人増)、それに1ヶ月以上の病休加えると1万2192人。実際はこの10倍、100倍いても不思議で無い。根本的な解決策は少人数学級と教員増しかない、屁の突っ張りにもならない小手先「働き方改革」でこの国の土台は崩れに崩れている。何とか持っているのは先生たちの大奮闘あってだが、続くはずが無い。歴代の文部科学大臣がこぞって裏金づくりに励んでいる空しさ。

老女は見知った言葉だが「老男」(およしお)は知らなかった。この理由、人とは男のことで呼称必要無く、女は身分の低い人なので呼称が必要だったらしい。このブログにも書いたが、年賀欠礼で相変わらず女(妻)の親を義父、義母と書いてある。妻が現存しているのに。
ママヨさん不在だった25日間、肌身で学んだのは、「あらゆる差別の根源は子どもの頃からの無意識の男女差別」だということ。ママヨさんの暮らしの日常を思い出し不完全になぞるだけの独身生活。

雪国の車選びを真面目に考える年末。車高、駆動方法、トルク、寒冷地対応、燃費・・・・坂道途中で埋まり尚更。3日違いで今問題のD社の軽を発注するところだった。S社のに変更。今更だが、波風氏は「かわいい顔」「直線で無く曲線」に惹かれるようだ。人間で無く、車のことだよ。


画像はこの10年、12月中ならいつでも使える絵ハガキ。クリスマス前なら、働く前の一休み、後ならご苦労さんって感じてくれると嬉しい  ここ数日、雪が降らない。降らなければ降らないで、降れば降ったで不安になる北国生活 やっとブログUPできた。前回ブログのことを書いたので、書かないことが徐々に精神を追い詰めていた(嘘)

コメント

『ブログというもの』から12年

2023年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日で12年を過ぎ今日から13年目のこのブログ。毎年、こんなに続くとはなあと自己陶酔しているがひとえに読んでくれる人がいるから。最初(2011年12月21日『ブログというもの』)からずうっと読んでくれている人はいるのかなあ?家族があまり読んでいないのは知っている(涙)、今まで出会った人たちと偶然ヒットした人たちが読んでくれているのだろうなあ。少なくて70、多い日で150、平均100の視聴に驚きそれがずうっと続いていることが嬉しい。

●■

波風立男氏という人物の生活とそこからの意見を書いているが、よくこういう何にでも対応可能なブログ名にしたなあと、その先見性に目を見張る(笑)。給料もらう働きの時は内容が固かったが、無給の家事生活になり気楽に。『高齢者』枠に入り変な色気が無くなった。定年退職ならぬ諦念退色に浸りつつ気楽さを愛でる暮らしだから書きたいこと、書けることがある。
記事の内容も三段落構成も最初と変わらないのに驚く。

●▲●

このブログは波風氏の暮らしを言葉で支え、時々立ち止まらせる。老いるほどに、人は必ず死ぬという予感(若い時は他人ごと)と、どんな人も口には出さないが不幸や苦しみを抱えている(みんな平等に)ことを発見する。この2つがブログの原動力かもしれない。人生の最終版ぐらい、思っていることを小出しにしたり、嬉しいことを言葉にしたり、嫌なことを匂わせなければつまらない。波風立男氏の名が廃る。今までブログを書く材料と気力と支えがあった。来年の今頃、「『ブログと・・・・から13年」と書ける面白い人生を送れたら嬉しいなあ。 


大吹雪で東京発の飛行機が途中の千歳に止まり、次の日も千歳から当地の便が運行休止。バスで帰ってくる。「少しづつは近づいている。歩いてでも帰りたい(涙)」とママヨさん。伊能さんや間宮さんって本当に凄いな。除雪3時間で疲れたなんて言ったらバチ当たる 年賀状の印刷終了。自分から出さずもらうのに返信する例年だが、来年の秋からハガキ代が封書の切手代近くになりみんなどうするのかなあ画像はもうすぐ鉢一杯に満開予想のサツキ。厳冬の独り身を励ましてくれるよう。                                               

コメント

『人はどう老いるのか』を読む。

2023年12月19日 | 読書

独身生活も3週間を過ぎ、家事と読書で日が暮れる。外歩きは雪がもっとしまらなければ危ない。カジトモ(=家事を交流する同じ境遇の友)と作ったご飯食べながら、若い頃に読んだという大江健三郎、難解なアニメ『君たちはどう生きるのか』について話しする。もちろん、老人定番の血圧や体脂肪や持病、家族、終の棲家などの話題も。楽しかった。

老人と周囲の「老い」のイメージをもとに、押しつけも慰めもないリアルなアドバイスに好感、『人はどう老いるのか』(久坂部羊著:講談社現代新書)だ。天はいつまでも若い人を造らず、いつまでも死なない人を造らずで始まる。幾つも立ち止まる箇所あるが、なぜ高齢者は昔ほど尊敬されないのかの要約をひとくさり。

目をそむけたくなる認知症、高齢者鬱、排せつが淡々と語られ、オイルショックの中で以下に続く。
【歳とって人格者になれるのはせいぜい70歳前後まで。長い経験から、無駄や無用を知り精神的な余裕と自制心が培われ周囲には人格者に映る。昔はそのくらいで亡くなったが、今はそれから20年ほど生きて心身ともに衰え尊敬を集められない。若者に敬老精神を養うには、高齢者自身が尊敬に値する存在にならなければならない。その方法は、自らの老い、苦痛、不如意を受け入れ、栄誉や利得を捨て、怒らず、威張らず、自慢せず、若者に道を譲り、運命に逆らわない心の余裕を持つこと。これ難しいが、むずかしいからこそ尊敬を呼び覚ます】
実にごもっともな結論。だが、不治の病や大小便の失敗を受け入れられる自分になれるかどうかは、波風氏の本質的な人間性、運と偶然と周囲の支え(これ定年退職できた時の感慨)だね。


カジトモと、1回目は鍋焼きうどん(白菜、椎茸、エノキだけ、人参、掻き揚げ、板かま、温泉玉子)。2回目は寿司(握り、チラシ、巻きの講習兼ねて)と煮た南瓜。いずれも食べすぎ(涙)少し読み、これは面白い、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也、田野大輔著:岩波ブックレット)。世の常識みたく、何でも良い面と悪い面があると語る人多いがナチス問題超え、ものごとや人の評価のあり方を考える両書の予感政権与党の大嘘がバレ始めたがこれがどう誤魔化されるのか、庶民はやっぱり騙され続けるのか。

コメント

眼鏡屋さんのエッセー

2023年12月15日 | 新聞感想

波風ブログでおなじみの当地ローカル新聞に掲載される眼鏡屋さんの広告。広告と書いたが、優れたエッセー。エッセー(随筆)の本質は自慢話だから相当の筆力が無ければ読むに値しないと井上ひさしさんが喝破していたが、この『広告』には「俺はエライ」の空気が全くない。題名の『一浪』からして泣かせる。文頭で先代のご苦労を綴り、文末の息子さんの二浪突入も一家をあげた専門的な技術向上を願い、さりげない激励になっている。眼鏡屋さんはその専門性を高める努力を必死にし続けなければならないことをこのエッセーで知る。この眼鏡屋さんの広告は国語教材になると思っているが、今回もだ。連載エッセーの感じがし続きが楽しみ。記録文学の傑作、松下竜一著『豆腐屋の四季』みたいな『眼鏡屋の四季』のような話をいつか読んでみたいなあ。


公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」に『カジトモ』をUP。今日は文字通り、洗濯、地中海ヨーグルづくり(種菌の初回から70回目)、掃除、調理、蜜柑の返礼のホタテ送付、そしてパチンコという家事忙殺の日であった。明日、カジトモに鍋焼きうどんの馳走予定 ママヨさんの長期不在で困るのはクスクス笑う相手がいないこと。単身高齢者として覚悟しておくべきはここらへんだね。

コメント

子ども食堂の応援

2023年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

子ども食堂に今年も寄付することができた。「子ども食堂を応援する大人食堂」の波風食堂はママヨさんのコロナ後遺症が長引き開店できなかったが、段ボール時計7つ作り買ってもらって7000円、昆布干しアルバイト代とパチンコ収益から15000円、読書会の珈琲代から1500円、計23500円。「支援」というとおこがましいので「応援」。がんばれ子ども食堂と同時に、がんばるからね大人食堂もの心。

当地の今週末開催の子ども食堂メニュー、海苔巻きと稲荷寿司と唐揚げと味噌田楽と南瓜団子汁(高校生まで無料、一般300円寄付)。素敵だなあ、クリスマス近いからかなあ、ご馳走だ。運営する方々の心意気を感じる。そうした方の1人から、大勢の子どもと大人が来てくれ、本当に困っている子どもたちも混じってくれるようになってきましたと聞いた。少しづつ少しづつ根付いてきたんだね、続けることが大事でそれが一番難しいこと。

自分温かくなりさえすればという不道徳な冷たい政治世界に何度ウンザリさせられることか、こういう政治を許す庶民にもかなり失望しつつ、目立たず騒がず支えあって温かい気持ちで暮らす庶民もいることに救われる。子ども食堂もその1つ。画像は先週土曜日の朝日新聞にあったあのACジャパンの広告支援。年越し炊き出しやっていた湯浅誠さんがこの全国子ども食堂支援組織の理事長なんだね。


イスラエルとパレスチナの戦争で、ウクライナの支援が激減しているとのニュース。国連のガザの停戦決議を拒否する米国の思惑をウクライナ問題に重ね、戦争の目的を思う 「わたし」と「あなた」と、「わたしたち」と「あなたたち」の関係を考えることが多くなったこの頃。一番大事なのは「わたし」。それがあって独立した「あなた」を大事に出来る。教育が育てることは、「わたしたち」と「あなたたち」を意識させながら、「わたし」と「あなた」の人間的な自立の関係。

コメント